はてなキーワード: 怪物とは
党派性強い奴と感じるタイミング→「◯◯党は〜」って特定の政党にポジティブorネガティブなこと言い始めたとき。
事実でない主義主張ならお前の胸の内に秘めとけ。誰かを扇動するな。
どれだけ魅力的な人でもそれだけで冷めて、「あっ…もういいです」と内心思いながら雰囲気壊さないために相槌打ちマシーンになってる。
事実であったとしてもそれを判断できるだけの材料も無い。材料があっても正しく取捨選択できるレベルも無い。
まずレベルを上げる努力もしてない。というかレベル上げ段階で偏った情報摂取しすぎることに気付かず、エコーチェンバー効果で狂った怪物になりそうだし。
だから話半分にしか聞かないから、いちいちお前の臭い息がかかりまくった恣意的なソースを見せてくんな。
でも投票先はそれで良かったのかな?って毎回思う。投票に責任を負う必要は全く無いと分かっている。
けどSNSとかで党派性強いキモい奴らの主張がうっかり目に入ってきてなんかモヤモヤする。
各政党・候補者の主張とかは、たぶん全然把握出来てないと思う。
演説にしても政党PRにしても自分の飯のタネだから、当然のように美辞麗句が並ぶし、党として達成した実績も「それどのくらい貢献度あるの?」って疑問に思う。それ定量的に評価できるのか?ていうか民主主義で多数決だから、あの手この手で支持者を増やせば何でも実現できるでしょ?それが正しいかどうかはさておき。
大学の学部選んだ時に漠然とあった好奇心はもう全部使い切っているのに、未だに分からないことだらけで目眩がしてくる。
会社のやってることもなんだか他所と色々違うみたいだから転職してリセットした所で良くなるとは思えん。
ただただ金と時間を交換しているだけなのに、どんどん責任は重くなっていく。
テレビゲームのボムみたいな感じで「とにかく助けてください!」でどうにか出来る年齢じゃなくなってきた。
というか自分がそれをやられる側だ。
頼んできた側の勘違いで実際には簡単なことだった時、物凄いホッとする。
いざ自分がやられる川になったら、俺の時間を奪いやがってなんて気持ちが湧き上がるんじゃないかと思っていたけどそんなことはない。
もうとにかく一番怖いのはチーム全体で死にものぐるいで戦わないといけない怪物の発見報告がやってくることなんだ。
昔は後ろの方でビクビクしながら最前線のサポートだけしてればよかったのが、自分が突っ込んでてよく分からんまま口に手を突っ込んで一か八かでトドメをさせないかとアレコレやらされる。
もう嫌だ。
趣味も完全に上手く行ってない。
もう全然楽しくねえ。
膝悪くしてからはスポーツは怖いだけで全然楽しめなくなって、足に負担賭けないようにビクビクしながら筋トレだけやってる。
ゲームも全体的に飽きてきて、大作のとにかく先が見えない感じはもうかったるいし、かといってインディーズのアイディア勝負もちょっと齧った所で昔やった何かと比べてすぐに飽きてしまう。
昔は存在価値の分からなかった「何だか良く分からないものに触ってあっという間に終わってしまうゲーム」の価値が分かるようになってきた。
とにかくアイディアだけサクっと味わえたらもうそれでいいんだって状態なんだ。
映画やドラマも展開は一通り見飽きてるせいで集中力が落ちて話が追えない。
ていうか自分が自分の思ったよりも頭が悪いらしくて難しい話をちゃんと分かろうと思ったら画面に齧りつかなきゃいけないってことを直視できない。
画面の中のテレビショーをちゃんと理解するために必死に画面に食い入ってそれだけやるって人生の使い方がなんだか凄く惨めでやりたくない。
映画館に行って集中して見てたはずでも話が分かってないことが多い。
見終わってから他人の感想を読んで自分が全然話を勘違いしてたことに気づいたりする。
なんだか惨めだ。
私生活も荒れてきて、たまに掃除や睡眠をしっかりやろうと思いつくことがあるけど、そのブームがいつの間にか去って気づくと汚い部屋で夜更かししていることが年の半分ぐらい。
体は膝以外もボロボロで、歯医者で歯石取ってもらってるのにいつも口の中がネバネバしてるような感じとか、ふとしたときに嗅いだ服の匂いの加齢臭みたいなのとか、そういうのもう全部辛くなってきた。
バイキングじゃ全然食べられないのに何でもない日にたくさん食べまくってしまい次の日は夜まで何も食べられずに過ごしたりするような、体のコントロールの効かなさがいろんな所に起きてる。
結婚式や葬式以外でしか合わない従兄弟が今何やってるのか時折気になって、そういやアイツらはこっちよりも大分器用に生きてた気がするなと嫌になる。
