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はてなキーワード: 九尾の狐とは

2024-01-26

そもそもポケモン大自然から許諾を取っているのか?

他所様のキャラクターパクリ扱いする前に自分がそのまんまのパクリ連発じゃねーか。

フシギダネ→🐸

ヒトカゲイフリート

バタフリー→🦋

スピアー→🐝

ポッポ→🕊

ラッタ→🐀

サンドアルマジロ

キュウコン九尾の狐

ラフレシアラフレシア

パラス冬虫夏草

ニャースマネネコ

ガーディヒスイ)→シーサー

ユンゲラーユリゲラー

フーディン→フーディーニー

ウツボットウツボカズラ

メノクラゲメメクラゲ

ギャロップ(ガラル)→ユニコーン

ジュゴンジュゴン

ベトベターヘドラ

サワムラー→沢村

エビワラー海老

ファイヤー火の鳥

レディバ→🐞

ランターンチョウチンアンコウ

ネイティオトーテムポール

キマワリヒマワリ

クヌギダマ松ぼっくり

テッポウオテッポウウオ

ナマズンナマズ

ネンドール→遮光器土偶

ユキワラシ→雪童子

ビーダルビーバー

トリトドンウミウシ

ドータクン→銅鐸

オドシシ→🦌

うーん……人のパクリを責める前にまずは自分パクリについて反省すべきだね。

動植物カートゥーンに上手く落とし込んでいるキャラクターもいるにはいるが、元の動物デザインをそのまま流用しておいて「これオリジナルなんでパクらないでください」は流石に苦しいだろ。

人様にパクらないでと頼めるに足る最低ラインオリジナリティに達してると胸を張って言えるキャラクターだけ作ってるならともかくさあ……。

誰でも思いつくようなものを作っておいて「これなんか俺のに似てるんだけど💢」は例の事件犯人と同じことしてね?

まあ火をつける所までいかないうちはセーフだけど、オリジナルであるという主張が通らなかったときに暴れ出したら同じレベルやぞマジで

2023-10-23

異世界生モノへのちょっとした違和感

別の日記もつぶやいたんだけど、なんとなく異世界転生に違和感があったんだよね。何だろうって考えていたら、自分の中でメジャーだったのは二種類の魂が同居する物語だったんだなと

そもそも異世界転生に詳しくはないから頓珍漢なこといってるかもだけど、何個か見ていると大体「死んだ人が別の世界人間として生を受ける」というのが昨今は主流だと思う

その手法は様々だけど、基本的に転生した人が別の生き方模索するってのは俺の中では意外と斬新だった

何でかって言うと、例えばシャーマンキング遊戯王電王ってのは、別の霊魂怪物が他の人間の肉体を借りて戦うんだが、あくまでも主体は元の持ち主なんだよね

で、遊戯王とかがわかりやすいけど結局はその霊魂とかが役割を終えて離れていったり、元の人格共生したりというのが20年くらい前から続く一種伝統だった気がする。


けど異世界転生って基本的に肉体の主導権とか記憶を取り戻したら元の人の人格とかがなんか有耶無耶になっているように思うんだよ

ある日記憶を取り戻したら異世界の人として生きていた、とかだと「じゃあ今まで生活していた人格ってなくなったの?」って感じていた

勿論そういうところにスポットあてる作品だってあるんだろうけど、俺の中でメジャーだった「一つの魂に何種類かの魂が入り込んだり肉体の主導権争いをしたりする」ってのがあんまりない気がする。

よくよく考えれば、NARUTOブリーチもそんな感じだよね

九尾の狐とかホロウとか、違う存在が一つの肉体の主導権を争ったり共闘したり、主従関係を結んだり分かれたりってのが少年誌あたりではとても多かった印象


そういう昔からオーソドックスファンタジー設定からすると、異世界モノは呪術廻戦でいう「受肉」に等しく、元の人格を乗っ取ったり融合したりして一つになった存在として生きてるから結構違和感があったんだな

