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はてなキーワード: みつみ美里とは

2024-03-06

anond:20240305041504

時代ごとの絵柄の流行りが極端なイラスト界隈はなんの説得力もないわ

かつては、ジェネリックみつみ美里が多すぎて問題視されたりしたよね

最近はそういう問題提起も見かけなくなって(どっかで小規模にはあるのかもだけど)、界隈自体にそういう自覚がないのだよ

2024-02-19

萌え絵って男による男のためのものじゃないよな?

萌え絵って概念が普及した頃だとこげどんぼ・みつみ美里樋上いたる西又葵七瀬葵とかが界隈をリードしてて

今だときらら系を原悠衣・はまじあきとかが引っ張ってるワケでしょ

萌え絵供給者も萌え絵の受容者も男性に限らずに

女性フォロワーになって再生産して第一線で活躍してるイメージしかないんだが

2024-01-04

anond:20240104135356

懐かしい題材で今風のアニメにしたのかと思って

まあキャラデザみつみ美里の時点で気づけって話ですねすみません。。

2020-01-13

みつみ美里たちの惨さって

赤い服に黄緑の陰を書くようなところ

2018-10-26

俺が語る萌え絵系譜

と言うほど詳しくないし記憶捏造で語る系譜だと最初に断っておく。

萌え絵の直接の親はアニメ絵である。なぜなら、80年代から90年代初頭くらいにはマンガ絵のイラストレーターというのはそれ一本で食っていくのは無理な状況というか歴史的にまだそういう仕事確立しておらず、ゲームも含めイラスト仕事をやっていたのはアニメーター経験者ばかりだからであるマンガ家がイラストレーター兼業していたのは寡聞にして知らん。

で、エロゲー系譜と言うとまた古いのだけれど、グラフィック性能がそれなりになってちゃんとしたマンガ絵が最初採用されたのはおそらく92年の「同級生」だろう。これもイラストピンの仕事であるので、アニメーターである竹井正樹が担当した。

しかし、これが萌え絵であったのかと言われるとやや疑問が残る。おそらく、その絵は今の人が萌え絵と言われて連想する絵とはだいぶ趣が違うはずだ。この絵はアニメ美少女絵であって、決してギャルゲー特有の絵柄ではなかった。

では、ギャルゲー特有の絵柄である萌え絵がどこから始まったのか?個人的にはなかむらたけしCARNELIANみつみ美里甘露樹のあたりが影響として大きかったのではないかと思う。彼らの絵は大きな目が特徴で、どちらかというとすらっとした体つきであった。

そこから樋上いたる、mooなどの丸みのある優しい絵柄も現れ、これらがミックスされて萌え絵パターン的な絵柄が出来上がったのだと思う。

いわゆる、大きな目、低めの頭身、立体感があり、影には彩度が低い色を選び境界ボケた塗り方をする00年代オタク絵の王道パターンだ。

また、この頃になるとアニメーターマンガ絵のイラスト担当するのではなく、マンガイラストレーターという仕事確立してくる。そこに萌え絵が導入されていくのもこの頃のことである

そこからマンガイラスト進化は非常に早い。10年代に入ってくると、影の色に補色を加えた塗り方が隆盛し、目の大きさも00年代と比べると小さくなってきた。また、根本的な画力が足りない人たちはどんどん淘汰されていった。

これらを萌え絵として数えるかどうかは人によって変わってくると思うが、今のCGイラスト萌え絵の影響を受けていないものは探す方が難しいだろう。

大げさな言い方をすると、萌え絵は今のマンガイラストデファクトスタンダードになった。

それどころか海外にも羽ばたいていき、アメリカでも萌え絵の描き方的な本が売られるほどになっている。俺がChristopher Hartの本を手にとって驚いたのはもう5年以上前の話だ。中国台湾韓国イラストレーターも非常にレベルが高い。

