はてなキーワード: 脳内再生とは
音声入力してる人は言い間違いをしてもその言い間違えたということすらスピーカーに向かって話して文字化していくだけで後から手入力で推敲していくことなんてないよね?音声入力って手軽さが売りなのに推敲したら結局手間が最初から手入力するのと一気に大差なくなって意味がなくなるじゃん?
ビデオレター撮るときだって録画中になんか失言とかしてもそれを無かったことにするために撮りなおしたり編集とかせずに録画の枠内で繕うだけだよね?それと同じで。
文章だと文字が二次元的な広がりをもって並んでいるから俯瞰的に情報を認識できるので表現に不自然な部分があればそれが目立つ、というのは分かる。
だけどそれが音声入力によって出力されたもので、音声としてスピーカーに発話されてる状態では違和感を感じるレベルではないということもありえる。
それなら発話者は気づけない。他人すら気にならないことで自分が話してる表現のおかしさに気付けるはずがないからだ。
文字になってるんだから気づけるだろと言っても推敲しないのならやはり気づけない。
だからまあ音声入力が優勢になってきてるわけだから、「文章としてみておかしい」ものだからといってただちに目くじらを立てるべきではないと思う。書いてる側はそんなこと注意されたところで音声入力の弊害として織り込み済みで眼中にないのだから。
「シス単」、「ターゲット」、「DUO」、「鉄壁」などなど書店の受験参考書コーナーに立ち寄ればさも当たり前のように単語帳が陳列されている。
市販のものではなくとも、マクドナルドで高校生が真剣な顔で単語カードをめくる光景を目に浮かべるのは多くの日本人にとって難しくないだろう。
しかし、考えてみよう。我々が日本語を覚えるときに「日本語単語帳」だなんて使っただろうか?「日本語単語カード」だなんて作っただろうか?
否である。
彼らは何故単語帳を必死になって捲り、カラフルな付箋で小口を彩り、手垢でボロボロにするのだろうか?
それは究極的には試験に合格するため、もう少し段階を落とせば、英文を読めるようになるため、英語音声を聞けるようにするためだろう。
英文を読めるようになるには、英文を読むのが一番である。入試であれば入試レベルの英文や過去問、TOEICであればTOEIC用の問題集である。それらを読み、未知語に遭遇する度に覚えていけばよい。記憶の性質上当然頻出単語ほど定着率が高くなる。それで何も問題はない。なぜなら、往々にして頻出単語は重要単語だからである(というより頻出することをもって重要だとされることが多い)。
聞く場合も同様である。だが、スクリプトなしのリスニングで聞こえた未知語をメモして書き留めるのはかなり難しいので、語彙学習はリスニングでは意識しなくてもよいかもしれない。スクリプトがあれば、未知語をチェックするのはリーディングと同じ要領である。
私自身、単語帳を使ったこともある。しかし、頑張って単語帳で覚えた単語は自分のものになった気がしなかった。
例えばrequireを「require必要とする」とおぼえてしまうと、英文の中でrequireと遭遇したときに、どうしても日本語の「遭遇する」が目の前に出てきてしまい、英文の中でrequireが、いわば浮いてしまうのだ。
また、DUOであっても、individualという単語をDUOで覚えると、individualに遭遇したときに「We must respect the will of the individual.」が脳内再生されてしまう。
私は平原綾香さんの「 Jupiter 」という曲が、世界で一番嫌いな曲だ。
なんでかというと、平原綾香さんが歌詞をつけたせいで、ホルストの名曲が「 Jupiter 」になってしまうからだ。
この曲が発売された当時、私は小学生で、やたらと流行していたのを記憶している。音楽番組でもよく歌われており、持て囃されていた。
歌唱力が高く壮大でお行儀が良い歌詞だったからなのか、教師たちもこの曲を気に入っていたと思う。学校でも聴く機会が多く、歌詞をプリントした紙を配布された記憶もある。
「 Jupiter 」は好きでも嫌いでもなかったが、「 Jupiter 」という曲は私の身近にあった。
それが原因で、私はあの旋律が流れると、必ず平原綾香さんの声が脳内で再生されるようになってしまった。
よって、どんなときでも「エ~ブリデ~」と歌詞が流れだしてしまう。
私はそれが本当に嫌で嫌で嫌で仕方がない。
オーケストラを聴いていても、それはホルストの音楽でなく、平原綾香さんの「 Jupiter 」のオーケストラバージョンを聴いているような感覚になる。
なにかのタイミングで流れるたびに、平原綾香さんの「 Jupiter 」として聞こえてしまう。
