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はてなキーワード: 甘露樹とは

2020-11-04

anond:20201103142227

なかよしりぼんと週ファミを買っているという小学生で、少女漫画雑誌CCさくら神風怪盗ジャンヌが終わったら買わなくなった。

週ファミかなんかで甘露樹の絵を見て「こんなかわいい女の子を描く人がいるんだ!」と思ったのが萌え絵との出会いで、強烈に覚えている。

絵は好きだけど買える年齢になっていなかったのでエロゲ広告イラストを切り取ったりして保管してた。

ゲームシスプリが発売されてからはのめり込んでプレイしてた。かわいい女の子とキャッキャしてるのが楽しかった。

ロリータ服とかゴスロリとかも見てるのが大好きなので、ヒラヒラでレース大増量!な服を着た髪の毛サラツヤお人形美少女が好きなんだけど、

その先にあるのはだいたい萌え絵なんだよね。

自分が思うカワイイを詰め込んだお姫様を描いてたら萌え絵作家になってた友人もいるし、かわいい女の子が好きな女性はまあいるよ。

乳袋シャツ股間に張り付くスカートなんかはそうはならんやろって笑ってみてる。ただエロゲ記号だと思うので、エロゲではないもの適用するのはどうかと思ってる。

2018-11-23

[]うたわれるもの 散りゆく者への子守唄 PS4

うたわれるものPC版を2周した(ボイスなし・ありで2周)

PS2版の戦闘・一部イベ

トシーンを3D化したもの

でも3Dモデルとモーションがしょぼすぎて正直ドット絵ママのほうがよかった

PSPレベルだもん

あと3Dになったことでカーソル移動がしづらくなった

クォータービューだから十字キーアナログスティック入力方向と思うように合わなくてイライラした

やっぱり面白いなあ

キャラがみんな立ってるしかわいい

立ち絵もすっごいかわいい

甘露樹はこの頃から東鳩2くらいまでがベストだわ

コンシューマにあたって追加されたシナリオをはじめてプレイしたけど微妙すぎる

他にくらべてシナリオ会話がひどすぎて、そんなに長くないのに途中で何度も中断してしまった

他の既存シナリオはぐいぐい読めたのに

戦闘オリジナルよりも少し辛くなってるかな?

でも難易度普通でやる限りでは特別レベル上げしなくてもラストまでいけるし、連撃時のタイミングボタン目押しもやらなくてもいいからよかった

今回プレイしたやつは、BGMが2パターン選べるってのが売りだった

パソコン版と同じか、スペシャルエクステンデッドモードかの2択

後者は、アクアプラス社長が、うたわれ続編でも使われてるBGMも含めて音楽を場面ごとに当て直したってやつ

結果、オリジナルがやっぱりいいなって

ふわふわしてて全然耳に残らない曲ばっかでがっかりだった

30時間クリア

読み終わったら音声飛ばすっての結構やったから、音声を全部聞いてたらもうちょいかかると思う

うーん

終盤の展開はなあ・・・

前半の異世界転生オレTUEEEっぽさだけだったらダメだったのかなあ・・

世界の謎を解き明かすまでしたのはすごいっちゃすごいけど、なんつーかそれは求めてるものじゃなかったっつーか・・・

あとカミュってコンシューマで救済されたんかね?

パソコン版だと最後まで戻ってこなかった気がしてたんだが

とりま偽りの仮面も続けてはじめましたよっと

偽りの仮面アニメ全部見たけど正直微妙だったんだよなあ

からゲームも二人のハクオロまでのプロローグって割り切ってプレイするつもり

音声は序盤そうそうで全部オフった

うたわれ初代に比べてボイスききたいとあんま思えんし

あーアルルゥ沢城みゆきはすごかったなあ・・・

あとフォント微妙に読みづらい

作風に合わせてるといえば聞こえは良いけど、プレイヤーが読みづらかったらどうしようもなかろうもん

仮にもテキスト読むのが大半占めるのに

PS2版のプレイ動画たらこっちはすごい読みやすかった

アマガミVITA版もそうだけどすんげー読みづらくすんのやめてほしいわ

2018-10-26

俺が語る萌え絵系譜

と言うほど詳しくないし記憶捏造で語る系譜だと最初に断っておく。

萌え絵の直接の親はアニメ絵である。なぜなら、80年代から90年代初頭くらいにはマンガ絵のイラストレーターというのはそれ一本で食っていくのは無理な状況というか歴史的にまだそういう仕事確立しておらず、ゲームも含めイラスト仕事をやっていたのはアニメーター経験者ばかりだからであるマンガ家がイラストレーター兼業していたのは寡聞にして知らん。

