はてなキーワード: ハングリーとは
http://anond.hatelabo.jp/2012042123085
飽和社会では、他者を押しのける能力がない人間は死ぬしかない。
p q r s a: 3 1 1 1 b: 1 3 1 1 c: 1 1 3 1 d: 1 1 1 1
p,q,r,sの4つの能力があったとして、それぞれの能力が必要とされる社会環境があるとする。
それぞれの能力の高低を1~3で評価するとすると、aはpが必要される場に、bはqが必要される場に、cはrが必要される場に、行くべきだ。
ではdはどうか?
本来、a,b,c,の全員が忌避する場所に居場所を求める。しかし、それすらできないなら。
私は生き延びてしまった。生き延びるべきではなかったのに。社会が豊か過ぎたために。
だから、根源的には、死ななければならない。
(その意味で、死んでいないのは、ずるい。ある意味、社会に対する裏切りですらある。罪悪感はある。死ぬ気は大分前になくしたけど。)
問題があるとすれば、能力の多寡について自己申告してしまうこと、そこで嘘を言えないこと。
THE MANZAI って4時間くらいあったけど漫才部分だけ見たら単純に半分で済む量。とはいえ2時間で無駄なくやったら尺足らずだし、それはまあ説明部分もあるからよしとしよう。でもなげーよ。
他にももう、終わったな、と思わせる演出が多数あったが、とにかくキビキビとやってないんだよ。キビキビと。ダラダラしてる。
→参加意識を煽っているけれど、笑うたびにボタンを押すということは漫才の面白さに集中できない。仕様ミス。先にアプリを落として一斉に送信させるというのも、問題がある印象。フジの企画に問題がある。
ワラテンのグラフと一緒に、同じ番組内で同じ漫才を再鑑賞するのは、前半見ていなかった人向けのサービスのつもりだろうが、間延びしてしまいおかしい。参考にはなるが、「ほお」で終わり。ビデオなら絶対飛ばすところ。
問題2 慢心した優勝特典
フジテレビレギュラー番組、漫才師だが漫才の番組が貰えるわけではない。漫才の番組が貰えるのなら嬉しいだろうが、単なるトークタレントとしての役回りが回ってくるのであれば矛盾しすぎている。副賞の各番組ゲスト、っていうのも結局はトークで呼ばれるのが半分以上だから名前を売る以上の意味が無い。まったく売れなかった若い人ならそれが価値を増すが、パンクブーブーではドラマを作れない。
結局は予算削減策でしかなく、フジも落ちる所まで落ちているとしかいいようがない。またフジは自分の価値を高く見い出しすぎ。
ただ控えめに協賛した、日清のどん兵衛はいいと思う。あんな数(10年分)本人が食べたら確実に身体を壊すけど、楽屋において後輩にあげる分には後輩が何年も食に困らないからね。
問題3 無駄な演出
フジの番組全般に生でやるとダラダラとした無駄な部分+小難しい説明だらけである。進行押しの間の時間調節なら、わかるのだが、入場演出で無駄にリムジンとか入れて、オープニングから30分以上漫才が始まらないってどういうことだよ。ワラテンの説明も長い、フジのサイトにこさせるための小細工とはいえ。投票トラブルを避ける意味では完璧な説明であったが、視聴者にはまったく無駄でチャンネルを変えさせるレベルの話。あんなの事前に別番組で説明して分散ダウンロードさせるとか、Dボタン側に逃がして文字で済ますとかできるだろ! 俺は一斉送信でサーバが落ちないかのほうが気になったよ。
あと、有名人を客席に散らせ「これくらい入れておけば受けるだろう」的な考え。
バブル期に入った人が作ってるんだと思うが、視聴者は漫才が見たいんだよ。モデルの顔が見たいんじゃねえんだよ。制作者側がバカにするのも大概にしろ。有名人を呼ぶならコメントを全員取れよ。メイクまで入れて客席で笑うだけで、ノーコメでギャラ貰って帰る奴を許すほど度量はこっちにはねえよ。
問題4 THE MANZAIの本来的な部分を踏襲していない点
初代のTHE MANZAIは元々洗練されてない舞台漫才をショー化するものであった。横澤さんが死んでいるとはいえ、当時のTHE MANZAIに敬意をはらっているのは西川さん位じゃないか…。2011年版としての進化がアレなのかもしれないし、余計なものを入れずに「4分見せている」ということは評価できるとはいえ、余計なものばかりつっこんでいる部分は「製作者側が漫才の力を信じていない」というようにしか取れないんだよ。
笑えるものを評価しよう、という意味合いでは、この矛盾があるものをあえて入れるという意味で審査は厳正であったのだろうが、全体には今回はコントっぽい物が多かった。コントであろうと面白いものを評価する、というのは正しいが漫才としてちゃんと漫才な作品をもっと増やさないと絶対的にダメだし、これも制作側がコントのほうが面白いと思っている証拠としか思えない。