萌え絵というのは、既にその単語連想させる00年代オタク絵などとうに通り越してもっと大きな流れを作っているのだ。

2016-02-12

東鳩2だとタマ姉よりもとなみゆまのほうが好きなんだよなー

ゆまのために買ったと言っても過言ではない

ゆまのために俺のエロゲ購入童貞を捧げたようなもんだった

ブルマエロシーンの絵がめっちゃ好きで抜きまくった

ビジュアル性格がすごく好みだったけど、今だとビジュアルけが好みだな

性格日常ゆっこっぽくてどうもエロく感じないわ

甘露樹東鳩2うたわれるものときの絵柄が一番好きだ

みつみ美里こみパが好き

こみパではご想像どおり大庭 詠美が好きです

でもこみパシミュレーション部分が面倒で結局やってないわ

ラノベだけ読んだな

こみパ九品仏 大志(くほんぶつ たいし)とイリヤの空水前寺 邦博(すいぜんじ くにひろ)がめっちゃカブ

立ち位置しかり、ビジュアルしかり、性格しか

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.5 『すべての愛情消耗品である

■その1。

 「やばい太平洋だ!」……プレイした感想は、まさにこれだった。休業しているとはいえ、商業誌編集者である筆者は、ゲームの題材として同人誌を扱うのは、やはり抵抗があったし、おたくである自分の状況を俯瞰的に扱うということを、美少女ゲーム表現するとは……という気持ちもあった。まあ、ありがちな先入観を抱いていたのだ。

 で、実際にプレイしてみたら、「ゲームとして良くできている」のだ。確かに、題材の違和感は拭えないのだけど、『こみっくパーティー』はゲームだ。ゲームとして面白ければそれでいいのだ。その驚きが冒頭の台詞に現れているんだけど、まあ、元ネタは分かるまい(笑)

 さて、『こみっくパーティー』というゲームは、特別思想性を見いだすことはできないけど、最大公約数の娯楽性を持った作品だと思う。実際、主人公に関する事柄以外は、かなりのバランス意識を持ってテキストが作られており、現在同人誌状況のプラスマイナスの両極を無難に取り込んでいる。これは、正月オールスター映画を作るようなもので、それ故に「無難」というのは、この場合、最大限の褒め言葉なのだ

 そして、最大公約数故に、どのような批評も内部に取り込んでしまうというか、あらかじめ批評予測された構造になっている。だからユーザーゲーム中の事象にいちいちツッコミを入れつつ楽しんでいるし、批評にしても、思想的な根幹は特に存在しないので、どうしても些細な設定に帰着してしまう。そういう意味ではライター泣かせというか、誰もが批評家然として語ることで楽しむ作品でもあるし、このゲームを語るのは、筆者の場合自分の半生を語るようなものでもあり、正直言って、気が重い。つまり、このゲームを語る事は、ユーザー自身同人誌観を語るのと同じなのだ。これは非常に恥ずかしい。

■その2。

 前号の「美少女絵師列伝」での、リーフ東京開発室インタビューにもあったけど、同人誌即売会という現象がそれほど普遍的ものになったのかと思うと、正直言って、また別の感情もある。筆者は同人誌世界に足を踏み入れて8年、その半分はまんが雑誌編集者として、絵に描いたように、おたくメディアと密着した生活を送ってきたけど、こうした俯瞰的自己言及するメディアが発生するあたりは、言葉は悪いが、同人誌世界成熟し、おたくイニシアチブを取る=経済的に勝利した状況になりつつあるのだな、と思い知らされた感がある。

 あと、『こみっくパーティー』には思想性が無いと書いたが、特定思想があったら、こんな広範な題材は取り扱わないし、結果として、一つの市場をめぐる噂話(都市伝説)の集合体という構成になるのも当然の事だろう。そして、このゲームは、善悪全てごちゃまぜにして、同人誌をめぐる状況を極力そのまま取り込んでいるし、登場人物がどれも清濁併せ呑む存在であることにも気づくだろう。特に、前半に関しては、主人公視点あくま素人として設定されているので、出会う人々がどれも過剰な存在に見えるのだ。また、冒頭で「主人公に関する事柄以外は~」と書いたのは、同人作家として成長するスピード素人視点が、後半になるにつれ、やや噛み合わなくなってくる為で、この辺で違和感を感じた人はいると思う。