はいっても呪術廻戦自体主人公と宿儺が入れ替わったりするからちょっと違うかもだが

なんかとなく、こういう受肉に近いのは侵略者のやる行為主人公サイドがそれをするのが自分の中では斬新

斬新なだけで別に悪いとかつまらないわけじゃない

逆に今まで触れてきたファンタジーって意外と亜流だったのかもしれないなーと最近思ってる

というか異世界モノって一人の人格のやり直しモノなんだから、そんな肉体の主導権とか面倒なことしてても面白くないんだろうな

まあそこは詳しい人が勝手に話してくれるか

2023-09-30

呪術廻戦にウンザリする気持ち

読んでる人には説明不要から読んでない人にざっくり説明すると

アニメも絶好調少年ジャンプ連載大人漫画呪術廻戦の展開にウンザリしてるって話。

    

作者の力量やセンスは疑ってないんですけど

なんかこう、大漫画家・岸本斉史提唱した高等テクニック「ずらし」を乱用し過ぎてる気がする。 

    

主人公達に苦しい展開があるとかギリギリの場面があるとかじゃなくて

もうずーーーーっと強制負けイベント連続って感じなんすよね。

友達ツールで作ったクソゲーみたいな感じ。

   

主人公は敵の親玉自分目的のために生み出した装置みたいなもん

主人公人生や苦闘は全部掌の上

主人公の中に九尾の狐的な強力な存在が居るけど

全然制御できないので主人公身体一般人虐殺をする

ナルトにとってサスケに当たるサブ主人公九尾の狐存在に体を乗っ取られる

サスケの唯一の目的は姉を守ることだったけど九尾の狐存在によって殺害される

主人公達の先生で最強の存在サスケ身体九尾の狐存在によって殺害される

日本は完全に破壊されてて敵の親玉による人類補完計画的な何かが進行しててたぶんみんなイデオンみたいになる

サクラちゃん的な存在は顔の半分と脳が吹っ飛んでギリ生きてるらしいけど出てこない

主人公の先輩女子は全身ケロイドで片目失ったうえに親含めて親族を皆殺しにした

・(あとこの倍ぐらいなんかあったけどもう飽和してて覚えてない)

   

  

主人公チームにはずーっとこういう敗北とか喪失とかアンモラルけがぼへーー――ッて続いてて 

一般人普通に虐殺されてて、カカシ先生死んでサクラちゃん廃人サスケの姉死んでサスケ破滅してて

いやこれなんのために戦ってるの?って感じなんだよね。

 

一応まだ人数的には一般人が残ってるけど

設定的にはともかく感情的には一般人守るってことがそれほど重要ミッションでもなくてさ。

人類の為に俺達はあきらめないぜ!」みたいなノリでもないわけ。

   

なんか一個一個は本来もっとショッキングイベントの筈なんだけど

ずーーーーっとそういうイベントばっかだからもう何も感じずにウンザリがあるだけ。

   

  

それでしょっちゅう主人公が色んな相手から嘲笑われてるんだけど

実際主人公はこの戦いの中では無能すぎて「お前なんでいるの?」 レベル

とっくに読者も誰1人として主人公に期待してないわけ。

 

いやーここから覚醒パワーアップされても引くし(ずっと馬鹿にされてたヤムチャが突然悟空より強くなっても寒いだけで燃える人いないでしょ)

このまま最後まで嘲笑われて翻弄されてる主人公でも「一体何を見せられてるんや?」って感じだし

作者のバトルやエモ描写の力量は突出してるんだけど呪術廻戦と言う漫画にはもうかなり前からついていけないというか。

 

あと余談だけどハンターの真似をした頭脳能力バトルしようとするとマジで大惨事になる。

鉄腕バーディーっぽい筋肉バトルしてるときの方が100倍才能が輝いてる。

影響されてるものがわかりやすすぎるので最後エヴァなんだろうけどさあ・・・

2022-09-26

anond:20220925220554

NAVER WEBTOON 「今、私たち学校は...」

Sweet Home〜俺と世界絶望〜」・・・LINEマンガ→Sweet Home R-18

「わかっていても」・・・LINEマンガ→わかっていても

「だから俺はアンチ結婚した」・・・LINEマンガ→だから俺はアンチ結婚した

「社内お見合い」・・・ピッコマ→お見合い相手はうちのボス

悪霊狩猟カウンターズ」・・・ピッコマ→悪霊狩猟団:カウンター

「ナビレラ-それでも蝶は舞う- 」・・・ピッコマ→ナビレ

「ユミの細胞たち」・・・LINEマンガ→ユミの細胞たち

「今,私たち学校は」・・・LINEマンガ→今,私たち学校

「模範タクシー」・・・LINEマンガ→リコール復讐代行サービスR-18

「その年私たちは」・・・LINEマンガ→その年、私たちは -青葉の季節-

コンビニのセッピョル」・・・LINEマンガ→24時のイタズラな彼女 R-18

まれ変わってもよろしく LINEマンガ

LINEマンガ「アンナスマナラ魔法呪文~」 →韓国ドラマ

「恋するアプリ~ラブアラーム」 LINEマンガ「恋するアプリ

LINEマンガ「九尾の狐とキケンな同居」

LINEマンガ「もう秘書はやめます」 キム秘書はいったい、なぜ?

