はてなキーワード: 菊地成孔とは
やってくれるヒトいないかなー。本当はぶっちゃけ兼業主夫が希望だけど。パートとかバイトでいいから。「夫」ね。
生活費はガチ折半じゃなくていいです。今私が借りてるとこに住んでくれるなら家賃を全額持ちます。都内で8万円くらいの1DK、駅近日当たり最悪。ごめん食費と光熱費と日用雑貨費(トイペとか)は出してください。日当たりがアレすぎて換気扇とか除湿かけっぱで電気代は割とかかってます。被服費とシャンプーとかの身だしなみ費は個別会計で。あっごめんなさいやっぱ専業無理だこれ。兼業主夫でお願いします。
料理とか掃除とか洗濯とか本当向いてないんですよね。特に掃除。救急車が必要になっても呼べないレベル。泥棒に入られてもわからないし、この部屋を捜査しなきゃならないおまわりさん本当ごめんなさいってレベル。
ただ子どもが欲しいんだよなー。それがネックすぎる。今の職場産休制度とかあるけど事務員(しかも原則定時の部署で仕事内容超簡単、いつクビ切られても全然おかしくない)だから無給の可能性高い。確認しないとわかんないけど。専門職なら7割出るらしい。いいなー。
あと欲を言えば正直都内で子どもは育てたくない。環境がデンジャラスすぎっだろ。ワタシが田舎育ちなせいかしらん。ゆくゆくは越したい。職場が東京だからすごく遠くには無理だけど。
さらにさらにわがままを言えば、犬飼いたい。のです。でかいやつ。実家で飼ってるラブラドールかわいすぎるんじゃ。
正直わがまま言ってる場合じゃないけどな。もう来年30やで。大卒30で年収380って婚活こいても相手おらんレベルやろ。しかもコミュ障。人間こわい。今計算したらいない歴10年超えてるし。おまけにちょっとヘンテコな病気持ってて薬と診察で月にいちまんごせんえんくらい出費してる。妊娠出産に支障が全くないとは言えない。
趣味は読書、だったんですが最近全然時間取れてない。今読んでんのアレです、京極夏彦リミックスの遠野物語の文庫本。あと菊地成孔という人の『スペインの宇宙食』をちびちび。この人の文章やばいすごい。内容は「他人が話してる内容だから笑って聞けるけど身近にあったらブッ飛ぶ」系。でも文章がやばいすごい。美しい。表現がなんかこう煌めいているのです。一発でファンになった。
ディズニーランドより動物園派です。憧れは掛川花鳥園。正直イモい人間です。イモいのに色鮮やかなものや美しいものに弱いという一番タチ悪い感じです。
好みのタイプは特にないです。タイプとか言えるほど人付き合いの経験がないです。最近一番キた有名人は若い頃のダニー・エルフマン。あんな笑顔がデモーニッシュで声の綺麗な男がそこそこ正装して"Won't you stay with me one more day? If we get through one more night, if we get through one more night..."なんて歌いかけてきたら大抵の女は落ちるんとちゃうか。すみませんタンクトップは無理ですきっと笑っちゃう。
タバコは吸わない、お酒は嗜む程度、という方最高です。当方タバコダメでお酒もダメ(元々両方ダメだったけど薬とも相性悪い)なので、お酒付き合えないんですがそれでも可の方素敵です。
怒鳴る方、叩く殴る方無理です。両親は命に関わるルール違反をたしなめる場合以外ではあまり感情的にならないタイプで、この年になるまで一度も手をあげられたことがないという育ちなので、それがデフォルトで来ております。
羅列してわかったけどこれ無理ゲーな感じがする。人間こわいならおとなしくペット可物件住んで犬飼っとけやって感じする。
でも子どもほしいんだよなあ。
菊地成孔が「5 時に夢中」って番組で、「オリンピックでキム・ヨナが銀メダルだったことに怒る韓国人」
みたいな話題でトークしてたんだけど、その中で
韓国人は日常的に憤死するとかなんとかって言ってたんだよ。本当かよ。
そもそも憤死って正式な死因なわけ?