人間関係の健全なあり方みたいなのを身に着けられずに来たからとにかく人間と関わりたくない。
いい感じに見下しあえたら友達になれて、一方的にこっちが見下してたら関わりたくない相手、逆に相手から強烈に見下されていると感じたらそのときも逃げていく。
人間が他人と自分を比べるっていうのは当たり前なんだけど、そこにおいて尊重しあうっていうことが道徳的な正しさの上にしか存在してないような感覚がある。
もうなんか人生全部が辛い。
末期がんの患者がモルヒネがいい感じに効いてる時の穏やかな気持ちの中で「じゃあ自分の人生にどういう結論をつけていくか、頭の中だけでも整理してから終わらせたいなあ」と考えているような状態の中をもうずっとずっといつまでも生きてきた気がする。
そこから突然、なにかが変わって人生が好転しだす可能性を信じてた。
世の中じゃこういうのを「人生が始まってることに気づいてない」みたいに言うらしいな。
いつの間にか始まっていた人生がいつの間にか終わっているただそれだけなんだってことを納得しておけばいいっぽいのは分かってる。
生まれた家とか時代とかDNAとか子供時代の過ごし方とか就職先の選び方とか人間関係とかそういうのにたらればを持ち出すのは無意味だってことも分かってる。
少なくとも生まれてきた瞬間に決まるものについてタラレバを考えるのは無駄だ。
「魂の実在を信じているのか?異世界転生するライトノベルみたいに?」って話だ。
科学を進行しているので魂や輪廻転生は信じてませんって考えてるくせに、どこかで「もしかしたらこうだったかも知れない自分」を空想しているのが本当に無駄なんだ。
「生まれ変わったら今度はこういう風に生きよう」みたいなこと館上げるのは、タイムマシンで意識だけを過去に飛ばせる実験がどこかで成功したのを聞いてからにすればいい。
今の時代に生まれた自分たちの意識において、過去に飛ぶとかやりなおすとかは無関係なことなんだ。
空想の中でそれをやって、空想の中で満足するだけならまだしも、そうやって作戦を練ることで人生が好転する可能性を信じているならそれは科学を進行している人間として実に奇妙な状態になる。
なんたらの賭けの亜種として、もしもそんなことが起きる可能性があったならちょっとぐらいは準備しておくのもアリかもって範囲ならまあいんだろうが。
でもなんか自分含めて皆があーだこーだ考えすぎている気がしてならん。
今の自分じゃなかった可能性の今の自分を考慮して何の意味があるんだろう。
「もしも3月31日生まれじゃなくて4月2日生まれだったら学年一位だって取れたかも知れない」みたいに考える時、そもそもその2日違いの生まれの間に意識は全く別物へと変容していて、今の自分とは別の魂で動く別の人間だったはずなのに。
肉体より先に魂がこの世界にあると信じるならそれでもいいが、それならもういっそ割り切って「ハズレを引いたなりになんとかやっていくループ」として今の人生を生きればいいのに。
前世の記憶が引き継げたりしないルールっぽいのは明白じゃないか。
異世界に行った時に備えて現代知識の勉強をするために現代社会を生きるのは完全に無駄だ。
魂の実在を過剰に信じてたらればに執着して生きるってのはそういう生き方だ。
って頭で分かっているのにそういうのに縋ろうとしている自分に毎日出会う。
どうしようもなくなった人生に逆転のワンチャンスを与えてくれるなにかを信じて。
こうやって自分を説得しまくってもまだまだ魂の実在を信じて脳がタラレバを考える。
だってもうこんなどうしようもない人生を今から立て直そうとするのはしんどすぎるから。
本当にしんどいんだ。
足して割って60点。
これが俺の結論だ。
俺は好きに点をつけた。君らも好きに点をつけるべきだ。
熱線出す前のガキョンガキョンが最高すぎた。
この感想は大体の人が共有していると思う。
(本当の本当にただALWAYS見に来ただけの人からしたら「怪獣がビーム撃つだけのシーンに時間使いすぎ。昭和まだ?」だったかもだけど)
映画の冒頭、突然出てきた肉食恐竜の紛い物に俺はガッカリしていた。
ってね。
銃に驚いて人間を丁寧に一人ずつカプカプしては吹っ飛ばすみみっちい姿。
確かにこの程度の「デカイトカゲ」だったら「機銃掃射で殺せない生き物なんて居ませんよ」の範疇かもな。
でもコイツはあくまでローカル都市伝説の「呉爾羅」でしかなかった。
とはいえ、主人公の「トラウマ」になるのには十分な力があった。
アメリカの原爆実験が、ただのデカイトカゲを、巨大なモンスターに変えた。
熊を殺すのは可愛そうだから保護しようとか言ってる場合じゃなく、単に怪物が危険だからで殺すとかでは済まない「(主人公達が)本当の戦後を始めるために乗り越えないと行けない象徴的ななにか」となっている。