あとたけしの茶番ダブルブッキング演出は不要。(いい訳としてはわかるが、別に漫才師がつっこみでいった通りOPが長くなければ全部の漫才を見れるわけだし、あとハラハラしないものを入れてどうするのかというか、単にたけしがTBSに入るまで、という尺を稼いだだけでしかない)
生で見なくてよかった。
また、15年くらい不遇な人たちが多かったので、それに光が当たるのはとてもよいことなのだが、雇用されない関係のため数百円のギャラからのスタートでも文句を言わず、売れないまま10年以上のキャリアが必要とされる日本では、漫才師として暮らしていくことが非常に難しいということがよくわかる。
皆主な仕事を漫才にして女の人に扶養してもらったりしているようだが、本来的な収入はある状態で、漫才は副業でやるのが適正だと思った。言ったらハングリーさがないといわれそうだが、べつに先輩たちが作ったストーリーに乗る必要ないだろ。黙ってればいいのだ。
もうたくさんの人に訳されてるけど,じぶんにはあまりしっくりこないのでまた訳してみた。
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今日世界最高の大学のひとつでみなさんの卒業式に同席できることを名誉に思う。本当のことをいえば,私は大学を卒業したことがない。これが大学の卒業式にもっとも近づいた瞬間だ。今日,私の人生から三つの話をしたい。それだけだ。大したことはない。たったの三つだ。
最初の話は点を結ぶことだ。
私はリードカレッジを最初の6ヶ月で退学した。でも本当に辞めるまでさらに18ヶ月かそこらモグリとして出入りしていた。じゃあなぜ退学したんだ?
話は私が生まれる前に遡る。私の生物学的な母は若い未婚の大学院生で,彼女は私を養子に出すことに決めた。彼女はどうしても大学卒に養子に出したいと考えていたので,誕生と同時に弁護士夫妻に受け入れられるようすべて準備済みだった。でも私が生まれて,土壇場になって彼らは本当は女の子が欲しいと決めた。それで順番待ちリストの次にいた私の両親に夜中に電話がかかってきた。「予想外の男の子だったんです。欲しいですか?」「もちろんです」生物学的な母はあとで,母が大学も出てなくて父が高校も出てないことを知った。彼女は最終合意書に署名するのを拒んだ。数カ月後に私の両親がいつか私を大学にやると約束して彼女はやっと態度を変えた。これが私の人生の始まりだ。
17年後私はたしかに大学に行った。だが私は世間知らずにもスタンフォード並に高価な大学を選択し,労働階級の両親の蓄えは全て学費に費やされていた。6ヶ月経って,私はその価値が感じられなかった。これからの人生で何をしたいのかわからなかったし,大学がすべきことを発見する助けになるとは思えなかった。なのに私はここで両親がこれまで貯めた金をすべて使おうとしている。だから私は退学して,みんなきっとうまくいくって信じることにした。あの時はとても怖かったけど,振り返ってみればあれが私のこれまでで最良の決断だった。退学した瞬間,もう興味の持てない必須科目を取らなくてよくなったし,ずっと面白そうなクラスに入り込むことができるようになった。
ちっともロマンティックじゃなかった。寮に部屋もなかったから友達の部屋の床で寝た。コーラの瓶を返却してもらった5セントで食料を買った。日曜の夜には街の向こうまで7マイル歩いてハレークリシュナ教の寺院で週に一度のまともなご飯を食べた。最高に楽しかった。そして興味と本能に従って迷い込んだいろんなものが後に大きな意味を持つことになった。一つ例をあげよう。
リードカレッジは当時国内最高のカリグラフィー講座を持っていた。キャンパスのあらゆるポスター,引き出しのラベル,みんな美しい手書きカリグラフィーだった。退学して普通のクラスを取らなくてよくなったので,カリグラフィー講座に参加してやり方を学ぶことにした。セリフ書体,サンセリフ書体,文字の組み合わせで変化する文字間のスペースの量,すばらしいタイポグラフィがどうしてすばらしいのかを学んだ。カリグラフィーは美しく,歴史的で,科学では捉えられない繊細な芸術だ。そしてそれを私は面白いと思った。
これらの何一つ人生で現実的に役立つ見込みなんてなかった。でも10年後,みんなで最初のMacintoshを設計してる時に全部思い出したんだ。そして私たちはそれをみんなMacに詰め込んだ。Macは美しいタイポグラフィを備えた最初のコンピュータだった。私が大学のあのコースに潜りこまなければ,Macが複数の書体とプロポーショナルフォントを備えることは絶対になかった。そしてWindowsはただMacをコピーしたので,おそらくパーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えることがなかっただろう。もし退学していなければ,絶対にカリグラフィー講座に参加しなかったし,パーソナルコンピュータは今日のようなすばらしいタイポグラフィを備えていなかったかもしれない。もちろん大学にいた時に点がつながるのを見通すことはできなかった。でも10年後振り返ってみればとてもとても明らかだ。