俺、大久保に住んでたから韓国人の友達多いからどうのこうのって
いっただけど、まるでゲイの友達をファッションにして、偏見丸出して自慢するやつ
みたいでキモかった。
文字起こし見つけた↓
(ナレーション)今回も様々な感動を呼んだソチオリンピック。中でも注目を集めたフィギュアスケート女子では、地元ロシアのアデリナ・ソトニコワ選手が金メダルを獲得しました。しかし、韓国のキム・ヨナ選手が銀メダルに終わった結果に対して韓国民が激怒。採点の見直しと判定の調査を求める署名が150万人を超えたそうですが、菊地さんはこの話題、どう見ていますか?
(町亞聖)はい。ということで、150万人の署名が集まったということなんですけども。
(菊地成孔)大韓民国の人口は日本の約半分ですので、単純計算をすると日本だと300万人の署名が集まった計算に。単純計算だとなりますけど。とはいえ、大韓民国の方は大雑把な国民性として日本人の倍以上憤られるので。やっぱり数は元に戻したほうがいいかなっていう気もするぐらいですよね。昨日今日始まったことじゃなくて、ソウルオリンピックのたしかボクシングだと思うんですけど。判定に文句があったって時に、セコンドだけじゃなくて観客までリングインした騒ぎがあって。非常に、そういうことは普通にされる・・・私は歌舞伎町、歌舞伎町と言われますけど、実は大久保に住んでいたので。
(町亞聖)あ、そうなんですか。
(菊地成孔)リトルコリアに10年住んでましたし、韓国人の友達もたくさんいます。彼らは普通に日常的に憤死したりする人たちなんで。日本人でいま、憤死者、いないですよね。
(町亞聖)あることに憤って?
(菊地成孔)ワールドカップの結果が出ては、何人かは亡くなってますね。憤死で。
(ミッツ・マングローブ)すごい。血気盛んね。
(町亞聖)興奮しすぎて?
(2014 年 3 月 21 日
ある日、ぼくが行きつけのバーに足を踏み入れると、こんな会話がなされていた。
「わたしって○○が好きなんだよね」
「ああ、××ってやつですね」
「おー、わかっているじゃん!(握手を求める)」
バーのカウンターには5、6人の客がいたと思う。その店は小さくてカウンターしかなく、みんなで話題を共有するところだった。それにも関わらず、二人は二人だけに通じる言葉で盛り上がっていたのだ。
池下チエの元カレである田無タクミに、新しい彼女ができた。チエはその手助けをしてくれたため、タクミはお礼がしたいと食事に誘い、タクミの彼女とチエの彼氏の西尾みのるも含めて4人でご飯を食べることになる。
みのるとタクミは初対面。なおかつチエと肉体関係がある同士ということで微妙な間柄なのだが、会話をしていくうちにお互い百人一首が好きだということがわかってくる。そして、二人で相手が口にした上の句を聞いて、下の句が当てられるかというゲームをしだすのだ。
チエは百人一首がわからない。そのうえ、タクミの新しい彼女まで、このゲームに参加しだしてしまう。
一人取り残されたチエは……怒って部屋を出ていってしまうのだ。
『婚前特急』と冒頭のバーの会話に共通しているのは、「限られた人間で知識の確認をしあう」というのと、それによって「阻害」が生まれているということだ。
ぼくはこの手の会話は世界で一番醜いと思っているし、参加しないようにしている。なんの発展性もなく、周囲を排除するような排外的な会話になんか加わりたくない。
そうして、ぼくはバーで一言も口を開かず、朝までずっといた。
こうした会話はサブカル好きのあいだで頻繁に行われている。彼らの会話は本当に幼稚で、頭がくらくらしてくる。ずっと「知識の確認」に終始しているのだ。