思えばゴジラは初代から時間が立つに連れて段々と「デカくて強いやつ」でしかないただのデカツヨとなっていた気がする。
守護者ゴジラや破壊神ゴジラや化け物には化け物をぶつけるんだよゴジラやヒーローゴジラと様々な顔をしてきたが、それらは結局デカツヨでしかなく、「核実験が生み出してしまった化け物」としてのゴジラの延長線上からは逸れていっていたように思う。
自分は正直ゴジラ-1.0とか大層な名前をつけやがってと不満を持っていた側の人間だ。
でもそれに相応しいものがちゃんと出てきたので今はもうそういう気持ちはない。
強くてデカくて、ただそれだけじゃない恐ろしい奴で、映画的な嘘にまみれた滅茶苦茶なやり方で滅ぼすのが相応しいような、非現実的なモンスター、怪獣。
その癖、熱線を撃つ時は本当にカッコイイもんだから「やめろー!戦闘機の自爆特攻如きで倒されないでくれー!」と応援さえしてしまいそうになる。
いいゴジラだった。
ナリだけ戦後風に薄汚くしてる割には、人間の心が現代風な妙なこざっぱりさがあって、なんだか凄く嘘くさかった。
喋り方からして物凄く現代的で、突き抜けさせれば「現代語訳風味」でいけるだろうという造り手の狙いみたいのが透けてくる。
上映前の予告編でゴールデンカムイが流れていて、あっちはナリを一切汚くしておらず(マフラーなんてデパートで買って値札を外した直後みたいでビックリしたよ)、絵面の全てが「これは嘘っぱちのコスプレショーですよ」と伝えくるんだけど、こっちはなまじナリは汚くしてる分だけ喋り方の違和感がより際立っていたというか。
特攻するしない特攻しないに囚われてずっと足踏みしている主人公の時間が止まっているアピールも過剰すぎて妙に子供っぽいというか、こんなんにゴジラを倒させるなよ……とさえなってくる。
初代と比べても仕方ないんだが、どうも全体的に描かれる人間が幼く見え、日本人は幼くなったのかなあ……なんて変な老害感情さえ湧き上がってしまった。
「日本は命を大事にしなすぎた」のイデオロギーのぶっこみ方も生焼けに思えた。
でもそれを口にする人間たちは結局、死の覚悟をもって事に当たる。
そして命を守るために残された若者が命がけの任務に飛び入りで参加したことで日本は救われる。
これでは「命を大事にしよう」なんてのは口先のお題目で、実際には「事に当たっては命なんて捨てにかかるしかない」と言わんばかりだ。
この作品が主張したいのは結局どっちなの?
作中でも行われていた戦後の特別掃海任務が実行者の命に対して無責任な態度にまみれていたのは本当だと思うし、それを指して「この国は戦争の後も命を大事にしてない」と批判されるのは当たり前だと思う。
情報統制のときに「この国は変われない」と口にしてたのも、今の日本の現状を見ると確かに変われてないんだよなあと。(この「変われない」のあとに(いや……変わりたくないだけか……)を飲み込んだかのような雰囲気が出てたのは良かった。こういのがもっと欲しかったんだけどなあ)
ある種の未来予知的な演出を駆使して「結局戦後の反省とか本当にあるのか怪しいよなこの国」と自国批判をするのは上手にやれば痛快だったんだろうけど、そのテーマの重さに作品の持つ力が負けていて空回りしていたと自分は感じた。
そもそもをして全体として言葉の表現力というか、単純に語彙力そのものが乏しいようにさえ思える脚本の粗さはなんとかならなかったものか。
最終的に主人公機をゴジラの口に放り込むというプロットに誘導するためにある程度の力技はしかたなかったのだろうけど、その力技の過程の中で繊細な機微が足りてなさすぎた。
というか、もう単純にドラマの質が低かった。
手垢の尽きまくった美化版昭和ヒューマンドラマをやるなら、やり尽くされているが故の積み上げてきたテクニックの継承が必要というか、王道をやるなら自然と上がるハードルに追いつけてないというか。
はてウヨ・はてサヨのそれぞれ両側について、それら界隈内に対する自浄作用などは無い。
彼らは同胞にとことん甘い。揶揄や侮辱、悪意ある妄想で相手を決め付けたり、セクハラ染みた暴言など、普段は批判の対象としている振る舞いでも、身内側から敵側に向かってさえ向いていればいくらでも許容するし、無限の詭弁を弄して擁護する。
流石に言葉では擁護し切れない酷いものであっても、スターを付けたり、「特に苦言を呈さない」という形の援護を行う。
そしてそういう酷いユーザーがまた別の案件で、それなりにまともなコメントがあれば、そちらにスターを付けて支持する。お前を見放していないぞと勇気付ける。それをただの是々非々だと嘯く。