もう一度言う。将来点がつながるのを見通すことはできない。振り返ってつなげることしかできない。だからあなたは将来なんらかの形で点がつながると信じなければならない。ガッツ,運命,人生,カルマ,なんでもいい,なにかを信じなければならない。いつかこの道を進めば点がつながると信じれば,たとえ人と違う道に向かうことになってもハートに従う自信を持つことができる。それが違いを生むのだ。
私は幸運だった。人生の早いうちに好きなものを見つけられた。ウォズと私は20歳の時に両親のガレージでAppleを始めた。一所懸命働いて,ガレージにたった二人だったのが,10年で従業員4000人の20億ドル企業にまで成長した。30歳になる一年前に最高の作品,Macintoshを発売した。そして首になった。いや,自分の始めた会社からどうやって首になるっていうんだ? 私たちはAppleが大きくなったので一緒に経営するのにとても才能あると思えた人物を雇った。最初の一年かそこらはうまくいった。でも将来のビジョンが食い違い始めて,最終的に喧嘩になった。そしてその時,取締役会は彼の側についた。それで30歳の時,首になった。世間の誰もがそれを知っていた。大人になってからの人生すべての中心が失われて,本当に最悪だった。
数ヶ月は何をしていいのか本当にわからなかった。前の世代の起業家たちから渡されたバトンを落としてしまって,彼らを失望させたと思った。デビッド・パッカードとボブ・ノイスに会って,このひどい失敗を謝罪しようとした。本当に誰もが私の失敗を知っていた。シリコンバレーから逃げ出そうとさえ考えた。でもなにかがゆっくりとわかり始めた。私はそれまでの仕事をまだ愛していた。Appleでの出来事は私の気持ちをすこしも変えなかった。ふられたけどまだ愛していた。だからやり直すことに決めた。
当時はわからなかったけど,Appleから解雇されたことは私にとってこれまでで最良の出来事になった。成功者の重圧は,またなにもあまりわからない初心者の軽やかさに入れ替わった。おかげで私は人生で最も創造的な時期の一つへと解き放たれた。
次の5年間に,NeXTという会社と,Pixarという会社を興し,後に妻になるすばらしい女性と恋に落ちた。Pixarは後に世界初のコンピュータグラフィック劇場映画トイ・ストーリーを制作し,今では世界で最も成功したアニメーションスタジオだ。びっくりするような出来事があってAppleがNeXTを買収して私はAppleに戻り,NeXTで私たちが開発した技術は今のApple復活の基盤になった。そしてローレンスと私は共にすばらしい家族を築いた。
Appleから解雇されなかったらこれらは全部起こらなかったとはっきり確信している。ひどく苦い薬だったけど,患者にはそれが必要だったのだ。時として人生はレンガで頭を殴ってくる。信念を失うな。私が進み続けられたのは自分のしていることを愛していたからだと確信している。あなたは愛するものを見つけなければならない。恋人を見つけるのと同じくらい仕事でもそれは真実だ。仕事は人生の大きな割合を占める。本当に満たされる唯一の方法は,すばらしいと信じる仕事をすることだ。すばらしい仕事をする唯一の方法は,それを愛することだ。まだ見つけていないなら,探し続けなさい。腰を落ち着けるな。見つけたら,あなたのハートが教えてくれる。恋人との関係のように,それは歳を重ねるにつれてもっとすばらしいものになる。だから見つけるまで探し続けなさい。腰を落ち着けるな。
三つ目の話は死についてだ。
17歳の時,こんな感じの引用文を読んだ。「毎日を人生最後の日のように生きれば,いつか間違いなくうまくいく」印象づけられた。それからこれまで33年間,毎朝鏡を見ながら自分に問い続けてる。「もし今日が人生最後の日だったら,今日これからしようとしていることを本当にしたいかい?」そして答えが何日も続けて「ノー」だった時,何かを変えなければと気づくんだ。
もうすぐ死ぬと思い出すのは,人生の大きな選択を助けてくれる私の遭遇した最もいい方法だ。外野の期待,プライド,恥や失敗への怖れ,そんなものは死に直面すればほとんどみんな本当に大事なものを残してどこかへ行ってしまうからだ。いつか死ぬと思うことは,何かを失うという考えに陥るのを避ける私の知る最良の方法だ。あなたはもう裸なのだ。ハートに従わない理由なんてない。