A「○○って知ってる?」
B「知ってるよ」
A「すごい! ××は?」
B「知ってるよ」
A「すごい!」
そんな会話を横で聴きながら、ぼくはどうやったら世界が平和になるかについて考えていた。結論だけ言えば、サブカル好きを文化シーンから早急に退場させるしかない。
2010年に芥川賞を受賞した小説『苦役列車』はこんな話だった。
中卒で家を飛び出し、日雇いの肉体労働で生計を立てている貫多には、長らく同年代の友人がいなかった。稼いだお金もソープで使い潰すような毎日を送っていた貫多だったが、仕事現場に専門学校生の日下部が働きに来るようになる。二人は年齢が近いこともあり、現場終わりに飲みに行くような仲になっていくのである。
貫多にとっては久々にできた友人だったが、二人の関係は突然終わってしまう。日下部が貫多との飲みに女友達を連れてきたのが原因だ。
二人は貫多を置いてきぼりにし、二人だけで趣味の話題に盛り上がってしまう。
一人取り残された貫多は……怒って店を出ていってしまうのだ。
サブカルの醜さを浮き彫りにしたこの小説は、見事日本文学のトップの称号を得た。なんていったって石原慎太郎が認めたのだ。
サブカルとは要するに安易な優越感を売る「ファストフード」でしかない。
町山智浩や吉田豪、菊地成孔などをフォローし、発言を真似すれば、自分も「わかっている」側にいられると考える浅ましさ。実際は、自分で何の価値判断もせずに、彼らの美学にフリーライド(タダ乗り)しているに過ぎない。ファストフードを貪り食い、自分は「グルメ」なんだとドヤ顔をしている。結局は、他人の真似事でしかないのに。
たまに「大槻ケンヂが好き」と公言するアイドルが出てきたりして、何がメインなのかさっぱりわからない中途半端な雑誌で対談したりしている。そんな人間ははっきり言って「信用できない」。
なぜなら「オーケン」が取り上げられるのが、必ず「主流とはちょっとズレたものが好きな私」という文脈だからだ。
大槻ケンヂなんて、メジャー中のメジャーだ。「サブカル」でのなかで一番目立つものを手にとっておきながら、「一般的な女の子とはちょっと違ってマイナーな趣味嗜好を持つ私」というブランディングを展開している。
安易そのものじゃないか。本当に自分だけの美学を持っていて、それに合致するマイナーなものが好きなんだったら、大槻ケンヂなんか手に取るはずがない。ネットの片隅にしかないような、誰に言ってもわからないものを偏愛しているはずだ。
「大槻ケンヂ」に手を出す時点で、安易なエゴイズムが芽を出している。
雑誌『TokyoGraffiti』を開いてごらんよ。「消費」を、あたかも「経験値アップ」だと思っている連中が大集合している。彼らはサブカル文化人やサブカル雑誌が誉めそやしたものをコレクションすれば、自分の「レベル」(「ステージ」と言い換えてもいい)が上がっていくと思っている。
ドラゴンクエスト6には「かっこよさ」というパラメータがあったが、すぐに次作で消えている。堀井雄二はわかったんだ。「センス」だとか「オシャレさ」だとかいうのは、決して数値化できないし、競うことでもないってことを。
「美学」っていうのは外にあるものじゃない。自分の内側にしかないのだ。ぼくらはそれを孤独と向き合いながら、井戸を掘るようにして、少しずつ深めていくしかない。美学っていうのは他人の真似事で生まれるようなものじゃない。
他人の美学に安易に乗っかって、得意顔をするのは、結局のところ、滑稽でしかない。
じゃあ、この現状を打破するにはどうすればいいのだろうか?
彼らに間違いを気づかせ、正しい道(自分だけの美学を磨く旅)に向かわせるにはどうしたらいいだろう?
