はてなキーワード: 非喫煙者とは
マナーさえ守れば、非喫煙者とは上手くやっていけると思い込んでいること。
エロ方面もなぁ、見て吐き気を催すような作品とかがエロコーナーで目に入ると正直うんざりするんだけど、
「これにグズグズ文句言うと自分の好みのエロまで巻き添え食う」って思うとあんまり罵る気にならんのよな。
実感したのは喫煙者迫害の件に関してなんだが、喫煙に関しては、都内では特にゾーニングが進んできていて喫煙可能な場所がどんどん減ってきている。
そのゾーニングにキチンと従って喫煙している喫煙者がたくさん居るのは喫煙スペースを少しでも覗いてみればすぐ分かる。
しかし、このゾーニングが喫煙者と非喫煙者の認識の断絶を加速させる。
非喫煙者は喫煙スペースなんか寄りつかないからマナーの良い喫煙者を目にする機会が失われ、逆に視界に入ってくる喫煙者はゾーニングを無視して傍若無人に振る舞うクズ喫煙者ばかりだ。
そしてそのクズ喫煙者が下げた喫煙者の評判のとばっちりをマナーの良い喫煙者まで喰らい、喫煙に対する規制に賛成する人へのヘイトが溜まっていく。
もういいです。ネットでの正論、特にはてなで標榜されているような完全理知的な人間像を知ることはなんのメリットにもならないと確信しました。
コミュニカティブで清潔で寛容でそんな人間にはどうにもなれそうもありません。自分みたいにタバコを吸い、怠惰で向上心もなくバイタリティーもほとんどなくなってきたような人間にはどうにもはてなは劣等感をインストールする場所としてしか機能していないのです。いえ、仮にタバコをやめ寛容になり向上心を獲得し論理的な人間になれたとしてもそれはそれはとても気持ち悪いものになるに違いありません。なぜならその理想的人格はあまりにも過去の経験によって成り立っている自己とあまりにもかけ離れているからです。仮に理想的なふるまいをしてみようとすればそれはそれはとても奇妙できもちわるい人間に仕上がるでしょう。
つまりもう他人が考える理想的他人として自己を形成しようが、あるいはしまいがどちらにしてもうまくいくはずがないのです。自己は常に経験と連動してこそ自然であり魅力的であるのです。
理想的な人格から外れてるな、自分は不完全だなというシーンが会社やプライベートなどでたびたび訪れることがあります。タバコを適切な場所で吸ったり誠実な人みたいに振る舞ったり、本当はクズと罵倒したいのに作り笑いで寛容さを発揮してみたり、努力してそういうポーズをとってみたりはするのですがそのようなことをしているたびに自己がずれていく感覚を覚えます。
みんなどうやって折り合いをつけているのかわかりませんが個々人としての人格形成という点においてネットでどういう人間が批判されうるのかを知ることは同時にその思考や行動にいたる経験が訪れた時にその感情にブレーキをかけることになります。
それが例えば明らかに倫理に外れているようなことであれば自己にブレーキをかけるべきだと言えます。しかしインターネットで議論されているような理知はほとんどが無意味で無意義で無思慮な神経質なだけのものです。繊細チンピラ?マンスプレイニング?藁人形論法?いったい誰が言い出したのかわかりませんがそのすべての理想は啓蒙主義的であり一様性に人間の価値を整理していくのです。
フェミニズムやビーガンなどもその一例でしょう。男が敵だと思っている人はそう思っていればいい、野菜だけ食いたければそうすればいい、しかしそういう極端に理念化された価値観は公共性を帯び人々の思考にブレーキをかけることになります。
metoo運動にたいするカウンターとして女性自体を避けようといったようにあらゆる世論にたいして僕達はセキュリティーを装備する習性を持っている。非喫煙者の前でタバコを吸えば文句言われるだろうなと事前に考えるようにすべての価値観にたいし事前に考えるようになり公共的な自己しか発揮できなくなり、とても気持ち悪い人間が出来上がる。
事前に考え対処することが正しいと思われるかもしれないが自己は常に事後によって形成される。つまり物語、経験のない事前による自己の獲得はすべて偽である。事は常にやってしまえばいい。路上喫煙もセクハラも、パワハラも、犯罪も、なにもかも、やってしまえばいい。やってみてはじめて自己と連動した価値が生まれる。
タバコはいい記号である。日本の閉塞感のすべてを標榜している。これほど無意識を顕在化するものはないだろう。人間はクズである。
「迷惑だからやめろ」がこれほど「正当化」されるのは日本ぐらいだろう。電車内の喋り声は迷惑、路上での飲酒、職場でのハラスメントなど形式的に人間の行動を規制する空気が異常に強い。大塚英志が愚民社会ということを数年前に言っていたがこれほど愚民とはなんたるかを明確にしてくれるものはないだろう。閉塞感をつくっているのは嫌煙コメントに躊躇しない人間達のことである。
タバコだけでなくすべてのことに関して適切な場所で適切な役割で適切なコミュニケーション作法でふるまうことを暗に強制する。理想的な人間像から外れた異常者は駄目なのである。認知されていない異常を自由で拾おうとしない。発達障害やうつ病、LGBTは言葉ができたことによって認知され意識化され救われているが人間の無意識は根本的に変わらないのだろう。喫煙者は理解不能だからダメだというのはLGBTも理解不能だからダメだということである。誰も理念で考えていない。自分の意識がとらえる射程でしか物を考えようとしない。理念とは何かを考えない。具体的、論理的な事物に関して形式でとらえているだけで誰も公共性を考えていない。自由の意味を知らない。無知の知を知らない。想像外を知らない。他者を掬わない。