ただこれを「はてウヨとはてサヨを合わせた一つのコミュニティ」と見た場合、実は自浄作用の様なものが見えて来る。
ここ10年くらい継続して見て来ている人なら感じられるかも知れないが、ウヨサヨ各位はものすごく行儀が良くなっている。「○ね」「キ○ガイ」の様なキャッチーな暴言は今や殆ど見ない。暴言を羅列するブックマークタグも大幅に減った。相手を揶揄や批判するつもりが行き過ぎて差別発言や誹謗中傷が出た時も、それを諫めるコメントの方にスターが集まる様になった。
敵の目があるから自分を律する。敵の落ち度があれば全ての力で攻撃する。その結果でしか無いものではあるが、どうあれ「自浄作用をそれなりに備えたコミュニティ」の様な体裁ができている。
何が言いたいか。
お前の最大の味方は、お前を甘やかし堕落させる同胞などでは無く、お前が敵だと思っている相手である。はてウヨユーザーにとってははてサヨが、はてサヨユーザーにとってははてウヨが、手の付けられない怪物であるお前を少しマシにしてくれる厳しい教師なのだ。
仲良くせよ。憎むな。ケンカすな。
これはウヨ・サヨの対立軸に限った話では無い。はてなに限った話でも無い。自分に甘く他人に厳しい愚か者の寄合いは、同レベルの敵対勢力と融合する事で中和される。
敵と仲良くせよ。万事仲良く。
核心には触れないようにするけど、一応ネタバレ注意で。
何回「やったか?!」言えば気が済むんや。
まあそれはともかく、ゴジラ怖かったー。
太平洋戦争にうなされた悪夢みたいな存在感が、主人公のトラウマとリンクしてて物語の舞台装置としても完成度が高かった。
過去のゴジラは「ダメージを受けない」であったのにたいして、今度のゴジラは「ダメージを受けてもすぐに回復する」タイプの不死身ぶりで、輪郭変わるほどの損傷を受けても秒で再生する。非現実的な再生速度や、最後のシーンも含めて存在感は怪獣ではなくホラー映画の怪物である。過去のゴジラが理不尽に怒り狂った存在であるのに対して、今回のゴジラは怒ってるというより人類に対して悪意や底意を持っている雰囲気がある。ヒグマによる獣害においてヒグマの行動にある種の異常性を感じることがあるように、今度のゴジラには何か異常性のようなものがある。破壊欲だけでなく、獲物への執着心があるのだ。
冒頭は完全にジュラシックパークだったが、後になってからもとにかく口に咥えられるものは戦闘機でも船でも電車でもブンブン投げる。そいやそいやとザンギエフ並みに投げる。投げゴジラという戦法が確立してしまいそうなほど投げる。
CGを節約するためなのか、投げるシーンを割愛しがちで投げられた物がいきなり飛んでくるシーンからなので、取り敢えず何かが飛んで来るのがゴジラの挨拶みたいになっている。
放射熱線はぶっ放すまでのシーケンスがいまいち模型っぽい部分はあったものの、破壊力の描写は過去一で怖い。
シン・ゴジラのブレスは放射時間が長くて撃ってる間ずーっと被害が出ているが放射が終わったら静まるのに対して、
今回のブレスは原爆のメタファーなのか攻撃は一瞬で、その後爆風が津波のように周囲を破壊していく形。
描写はされなかったけど、銀座であれ撃ったのなら皇居や霞が関や永田町も粉砕されたのだろうと思う。(GHQ本部も銀座のすぐ近くなので吹っ飛んだはずなのだが……)
なので、熱線が当たらなくても怖い。とはいえ、最終決戦での熱線はどこ向けて撃っとんのやという感はあり、少々ご都合主義的な印象はあった。
主人公は、罪悪感はわからんでもないけど視聴者としては整備兵への腹立ちが先に立つ。止まってる飛行機で機銃撃つくらい整備兵でも出来るやろが。命令系統に属してる相手でもないだろうに、なに人にやらせといてキレとんのや。お前もなんもできなかったくせに。
あと気になった点としては、オッサン集会のオッサン臭いダメさ加減が、美談っぽく描かれた事。「いっちょやるか」じゃない。
あと、民間のくせに駆逐艦や戦闘機みたいな兵器ばんばん貸し出されて好き勝手できたこと。GHQはソ連気にして占領軍動かせない割に、独立も回復してない日本の民間人に軍艦や戦闘機引き渡して好き勝手やらせられるのはスジが通らんやろ。日本政府は空気以下で高官の一人すら出てこないし。
そんなこんなで、ちょっとご都合主義な部分が無いではなかったものの、主人公の煩悶と、今なお続く戦争の悪夢としてゴジラという位置づけが秀逸であり、大変満足感の高い物語だった。
シン・ゴジラもRRRもダンジョンズアンドドラゴンズもトップ・ガンも仮面ライダーも一回しか観に行かなかった自分だが、これは気が向いたらもう一回くらい観に行くかもしれない。(行かないかもしれない)