ぼくは『小説の読み方の教科書』(岩崎夏海)を読むことでしか解決できないと思っている。
この本は「本当の読書」とは何かを教えてくれる。ぼくらはあまりにも汚染されてしまった。誰よりも詳しくなきゃいけないだとか、センスが重要なんだとか、これを理解できるのは頭がいいからなんだろう、とか。
岩崎夏海はそんな現状を正しく認識し、解毒剤を処方してくれる。
誰かを仮想敵とするような読書はやめなさい、と。「本を読む」っていうのは孤独な作業であり、作者の「問い」と「自己」を真摯に向き合わせることなんだ、と。
これはすべての消費行為に言えることだと思う。「誰かに勝つための消費」をサブカルはしてしまっている。
そして、それはすべて他人の価値観に基づいているのだから、始末におえない。「あの人が褒めていたから、これを見れば周りに勝てる」って具合にね。
誰かの価値観に依存して、他者を阻害して、そうやって得意顔になっているエゴイストたち。
こんな人間が蔓延っているようでは、日本の文化は早晩終わってしまうだろう。そうなる前に、彼らの目を覚ましてあげなきゃいけない。ぼくはそのために生きるよ。
それぞれが、それぞれの美学を成長させ、それに乗っ取って生きていけば、ぼくは世界がもっと楽しくなるに違いないと、信じている。中沢健の美しさを、ぼくらは見習わなきゃいけない。
人類の歴史を紐解けばわかるように、自分だけの美学を磨いた人間だけが、世界を驚かし、未来に名を残すことができるんだ。
そう、紀里谷和明のようにね。
わかるっつーか、俺好きよ、この文章。いや、釣りじゃなくてマジで書いてんならよ。
何がわかるってよくわかんねー頭ん中うずまく衝動だとか、衝動というか憂鬱で満たされるよく分かんないあれだとか、
こういうグルーブ感で書けるぐらい賢さはあるのけど、だからって俺はこの人生をどうすりゃいいんだってことだとか
ありがちな思考の飛びと流れが分かるし、つーか全部俺も考えたことがあるようなことで
ようは俺にとってあるあるってことよ。なんつーの、モラトリアムあるあるってやつよ。
俺は人の悩みを「それ古典的な悩みだよね」とか言って傷つかせたことがあるけど、たぶん俺のもお前のも古典的なんだよ。
でも、古典的だろうが俺の状態は俺にとっては現在的だからさ、困ったもんだよね。
人生を半分投げたっていうのはさ、中島義道に影響されてんのか、そうじゃないのか分かんねーし、何書いてあったか覚えてないけど
欲望を大事にすればいいと思うよ。これは竹田青嗣に影響されてんだけど。
あと、音楽とダンスが好きな奴はあっち側に逝っちゃわないって菊地成孔が言ってたけど、それも多分同じことでさ。
根源的な欲望っつーか、ブッキッシュなだけな奴は病むよ。肉体に生じる官能的な快感がつないでくれるっつーか。体育じゃだめだ、なんつーか色々と。
俺の場合、人生半分投げて、俺の欲望だけ大事にしてから回復してきたからさ。結局、人生のどうしようもない意味ってのを欲望に変換しただけなんだけど。
まあいいや、俺も正解見つかんねーし、見つかったら教えてよ。
菊地成孔のブログ「女性編集者は狂うのか(同時多発)」http://bit.ly/lBvwiy)を読んだ。
女性蔑視だの放射能のせいで人が狂っただの、「けしからん!」という意見や
「忙しかったんだよ」「ボーッとしてたんじゃない」「そんな人は、けっこういるよね」という感想も横に置いといて、
私はちょっと別の観点から考えてみたい。
一人目は、執筆者にひとことも断りなく、突然「連載打ち切り」にしてしまった方。
二人目は、執筆者にひとことも断りなく、雑誌の次号予告で、勝手に寄稿の予告記事を出してしまった方。
これに関連して、以前、ネットでこんな話を読んだことを思い出す。
