2018-12-16

今年ではてなをやめます

もういいです。ネットでの正論特にはてな標榜されているような完全理知的人間像を知ることはなんのメリットにもならないと確信しました。

コミュニカティブで清潔で寛容でそんな人間にはどうにもなれそうもありません。自分みたいにタバコを吸い、怠惰向上心もなくバイタリティーもほとんどなくなってきたような人間にはどうにもはてな劣等感インストールする場所としてしか機能していないのです。いえ、仮にタバコをやめ寛容になり向上心を獲得し論理的人間になれたとしてもそれはそれはとても気持ち悪いものになるに違いありません。なぜならその理想的人格はあまりにも過去経験によって成り立っている自己とあまりにもかけ離れているからです。仮に理想的なふるまいをしてみようとすればそれはそれはとても奇妙できもちわるい人間に仕上がるでしょう。

まりもう他人が考える理想的他人として自己形成しようが、あるいはしまいがどちらにしてもうまくいくはずがないのです。自己は常に経験と連動してこそ自然であり魅力的であるのです。

理想的人格から外れてるな、自分は不完全だなというシーンが会社プライベートなどでたびたび訪れることがありますタバコを適切な場所で吸ったり誠実な人みたいに振る舞ったり、本当はクズ罵倒したいのに作り笑いで寛容さを発揮してみたり、努力してそういうポーズをとってみたりはするのですがそのようなことをしているたびに自己がずれていく感覚を覚えます

みんなどうやって折り合いをつけているのかわかりませんが個々人としての人格形成という点においてネットでどういう人間批判されうるのかを知ることは同時にその思考や行動にいたる経験が訪れた時にその感情ブレーキをかけることになります

それが例えば明らかに倫理に外れているようなことであれば自己ブレーキをかけるべきだと言えますしかインターネット議論されているような理知はほとんどが無意味無意義で無思慮な神経質なだけのものです。繊細チンピラマンスプレイニング藁人形論法?いったい誰が言い出したのかわかりませんがそのすべての理想啓蒙主義的であり一様性に人間価値を整理していくのです。

フェミニズムビーガンなどもその一例でしょう。男が敵だと思っている人はそう思っていればいい、野菜だけ食いたければそうすればいい、しかしそういう極端に理念化された価値観は公共性を帯び人々の思考ブレーキをかけることになります

metoo運動にたいするカウンターとして女性自体を避けようといったようにあらゆる世論にたいして僕達はセキュリティーを装備する習性を持っている。非喫煙者の前でタバコを吸えば文句言われるだろうなと事前に考えるようにすべての価値観にたいし事前に考えるようになり公共的な自己しか発揮できなくなり、とても気持ち悪い人間が出来上がる。

事前に考え対処することが正しいと思われるかもしれないが自己は常に事後によって形成される。つまり物語経験のない事前による自己の獲得はすべて偽である。事は常にやってしまえばいい。路上喫煙セクハラも、パワハラも、犯罪も、なにもかも、やってしまえばいい。やってみてはじめて自己と連動した価値生まれる。

その点においてすべてが事前的価値であるはてな上ひいてはネット世論いっさいすべてが無価値である良いお年を

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