https://twitter.com/mt_yamamoto_/status/1716953355002806322]
俺はこれで元妻と離婚してる。
経験談だが、こういった癇癪親は、最初からそうなのではなく「そう成っていく」のだ。
実際、元妻と付き合っていた時は癇癪なんて一切なかったし、結婚して数年、1人目の子供が生まれてからも1年くらいは仲良くしてた。
最初は、小さな物事で声を荒げたりが隔月で1回くらいから始まる。
子育てをいくら一緒にしているとはいえストレス溜まるよな、と思い許容していたが、この時すでに癇癪親への火種はついていたと思う。
子供が生まれ妻の様子がちょっとおかしいなと思った男は、妻の情報を遮断するか、早めに離婚専門の弁護士を探した方が良い。
この状態になる過程や、それらを悪化させるサイクルを助長しているのが「良き妻、良き夫」情報だ。
雑誌でもテレビでもSNSでも掲示板でもネットニュースでもそういった情報を見てしまって、某所で思想が偏る人間よろしく、理想だけ追い求める怪物になる。
うちは沢山子供がいる子育てママpodcastだとかYoutuberとか、ママに寄り添う素振りだけは得意な責任もなくひたすら発信しているオバサン共が原因だった。
そういう奴らは、本当に小さい誰でもスルーするような出来事を「こういう時は旦那に怒るべき!話し合うべきですよ!」だなんだと毎日語り続ける。
親になったり歳を経ると、こういう情報が「金儲けのために何も無い所から絞り出して供給している中身空っぽのネタである」という現実を教えてくれる友達や家族も居なくなる。
気付けば、何に対しても勝手に現実とのギャップにイライラし、家族を殴る、物は投げて壊す、家族旅行先でもイライラしているし、子供に怒鳴ったり手をあげたりするようになる。
そして、ホルモンバランスだとか自己のタイプがどうとか、科学的な根拠も詳しく知らないネットのママが使うワードによる言い訳だけが増えていく。
「このYoutuberはこう言ってた!!」みたいなキレ方をし始めたらもうその家庭は崩壊手前だと思ったほうが良い。
この状態の癇癪ママは、自分の言葉でイライラを整理出来ず、イライラしたくてイライラしているような状態になっているのでもう制御できない。
子供が居て子供が可愛いと思っている男で、癇癪ママに成ってしまった人の隣にいる人には残念だが、離婚には半年、最悪でも1年のつらい日々が必要になる。
子育てに関して、あらゆる情報や行動をできる男親でない限り、親権どころか面会の権利も得られないし、母親が子供に暴力を振るっている等は殆ど関係無しで、既にほぼ負けの状態だ。
明るく楽しい家族にする努力を演じながら、殴られた痕や壊した物を写真に収めたり、癇癪の頻度を記録し、どうせ改善しない相手に改善を促す虚無な努力をする1年になる。
俺は毎朝4時に起きて子供2人の全ての事を済ませ、保育園と職場を経由し、家事料理をしながら土日も子供を連れ出して、その合間合間にそれをやった。定期で癇癪を起こす人間の前でだ。
キツい時間だが、歩み寄ろうが家事育児にどれだけ参加してようが高い給料を貰っていようが、情報の処理ができない癇癪ママに未来は無いので、早めに弁護士に頼って作戦通り事を進めてくれ。
Twitterでは、癇癪親について「その親の行動が遺伝して」と言われたりもしているが、実際「親の情報の処理の仕方」は似ると思う。
今思えば義母もテレビで見た話を鵜呑みにして夕食時に話していたり、噂に敏感な節があったり違和感があった。
別の日記でもつぶやいたんだけど、なんとなく異世界転生に違和感があったんだよね。何だろうって考えていたら、自分の中でメジャーだったのは二種類の魂が同居する物語だったんだなと
そもそも異世界転生に詳しくはないから頓珍漢なこといってるかもだけど、何個か見ていると大体「死んだ人が別の世界の人間として生を受ける」というのが昨今は主流だと思う
その手法は様々だけど、基本的に転生した人が別の生き方を模索するってのは俺の中では意外と斬新だった
何でかって言うと、例えばシャーマンキングや遊戯王や電王ってのは、別の霊魂や怪物が他の人間の肉体を借りて戦うんだが、あくまでも主体は元の持ち主なんだよね
で、遊戯王とかがわかりやすいけど結局はその霊魂とかが役割を終えて離れていったり、元の人格と共生したりというのが20年くらい前から続く一種の伝統だった気がする。
けど異世界転生って基本的に肉体の主導権とか記憶を取り戻したら元の人の人格とかがなんか有耶無耶になっているように思うんだよ
ある日記憶を取り戻したら異世界の人として生きていた、とかだと「じゃあ今まで生活していた人格ってなくなったの?」って感じていた