で、エロゲー系譜と言うとまた古いのだけれど、グラフィック性能がそれなりになってちゃんとしたマンガ絵が最初採用されたのはおそらく92年の「同級生」だろう。これもイラストピンの仕事であるので、アニメーターである竹井正樹が担当した。

しかし、これが萌え絵であったのかと言われるとやや疑問が残る。おそらく、その絵は今の人が萌え絵と言われて連想する絵とはだいぶ趣が違うはずだ。この絵はアニメ美少女絵であって、決してギャルゲー特有の絵柄ではなかった。

では、ギャルゲー特有の絵柄である萌え絵がどこから始まったのか?個人的にはなかむらたけしCARNELIANみつみ美里甘露樹のあたりが影響として大きかったのではないかと思う。彼らの絵は大きな目が特徴で、どちらかというとすらっとした体つきであった。

そこから樋上いたる、mooなどの丸みのある優しい絵柄も現れ、これらがミックスされて萌え絵パターン的な絵柄が出来上がったのだと思う。

いわゆる、大きな目、低めの頭身、立体感があり、影には彩度が低い色を選び境界ボケた塗り方をする00年代オタク絵の王道パターンだ。

また、この頃になるとアニメーターマンガ絵のイラスト担当するのではなく、マンガイラストレーターという仕事確立してくる。そこに萌え絵が導入されていくのもこの頃のことである

そこからマンガイラスト進化は非常に早い。10年代に入ってくると、影の色に補色を加えた塗り方が隆盛し、目の大きさも00年代と比べると小さくなってきた。また、根本的な画力が足りない人たちはどんどん淘汰されていった。

これらを萌え絵として数えるかどうかは人によって変わってくると思うが、今のCGイラスト萌え絵の影響を受けていないものは探す方が難しいだろう。

大げさな言い方をすると、萌え絵は今のマンガイラストデファクトスタンダードになった。

それどころか海外にも羽ばたいていき、アメリカでも萌え絵の描き方的な本が売られるほどになっている。俺がChristopher Hartの本を手にとって驚いたのはもう5年以上前の話だ。中国台湾韓国イラストレーターも非常にレベルが高い。

萌え絵というのは、既にその単語連想させる00年代オタク絵などとうに通り越してもっと大きな流れを作っているのだ。

2017-10-10

anond:20171009224615

エロゲっていってもいろいろあるってだけじゃん

なんでエロゲだけ抜きゲしか認めないみたいなこと言うの

明らかに移植前提のHシーン薄すぎてなくてもいいようなのはまあわからんでもないけど

それだってよく考えれば一般ゲーなのにエロがあるという背徳的興奮があるという意味で俺的にはうれしいし(本編のストーリーやらゲーム部分が面白ければ)

うたわれとか完全にそんな感じだしなあ

初代うたわれのころの甘露樹の絵柄でもっとうたわれのエロが見たかった・・・

まああれはハクオロっていうキャラ、一本道のストーリー的に複数女性関係もつのが難しいってのはわからんでもないけど

2016-02-12

東鳩2だとタマ姉よりもとなみゆまのほうが好きなんだよなー

ゆまのために買ったと言っても過言ではない

ゆまのために俺のエロゲ購入童貞を捧げたようなもんだった

ブルマエロシーンの絵がめっちゃ好きで抜きまくった

ビジュアル性格がすごく好みだったけど、今だとビジュアルけが好みだな

性格日常ゆっこっぽくてどうもエロく感じないわ

甘露樹東鳩2うたわれるものときの絵柄が一番好きだ

みつみ美里こみパが好き

こみパではご想像どおり大庭 詠美が好きです

でもこみパシミュレーション部分が面倒で結局やってないわ

ラノベだけ読んだな

こみパ九品仏 大志(くほんぶつ たいし)とイリヤの空水前寺 邦博(すいぜんじ くにひろ)がめっちゃカブ

立ち位置しかり、ビジュアルしかり、性格しか

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.5 『すべての愛情消耗品である

■その1。

 「やばい太平洋だ!」……プレイした感想は、まさにこれだった。休業しているとはいえ、商業誌編集者である筆者は、ゲームの題材として同人誌を扱うのは、やはり抵抗があったし、おたくである自分の状況を俯瞰的に扱うということを、美少女ゲーム表現するとは……という気持ちもあった。まあ、ありがちな先入観を抱いていたのだ。