地味にショックだったのはHUNTER×HUNTERのアニメだった。ボノレノフの「木星」のシーンも、平原綾香さんの「 Jupiter 」がBGMとして流れてきた。
やっぱり脳内再生されてしまう。どれだけ浸食されてるんだと切なくなった。
平原綾香さんはどうして既存の名曲に歌詞をつけて歌われたのだろう。
私と同じように、ホルストが作った名曲が、平原綾香さんの「 Jupiter 」として変換されてしまう症状を抱えている人は、相当な数がいると思う。
元々のメロディが壮大であるのと、平原綾香さん自身の高い歌唱力により「 Jupiter 」はすごく高尚な楽曲に聞こえきて、それがまた無性にムカついてくる。
苦手な音楽ジャンルがあれば聴いたりしないから害はないし、作品を貶めることなんてしないし、したくない。単純に私の肌に合わないだけで、他の人から聞けば良い曲であるからだ。
物心ついた時からオタクだった。人生で一番最初の推しはバイキンマン。次がセーラーマーズ。小学生になったら犬夜叉の殺生丸様に恋をした。
寝る時はいつも推しの好きなシーンを脳内再生したり、推しとオリジナルキャラクターの絡みを考えたりしていた。
中学生になり夢女子から腐女子に進化してからは、推しキャラの絡みを考えて眠った。大学生までそんな感じで、大体朝までぐっすり寝ていた。
しかし社会人になりコンテンツにどっぷりはまる気力がなくなったの加え、数年はまったジャンルに冷めたりと色々重なり、初めて推し不在の状態になってしまった。
仕事が忙しいのでそこまで不便はないが、寝る時に考えることが何もない。
何も考えないでいると、頭に浮かぶのは過去の恥ずかしい失敗や将来への不安ばかりで、目が冴えてしまう。なかなか寝付けない上に、眠りが浅くなって深夜によく目を覚ますようになった。
推しにメンタルを支えられていると思っていたが、フィジカルも支えられていたのだと気づいた。
推しがいない人は一体何を考えて眠りについているのか教えてほしい。
【追記】
反応たくさんあってびっくりした。ありがとう!
オタクとか推しって言葉についてはあんまり深く考えてなかったけど、
オタク→二次元が好きな人(二次元以外にはまってる人はドルオタとかバンギャとか、別の名称があるイメージ)
推し→その人のことを考えると脳から快楽物質が出て世界が一気に華やかになる存在。
なんてことない日常風景でも、ここを推しが歩いてたら、推しカプが買い物してたらって考えると映画のワンシーンみたいに情緒溢れる景色に思えてくる。
そんな感じ。
あくまでも私の中の定義だから、一般的には違うと思う。ごめんね。
もらったコメントで気になったやつ。
試したことあるけど、どうしてもネガティブな方向に行っちゃうんだよね。
例えば猫が思い浮かんだら、「今この瞬間にも外にはお腹を空かせてる野良猫がいるんだろうな…」とか頭によぎって寝られなくなる。
一時期推し的なポジションにいたけど、もう家族とかパートナーになっちゃったかな。
ほぼ毎日在宅ワークだから、確かに運動不足。意識的に運動するようにしたい。
これが一番眠れそうな気がする!
今日から最高の推しカプが最高に映える世界観とストーリー考えて寝ます。
私と妻の間に子供はいない。その分、愛情の捌け口(?)として甥っ子・姪っ子を可愛がっている。彼らの成長の記録を見るのは楽しい。夫婦揃って「親馬鹿」ならぬ「オジ馬鹿」と「オバ馬鹿」状態と言っても過言ではない。甥っ子・姪っ子が日々成長する姿、お友達と楽しく遊ぶ姿を見ていると脳内再生で小田和正の歌が流れる。ハロウィンイベントでお友達と一緒にコスプレしてる遊んでる姿は、あまりにも可愛い過ぎる。
写メを見ると、ウチの甥っ子・姪っ子たちは鬼滅の刃キャラに扮していたが、お友達も鬼滅の刃キャラに扮している子は多かった。女の子たちは胡蝶しのぶが大好きだと改めて知った。他には、ディズニーキャラやアメコミキャラに扮している子も、負けす劣らず多かった。個人的にはちびスパイダーマンの男の子が可愛いかった。
そういえば先日、家の近所を散歩していたら河原の土手で、若い母親らしき女性とその息子らしい幼い男の子が、木の枝で「●●の型!」とか言いながら鬼滅の刃ゴッコをしている姿も見かけた(女性がセリフを間違え、男の子が正しいセリフを教えていた)。家の近くにある祠のお地蔵さんも、去年の秋頃から、鬼滅の刃キャラの羽織と同じ柄の帽子と前掛けをしている。あれを作っているのは同じ町内会の御老人なのだが、孫や町内会の子供たちに「この柄にして」とリクエストされたのかもしれない。当にこれが流行というものなのだろう。
ところで、ONE PIECEのキャラに扮している子供は一人も見かけない。試しに甥っ子・姪っ子に訊いたが「自分たち(=甥っ子・姪っ子)もお友達も『ONE PIECE』は興味無い、読んでない」とのことだ。