タバコが駄目なものだというのは完全に自らの好悪である。健康被害に関しても非喫煙者世帯と喫煙者世帯のセカンドハンドスモークで有意な差は確認されていない。密閉した容器に副流煙を漏らさず流し込んだらラットに害があったという臨床的に無意味な方法で行われている。その論文が副流煙害悪論の論拠になっているのをほとんどみんな知らない。
小さな害、小さな不快をなくすために想像外の他者にたいして自らの欲望をぶちまけていいなら自分も言いたいことがある。
犬を殺せ、全部保健所送りにして殺処分しろ。鳴き声がうるさい。便がくさい。路上に犬がいるのは迷惑だから家の中だけで飼え。他人が好きなのなんか知ったこっちゃないからな。
でも嫌煙者からすると結局は「吸うな」って結論になっちゃうんだよね
ただ「吸うな」には「そこで」が省略されていることが多いかと
だからベランダで喫煙して平気で他人の部屋に煙をばらまくわけよね
ベランダで吸う理由は自分の家族への健康被害が起こったり、自分の部屋が汚れるから
「外では分煙協力してるんだから家くらいは好きな場所で吸わせろ!」という主張もあるだろう
しかし、非喫煙者からすると「家というくつろぎスペースで窓を開けていたら常習的にタバコの煙が入ってくることは耐えられない」わけだし、「ベランダに干している洗濯物をとりこんだらタバコのニオイがする。もう一度洗うか。。。」と手間暇をかけさせられるわけ。
別に害のある煙でなくてもよい。例えば週に3回くらいのペースでベランダでこじんまりとホットプレートで焼肉をする人がいて、その煙やニオイがいつも自宅に入ってくる。または洗濯物にニオイがつく。それを許せる人はいるだろうか?
一度や二度なら仕方ないと思えるかもしれないが、それが常日頃からだと我慢出来ないものになる
だから「そこで吸うな」から「だったらヤメロ」まで話がふくらむんだろう
でも文章から察するにあなたも非喫煙者のようなのでここでの議論は喫煙者には届かないよなぁ
長文スマンね
そもそも副流煙の問題に関して国立がん研究センターが適用している平山論文には有意差がない。彼の論文に書かれているのは9万人の喫煙をする人の配偶者が肺ガンで死亡した人数は32人、同数の非喫煙者は140人。割合にすると0.1:0.16。さらにソーシャルスモーカーの世帯(一般的な被受動喫煙者)は非喫煙世帯よりも肺ガンになる確率は低いとも示している。
またラットを用いた実験を示した論文ではラットを密閉した容器の中にいれそこにタバコの煙を漏らさず入れるという臨床的にありえない方法で実験しているものが多数ある。現実には大気中に散布した副流煙は1000倍~10000倍に希釈される。直接煙を吸わせれば焼き鳥の煙でさえ害になることは自明だがこれらの論文が禁煙運動の論拠にすらなっている。意味不明。
またタバコには発ガン性物質が含まれているが発がん抑制物質が含まれていることもほとんど知られていないし、アルツハイマーの予防に効く(喫煙者は非喫煙者の1/3)こともほとんど知られていない。ガンに関しても乳がんや子宮体ガンに関しては喫煙者のほうが非喫煙者よりも発がんリスクが低い。タバコの発がん性物質を言う人間は福島の風評被害にも積極的に加担していたクラスタなんだろう。みそ、しょうゆ、お茶、ワイン、水道水にも発がん性物質が含まれているしそれらもタバコの発がん性と大差ない。放射能と関連して言えばタバコ=福島だとしたらしょうゆ=東京程度の違いでしかない。つまり合理的な違いなどなく人々の認識や風評の差でしかない。
犯罪者にも人権はあるという主張はまったくその通りだし、人には更生のチャンスは与えられるべきで前科があれば殺せなんてもってのほかである。
はてなブックマーク - 性犯罪者で逮捕4回、今は生活保護で暮らしながら子どもに興味を向ける男が袋だたきに - Togetter
しかしこれが喫煙者になると誰にもフォローされず、賛同者が集まる。
食道癌と咽喉癌はほとんど喫煙者しか発症しないので、喫煙者がこれを発症したら健康保険を使えなくしたら健康保険の負担が減るよね。癌保険も使えなくしたら保険料が下がって非喫煙者の負担が減るわ。なんで好きで吸ってる喫煙者の分の保険負担を非喫煙者がかぶるのか、不公平だろ— Isseki Nagae/永江一石 (@Isseki3) 2017年1月16日
お節介ありがとう、でもタイトルしか読んでないの?死亡者いるの分かってるから心配してんの
あと死亡者に自分みたいなリスク因子がない人(若くて痩せてて非喫煙者)いたから
けど、だからといってヤーズ服用ってだけで喫煙者でかつ肥満で…みたいなそこらにいる人と比べてすごくリスク高いってことにならないことには変わりないし。ってんで心配しすぎかも?とも思うわけね
そういう人体に起きうるすべての危険リスクを加味して考えたらそんなに気にすることもないとも思う、不安はあるけど
とにかく!みんな色々考えながら服用決めてる(すくなくとも私はそう)なのにそういうURLだけ送りつけておどそうみたいなの良くないと思うって言いたい