 で、実際にプレイしてみたら、「ゲームとして良くできている」のだ。確かに、題材の違和感は拭えないのだけど、『こみっくパーティー』はゲームだ。ゲームとして面白ければそれでいいのだ。その驚きが冒頭の台詞に現れているんだけど、まあ、元ネタは分かるまい(笑)

 さて、『こみっくパーティー』というゲームは、特別思想性を見いだすことはできないけど、最大公約数の娯楽性を持った作品だと思う。実際、主人公に関する事柄以外は、かなりのバランス意識を持ってテキストが作られており、現在同人誌状況のプラスマイナスの両極を無難に取り込んでいる。これは、正月オールスター映画を作るようなもので、それ故に「無難」というのは、この場合、最大限の褒め言葉なのだ

 そして、最大公約数故に、どのような批評も内部に取り込んでしまうというか、あらかじめ批評予測された構造になっている。だからユーザーゲーム中の事象にいちいちツッコミを入れつつ楽しんでいるし、批評にしても、思想的な根幹は特に存在しないので、どうしても些細な設定に帰着してしまう。そういう意味ではライター泣かせというか、誰もが批評家然として語ることで楽しむ作品でもあるし、このゲームを語るのは、筆者の場合自分の半生を語るようなものでもあり、正直言って、気が重い。つまり、このゲームを語る事は、ユーザー自身同人誌観を語るのと同じなのだ。これは非常に恥ずかしい。

■その2。

 前号の「美少女絵師列伝」での、リーフ東京開発室インタビューにもあったけど、同人誌即売会という現象がそれほど普遍的ものになったのかと思うと、正直言って、また別の感情もある。筆者は同人誌世界に足を踏み入れて8年、その半分はまんが雑誌編集者として、絵に描いたように、おたくメディアと密着した生活を送ってきたけど、こうした俯瞰的自己言及するメディアが発生するあたりは、言葉は悪いが、同人誌世界成熟し、おたくイニシアチブを取る=経済的に勝利した状況になりつつあるのだな、と思い知らされた感がある。

 あと、『こみっくパーティー』には思想性が無いと書いたが、特定思想があったら、こんな広範な題材は取り扱わないし、結果として、一つの市場をめぐる噂話(都市伝説)の集合体という構成になるのも当然の事だろう。そして、このゲームは、善悪全てごちゃまぜにして、同人誌をめぐる状況を極力そのまま取り込んでいるし、登場人物がどれも清濁併せ呑む存在であることにも気づくだろう。特に、前半に関しては、主人公視点あくま素人として設定されているので、出会う人々がどれも過剰な存在に見えるのだ。また、冒頭で「主人公に関する事柄以外は~」と書いたのは、同人作家として成長するスピード素人視点が、後半になるにつれ、やや噛み合わなくなってくる為で、この辺で違和感を感じた人はいると思う。

 ところが、みつみ美里氏や甘露樹氏といった作画陣の流麗な絵柄のフィルターを通すと、清濁併せ呑んだ部分が届かなくなるという現象が起こってしまう。最近ユーザーの傾向として、ビジュアル的な構成要素だけで全体を判断するので、本来皮肉になるべき箇所が皮肉として通じないのだ。ユーザーフィルター上の表層(ビジュアルしか見ないので、キャラクター内面まで踏み込むことはない。この微妙なズレというか、奇妙な皮膜が形成された結果として、特に何の問題もなく『こみっくパーティー』は、美少女ゲームという商品として成立している。本当は、もう少し微妙立場にあるはずのゲームなのだけど。

 古参ユーザーは、シナリオも含めたトータルを見た結果として、自分同人誌観を語るのだが、最近ユーザービジュアル的な要素だけで判断するので、必然的に「キャラ萌え」といったベクトルへ向かう事になる。まさに、パソコン用語の「オブジェクト指向」ならぬ、「オブジェクト嗜好」といった所か。また、このタイプユーザーには、全肯定全否定という二つの判断しかない為、批評という概念自体が成立しなくなる傾向もある。

 批評の介在しない、言論一定化という状況で、他人との差異を何処に求めるかとなると、信仰心の強さを競う、という一点に帰着していく。信仰対象への愛情イコールで消費した金額に換算される為に、トレーディングカード流行したりもする。けれども、その信仰の強さが物語性を妨げる弊害も起きる。物語信仰対象を疑うことからまれものというか、強烈な信仰は、自己内面を相対化する心理機制を内包していないので、内面葛藤の結果としての物語は生まれにくいのだ。