最近話題になっている、某不登校YouTuberがONE PIECEの主人公に扮しているサムネイル画像を見ると「親の好みを押し付けられているのではないか?」とか「子供が観たいと思ったコンテンツを、親に観せてもらえず制限されたりしてはいないか?」と、他人事ながら心配になる。一昔前には「ジャンボ尾崎ヘアーの幼児」をよく見かけたものだが、あれを見た時と同じ感情になると言えば私の気持ちを理解してもらえると思う。
フルボイスというのは、作り手として誠実な作り方であることに変わりはない。
だが、ボイスを全部聞くのが必ずしも読み手としての誠実な姿であるとは限らない。
その理由を述べる。
その類のゲームに慣れ親しんだ人なら言われるまでもなく分かることだ。
このキャラはどんな喋り方をするのか。そういう概念モデルが、製作者の頭の中、声優の頭の中、プレイヤーの頭の中に順番に出来ていく。
読み手にとってその学習をするための最高の教材がフルボイステキストなのだ。
そりゃ一貫してボイスを全部聞く態度であれば、声優さんは喜ぶだろう。一言一句逃さず聞くオタクの愛ある姿勢は称賛に値する。
「流れ」が変わる、例えば強烈な感情を吐露する場面では、ボイスを聞かない人はまずいないだろう。
人間は賢い。未学習の領域だと察知すると、ちゃんと学習しようとする。
反対に、日常会話ではどのような話し方をするか、のような部分については早々に概念モデルが固まっているものだ。
このキャラでこの声優さんならこういう感じで喋ってるはず――と実際スキップせずに聞いてみる。自分が想像したものとかなり近いはずだ。
そういう経験を繰り返すと、テキストスピードを最速にして、冒頭の台詞が流れ始めたあたりで「ああ把握したもうスキップしよう」とクリックするようになる。
日常会話のように見えて、微妙なニュアンスが宿るような印象を地の文から受けると、指は止まるだろう。
こうした1ページスキップができるのは、人間に備わったすばらしい適応能力だ。
もちろんこれが行き過ぎて、何でもかんでもスキップしてしまうようになると寂しいものだし、もはや文章すら読まず絵だけ見る、ゲームパートだけ遊ぶという態度の人間を見るとけしからんと叱りたくもなる(抜きゲー等は別として)。
だが、ノベルパートでスキップを活用する大半の人間はそうではない。高度な適応の結果としていい塩梅でスキップしていると思われる。
そういう自分が持つ能力を信じない、疑り深い人が、時間のロスをも厭わず、それをむしろポジティブに「浸る」時間のように捉えて、最後まで聞き切るのだろう。
もう少し柔軟な人もいるだろう。自分の好きな声質、好きなキャラのボイスの時だけ、全部聞き切る慎重さを発揮する人もいる。これくらいになるとだいぶ多くの人が当てはまるはずだ。
しかし、全体的にスキップを併用して読むからと言ってどのキャラにも愛着がない、あるいは製作者へのリスペクトがないかのように謗られることがあるとすれば、それは想像力の欠如によるものだろう。
ましてや、下手に凝ってフルボイスで作るからテンポが悪くなるなどと作り手を責めるのは愚の骨頂である。
作り手は完全なものを用意した上で、個人個人のプレイスタイルに適した柔軟な消費ができると信じ、読み方を委ねてくれているのだ。
きれいで、太すぎず細すぎず、硬さも長さもバッチリで最高だった。
眺めてるだけでも、うっとりする造形美を持っていた。
自分にとって程よい大きさなので、口でするのも、そんなに苦しくなかった。
舌を動かす余裕があった。
口だけでイカせることもできた。
(潮ふきはイクのとは別)
不誠実なので、もうないかなと。
じゃない、新しい男とのセックスが良すぎて困る。
もともと男というか人として大好きなので当たり前なのだが。
口でするのしんどい。全部入らない。
のどまでくると、うえっとなってしまう。
でもフェラチオするのは好きだ。なぜかわからないけど夢中でしてしまう。
喜んでもらえるのは嬉しい。
挿れただけでもうみっちみちで何も考えられなくなる。
初めて交わってイッた相手は初めてだった。
(向こうも中でいく相手は初めてだったらしい。知らんけど)
回数を重ねるうちに、複数回イクようになって
数ヶ月前に、ものすごく深くイった時があって今でも忘れられない。
知らない動きや声とか反応が出て驚く。
毎度そんな濃厚な行為を重ねているため
その人とのセックスの詳細を脳内再生してしまうようになってしまった。
また会いたい、抱かれたいと願い続けている自分がおそろしい。
こんなに色ボケするとは。
会えるだけで姿を眺めるだけでも良かったのに
たまに訪れる(もうないかもしれない)非日常なご褒美として位置付けておかないと気が狂いそうだ。
もう狂ってるけどな
マイベストちんぽのはなしでしたね。
結論、ちんぽだけでは、はかれない。
ということですね。
ちんちん。