1年くらい前に癌と診断された。朝7時半に検査を受けたら明らかにすい臓に腫瘍があった。私はすい臓がなにかすら知らなかった。医者はほぼ間違いなく治療不可能なタイプの癌で,3ヶ月から6ヶ月以上生きることは期待すべきでないと言った。先生は帰ってやりたいことを順にやりなさいと言った。死を迎える人への医者のお決まりの対応だ。つまりそれは伝える時間があと10年あると思っていたことをたった数カ月で子供たちに伝えるということだ。つまりそれは全部手はずを整えて家族が出来るだけ苦労せずにすむようにするということだ。それはつまりさよならを言うということだ。
一日腫瘍と過ごした。その日の夜生検を受けた。内視鏡を喉から胃を通して腸に入れて,すい臓に針を刺し,少し腫瘍の細胞を採取した。私は鎮静剤を投与されていたのだけど,顕微鏡で細胞を調べた結果,手術で治療できるめずらしい種類のすい臓がんだとわかって先生たちが大騒ぎしていると付き添っていた妻が教えてくれた。手術を受けて,ありがたいことにいまはなんともない。
これが私が死に最も近づいた瞬間で,あと数十年はそうであってほしい。この経験があったから,死が有用だけどただの知的概念だったころよりもう少しだけはっきりと言える。
誰一人として,死にたくはない。天国に行きたい人ですら死にたくはない。だが死は我々全員が共有する終着点だ。これまで死を逃れた人はいない。そしてそうあるべきだ。なぜなら死は生命の最良の発明に思えるからだ。死は生命の変革担当係だ。古いものを追い出し,新しいもののための道をつくる。たった今,新しいものとはあなた方だ。でも遠くない将来みなさんもだんだんと古いものになって追い出される。ドラマティックになって申し訳ない。でもこれは真実だ。
あなたの時間は限られている。だから誰か他人の人生を生きて時間を無駄にするな。誰か他人の結論を生きるというドグマに捕らわれるな。他人の意見に自分の内なる声をかき消されないようにしろ。そして最も大事なこと。自分の心と本能に従う勇気を持て。あなたの心と本能はもうあなたが本当になりたいものを知っているのだ。他のことはみんな後回しだ。
私が若いころ,全地球カタログというすばらしい出版物があった。私たちの世代のバイブルの一つだ。ここからそう遠くないメンローパークでスチュアート・ブランドという人物によってつくられ,詩的な感覚を人生にもたらした。まだ1960年代でパーソナルコンピュータもデスクトップパブリッシングもなかったから,全部タイプライターと鋏とポラロイドカメラで制作された。まるで35年早くやってきたペーパーバックのGoogleみたいだった。理想主義で,整然としたアイデアとすばらしい思想で満ち溢れていた。
スチュアートと彼のチームは数号のあと,すべての活動を終えて最後の号を出した。1970年代中頃で,私はみなさんくらいの歳だった。最終号の裏表紙には,あなたが冒険好きだったらヒッチハイクをしようかと思ってしまうような早朝の田舎道の写真があった。その下に「ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ」の言葉があった。それは終刊にあたっての別れのメッセージだった。ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。私はいつも自分にそう願い続けてきた。今,みなさんが新たに卒業するにあたって,あなたにもそう願う。
ハングリーであり続けろ。愚かであり続けろ。
本当にありがとう。
http://anond.hatelabo.jp/20110410024618
http://anond.hatelabo.jp/20110416121851
あの頃は、嫌韓流や中国人が書いた中国非難本みたいなのが流行ってたね。
ただ、まだリアルでは中韓を嫌っているような人ってあまりいなかった気がするんだよね、あの頃は。
それで、やっとここ数年になり、ようやく一般の人達までそれが浸透した感じがする。
つまり、今が全体的なレベルでいうと一番盛り上がってる最中ということ
これ、あくまで印象論ね。
中韓は、これからも仮想敵として日本(の一部の人達)にとって必要な国だと思う。
その条件を満たすには、
哀しいかな、日本には今のところ「自由主義経済で勝ち残る」くらいしか目ぼしい方法はない。
この自由競争って言葉に対してアレルギーというか汚臭を感じる人も相当数いる。
一括りにするなら左翼ってやつ(互いの政策を理解しない中間層が多数派と思うが)
それが、形となって現れたのは2年前の政権交代
ちなみに、蓮舫さん批判する人多いけど、彼女はリベラルの味方です
というかすぐ吹き出すだろう。
そんな時に最強な弁論カードが、「確固たる仮想敵」なわけ。
↓
セーフティーネット、福祉充実、非正規労働反対!などの気運高まる
↓
↓
識者とか「中韓北はいつミサイルを打ってくるか来るか分かないトンデモな国です、なので備え(軍事力)は絶対必要です。
その前提である経済発展を止めては対抗できません。だから格差は仕方ないです。