LINEマンガ「私は整形美人」  「私のIDカンナ美人

2020-10-01

後期クイーン問題と「第二の問題問題

推理小説に関して、「後期クイーン問題」とかい問題がある。

ざっくり言ったら、推理小説が「完璧論理的推理」をひたすら求めていくと、結局そんなものありえなくなるんじゃない? って話だ。

起点になるのはエラリー・クイーンって作家の、初期の何作かに限定したすごく狭い話だった。

でも話の発端を作った法月綸太郎笠井潔って二人の作家煽りまくったせいで、推理小説の前提が崩壊するのでは? 根本的な問題なのでは? って話にもなった。

でも推理小説は一応続いてる。結果的には、「後期クイーン問題」は(法月・笠井をうまく無視しながら)推理小説可能性を広げる原動力の一つになった。

きちんと知りたい場合は、諸岡卓真『現代本格ミステリ研究』が視野の広さも議論説得力ピカイチだと思う。この問題について真面目に考えたかったら必読。

一方、きちんとしてない言及の一つに、「第一問題」と「第二の問題」っていう問題の分類がある。

第一問題」はさっき言ったような、完璧推理って無理なんじゃない? って話。「第二の問題」は、(完璧推理なんかないんだからそもそもただの人間探偵に謎解きとかする資格あるのって話……らしい。

でもこれ、法月・笠井の二人は前者の話しかしてない。第一と第二なんて分類もしてない。誰が言い始めたか出所がよくわからない。

自分が知る限り、「第一」「第二」の一番古い言及Wikipedia日本語版の「後期クイーン問題」だ。

これを書いてる時点の最新のバージョンを貼っておく(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=77682984)。

2009年10月27日に「Corwin」というアカウントが「後期クイーン問題」の項目を作成した(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=28693991)。

この時点ですでに、後期クイーン問題が「二つの問題総称」であり、「第一問題」と「第二の問題」があるというふうに書かれている。

(ちなみに諸岡卓真の本は2007年度の博士論文2010年3月に本にしたものからWikipediaには触れていない)

でもよく見ると、「第一問題」は今でいう第二の問題倫理的な話)、「第二の問題」が今でいう第一問題解決不可能性)だ。

これが入れ替わったのは11月4日https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28825317)。

から第一」と「第二」の順番(もしくは「第一」と「第二」)に根拠はなくて、Corwinが適当に付けてただけとも考えられる。

もちろん、そうでない可能性もある。11月2日にはCorwinが項目名を、俗によく使われる「後期クイーン問題から専門的な「後期クイーン問題」に変えている(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?diff=28790012)。これと同様に、根拠になる文献を改めて読んで、「第一」と「第二」を入れ替えたとも考えられるわけだ。

そうは言っても、個人的心証では「第一」「第二」っていうのは書いた人の勝手な考えだろうと思ってる。

ちなみに「Corwin」は日本語版Wikpedia黎明期2003年から編集に参加して、推理小説SFを中心に現在活動しているベテラン

めちゃくちゃなことを書いて怒られたような経歴はないみたい(「後期クイーン問題」も、「第一」「第二」以外はそんなに変なことは書いてない)だが、立ち上げた項目には内容が薄いのとか、出典が少ないのとかが多い。

一応、「第二の問題」がいつの間にか湧いてきたのは相応の理由があると思う。

後期のエラリー・クイーンが書いた『十日間の不思議』『九尾の狐』とかの作品で、名探偵推理のものというより自分存在について悩む。それはもう悩む。

そして、この時期の作品は初期に比べて「完璧論理的推理」という点ではゆるいというのが一般的評価になっている。

からこの作品群では、笠井潔たちが考えたような、「完璧論理的推理」を求めると究極的には無理が出てくる、っていう問題よりも、

推理に失敗して、倫理的立場に悩む名探偵のほうが読者の印象に残るはずだ。

発端になった法月の作品だってそうだ。「初期クイーン論」が出たのは1995年だけど、1990年の『頼子のために』と1992年の『ふたたび赤い悪夢』では、精神的に追いつめられる名探偵の姿を描いている。