勿論そういうところにスポットあてる作品だってあるんだろうけど、俺の中でメジャーだった「一つの魂に何種類かの魂が入り込んだり肉体の主導権争いをしたりする」ってのがあんまりない気がする。
九尾の狐とかホロウとか、違う存在が一つの肉体の主導権を争ったり共闘したり、主従関係を結んだり分かれたりってのが少年誌あたりではとても多かった印象
そういう昔からのオーソドックスなファンタジー設定からすると、異世界モノは呪術廻戦でいう「受肉」に等しく、元の人格を乗っ取ったり融合したりして一つになった存在として生きてるから結構違和感があったんだな
とはいっても呪術廻戦自体は主人公と宿儺が入れ替わったりするからちょっと違うかもだが
なんかとなく、こういう受肉に近いのは侵略者のやる行為で主人公サイドがそれをするのが自分の中では斬新
逆に今まで触れてきたファンタジーって意外と亜流だったのかもしれないなーと最近思ってる
というか異世界モノって一人の人格のやり直しモノなんだから、そんな肉体の主導権とか面倒なことしてても面白くないんだろうな
まあそこは詳しい人が勝手に話してくれるか
私女。こどもが可愛いと思えない
2歳くらいになって人間みたいな言動するようになっていくのを見ると「面白いな」とは思う
でも
生まれたばかりのしわくちゃの赤ちゃんの写真を見せられて「可愛いでしょ〜〜〜??」って聞かれるのしんどい
お猿さんじゃん!って素直に反応したらだめでしょ?
ぶくぶくに太ってる赤ちゃんの動画見せられて「可愛いんだよ〜!」って言われても返事に困る
わぁ!お相撲さんだね〜!って言われたら嫌でしょ?
でも聞いてきた本人は可愛いね!って反応待ちなんだろうなと思ってかわいいねって言う
でも可愛いなんて思ってない
こどもを見るたびに「かわいい〜〜!!!!!」て反応する友達と過ごすのがしんどい
他人のこどものどこを見て可愛いと思うんだ??顔が可愛いとか挙動が可愛いとかなら分かるんだけど、ベビーカーに乗ってどこかを凝視してるこどものどこが可愛いんだろう?全員の顔がかわいい?あぁ…そう……
友達と遊んでても、最低1回は親戚のこどもが可愛いという話題が出てきてほんとつらい
推しの話だったら聞けるんだけどな、なんでだろうな
推しだったら「別にかっこよくはないけど、どこか魅力的な部分があるんだろうな」って思えるからかな
こどもが存在してほしくないというわけではない
可愛いと反応しなければいけない、なんか強要されてる感じがとても苦手
これ拗らせたら将来自分はとんでもない怪物になるんだろうなって思ってるから折り合いをつけなきゃいけない
だから吐き出させてもらった
別にこども全員可愛くねーよ
おれたちゃ怪物三人組よー
昨日も友達と飲みに行ってる時に隣に男女の組がいて、連れがトイレ行ってる間にちょっと話聞いてた。
女が彼氏?好きな男?か何かの愚痴を言ってるんだけど、どう考えても女のわがままが原因で女もそのことを自覚してるわけ。
なのに女の連れの男が「わかるよ」「そんなことないよ」「〇〇は頑張ってるよ」とか言ってるわけ。センターパートでダボッとしたロンT着たクソキモい男が必死に騎士振る舞いしてるのよ。
俺だったら半日かけて「お前に全ての原因があり悪いのはお前だ」と言うことを懇々と突きつける。
結局男の敵は男だよ。女の敵は女以上に、男の敵は男。目の前の女体が欲しくて堪らなくて、だから女がどんなに論理破綻してめちゃくちゃな発言してもそれを擁護して女の味方する振りするわけ。相槌打ちながらも頭の中はホテルへどうやって誘うかでいっぱい。
俺はそういう男が本当に大嫌い。
だからつけあがる怪物女があちこちに発生するんだよ。まるで日韓中がお互い忌み嫌い合って、欧米に擦り寄ろうとしてるのと一緒。
違うだろ。日中韓で連帯して欧米に立ち向かえよ。男同士で連帯して女を潰せよ。男にとって都合の悪い女を連帯して潰して、破綻した理論を矯正して教育しようよ。
目の前の女体より、その先にある男の勝利のための動くべきだろ。
なんだったかよく覚えていないが、とても気に入らないことを言われて、俺は母の後ろから襲い掛かって首を絞め、母は崩れ落ちて動かなくなった。
もう十年以上も昔の話だが、俺は正直これを悪いと思わなかった。
もちろん常識ある人々から見ると「非力な母親に対してカッとなって暴力をふるい殺害を試みる少年」というのは意味不明の怪物なのだろうが、俺にとっては何もおかしくはなかったのだ。
これは別に、「俺は悪いことできちゃうんだぜ~w俺キャラ濃すぎウェヒ~w」という話ではなく、
