はてなキーワード: ツイートとは
女性達が女性限定で被災者を自宅に受け入れますと言ったら、男がスクショとって晒し上げていた。
いや、女性世帯に男性受け入れられないの当たり前じゃん、男が可哀相ランキングで低いのではなくて、危険ランキングが高いだけよ。
女が男を家に上げたらセックスオーケー、自衛せずに襲われた方が悪いっていつもネットで騒いでるの男だろうが。
男性が、当方男性ですので男性限定で被災者を受け入れます。ってツイートしてても、勇気のあるいい人だなとしか思わないけど、なんで男は、女が女限定で受け入れますって言ってるのにぶち切れるの?
女が女を受け入れると言ってても、男が女を騙っているのかもって危険を感じるくらい被災地の女は危険なのに、これでここまで被害者面するのナゾすぎるよ。
男性世帯が男性被災者受け入れる声上げてない問題でしかないのに、善意で被災者に自宅を開放した女を叩くなよ。
尼寺が女限定で受け入れますとツイートしているのも男性差別と批判してるし、マジで意味が解らない。
『「男性は不可」
男性が追い詰められる要因がこれで震災時でも救出してもらえない。男性が可哀想ランキング下位であることを実感させられるツリーだ。こうして女性同士の連帯はとれるけど男性もおぢを排除するんだよな。』
https://twitter.com/odasaburo99/status/1742168826752729588?t=D0rnZp9_IeeIkd521tRbVg&s=19
『なぁ、ツイフェミどもよ。
これでも男性は甘い汁を吸ってるか?
それとも、「男どもはセーカガイをしかねないから自業自得(要するに性犯罪を犯す男性と犯さない男性の区別がついていない)」ってか?
『ホントこれね。このツリーを見るとどれも例外なく「男性不可」って堂々と書いてあるけど、人命救助でさえ男性差別は堂々と行われてる所が恐ろしすぎるよ。「男性」の部分を「黒人」や「ユダヤ人」などに置き換えれば差別主義者として糾弾されるのに、男性ならいくらでも差別OKという風潮が恐ろしい。』
『「当方男性ですので女性は不可です」ってやったら女さん発狂するよね……』
『これで男女平等とか良く言うよな。』
『むしろ、男性は、常に見捨てられがちな存在である独身中年男性とかに気をかけるべきでしょうね。
常日頃から男性差別して「弱者男性◯ね」とか平気で投稿してる人が多いし、被災時も優遇される女性達を積極的に気にかける必要はありませんね。』
『これを自衛というなら「助けを求める」のはやめるべきと思います
これをしながら「助けてもらえなくてごねている」』
当山は女性の駆け込み寺です。
自宅の半壊、全壊を問わず
お子様がおられる方もお一人様でも女性たちの避難場所として運営しております。
少しでも不安があるなら、どうぞ当山に心休まるまでおられてください
https://twitter.com/futetsuji/status/1741955076913070316?t=nug4fMt1taVozOv-88LnFw&s=19
『この期に及んで尼寺という名目のみで性差別する意図はどのようなものなのでしょうか。悲惨な状況で助けを求める男性が駆け付けても、寺としても個人としても保護しないおつもりでしょうか。』
『あんたもよう、救援福祉にまで女限定とか本当に性差別大好きなんだね(鼻ホジ』
笑ってしまった・・
『LGBT法案が通った今、性自認で男性の体でも心は女性の方はどうなのでしょうか?』
失礼しました。』
コミュニティノートがブコメを誤読してたらどうするの?とか、どこまで行ってもいたちごっこだとおもうよ
https://x.com/hinafonamano/status/1742481227117211924?s=46&t=EaR7uxaklEzzMXOMXFx39w
https://x.com/hinafonamano/status/1742481227117211924?s=46&t=EaR7uxaklEzzMXOMXFx39w
これ思い出したhttps://note.com/ao8l22/n/n382fcb80113b
「できる人」をバカにするのはもうやめよう
インターネットの悪いところの1つとして、「できない人」の声が大きくなるところがある。「要領よくできる人」「コミュニケーションがうまい人」「なんだか楽しそうにしている人」のことを、そうじゃない人が「自分はできないけど」と自虐含みでバカにする。羨ましさが反転して攻撃になる。
たとえば発達障害なら、発達障害ではない人のことを「定型発達」「健常者」などと言い、「定型発達」の生きやすさと発達障害の生きづらさを言い連ね、「定型発達」の人々が非常に無神経であるかのようにまとめる。しかしかなり言いがかり的なものもあるというか、「定型発達、そんなスーパーマンじゃねえから…」と言いたくなるようなこともある。人間、だいたいグラデーションだ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/workshain/status/959066779929604096
で、クワーッとなったのを抑えるために、オードリー若林正恭の「完全版 社会人大学人見知り学部卒業見込」(角川文庫)を読んだ。とてもよかった。
すごいよかったのは、若林の言っていることがだんだん変化すること。連載の最初では「スタバで『トール』っていうのが恥ずかしい」と言ってたりするのだが、途中から「別に恥ずかしくないぞ!」と言い出す。過去の自分のネタ帳を読んでこう振り返る。
「テレビに出たい!」「お客さんに笑ってもらいたい!」となぜ素直に書けなかったのだろう。他人事のように考えを巡らせた。それを書いたら最後、いよいよ本格的に自分の力不足を直視しなくてはならなくなるからだろうな。それを書く強さなんて勿論持ち合わせていなかった。だからこそ、それを手にする気がないことを殊更に強調することが、当時の精一杯の自己防衛だったのだろう。