あなたが負け組なのは あなたの能力がないのが悪いんです、自己責任です、たかじんさんも辛坊さんもざこばさんも皆そう言っています」
そんなこんなで、結局 日本にとって中韓北はあと数十年はトンデモな国々なわけですよ。
日本は その仕組みを匠に活用し、経済でのし上がってきたわけですし。
ただ、今の日本は充分 生活水準も高い国になってしまったので、
このまま無理すれば支障をきたします。
インドや中国、ベトナムなどの発展途上国との熾烈な競争に労働者が巻き込まれるからです。
なぜなら、彼らの生活水準は我々よりも低く、
給与が低くたって 日本の底辺のサラリーマンよりかは少しはゆとりを持って暮らしていけます。
スキルをアップさせる時間的余裕や精神面で有利な途上国の労働者は
今後高いスキルを備えていくだろうし、
生産性の低い仕事に就き、朝から深夜まで働き通しの底辺のサラリーマン達は
家に帰っても スキルを習得する時間や金銭的余裕もなく、やる気も沸き起こらない。
いずれは、彼ら発展途上国の人達より低い給与で雇われる日本人達がたくさん出てくるかもしれません。
これはまだ少し先の話だけど、このまま無策の状態が続けば
いずれそれが真実味を帯びてくるでしょう。
まあこういうこと言うと極端なアレな方々が
必ず思考停止ワードを持ち出すわけだけど、
陰謀論とかって 地震兵器とかユダヤとかそっちの話で、これ経済の原理だから
少なくとも中国は、国民レベルでは日本のことなんて嫌ってないし
国家レベルでも、彼らの真に目指している敵は、アジアの国々でもイスラム圏の石油国でもなく、
もっと大きな別のところにある。
http://anond.hatelabo.jp/20110410024618
あの頃は、嫌韓流や中国人が書いた中国非難本みたいなのが流行ってたね。
ただ、まだリアルでは中韓を嫌っているような人ってあまりいなかった気がするんだよね、あの頃は。
それで、やっとここ数年になり、ようやく一般の人達までそれが浸透した感じがする。
つまり、今が全体的なレベルでいうと一番盛り上がってる最中ということ
これ、あくまで印象論ね。
中韓は、これからも仮想敵として日本(の一部の人達)にとって必要な国だと思う。
その条件を満たすには、
哀しいかな、日本には今のところ「自由主義経済で勝ち残る」くらいしか目ぼしい方法はない。
この自由競争って言葉に対してアレルギーというか汚臭を感じる人も相当数いる。
一括りにするなら左翼ってやつ(互いの政策を理解しない中間層が多数派と思うが)
それが、形となって現れたのは2年前の政権交代
ちなみに、蓮舫さん批判する人多いけど、彼女はリベラルの味方です
というかすぐ吹き出すだろう。
そんな時に最強な弁論カードが、「確固たる仮想敵」なわけ。
↓
セーフティーネット、福祉充実、非正規労働反対!などの気運高まる
↓
↓
識者とか「中韓北はいつミサイルを打ってくるか来るか分かないトンデモな国です、なので備え(軍事力)は絶対必要です。
その前提である経済発展を止めては対抗できません。だから格差は仕方ないです。
あなたが負け組なのは あなたの能力がないのが悪いんです、自己責任です、たかじんさんも辛坊さんもざこばさんも皆そう言っています」
そんなこんなで、結局 日本にとって中韓北はあと数十年はトンデモな国々なわけですよ。
日本は その仕組みを匠に活用し、経済でのし上がってきたわけですし。
ただ、今の日本は充分 生活水準も高い国になってしまったので、
このまま無理すれば支障をきたします。
インドや中国、ベトナムなどの発展途上国との熾烈な競争に労働者が巻き込まれるからです。
なぜなら、彼らの生活水準は我々よりも低く、
給与が低くたって 日本の底辺のサラリーマンよりかは少しはゆとりを持って暮らしていけます。
スキルをアップさせる時間的余裕や精神面で有利な途上国の労働者は
今後高いスキルを備えていくだろうし、
生産性の低い仕事に就き、朝から深夜まで働き通しの底辺のサラリーマン達は
家に帰っても スキルを習得する時間や金銭的余裕もなく、やる気も沸き起こらない。
いずれは、彼ら発展途上国の人達より低い給与で雇われる日本人達がたくさん出てくるかもしれません。
これはまだ少し先の話だけど、このまま無策の状態が続けば
いずれそれが真実味を帯びてくるでしょう。
まあこういうこと言うと極端なアレな方々が
必ず思考停止ワードを持ち出すわけだけど、
陰謀論とかって 地震兵器とかユダヤとかそっちの話で、これ経済の原理だから
少なくとも中国は、国民レベルでは日本のことなんて嫌ってないし
国家レベルでも、彼らの真に目指している敵は、アジアの国々でもイスラム圏の石油国でもなく、
もっと大きな別のところにある。
大学院経は奨学金がなければ、進学できなかったレベルだっつーの。
なにが、ブルジョアだ。