から、法月の文章の以前から作家や読者からすれば「完璧推理不可能性」よりも「自分立場に悩む名探偵」というのが後期クイーンテーマ、っていうふうに理解されていて、「初期クイーン論」以降も、現在も、塗り替わりきらずに続いてる、っていうのが実情なんだと思う。

からつの間にか「後期クイーン問題」っていうタームにもふわっとそっちの意味がくっついていった結果、「第一」「第二」っていう区分誕生したんじゃないだろうか。

2020-02-25

anond:20200225150114

そもそも九尾は妖狐のなかでの最上位を指すんやから不適切比較だろ。

九尾と比較するなら龍神全体ではなくそ最上位の四海竜王とすべき。

封神演義で言えば哪吒にボコボコにやられるのが四海竜王

九尾の狐ラスボス妲己

九尾の圧勝やわ。

2018-10-21

[]10月21日

○朝食:マーボードーフ定食

○昼食:ドーナツ

○夕食:うどん水菜大根サラダひじき

○間食:ドリトスゼリー

調子

お仕事がお休みなので、髪の毛を切りに行ってた。

もうちょいバッサリ行ってほしかったのだけど、すごい混んでたし、そういうの苦手だから「もうちょい、全体的に短くしてもらえます?」とか言えなかった。(というか、言えるケースが想定できないぐらい、言えない)

それから飯食べて、昼飯と夕飯を買って、準備を全て済ませて日曜日満喫しようと思ったら、

最近やりがちな、昼寝と称して五時間ぐらい寝るのをやってしまった。

これやると、日曜日を致命的なまでに損した気分で憂鬱になる。

ただ、今週は「例の」出張があるので、それに向けて英気を養ったと思っておこう。

けどなあ……

最近、こんなんばっかで、先月ぐらいからまともにゲームできてないよねえ……

なんかちょっとこう…… うーむ。

とか書きつつ、じゃあ起きてからでもゲームしたらいいのに、するのはミステリ小説を読むことでした。

これあれかな、そもそももう抜本的に「ゲームをする」という趣味自分ちゃんと向き合えていないのだから、もうちょいゲームとの向き合い方を変えたほうがいいのかしら。

それこそ、スマホゲームはそこそこプレイしているのだからスマホゲームもっと増やしてみるとか、腰据えてガチでやってみるとか。

うーーーーーーむ!

あれだな、来週は「例の」出張があって忙しいので、平日終わって土日にそれを考える!!!

考えるから、平日はこのことは忘れて頑張ろう!

○本の感想

市川哲也名探偵証明」を読んだ。

後期クイーン問題、とジャンル一言説明してしまうと、それだけなのかもだけど、このジャンル物語は、やっぱり僕は好きだなあ。

ただ、このジャンルって突き詰めていくと「神との対峙」みたいなテーマになってくの、なんなんだろうね。

それこそ、九尾の狐もそうだったわけだから、まあ言っちゃえば最初からそうだから、というだけなのかしら。

だけども、その「神との対峙」のために、過剰なフィクションと呼んでいいのかわからないけど、

現実にはないファンタジー的な要素を入れるの、そりゃ小説からそういうもんか。

面白かったけど、ちょっと僕には味付けが濃すぎたけど、シリーズの続きが気になるので、ハードカバー探すか文庫を待つかしようと思う。

2016-06-21

http://b.hatena.ne.jp/entry/279410081/comment/watto

watto : 手塚治虫どろろ』で、百鬼丸九尾の狐爆薬の詰まった義鼻を食らわせて倒したとき、鼻の無くなった百鬼丸の顔を見たどろろが「デッサンが狂ってるみたいだ」と言ったが、手塚治虫素人なのか?

ええ、そうですよ。手塚素人です。美術を専門的に勉強したことがないという意味で。

本人はそれが多大なコンプレックスで、だから「僕はデッサンが出来ないから」と言い続けてた。恐らくもってデッサン意味もよく理解してなかった。

そうして漫画しかいたことがない人間の間で「デッサンが狂ってる」という訳の分からない言葉は今も使われ続けているのです。

 
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