この辺りの文章が超絶に刺さった。素直にうらやんだり、素直に悔しがったり、素直に憧れるのは体力がいる。それよりもちょっとスカしたふうにふるまったり、すごい人をかえって下げてみたりしたほうが全然傷つかない。でもそんなひねくれやこじらせた自意識や他人に対するレッテル貼りは、人間を不自由にする。
全然関係ない話なのだが、私は非常に感謝していることがある。むかし「部屋が汚い」ということを記事にしていたら、「発達障害(ADHD)なのではないか」というコメントをもらった。それに対して私は「そうなのかな?」と思っていたのだが、自身がADHDであり、それについての文章をよく書いていたYさんが、そのことについて怒ってくれた。その怒ってくれたものの中身はあんまり覚えていないのだが、「青ちゃんは部屋が汚いことを気にしているのに、そういうレッテル貼りはいかがなものか」のようなものだったような気がする(違ったかもしれない)。
ADHDがらみの話は私の中で非常に混迷している。ADHDの特徴を、当事者やその周りの人が知っておくことは、生きやすさ、過ごしやすさにつながると思う。「どうして自分はこんなにできないんだろう」と悩んでいる人が、ADHDの情報を知ることは、とても救いになるし、大事なことだと考えている。
ただそれは当事者と、その周りの人が楽しくコミュニケーションするために知っておくべき情報であり、赤の他人がその相手を理解しやすくするためにレッテルを貼り付けるものであってほしくないという気がする。たいていそういうのは雑になるものだから。それは「発達障害」という言葉でもあるし、「定型発達」という言葉でも同様に発生している。
ttps://x.com/ao8l22/status/960065753872416772?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960066055988129792?s=20
ttps://x.com/ao8l22/status/960093910063235072?s=20
②パク増
③パク増再投稿(元のパク増本人?)
自分よりプラスに見える人間をまずバカにするやり口、本当に好かない。リ..
https://archive.vn/2021.03.19-214155/https://anond.hatelabo.jp/20210319191550
コミュニティノート管理コミュニティも震災デマ優先で注目されてないのかな?
あと、ツイートした人も震災デマを叩く方を優先したい気持ちはわかるけど
指摘ツイートRTしただけで、削除も訂正の一言も無くスルーだもんな
なんだろうなこのモヤモヤ
「避難所で性加害」系のツイート、防犯意識のためではなく当人が日頃から抱えている男性嫌悪や性嫌悪を吐き出す絶好の機会だからやっているのだろう(今回の火元になった人も性虐待サバイバー)。
要するに「旦那デスノート」や「泥ママ」や「外国人に言われてハッとした」系コンテンツの一種なのだ。
「泥ママ」や「外国人に言われてハッとした」系ならデマ(嘘松)でも笑って見てられるが、「避難所で性加害」は「井戸に毒」と同様に実害を生じる可能性が多分にあるので、自分が有害なヘイトを撒き散らしていることを早く自覚してほしい。
https://x.com/85urt/status/1742172342137283023?s=46
「一文字も乱れず、
「JALのCAさんの保安力にマジで感動する。この状態からちゃんと380人全員生還とか日頃の訓練の賜物でしょ。俺はもうこれからは可能な限りJALに乗っていくことにした。すごすぎるJAL。」
が入っているツイート(ポスト)、338件もあるらしい…。ほとんどが19:30頃。
なんなんだこれ…。」
「ステマなのかな、これ…。
「JALのCAさんの保安力」がすごいのはそうだとして、ANAもたぶんすごいよ。他の航空会社だってそう。
JALが良いとか悪いとかではなく、今回の一件で「可能な限りJAL」という思考には通常ならないでしょ。
X(旧Twitter)ではバズってる投稿をコピペするインプ稼ぎのスパムが流行ってるのだが
これはあくまで一例であり、「日本のために働いてくれてる人本当にありがとう」みたいな投稿が無限にコピペされてるから
フローレンス会長の駒崎弘樹さんってこども家庭庁の審議会臨時委員なんだってさ。
こども家庭庁の管轄になった利権の配分はこれからも進んでいくんだろうから、委員にいい顔しとけばいっちょ噛みできるチャンスがあるかもしれないよね。
金出すわけじゃなくてインフルエンサーとしてただツイートするだけで多少の恩がフローレンスに売れるんだから、依頼DMが来てたらやるだけ得と思う起業家連中は多いだろうね。
ツイートしてた連中って金儲けしたそうな連中ばかりじゃん?(参考:anond:20240102152212)
自民党議員の選挙応援に統一教会員が無償ボランティアで支援していたが、議員は統一教会の出す要望に近い事をしようが関係ない ← バカでもおかしいのが分かる
ヨッピーの事業の応援にフローレンスが無償でボランティアで支援していたが、ヨッピーが受けたフローレンスの広告ツイート要望は関係ない ← なぜかヨッピーは清廉潔白なのでOK
自民と統一の関係が別で受けた利益を政策に反映して叶えようとするのには関係があるように、
ヨッピーとフローレンスも利益を受けて要望を叶えた関係者とみなされるのは当然だろ。
これまでは反社じゃなきゃ明らかな利益を受けた人間の要望を叶えようが勝手だったけど、ステマになるだろ。
自民党が統一教会の擁護してたら、コイツら利益を受けてたからやってるんだと思うよな?