たかが1食とおもうか、高級レストランでの経験は、価値が大きいと考えるかの差だろ。
貧乏だったからこそ、金持ちとはどういうものか?という事を勉強することにカネを使うことは投資だと考えたわけだし
じっさい、そこでの、いろいろな勉強は役に立ったしな。
メシは自炊で節約して、3回飲みに行けるところを、2回は大学でしょぼくして、1回高いところに飲みに行く。戦略の問題だろ。
そう言うのを経験して、ハングリーで貧乏中にも、いろいろ知ってるから、他人と差をつけられるんじゃん。
他人と同じじゃ、いつまでも上になんて行けないだろ?。
生活のための仕事を辞めて、夢の仕事を実現するための7つのアドバイス
http://www.lifehacker.jp/2010/08/100729_dayjob.html
「いつかこの仕事だけで食べていきたい!」そんな夢の仕事がありますか? それとも、すでに現在進行形で夢を叶えている途中でしょうか。
作家、写真家、役者、ミュージシャン、弁護士、料理人、占い師...どんな仕事でもいいですが、主にフリーランスで働くような仕事の場合は、その仕事だけで生活できるようになるまでに、アルバイトや他の仕事との、二足のわらじ生活を送ることも多いでしょう。
ですが、いつまでも生活をするための仕事に頼っていては、夢の実現は遠いままです。先月、ライターとしてフルタイムで働くために、アルバイトをスッパリと辞めたSierra Blackさんから、夢の仕事を実現させるために、かなり役立ちそうな7つのアドバイスがありました。
1. 少しずつトライしてみる
着実に収入を得られる仕事を辞めて、いきなり夢の仕事だけをスタートさせるのは、それなりのリスクがあります。可能であれば、週末や、仕事が終わった後などの空いた時間を使って、少しずつ夢の仕事にトライしてみましょう。作家や写真家、ミュージシャンなど、クリエイティブな仕事に向いているやり方です。
弁護士のような仕事の場合は、そういった時間を使って、学校に通ったり、裁判を傍聴したりするといいと思います。料理人や占い師のような仕事であれば、まずは、自分の友だちや家族に料理をふるまったり、占いをしてみたりして、実践的なトライアルをしてみるといいでしょう。
2. 本当にやりたい事だけをする
例えば「フリーのライターになった」と、友だちや昔の同僚に言ったら、何かしら書く仕事を紹介してくれるかもしれません。ですが、その仕事が本当に自分のやりたい内容ではなかったり、方向性が多少ズレていたとしたら、その仕事はやらない方がいいでしょう。
経験にもなるし、お金にもなるし、付き合いもあるという気持ちも分かります。そこをグッと我慢して、本意ではない仕事に時間や労力を使わず、本当にやりたい事だけにフォーカスし続けると、次第に、本当にやりたい仕事のチャンスが来るようになります。
3. 名乗ることが大事
ミュージシャンになりたいのであれば「ミュージシャンになりたいと思ってます」と言ってはいけません。「僕はミュージシャンです」と言いましょう。最初は「まだ一人前でもないし、ましてや仕事もないのに...」と、恥ずかしくて躊躇してしまうと思いますが、名乗っていると徐々に慣れてきて、本当に自分がその職業なんだと信じられるようになってきますし、プロ意識も育ちます。
Webサイトやブログなどを活用して、自分のプロフィールや作品を紹介するのもいいでしょう。最も大事なのは、一人前になるまで思い込み続けることです。それがプロになるということです。もちろん口だけではなく、お金にならない仕事でも、本当にやりたい仕事や活動を、きちんと続けているというのが大前提ですよ。
4. 高い目標をはっきりと掲げる
なんとなく「映画監督になりたいなぁ」と思っているだけでは、夢のままで終わってしまいます。目標をはっきりと決めると、そこに向かって、日々努力するようになります。どんなに高くて夢のような目標でも躊躇してはいけません。アカデミー賞が取りたい思ったのなら、最終的なゴールは、そこに設定しましょう。そして、少しでも映画に関する仕事が実現したら、これがアカデミー賞への道の一歩だと思うのです。そうすると、少しずつ、その高くて大きな目標に近付いていきます。
5. 仕事用の口座を分ける
夢の仕事で生活できるのに、十分なお金を稼げないうちは、自分の貯金や生活のための仕事の給与と一緒の口座に、わずかながらの夢の仕事の報酬も、そのまま入れているかもしれません。
一つの口座にお金をまとめてしまうと、どの仕事でいくら稼いだという感覚が薄れて、分からなくなっていきます。夢の仕事用の口座は、他の口座とは別にして、いつでもその仕事でいくら稼いだのか、分かるようにしておきましょう。その口座の残高を見ると、最初はハングリーにもなるでしょうし、軌道に乗ってくれば、励みにもなります。
6. 仕事だということを忘れない
