2021-01-18

フルボイス談義

フルボイスというのは、作り手として誠実な作り方であることに変わりはない。

だが、ボイスを全部聞くのが必ずしも読み手としての誠実な姿であるとは限らない。

その理由を述べる。

その類のゲームに慣れ親しんだ人なら言われるまでもなく分かることだ。

ある程度進めれば、読み手は「脳内再生余裕」状態になるのだ。

このキャラはどんな喋り方をするのか。そういう概念モデルが、製作者の頭の中、声優の頭の中、プレイヤーの頭の中に順番に出来ていく。

読み手にとってその学習をするための最高の教材がフルボイステキストなのだ

そりゃ一貫してボイスを全部聞く態度であれば、声優さんは喜ぶだろう。一言一句逃さず聞くオタクの愛ある姿勢は称賛に値する。

だけれども、台詞シナリオには「流れ」というものがある。

「流れ」が変わる、例えば強烈な感情吐露する場面では、ボイスを聞かない人はまずいないだろう。

人間は賢い。未学習領域だと察知すると、ちゃん学習しようとする。

反対に、日常会話ではどのような話し方をするか、のような部分については早々に概念モデルが固まっているものだ。

このキャラこの声優さんならこういう感じで喋ってるはず――と実際スキップせずに聞いてみる。自分想像したものとかなり近いはずだ。

そういう経験を繰り返すと、テキストスピードを最速にして、冒頭の台詞が流れ始めたあたりで「ああ把握したもうスキップしよう」とクリックするようになる。

日常会話のように見えて、微妙ニュアンスが宿るような印象を地の文から受けると、指は止まるだろう。

こうした1ページスキップができるのは、人間に備わったすばらしい適応能力だ。

もちろんこれが行き過ぎて、何でもかんでもスキップしてしまうようになると寂しいものだし、もはや文章すら読まず絵だけ見る、ゲームパートだけ遊ぶという態度の人間を見るとけしからんと叱りたくもなる(抜きゲー等は別として)。

だが、ノベルパートスキップ活用する大半の人間はそうではない。高度な適応の結果としていい塩梅スキップしていると思われる。

そういう自分が持つ能力を信じない、疑り深い人が、時間のロスをも厭わず、それをむしろポジティブに「浸る」時間のように捉えて、最後まで聞き切るのだろう。

もう少し柔軟な人もいるだろう。自分の好きな声質、好きなキャラのボイスの時だけ、全部聞き切る慎重さを発揮する人もいる。これくらいになるとだいぶ多くの人が当てはまるはずだ。

しかし、全体的にスキップを併用して読むからと言ってどのキャラにも愛着がない、あるいは製作者へのリスペクトがないかのように謗られることがあるとすれば、それは想像力の欠如によるものだろう。

ましてや、下手に凝ってフルボイスで作るからテンポが悪くなるなどと作り手を責めるのは愚の骨頂である

作り手は完全なものを用意した上で、個人個人プレイスタイルに適した柔軟な消費ができると信じ、読み方を委ねてくれているのだ。

消費者が自ら「遊び」を減らしていく、狭めていくような考え方は、文化的ではない。

  • 別のことしながらだとフルボイスってちょうどいいんだよねー

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