 ところが、みつみ美里氏や甘露樹氏といった作画陣の流麗な絵柄のフィルターを通すと、清濁併せ呑んだ部分が届かなくなるという現象が起こってしまう。最近ユーザーの傾向として、ビジュアル的な構成要素だけで全体を判断するので、本来皮肉になるべき箇所が皮肉として通じないのだ。ユーザーフィルター上の表層(ビジュアルしか見ないので、キャラクター内面まで踏み込むことはない。この微妙なズレというか、奇妙な皮膜が形成された結果として、特に何の問題もなく『こみっくパーティー』は、美少女ゲームという商品として成立している。本当は、もう少し微妙立場にあるはずのゲームなのだけど。

 古参ユーザーは、シナリオも含めたトータルを見た結果として、自分同人誌観を語るのだが、最近ユーザービジュアル的な要素だけで判断するので、必然的に「キャラ萌え」といったベクトルへ向かう事になる。まさに、パソコン用語の「オブジェクト指向」ならぬ、「オブジェクト嗜好」といった所か。また、このタイプユーザーには、全肯定全否定という二つの判断しかない為、批評という概念自体が成立しなくなる傾向もある。

 批評の介在しない、言論一定化という状況で、他人との差異を何処に求めるかとなると、信仰心の強さを競う、という一点に帰着していく。信仰対象への愛情イコールで消費した金額に換算される為に、トレーディングカード流行したりもする。けれども、その信仰の強さが物語性を妨げる弊害も起きる。物語信仰対象を疑うことからまれものというか、強烈な信仰は、自己内面を相対化する心理機制を内包していないので、内面葛藤の結果としての物語は生まれにくいのだ。

 そして、信仰対象を次々と消費する現在おたく産業に於ける経済システムは、物語よりも情報を重視している為、物語需要は失われていく傾向にある。

 【ネコミミ】【ロリぷに】【眼鏡っ娘】【妹】【メイド】といった、快楽原則に忠実な根本要素に、作画技術画力技法)や、ブランド(描き手のネームバリュー)が絡みあった結果、萌えられるかどうかを判断する……このように、価値基準情報単位で捉えていくパターンが、先に述べた「オブジェクト嗜好」なのだが、そういった表層的な要素のみで判断すると、物語思想性は余計な要素=ノイズ以外の何物でもなくなってしまう。

 例えば、とあるゲームタイアップまんがで、元々、オリジナル作品を描いていた作家を起用したりすると、アンケートは絶好調で、単行本バカ売れしているのに、巷にはそのまんがに対するブーイングが溢れるという、パラドックスな状況が起こったりもする。

 これは、「ゲームの関連商品」として単行本を買ったんだけど、描いている作家作家性がノイズ判断されたからだろう。いわく「ゲームイメージを壊す」と。この場合、その作家の絵柄(ビジュアル)だけで起用するから、そんな事態になるのであって、ゲームアニメが主導する形でタイアップまんがを作るときは、キャラクターグッズに徹する、思想性の無い作家を選ぶ必要があるだろう。実際、最近のまんが業界周辺にはこういった、メディアミックス悲劇といえる現象が、日常茶飯事になりつつあるのだが……話がずれた。

 筆者は古いユーザーなので、エロの含有率で美少女ゲーム判断する癖がどうも抜けないのだが、現在美少女ゲームユーザーは大きく二つの属性に分けられると思う。「キャラ萌えできるか」「心の琴線に触れられるか」……しかし、両者は結局、コインの裏表で、どちらも表層の情報、つまり、あらかじめメディアによって価値判断処理が施された情報だけを消費しているという点では五十歩百歩に過ぎない。

 おそらく『こみっくパーティー』は、前者に属するのだろう。だが、萌え~なキャラいるかプレイする、感動できないからプレイしない、というレベルでは割り切れない懐の広さも、このゲームが持っていることは知っておいて欲しい。

 ……筆者は、ゲーム物語)の内部と自分の内部を相対化できるゲームが、良いゲームと考えているのだが、『こみっくパーティー』は十分、その条件を満たしている。題材が良いのか悪いのかに関しては、未だに判断し難いのだけど、ゲームとしては、まさに予想外というか、嬉しい誤算だったと言えよう。

2008-07-16

http://anond.hatelabo.jp/20080716103044

品川かおるこ以上の所得を同人で上げてる人はいないと思うけど。

みつみ美里とかあのへんは冊数多いけど一冊当たりの利益小さいし、出してる点数も少ないし。

西又御大がどんくらいなのかにもよるけど、所得って意味ではここまでいってないと思うな。

論点とずれるけどいちおう。

2007-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20071230100625

最近だとエログ作ってる女性とかが男性週刊誌に取り上げられたりするけど

大半はネカマかアフェリ目的だろうね。

エロゲだと昔から女性スタッフはいたし、今でも原画グラフィックを中心に

女性が活躍してるのはめずらしくない。

有名な所だとみつみ美里とかいとうのいぢとかさっぽろももことか

2007-04-23

天元突破グレンラガン 第4話の絵は個性か否か?