夢の仕事とはいえ、仕事は仕事です。趣味でやっているのではありません。最初は、夢が実現しているうれしさで、どんな事でも情熱をもって取り組めたとしても、毎日毎日仕事としてやっているうちに、嫌なことも出てくるでしょう。再度繰り返しますが、仕事は仕事です。今までやってきた生活のための仕事と同じように、面倒くさくても、退屈でも、煩わしくても、同じようにこなさなければならない事もあります。
これはかなり難しい問題です。生活のための仕事と夢の仕事の、それぞれに掛かる時間と収入のバランスを考えなければなりません。生活のための仕事の辞め時を見極めるために、以下のポイントを参考にしてみてください。
◦生活のための仕事を辞めても、しばらく食べていけるだけの貯金や収入がある。
◦生活のための仕事に掛かる時間が、夢の仕事に掛けたい時間や、プライベートな時間を圧迫している。
◦夢の仕事で、クライアントや取引先と継続した関係があり、今後もそこからの収入が見込める。
◦夢の仕事でも、生活費をまかなえるだけの収入(報酬)が、十分に期待できる。
◦しばらくトライアルで夢の仕事をやってきたけど、やっぱりこの仕事が好きだ。
夢だと思っていた仕事で、プロとしてお金を稼いで生活できるというのは、本当に幸せなことです。仕事なんてお金のためにやるものだと思っていた日々から、自分が好きなことをしているだけなのに、お金がもらえるという日々に変わるのです。
これがどんなに幸せなことなのかは、実現させた人にしか分かりません。その道のりは簡単ではないですが、やってみる価値は十分ありますよ。
俺らってさ、いろいろと物事を知りすぎちゃってると思うのよ。
自分以外の人のこととか、将来のこととか。
昔の人ってさ、ほぼ何も知らないわけだよ。
たとえば、平均寿命のことを考えてもいい。
身の回りの人がだいたいこんくらいで死んだってのはまぁ知ってても
日本全体の平均なんていう厳密な数値なんて知りようがない。
でも、俺らは知っちゃってる。
男は70後半、女は80過ぎ。多分ほぼ全員知ってる。
「宵越しの金は持たねぇ」なんて生き方をした人がどうなったのかも知ってる。
昔の人は日本全体がどうとか知らない。
とりあえず周りの人とどうにか頑張っていかなきゃなぁ、ぐらい。
労働人口はすでに十数年後まで決まってるからシミュレーションじゃなくて確定事項。
発展途上国がものすごいハングリーなのも、圧倒的な人口を抱えてるのも知ってる。
周りの平均年収も、平均結婚年齢も、離婚率も、平均経験人数も手軽にネットで調べればわかる。
だいたいこんぐらいってのが見えちゃってる。
もちろん、そういうデータやら科学の発展とかで恩恵は受けてるよ。見通しもつくし。
でも、知らないからいいってのがあると思うのよ。
知らないからやっていられるっていう部分があると思うのよ。
知らなかったら違う選択をしていたり、違う感情を抱いていたりすると思うのよ。
でも、もうそこには戻れない。この「こんなもん」感を抱えて生きて行かなくちゃいけない。
この「こんなもん」感を消し去るような「これだ」感がないとだめなのよ。「This is it!」っていえるような。
でも、それって長く続くもんでもないし。
もしくは「こんなもん」感を「こんなもんだよねぇ」って言いながらゆるく暮らしていくか。
日本のGDPの0.1パーセントぐらい、Twitterがあることによって減ってると思うんだよね。
結構、時間とられるし。
だから、自分をグーグル化して年収10倍にしたい人は何かを断る前にまずTwitterやめた方がいいと思うんだ。
だけどさ、たぶんやめないじゃん。ってか、2chも、はてなも、ニコニコもやめないじゃん。
やめたらもっと自分を「効率化」できるのにっていうもの他にも腐るほどあるのにやめないじゃん。
飲みに行くのも、わけわかんない本読むのもやめないじゃん。
なんでかって言うとさ、そりゃいろいろと説明はできると思うんだけどさ、
たぶんお金の価値自体が下がってきてるんだよ。金の価値が減るって何だか変だけど。
これは2つの意味があってさ。
一つは、そのまんま、お金への幻想っていうか、お金の万能感みたいなのが減ってきてるってこと。
これは物欲が低下してるっていうこととも重なるんだけどね。
「ゲットマネーでウハウハ」感が盛り下がってきてるってこと。
もう一つは、お金への諦念みたいなものが出てきたってこと。
どうせ結局そんなにお金は手にいられないじゃんっていうあきらめ。
だから、「お金はそんなに欲しくないし、実際手に入れられない」っていう感覚があるから
この流れっていうのはもう止められないと思うんだよね。
お金の価値が下がってるから、「効率化」することによって得られる利益と天秤にはかると割に合わないってこと。
「効率化」とかさ「レバレッジ」とかある種の人には受けたけどさ(今もどうなの、流行ってるの?)