 そして、信仰対象を次々と消費する現在おたく産業に於ける経済システムは、物語よりも情報を重視している為、物語需要は失われていく傾向にある。

 【ネコミミ】【ロリぷに】【眼鏡っ娘】【妹】【メイド】といった、快楽原則に忠実な根本要素に、作画技術画力技法)や、ブランド(描き手のネームバリュー)が絡みあった結果、萌えられるかどうかを判断する……このように、価値基準情報単位で捉えていくパターンが、先に述べた「オブジェクト嗜好」なのだが、そういった表層的な要素のみで判断すると、物語思想性は余計な要素=ノイズ以外の何物でもなくなってしまう。

 例えば、とあるゲームタイアップまんがで、元々、オリジナル作品を描いていた作家を起用したりすると、アンケートは絶好調で、単行本バカ売れしているのに、巷にはそのまんがに対するブーイングが溢れるという、パラドックスな状況が起こったりもする。

 これは、「ゲームの関連商品」として単行本を買ったんだけど、描いている作家作家性がノイズ判断されたからだろう。いわく「ゲームイメージを壊す」と。この場合、その作家の絵柄(ビジュアル)だけで起用するから、そんな事態になるのであって、ゲームアニメが主導する形でタイアップまんがを作るときは、キャラクターグッズに徹する、思想性の無い作家を選ぶ必要があるだろう。実際、最近のまんが業界周辺にはこういった、メディアミックス悲劇といえる現象が、日常茶飯事になりつつあるのだが……話がずれた。

 筆者は古いユーザーなので、エロの含有率で美少女ゲーム判断する癖がどうも抜けないのだが、現在美少女ゲームユーザーは大きく二つの属性に分けられると思う。「キャラ萌えできるか」「心の琴線に触れられるか」……しかし、両者は結局、コインの裏表で、どちらも表層の情報、つまり、あらかじめメディアによって価値判断処理が施された情報だけを消費しているという点では五十歩百歩に過ぎない。

 おそらく『こみっくパーティー』は、前者に属するのだろう。だが、萌え~なキャラいるかプレイする、感動できないからプレイしない、というレベルでは割り切れない懐の広さも、このゲームが持っていることは知っておいて欲しい。

 ……筆者は、ゲーム物語)の内部と自分の内部を相対化できるゲームが、良いゲームと考えているのだが、『こみっくパーティー』は十分、その条件を満たしている。題材が良いのか悪いのかに関しては、未だに判断し難いのだけど、ゲームとしては、まさに予想外というか、嬉しい誤算だったと言えよう。

2007-04-23

天元突破グレンラガン 第4話の絵は個性か否か?

例えば「To Heart2」と言う作品がある。

この作品にはみつみ美里甘露樹なかむらたけしカワタヒサシと言う四人の原画家がおり、それぞれの個性をもって

キャラクター原画を描き、一つの作品として纏められている。

その絵柄の違いに特に難色を示すファンはそう多くはいない。それは何故か。

 

絵柄の違いはあれど、To Heart2と言う世界の中から極端に逸脱してはいないからだ。

 

対して天元突破グレンラガン第4話。もう言うまでもなく逸脱している。

『逸脱し過ぎた個性』は個性でないのである。

 

オタクもそうバカではない。個性を認めないほど愚かではないのはTo Heart2が証明している。

では何故、グレンラガン4話はここまで大ブーイングに包まれてしまったのか。その答えがここにある。

 

 

今回の作画を担当したのはアニメBECK」の監督との事だが、彼の過ちは

BECKで通用した事が、グレンラガンでも通用すると思ってしまった事」である。

 

普通アニメファンからは存在すら目に留めてもらえないような「BECK」と、この春「らき☆すた」「ハヤテのごとく!」に次ぐ

人気を獲得している「天元突破グレンラガン」を同列に置いてしまった事なのである。

 

 

 

かつて「魔法少女リリカルなのは」でも同様な事が起こり、件の個性的な絵柄をベルカ式と称されてファンの間では

黒歴史にされている。

いっそグレンラガン4話の作画も「BECK式」とでも称してせせら笑う事でしか、一人の「見えなかった男による失敗」によって

裏切られたファンの傷ついた心を癒す事は出来ないのかもしれない。

 
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