例えば「To Heart2」と言う作品がある。

この作品にはみつみ美里甘露樹なかむらたけしカワタヒサシと言う四人の原画家がおり、それぞれの個性をもって

キャラクター原画を描き、一つの作品として纏められている。

その絵柄の違いに特に難色を示すファンはそう多くはいない。それは何故か。

 

絵柄の違いはあれど、To Heart2と言う世界の中から極端に逸脱してはいないからだ。

 

対して天元突破グレンラガン第4話。もう言うまでもなく逸脱している。

『逸脱し過ぎた個性』は個性でないのである。

 

オタクもそうバカではない。個性を認めないほど愚かではないのはTo Heart2が証明している。

では何故、グレンラガン4話はここまで大ブーイングに包まれてしまったのか。その答えがここにある。

 

 

今回の作画を担当したのはアニメBECK」の監督との事だが、彼の過ちは

BECKで通用した事が、グレンラガンでも通用すると思ってしまった事」である。

 

普通アニメファンからは存在すら目に留めてもらえないような「BECK」と、この春「らき☆すた」「ハヤテのごとく!」に次ぐ

人気を獲得している「天元突破グレンラガン」を同列に置いてしまった事なのである。

 

 

 

かつて「魔法少女リリカルなのは」でも同様な事が起こり、件の個性的な絵柄をベルカ式と称されてファンの間では

黒歴史にされている。

いっそグレンラガン4話の作画も「BECK式」とでも称してせせら笑う事でしか、一人の「見えなかった男による失敗」によって

裏切られたファンの傷ついた心を癒す事は出来ないのかもしれない。

2007-04-04

http://d.hatena.ne.jp/Maybe-na/20070403/1175617089

なんて改変できそうな記事だったから自分の経験を踏まえてやってみよう。増田初投稿。

――そして、そのコラムの03/31/2007分記事において、藤村先生は「若オタが同人作家として生きていくためにはどうすればいいか」ということを、具体的にズバズバと語っています。あまりに具体的に語りすぎており、絵描き宣言をしたばかりの若オタを不安に陥れるような気がしないでもないのですが、梅田さんが言う「意識的で戦略的な「好きを貫く人生」とは具体的にどういうことなのかを知ることのできる良い機会ですので、ご紹介したいと思います。

私は、1985年から2000年くらいまで、Yahooメッセンジャー同人作家のお仲間ルームに入室していました。随分と、そこで勉強させていただきました。

(中略)

そこのルームのトピックが「嫌がらせムラ社会撤廃運動」になったときに、私は正式に退室しました。私は退室の理由は言いませんでした。ネット上とか、即売会で、同人作家嫌がらせにあうのが由々しき問題だから、同人作家のお仲間ルームとして、これを第一の問題にすべきだというのは、まあ正論正論ですからね。まるで、中学生徒会議決みたいに、正論ですよ。

しかしですねえ・・・若き女子学生じゃあるまいし、お嬢ちゃんじゃあるまいし、嫌がらせされたら、即座にギャアギャア抗議すればすむことです。「いい子ぶりっ子」やってないで、凶暴になればいいのです。それで終わりですよ。問題にするほどのことではありません。そんなこと問題にするのは、正しくはありますが、幼稚です。

自分がやりたいこと、進みたい道に苦しいことはつきものです。愚劣な男にも出会うでしょうし、意地悪女にも出会うでしょうし、そいつらから嫌がらせされることも、当たり前にあるでしょう。そんなこと無視して、「私は、このカプ妄想がしたいからやるの!他人なんか、どうでもいいの!」と強烈に思えないような人間が、自分のやりたいことに食い下がれないような人間が、同人活動していこうと思うのが間違いです。