もう出切っちゃったでしょ、ライフハックみたいなのって、たぶん。
で、そういうの目指してる人は「効率化」って何なのかいっぺん考え直した方がいいんじゃないのって思うわけ。
いやいや、そういう人たちがいるから日本は何とか経済的にやりあえてるっていうのは分かってるけどね。
「効率化」することによって何を自分は求めたのかってこと。お金?資格?
だから、日本全体として「効率化」することによって求めてきたものの価値が下がってきたら、
そりゃ他の国に経済的に負けてくるかもね。奴らハングリーだもん。
でもね、日本全体がどうこうっていうのを議論するのは大事だとは思うけど (日本全体の生産性ってのが俺に下駄履かしてくれてる訳だからさ、そりゃ大事よ)
仕事が楽しくて楽しくて仕方がない。
勢いのある案件まかせてもらったり、
出来るクライアントから信頼を得られたときなんか
もう最高としか言いようがない。
残業手当は1銭も貰っていない。
なんでも裁量労働制とかいうものらしい。
と言われたが、あまり実感はない。昨年は年収が100万以上上がった。
同期は、どんどんと去って行ったが
残っているのは愉快でハングリーな奴らばかりだ。
彼女は学生時代から足かけ4年付き合ってた子がいたが、昨年の夏に別れた。
別れ際の時に「わたしは必要ないんだよね?」と言われた。
あんなにも期待して行った合コンだったのに、
・・・もっと専門的な話がしたい。
・・・もっと仕事の話がしたい。
そんなことを考えていたら、解散になった。
結局電話番号は一つも聞けなかった。
全身を駆け巡る充実感と共に
いろんなものが両手からぽろぽろと零れ落ちてる気がする。
でも、後悔はしない。歩むしかない。
俺はついていると思う。
同級生はみんな子金持ち。おかげで今になってお金に対してハングリーになった。
大学で入ったサークルのつながりでいろいろな人と知り合うことができた。
そのおかげで今の会社に入れた。
数年前母が会社を建てた。
まだ全然利益が出ていないが、息子である俺が技術面でのお手伝いやら
そして、田舎だが土地があり、某大手メーカーに1500坪もの土地を貸して定期的に不動産収入があるようだ。
こんなにチャンスがあるんだから、これらを利用して何かをしない手はない。
最近一瞬で一日が終わる。
人生も一瞬で、気がついたら死んでいるのかと思う。たびたび背筋がぞっとする。
やれるうちにやりたいことをやるのだ。
「悪くなかったな」
と思いながら死んでいきたい。
俺はツイている。
その程度でスポイルされるようなものを才能とは呼ばないし、まして創造性などとは口が裂けても言えない。主婦であろうがフリーターであろうが才能のある人間はいかなる瞬間にもクリエイターであるし有り続ける。
才能のある人は、生活の基盤が有ればそれを理由にしてクリエイトする。生活が苦しければそれをネタにしてクリエイトする。
才能のない奴は、常に出来ない理由を見つけることにだけリソースを投入する。生活の基盤が有れば「やっぱりハングリーな環境からクリエートする奴らにはかなわないよな」といい、生活の基盤がなければ「やっぱ文化って貴族が育てるもんだし。パトロン有ってのクリエーターだよやっぱ」という。
id:umedamochioを観察していて、この芸風どこかで見たなあ、どこだっけなあと気になっていた。
「考えてお気楽やってるんだ」という主張と、腹黒そうなところ。利に聡いところ。
そして、外見のツルツル感と、思ったより打たれ弱いところ。
こういうのは、バックのリソースが豊富だった家からしか生まれない。
一言でいえば「二代目のボンボン」ぽいわけだ。
今日、慶応幼稚舎というのを知って、ものすごく納得してしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E6%9C%9B%E5%A4%AB