朝の満員電車に乗ってきた若い母親と赤ちゃんがいた。赤ちゃんが泣き出した。
そこに「降りて下さい、迷惑です!私たちは働いているんですよ!」と母親に向かって叫んだ若い女性がいたという。
想像だけれど、これらの女性はそれぞれ、キレイで、仕事ができて、真面目で、気がきいて、情熱があり、一生懸命な方たちなんだろう。
自分たちのした行動が、非常識でありえない行動であることを、本当は本人たちが一番良く分かっているはずだ。
彼女たちをここまで追い詰めたのは何なのか。
私には、それが何なのか分かる気がする。
私は30代の女で、フリーランスとして仕事をはじめてそこそこになる。
以前、大口受注が決まったのはいいものの、厳しいスケジュールへの不安、一歩間違えれば次がないことへの恐れ、プレッシャーに耐え切れず、
彼女らと同じような状況になった時期がある。
私の場合は、クライアントへの書類を送るときに、使用済みの封筒の宛先をマジックで消して、
空いているところに宛名を書き、送るということをしてしまったのだ。
汚い封筒を取引先への書類送付に使う。社会常識ではありえないことだ。
私は、ひたすら泣きながら謝った。
その1年後、私はうつ病を発病した。
あのとき、自分の行動のおかしさに気がついていれば、私は発病しなかったかもしれない。
ふだんから自分の抱えているストレスに気が付き、ちゃんと休養をとり、もっと楽に生きていれば、病気にまではならなかっただろう。
外食はほとんどできないし、好きな服を自由に買えなくなったし、旅行にもほとんど行けなくなったけど、
両親と食卓を囲み、友達と服を交換し、休みの日には図書館に行く。
あのときのような気持ちになることは、もうない。
私は今日も、社会の片隅でストレスやプレッシャーと戦いながら、
しっかり、でもてきとうにサボりながら、自分なりに仕事をがんばっている。
そして、心にひっかかることがあったら、こんなふうにときどき、文章を書く。
電車で母親に向かって叫んだ女性は、降りた駅のトイレで泣いたのではないかと思う。
私は、辛い彼女らの肩をぽんと叩いて、「まあ、ゆっくりやろうよ」といってくれる
この時期になると大学生向けに読むべき100冊みたいなリストが出回る。
あんなリストを真に受ける人も少ないだろうが……はっきり言って悲しくなるくらいお粗末だ。
ずらっと並べられた古典名著。あまりに埃の被ったラインナップにがっかりする。
こういった学問には「原書病」とでも言うべき、くだらない風習が根強く残っている。
原典や本文を極度に重視するのは不健全だ。それ自体は面白いとしても、その後発展と整理を経て洗練されている。
歴史的興味以外であえて出発点に戻る価値はすごく小さい。そんなところに本当の「教養」は存在しない。
難解で時代遅れな文章と格闘したって、趣味以上のものにはならないし、考える力は湧いてこない。絶対誤読するし。
そこで本当に頭を強くしたい人が読むべき書籍リストというものを作った。
これは単なる学問という空気に浸ってみたい人が読むものじゃなくて、日常に根ざした本物の力を分けてくれるものだ。
この100冊さえ読めば考える素材に困らないだけでなく、コミュニケーションの強者にもなれる。
飲み会で古臭い古典の話をしたって煙たがれるだけだが、この100冊をネタにすればそんなことにはならないし、
黙考はずいぶんと深くなるし、ブログのネタに応用すれば必ず一目置かれる。
選んだのは現代的で網羅的、そして極めて平易なもの。どの分野にも精通できるように色んなジャンルのものを配置した。
この100冊を大学生活のうちに読み切れば、必ずや一生の財産になるだろう。
ここに挙げられた本が、現代最新型にアップデートされた真の「教養」だ!