(中略)

あのねえ、自称同人作家のみなさん、嫌がらせされたら、即座に「うるせぇ、馬鹿!!死ね!!」と怒鳴りつけることができないような「お行儀のいい」「お上品」で「心優しい」「作家らしい作家」が、何の不如意もなく、みなさんに愛されて好かれて、軋轢もなく、好きなことやって同人活動していこうなんて、チャンチャラおかしいの。世間は、別に、あんたに同人作家でいてもらいたいわけじゃないんだからさ。「貴婦人」でいながら、かつ「みつみ美里」でいるのは、無理なことです。

天才でもないし、世界で10の指に入る大画家でもないような凡庸な才能の持ち主が、好きなキャラ描いて活動してゆきたいと思うのだから、愚劣な人品卑しい人間うんざりするほど遭遇するなんて程度のことを経験するのは、当たり前です。正当なことです。それぐらいの不如意を引き受けてこそ、まっとうに忍耐力のある人間になれるってものです。

はっきり言って、ろくでもない奴の方が多かったですよ、私が壁際に来るまでに出会った読み手とか同人ゴロの人間なんて。名前を思い出せないくらい、くだらない連中が多かったです。私は、軽蔑して関心がなくなった人間の名前は忘れてしまうので、名前を思い出せないです。はい。

私なんか、獣界隈というジャンル少年創作隔離島の出身ですから、若い頃の状況は、けっこう、きつかったです。獣界隈の書き手たちのほとんどが、まず自分ところの読み手を馬鹿にしまくっていました。あ、すみません。私は自分の出身の獣界隈、はっきり言って嫌いなんですよ。言っちゃった????ははは。それから、同人界隈のオフ会になど参加しても、最初は、「獣界隈出?あ、こいつ獣姦好きの変態」という前提で扱われたな。ついでに、先輩の同人作家や受け手や同人ゴロからも、馬鹿にされまくりました。馬鹿馬鹿馬鹿にしちゃって、馬鹿ね????♪ウンチがオシッコを嗤ってるうう????♪

(中略)

そういえば、嫌がらせには深刻な被害甚大なものがあって、その嫌がらせに抵抗したら、2chで話題になって獣界隈でやってゆけなくなるから、やむなく被害者になるケースがあるので、そういうのは、同人作家として、見過ごせないという意見も、あのころ、やたら聞いたなあ。

当時は、ケモホモ(雄の獣人×獣人のエロ)だかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きが、遊び相手の家で、遊び相手を食いまくって、どうのこうのという書きこみが2chFANGスレで起きた後でした。その取り巻きは仲良しグループを追われ、獣界隈を追われ、ついにはMixiを退会しました。

私は、「しょたやねん」で、事件が起こるずっと前に、このケモホモだかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きの実物を、自分のサークルの机越しに見物したことがありました。いかにもお上品でオサレで端正な色白の「バンドとかに興味あったけどやる気なくてあきらめ系」な顔でしたが、「同人作家としてのやる気」が奇妙でした。普通程度に勘がいい同人作家ならば、近寄る気にならない類の奇妙な邪気を、彼はメッセとかで発散していました。

私は、一応は、この被害者の方々と絵チャットでご一緒なんかもしたことが数回あったのですが、しかし、はっきり言って、「どっちもどっちだ」と思っていました。あの事件の「被害者」とされた自称同人作家は、同人作家として出世したかったからこそ、あのケモホモだかのエロ同人で有名な同人作家の取り巻きをやっていたのでしょう?ならば、最後まで、計算ずくで、そいつを徹底的に利用してやればよかったのに。それも、ひとつの覚悟の定まった立派な生き方です。

(中略)

自称同人作家のみなさん、どっちの道を採るか、ちゃんと真面目に選びましょう????いったん選んだら、迷いは捨てましょう????同人の世界を才能努力と業績の質で生き抜けない場合は、権謀術数と打算と色香で生き抜くか、どうでもいいの!本をだしてゆければいいの!好きにやるの!と生き抜くか、どちらかです。どちらも選べないような優柔不断で潔くない中途半端な甘ったれた奴が、ギャアギャア騒ぐんだよね。しかも、つるんで。団体で。集団で。あ????カッコ悪い。

……おわかりでしょうか?