俺の育った家庭ではそういう暴力は普通で、殴ったり蹴ったり刃物を向けたり心中を持ちかけたり寝込みを襲ったり自殺させようとしてみたりといった行為は両親から俺に対して数限りなく行われており、俺はそれを学び取ったので、カッとなってぶっ殺そうとするのは俺にとっては「普通」だったのである。
この世の良識ある人々が常識を母語とするように、そうした暴力は俺にとっての母語であるというワケ。大阪で育つと大阪弁を覚えるし、暴力の蔓延る過程で育つと暴力を覚える。アラビア語圏で育って日本語話者になるのは難しい。
しかし世間では親を殺そうとした息子というのは大変評価が悪く、まるで俺が罪人であるかのように扱われてしまうので、こんな話はできない。そんな、ひどい…。
なお母は余裕で生きていたし、その後ももう一回首を絞めて欲しいとせがむようになるなどヘラヘラしたままで、過去の清算を求める俺の感情に何ら向き合いはしなかった。
本内容は映画アンダーカレント・怪物・CLOSEのネタバレを含みます
悟役にアホみたいにイライラして、こいつまじで引っ叩きてぇ〜〜〜、と思った以外は総じて共感。(もちろん、悟が探偵を雇っているという事実が、愛していたかどうかを置いておいて、かなえたちを想っていたことの証明だと思ったのでそんなに彼のことは嫌いじゃない。)
堀さんとかなえのラストのやりとり、めちゃくちゃ泣きそうになったし、ラストシーンが素敵すぎて良かった。2人の関係性とか、周囲の人とのやり取りも好きだ。
というのはあるんだけど、全体的に「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ってしまったのが本音だった。本筋とは関係ないが台詞回しもくどく感じるところがあった。映画に対して、事件が起きないとか退屈だとは全く思わない。むしろ一つのテーマについて丁寧に時間をかけて描いているところが真摯で魅力だと思った。けど、それでもって「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ったのが本音だった。
こう感じた時にその映画のことをどう捉えればいいのかわからなくなる。
それでフィルマークスで映画の感想を検索したら「人の本当の思いを知るのは難しい」「人をわかるってどういうことなんだろう」とかあってよくわかんなくなって閉じた。ごめんその感想何?どんなふうに人生送ってんの?と思ってしまう自分が嫌だった。そういう人もいるよね〜で流せない。ごめん、普段なら流せるんだけど。流せるのかな?わかんないわもう。
映画怪物を観た時も同じことを思った。まずもっていうが、怪物自体は大好きである。シナリオブックも買ったし、観た後ずっと怪物のことを考えていたしサントラもずっと聴いたし。けど、正直、観た直後の感想は、「是枝監督と坂元裕二をもってしても、日本における理解はまだこの程度なんだな。」という感想だった。是枝監督と坂元裕二の信者なので、2人に関しては、「もしかしてそう思わせるのも狙いなのでは?」と思いもする。だからフィルマークスを開いて、「LGBTQのこと何にも分かってなかった!」とか言ったり、「よりとみなとが幸せに生きれる世の中にしたいよ〜」とか呑気に言ってるお花畑たちのこと見て眩暈がした。まぁ同性婚すら認められてなくて、数年前に生産性とか信じられないこと言うような議員がいる日本だとしょうがないんですかね?世間の反応として、物語のカタルシスとしてそこが使われるのがどうなのかとかそういう議論になるのかと思ってた。馬鹿みたいほんと
CLOSEもみた。CLOSE観た後にフィルマークス観たら、この映画は「怪物のようにうんちゃらかんちゃら〜」って書いてる人が多くて訳わかんなくなってすぐに感想閉じた。
自分が当たり前にしてた、恋バナするにしても彼氏彼女いるの?って聞かずに、お付き合いしてる人いるの?と聞くとかそういうのって当たり前じゃないんだなと思ってビビった。ビビったしいつまでここにいるんだろうと思った。自己発信してないのに文句言うの違うよね。わかる。ごめんなさい。
自分がわかってないってこと、認められる人ってめちゃくちゃ偉いのもわかる。けど、SNSになんかかっこいい文章でそうかくのってほんとなのかな?て思っちゃうんだけどどうなんだろう。ポジティブに考えればそうやって社会も変わっていくはずで、もちろん自分だって全部完璧にできてるとは思ってないわけで。全然至らぬ点があると思ってる、直したいってずっと思ってきたし、そうおもってる。
あーーー社会に絶望するのやめたい、足りてないと思うなら啓蒙できるようになるべきだよね。啓蒙できるようになるために勉強しなきゃだよね。けどやっぱ絶望するわ。