『逃走論』 浅田彰
『アメリカン・コミックス大全』 小野耕世
『よいこの君主論』 架神恭介
『おまえが若者を語るな!』 後藤和智
『シミュレーショニズム』 椹木野衣
『箆棒な人々』 竹熊健太郎
『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』 西寺郷太
『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』 ばるぼら
(一続きの文章なのであるが、増田だからという理由だけで4分割。長いと読まれないので。
因にこの一連が最後の書き込みである。もう神みたいに3日後に復活はしない。神に誓う。ってか8日後に神の子が生まれたらしい。
「王様」だって言っているのに何故か「神」って呼ばれる。「神に近い!」神って何なんだ?括弧の中が長いので以上。)
で、クリスマスですが、三年前は「とても特別な日です。」と教えられ、二年前は「この日に大いなる意義を与え過ぎました。」と言われ、
去年は「今年は日本人の庶民が、心から楽しむ事が出来る、最後のクリスマスだなんてファックだ。フランス人はネズミの肉を喰らってでも祝う。」
今年のアンサーを待ってますが、「20世紀最後のクリスマスです。」だと予想されます。
ガキの頃21世紀への憧れを随分と刷り込まれました。結局何も変わらなかったと最初は嘆いていたのでしょう。
ですがそれは1つの事実を気付いていない者の言い分です。
「20世紀が終わる」というのは去年あたりからようやく効力を発揮したマジックワードでしょう。
マイルスもニルヴァーナも、そしてマイケル・ジャクスンも不在のクリスマスは今年が最初だからです。
http://anond.hatelabo.jp/20091216231359
〜T/H
そうそう、そういうパックみたいなもんが欲しいのよ。
何百時間かければ、ある程度つかめてしまえるっていう。過去の整理と意味づけ。
いわゆる名画・名盤・名著を数こなすだけじゃなくて。
っていうか、それぞれの分野で本探せばあるのかもしれないけど。
ジャズだと菊地成孔の東大の講義まとめた奴みたいな。よく知らんが。
そういう風にまとめたものはある一定の史観にならざるをえないけどね。
山形浩生の「新教養主義宣言」みたいな発想の奴よ。あれは結局こころざしだけで終わってたけど。
その基礎的な概念をまずインストールできるような見取り図みたいなのが欲しいのよ。
7本でつかもうなんてさらさら思ってない。
例えば200本選定して、これらにはこういう意味とか意義とか関連性とか歴史性とか独創性とか面白さがあるっていう意味づけをして、
400時間で映画全体のとりあえずの概略図をつかめるような手引書がほしいよ。
単なるディスクレビューみたいなのじゃなくて。単発的なそれぞれの意味じゃなくて。
統一理論的なもん。
哲学ならともかく、映画が始まって100年ぐらいなんだからできそうだけどなぁ。
「400時間で○○をとりあえず体系的に理解する」みたいな本あったら買うけど。
多分幻聴だと思ってはいましたが、「まるで始まりの合図のように、パーンという乾いた音がしました。」
「えーっと。コレは何かの挨拶?」まさかね。などと口走った矢先から『キリングタイム』だったので、
まったく洒落に成っていないシャレ。を菊地殿から初めて聞く日が来るとは...。としばし青ざめ、
(だって『構造と力』も『(フランツ・カフカの)アメリカ』も半ばアカデミズムを気取った品の良い洒落のつもりだったでしょ。
今回下品だと言っている訳では有りません。寧ろ綺麗にボディーに入ったので苦笑いしております・笑)
爆音再生中です。だって元々フルヴォリューム指定じゃないですかこれは。半分でもこんなに耳が痛いのに。
多分幻聴だと思ってはいましたが、『New York Hell Sonic Ballet』が出た模様です。
因にアマゾンでは
「ニューヨークの、地獄の音響で踊るバレエ。菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの、北米、オペラ、バレエ、サルサへの第一接触。 前作「記憶喪失学」から一年、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラールの最新作がついにリリース。菊地成孔は本作でクラブのダンスフロアに、オペラ/バレエというクラシックを持ち込み、今まで誰も聴いたことのなかったハイブリッドなダンスミュージックアルバムを完成させた。マイケル・ジャクソン、ピナ・バウシュ、マース・カニングハム、マサカー、NO NEW YORK等、80年代初頭以降のニューヨーク・イコンをアルバムの随所に散りばめ、ミニマル(現代音楽)やモントゥーノ(ラテン)、またはパンクロック、そしてソプラノ歌手を起用したオペラを用い、菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールにしかできない、クラブミュージックマナーとクラシックマナーの見事な融合を実現。菊地のボーカルトラックも2曲収録の、菊地成孔の超先鋭的なコラージュ感覚がもたらしたペペ史上最高に“踊れるアルバム”ここに完成。 初回プレス限定“ペペ・トルメント・アスカラール ステッカー”付き」
などと盛大に紹介されています。
これを見て飯を噴いたのは言うまでもありません(笑)
〜T.H.