そもそもみつみ美里さんはエリート中のエリートなのです。みつみさんは、みつみさんに憧れる私たちとは同じ土俵の上に立っていないのです。天才でもないし、世界で10の指に入る大画家でもないような私たちが好きなキャラクターを描いて活動してゆきたいと思えば、自分の思想がどうこうではなくて、まずは愚劣な人品卑しい同人作家うんざりするほど遭遇することに慣れることから始めなければならないのです。

そして、「意識的で戦略的に生きる」とは、要するに権謀術数と打算と色香で生き抜くか、どうでもいいの!本をだしてゆければいいの!好きにやるの!と生き抜くかのどちらかの生き方を望むか、なのです。

ちなみに、藤森先生は自称同人作家向けの“戦略的な生き方”として、次のように書いています。

あのね、若い自称同人作家のみなさんに言っておきますけどね。(かなりの数の)同人作家ってのは、相手の同人作家が自分より圧倒的に劣った立場だと、いくらでも親切にしてくれるの。いくらでも優しくしてくれるの。優越感と支配欲から、ね。人間的に優しいわけではないの。

だけどね、少しでも、自分と並び始めると、同人作家は相手の同人作家に、意地悪するもんなの。(かなりの数の)同人作家ってのは、プライドだけで生きている弱い臆病な生き物だから、すっごく嫉妬深いの。でもって、自分が嫉妬しているってことが自覚できないの。馬鹿なの。自己分析できないの。自分の感情を直視できないの。その程度の、他愛ない奴が多いの。ガキなの。お子様ランチなの。

だけど、同人作家のいいところはね、「あ、こいつは、こっちが何言っても駄目。こいつの視野に俺は入ってない。でも、こいつは俺に敬意を払うフリぐらいはするな、ならばOK」と、合点すれば、もう何もしないってところ。そうなると、無関心になってくれて、形式だけの挨拶社交辞令でおつきあいできます。これぞ、「平和な大人の関係」ですね????そういうところは、つきあいやすいですよ、同人作家というのは、ほんとうに。そういうところは、同人作家はオトナなの。立派なの。豚キムチなの。

(中略)

 つまり私が何を言いたいかといえば、同人作家に意地悪されて、2chで嫌がらせされるようになったら、同人作家も一人前だってことです。親切にされなくなったり、「かばって」もらえなくなったり、悪口言われるようになったら、喜ぶべきです。私は、先輩の同人作家や受け手や同人ゴロに、しょーもない嫌味言われたりするようになったときは、「あ????こいつら嫉妬してる????カッコ悪い????ばっかみたい????貧乏くさい????♪」と思って、喜びました。私は、二次元で、可愛い萌えキャラをちゃんと確保できてましたから、リアルワールドで、馬鹿同人作家にどんな意地悪されても、どうでもよかったですし????

まずは、自称同人作家のみなさん、結婚でもいいし、不倫でもいいし、同性愛カプでも、近親相姦カプでも、その他の各種いろいろ「禁断の愛」で構いませんから、まずは、知的にも情緒的にもサポートしあえる「安定した萌えキャラ」を確保してから、荒波に、嵐の中に、アホ同人作家&アホ受け手の海に、漕ぎ出しましょう????って何の話か?

自称同人作家としての戦略的な生き方、それは、いい男がいなければ二次元萌えキャラ探せばいいじゃない!なのです!

凶暴化すれば嫌がらせは終了!

男が居ないなら二次元萌えキャラ

好きなことをやって生きていこうと思えばクソ同人作家ばかりにぶち当たる!

その全てがあまりにも真理過ぎます!なので、自称改め不肖ピコ同人作家の私はこれからも壁際同人作家藤森かよこ先生電信柱の陰から応援していこうと思いました。そして、若オタとして同人作家を目指す皆様にも是非この事実を伝えたく思い、筆をとった次第です。

若オタの皆さん、是非生涯で一度は同人作家を目指しましょう!

そして人間のクソったれっぷりをこれでもかと見て、社会に適応出来るようになりましょう!!

逆にクソったれっぷりを見たにもかかわらずついついそのまま同人作家へ就いてしまおうと考えるようになってしまった人は……?

社会に適応しなくてよし!

 
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