ヨッピーも同じだよ。
年末の暇空vsヨッピーのライブ見ててヨッピーからすごい不快感を覚えたんだよね
暇空の不快感はツイートとか見れば誰でも一発で理解できるでしょ
ひろゆきとかメンタリストDaiGoも不快ポイントが分かりやすい
でもヨッピーはそうじゃないんだよな
そら防災用品を避難所にってだけのツイートが謎の炎上したら今どうなってるかとか続けるやろ。
ニュース貼られて説明されまくってなおも潰されたーと騒ぎ続けて燃えてるアンフェのが、妄想の世界で生きて眼の前のソースも読めないレベルの情報弱者。
年明けすぐに発生した能登半島の地震で、東日本大震災のことを色々と思い出した。
当時小学2年生で、地震発生時は帰りのHR中。関東でもかなり揺れて、確か震度5強か5弱か。揺れてる最中のことはほとんど覚えていなくて、隣の席の机から水筒が落ちてきたこと、その席の子は背が高く頭が入り切ってなくて落ちた水筒が頭にぶつかっていたことだけ覚えている。
そのまま保護者引渡しになって、グラウンドで姉と一緒に親を待っていた。外出中だった母はすぐ迎えに来てくれて、かなり早く家に帰れた気がする。そのまま急いでコンビニに寄って水とカップ麺を買って、ガソリンスタンドで給油して、家に帰った。
この時私はだいぶ興奮していた。
楽しいとか面白いとか、そういうのではなくて、台風で学校が休校になるとかと同じ感じ。地震そのものはめちゃくちゃ怖かったので、どちらかと言えば目が血走ってるような興奮だった。
震度5の揺れなんて初めてで、5分近く揺れ続けたのも初めてで、学校であんな切羽詰まった教頭の放送を聞いたのも初めてだった。昔の地震の記録映像とかでしか見たことないような、知識としてしか知らないような規模の地震だったから、そういう時は学校で一晩明かすとか、しばらく店が閉まって学校も仕事も休みで社会機能が成り立たなくなるとか、そういうレベルのことが起きると思ってた。
実際は普通だった。
平時に比べたら普通じゃない。コンビニで酒が落ちて割れて中身が出たままとか、30分に1回は震度3が来るとか、全然普通ではない。でも、学校も休みにならなかった。テレビも番組は違うけど放送してた。コンビニは瓶が割れてても営業してた。電車も走ってたし電気もついてたし水も出た。
すごくびっくりした。
私の中では震度5強とかはめちゃくちゃ大きい揺れで、生きていくのがしんどくなるようなものだと思ってた。でも、家の皿が何枚か割れても、タワマンのエレベーターが止まったままでも、私から見える生活はほとんど変わらなかった。
今になって考えれば、それだけ災害に対しての備えがあったんだろうな、と思う。
10年以上前だから、今と比べればその備えも足りなかったんだろう。東北では関東と比べ物にならないような揺れだっただろうし、津波では恐ろしいほど被害が出た。東北に住んでいた従兄弟は中々学校が再開しなかったという話も聞いた。
それでも、これだけ大きいと感じた揺れでも、何も私の周りは変わらなかった。親も普通に仕事に行った。私も姉も変わらず学校に行った。あれだけ興奮していたのに、非日常は存在しなかった。存在させないような日々の努力が存在しただけ。
10年以上経って、能登の地震を見て、やっとそれに気がついた。当時より発達したSNSやテレビ放送で、東日本大震災の経験が垣間見えた。日本海に近い実家にいた友人は、津波から逃れるために避難したけど、家は被害に遭わなかったと聞いた。ここは大丈夫といって逃げない家族を引き摺ってでも避難してきた、というツイートを何件も見た。
潰れた家の写真もたくさん見た。
あの時の非日常だった部分が、今こうして活きている。そう見えた。日常のままあの日を通り過ぎた私たちは、血で滲んだ教えを、そうやって生かしていく。
多分、東日本大震災をまともに覚えているのは、私やその1個下の年齢くらいがギリギリなんだろう。今の中学生はそもそも生まれてなかったと聞いて、気が狂いそうになった。全然発狂した。あの震災はもっと最近だって。
そこにあったのは小学2年生の日常でも、私はその日常を続けられたことも、私の見えない場所に非日常だってたくさんあったことも、忘れちゃいけない。
能登半島地震で被害に遭われた方々に、お見舞い申し上げます。募金など間接的な支援しかできませんが、復興をお祈りしています。