本日のテーマはアキシブ系。Perfume特集記事第1弾で「アキシブ系」という言葉を「萌えテクノ」と共に使いましたが、アキシブ系の方がどうやら頻繁に使われているようです。
アキシブ系でGoogle検索をして、アキシブ系がどのように捉えられているか調査してみました。Wikipediaとはてなには既に用語解説があります。
はてなの方では、僕の名前も出ていますね。僕は発案者でもなんでもないですが、ありがとう。
アキシブ系という定義については、人によって微妙に違いますが、乱暴な言い方をすれば、秋葉系とされるものと渋谷系とされるものがミックスしているものはアキシブ系とされる可能性があります。
では、秋葉系と渋谷系をステレオタイプ化し対比してみましょう。以下のようになります。
【秋葉系属性】←――――――――――――――→【渋谷系属性】
ヲタクカルチャー ポップカルチャー(おしゃれサブカルを含む)
(萌え系)アニメ・ヲタク (ヌーヴェルヴァーグ系)映画マニア
チェックのウールシャツ(ブランド不明) ボーダーシャツ(Saint James)
宅八郎、森永卓郎、電車男 小西康陽、フリッパーズ、中田ヤスタカ
AKB48、時東ぁみ、桃井はるこ カヒミ・カリー、野宮真貴、野本カリヤ
秋葉系というのは、確かに秋葉原という街をで見かけそうな物や人です。しかしながら、渋谷系は音楽的ムーヴメントから始まっているので、必ずしも渋谷がメッカとは言えない物もあります。また、渋谷を闊歩する人たちの多くが渋谷系かと言われると、甚だ疑問ですらあります。
こうして比べてみると、一見、水と油、資本主義と共産主義のように秋葉系と渋谷系が相反しています。到底仲良く出来ないみたいな。しかしながら、実際のところはこうした完璧な属性でトータルコーディネイトしている人はそれほどいないでしょう。つまり両方の属性をパーツパーツでもっている人口は結構いるはずです。例えれば、音楽マニアだけれどメイド喫茶が好きだとか、アニメ・ヲタクだけれどボーダーシャツが好きとか。ボーダーと言えば、なんか楳図かずお先生が目に浮かびます。でも、先生は吉祥寺系ですね。
秋葉系も渋谷系もパラドックスに満ちており、従来の観念をぶち破る役割がアキシブ系にはあるのです。
アキシブ系に戻りましょう。先ず、アキシブ系現象の一つとしてあるのが、秋葉系(アニメ)と渋谷系(クオリティの高いポップス)の融合です。『AKSB~これがアキシブ系だ!~』は、正にそのコンセプトで選曲されたアルバムです。
01. Dimitri From Paris:Neko Mimi Mode(「月詠」OP曲)
02. ROUND TABLE feat. Nino:Let Me Be With You(「ちょびっツ」OP曲)
03. 山野裕子:ビーグル(「ココロ図書館」主題歌)produced by 宮川弾
04. 小川範子波のトリコになるように(「月詠」挿入歌)produced by 菊地成孔
05. 豊口めぐみ:人間だから(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 冨田恵一
06. 高浪敬太郎&Yama-K:かたことの恋(「ちょびっツ」挿入歌)
07. 鈴木さえ子 with TOMISIRO:Dear Friend(「ケロロ軍曹」挿入歌)
08. 桑島法子:la la maladie du sommeil(「ラーゼフォン」挿入歌)produced by 橋本一子
09. 田中理恵:瞳のトンネル(「ちょびっツ」イメージソング)produced by 桜井鉄太郎
10. ROCKY CHACK:リトルグッバイ(「ゼーガペイン」ED曲)produced by 保刈久明
11. パール兄弟:明日はたぶん大丈夫(「N・H・Kにようこそ!」挿入歌)
12. OKINO, SHUNTARO:Cloud Age Symphony(「ラストエグザイル」OP曲)
13. 牧野由依:CESTREE(「ゼーガペイン」挿入歌)produced by かの香織
14. marianne Amplifier feat. yuka:Pressentiment triste(「月詠」ED曲)produced by 橋本由香利