本内容は映画アンダーカレント・怪物・CLOSEのネタバレを含みます
悟役にアホみたいにイライラして、こいつまじで引っ叩きてぇ〜〜〜、と思った以外は総じて共感。(もちろん、悟が探偵を雇っているという事実が、愛していたかどうかを置いておいて、かなえたちを想っていたことの証明だと思ったのでそんなに彼のことは嫌いじゃない。)
堀さんとかなえのラストのやりとり、めちゃくちゃ泣きそうになったし、ラストシーンが素敵すぎて良かった。2人の関係性とか、周囲の人とのやり取りも好きだ。
というのはあるんだけど、全体的に「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ってしまったのが本音だった。本筋とは関係ないが台詞回しもくどく感じるところがあった。映画に対して、事件が起きないとか退屈だとは全く思わない。むしろ一つのテーマについて丁寧に時間をかけて描いているところが真摯で魅力だと思った。けど、それでもって「なんか当たり前のこと言ってるな〜」と思ったのが本音だった。
こう感じた時にその映画のことをどう捉えればいいのかわからなくなる。
それでフィルマークスで映画の感想を検索したら「人の本当の思いを知るのは難しい」「人をわかるってどういうことなんだろう」とかあってよくわかんなくなって閉じた。ごめんその感想何?どんなふうに人生送ってんの?と思ってしまう自分が嫌だった。そういう人もいるよね〜で流せない。ごめん、普段なら流せるんだけど。流せるのかな?わかんないわもう。
映画怪物を観た時も同じことを思った。まずもっていうが、怪物自体は大好きである。シナリオブックも買ったし、観た後ずっと怪物のことを考えていたしサントラもずっと聴いたし。けど、正直、観た直後の感想は、「是枝監督と坂元裕二をもってしても、日本における理解はまだこの程度なんだな。」という感想だった。是枝監督と坂元裕二の信者なので、2人に関しては、「もしかしてそう思わせるのも狙いなのでは?」と思いもする。だからフィルマークスを開いて、「LGBTQのこと何にも分かってなかった!」とか言ったり、「よりとみなとが幸せに生きれる世の中にしたいよ〜」とか呑気に言ってるお花畑たちのこと見て眩暈がした。まぁ同性婚すら認められてなくて、数年前に生産性とか信じられないこと言うような議員がいる日本だとしょうがないんですかね?怪物のこと、LGBTQ映画だと思ってないんだけどな。物語のカタルシスとしてそこが使われるのがどうなのかとかそういう議論になるのかと思ってた。馬鹿みたいほんと
CLOSEもみた。CLOSE観た後にフィルマークス観たら、この映画は「怪物のようにうんちゃらかんちゃら〜」って書いてる人が多くて訳わかんなくなってすぐに感想閉じた。
自分が当たり前にしてた、彼氏彼女いるの?って聞かずに、お付き合いしてる人いるの?とか、そういう配慮って当たり前じゃないんだなと思ってビビった。ビビったしいつまでここにいるんだろうと思った。自己発信してないのに文句言うの違うよね。わかる。ごめんなさい。
自分がわかってないってこと、認められる人ってめちゃくちゃ偉いのもわかる。けど、SNSになんかかっこいい文章でそうかくのってほんとなのかな?て思っちゃうんだけどどうなんだろう。ポジティブに考えればそうやって社会も変わっていくはずで、もちろん自分だって全部完璧にできてるとは思ってないわけで。配慮とか全部至らぬ点があると思う。
あーーー社会に絶望するのやめたい、足りてないと思うなら啓蒙できるようになるべきだよね。啓蒙できるようになるために勉強しなきゃだよね。けどやっぱ絶望するわ。
フランケンシュタインって怪物を作った博士の名前で、多分みんなが想像してる頭にネジのついたあいつは「フランケンシュタインの怪物」
彼女は若い頃に、妻子ある男と付き合っていた。つまり不倫だ。「すぐに妻とは離婚するから、一緒になろうね」などと吹き込まれながら甘い時間を過ごしていたようだが、そんな計画は永遠に実行されなかった。
そして、10年くらいの月日が経ってようやく結婚した。相手は会社の同僚。親族、友人みんな泣いていたが、俺はこの女は一つの家庭を破滅させようとしてたんだよなと考えるとどうしても乗れなかった。
彼女に説教するつもりは毛頭ないが、ただただ不思議なのだ。なぜ、そんな純真無垢な顔をし続けられるのか。俺が知らないだけでそれ相応のペナルティを払って清算が完了したからなのか、生まれ持っての厚顔なのか。ちなみに彼女は外見や友人に向ける態度からは不倫をしたことがあるようには見えないため、我々サイドの誰かが密告しない限り新郎側の人間は絶対に気づかない。