15. 財津一郎&小倉優子:帰ってきたケロッ!とマーチ -READYMADE SERGENT ROCK- remixed by 小西康陽
例えば、小西康陽がリミックスした財津一郎&小倉優子の「帰ってきたケロッ!とマーチ」や高浪敬太郎&Yama-Kの「かたことの恋」といった渋谷系ど真ん中、言い換えればピチカート系もありますが、渋谷系には入らないけど、音楽マニアも納得のアーティストたちが自分自身でやる又はプロデュースなどの関わりを持ったアニソン集です。
僕自身、アニソンやしょこたんにはどちらかというと疎い方なんですが、アニソンって結構、いい曲あるんだと素直に感じました。このコンピではなんと3曲も収録されたTVアニメ『月詠(つくよみ)』からのサエキけんぞう=菊池成孔による小川範子の「波のトリコになるように」は、 2004年ということもあり、裏SPANK HAPPYとして楽しめます。
鈴木さえ子がやっていた「ケロロ軍曹」も、気になりながら買わずじまいだったのですが、「Dear Friend」とかNew Orderぽくて・・・(泣)。鈴木さえ子を知らない人がいるかもしれませんので、ちょっと説明。彼女はシネマ、フィルムス(リリースはお蔵入り)というバンドでドラマーとして活動、その後、ソロとしてテクノ~ニューウェイヴなエッセンスも交えて印象派アルバムをサントラも含めて5枚リリースしています。このコンピには収録されていませんが、「恋するシューティング☆スター」もお勧めです。
オープニングのDimitri from Parisは、フレンチハウスのパイオニア的存在DJ・ミュージシャンですが、彼自身、アニメヲタクとして有名です。そこだけとれば、彼は秋葉系パリジャンです。自身の曲「Love Love Mode」と声優の声のサンプリングで出来上がったのが、アニメ主題歌の「Neko Mimi Mode」です。一部では萌えラウンジと呼ばれているらしいです。
フランスは元々日本文化に対して好意的な国ですが、日本のアニメというのは一部のフランス人にとっては特別なもののようです。もう一つ忘れていけないのは、フランスはロリータ文化大国。フランスのロリータ歌手と言えば、ウィスパー・ヴォイス!このコンピにも、フランス語タイトルのロリータ・ヴォイスの歌が2曲ありますね。桑島法子の「la la maladie du sommeil」とmarianne Amplifier feat. yukaの「Pressentiment triste」(こちらは前述の『月詠』から)です。後者は完全にフランス語で歌い上げています。フレンチ秋葉系なるものを提唱する人もいますが、まさにどんぴしゃです。フレンチ→カヒミー・カリー→渋谷系ですから、これはアキシブ系になります。
今後のAKSBのリリースもありそうな予感なので、期待したい思います。
アニメ絡みのアキシブ系をもう少し紹介しましょう。美水かがみの『らき☆すた』(Lucky Starの意味)は4コマ漫画ですが、それが原作となって、テレビアニメやDSゲームが作られています。典型的な萌えアニメと言っていいでしょう。4人のキャラクターがそれぞれソロ・シングル(キャラソンと言う)を同時発売しています。その中の柊つかさ(実際歌っているのは福原香織)の『らき☆すたキャラソン(3)』に収録の「寝・逃・げてリセット!」は、Perfumeやcapsuleっぽい出来上がりなんです。ゲーム音楽における「ふたりのもじぴったん」と共に、アニソンにおける「寝・逃・げてリセット!」を、Perfumeファンはチェックしてください。ジャケはかなりキツイけど。他の曲は普通のアニソンに聴こえるのが残念ですが・・・
後、忘れてはいけないのが、中田ヤスタカが手がけたアニソンです。「capsule cuteness culture」で既に書いてしまいましたが、こちらもアキシブ系と言えるでしょう。嘉陽愛子の方が可愛いと思いますが、井上麻里奈の「ビューティフル・ストーリー」は、中田ヤスタカ仕事としてのクオリティーを感じます。
侮れないアニソン。