はてなキーワード: 感情論とは
今日もまた、ネットで数多くの人々が頭の悪い論争モドキを繰り広げた。
エビデンスがないと認めないなどと言いだす、自称インテリたち。
まるで自分たちが論理の塊であり、他者は知性の底辺であるかのような態度が目立つ。
連中は常に「数字で判断しろ」とか、「それ、n=1ですよね?」とか、統計的に言うとこうなります、などと言葉を振りかざし、頭いいだろ俺?という態度を誇示する。
その一方で、他者を低学歴だの低IQだのと罵倒し、自分たちの低い知性を棚に上げて、知性があるかのようにアピールする。
連中は都合が悪い時ほどデータやエビデンスを要求する。感情論や主観的な意見などは一切受け付けず、データ!データ!と発狂することで、論破されることを避ける。
その姿勢が連中自身の知性を証明するものと信じているようだ。アホ臭い。
特に、低学歴や低IQを持つ者に対して容赦ない言葉を投げかけ、自分たちの優越性を強調する。
それもまた、連中が己の自尊心を保つために執拗に行っている行為だ。
そして、社会的な階層や所属するコミュニティによって知性の差が生まれると主張する。
自らを上層と位置づけ、他者を下層と見下す視点が日常の中で浸透している。
さて、そんな中で自らの知性を保とうと必死になっている連中だが、逆にその姿勢が孤立を招いていることに気づくこともある。
知識や経験の差によって生まれる階級意識は、人間関係に亀裂を生む一因となるようだ。
常に他者を嘲る姿勢は、議論の場でのみならず、現実の人間関係においても疎外感を生む。
連中が優越感に浸りながらも、他者はその高慢な態度に嫌悪感を感じ、距離をとっている様子がうかがえる。
自分はインテリだと示そうとし続けることが、むしろ連中自身を縛り付けているのではないだろうか。
インテリを自称することで、他者とのコミュニケーションが難しくなり、結果として孤独感を募らせているように思える。
優れた人間は都会に出ないと心が死ぬ、などと言及する一方で、他者を下層と断じ、その狭間で、連中は知性や経験を通じて得られる幸福や充実を見失っているようにも感じられる。
このような日々を送る連中は、インテリを自称するあまりに、他者とのコミュニケーションや幅広い視野を失っているように思える。
なんだか絶賛的な評価が多いみたいようだが、社会学は門外漢だけに、個人的にはモヤモヤが残った。
前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端の社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たとえば落合恵美子が実証的な観点から上野千鶴子を強く批判する論文なども収録されていたのですが。
そのころから比べると、社会学も大きく変わりました。どちらかといえば、より地味な、地道な、実証的なスタイルで調査研究をおこなう社会学が求められるようになったのです。今回の『岩波講座 社会学』では、そうした社会学者が中心となって執筆します。特定の対象と特定の問題に、特定の理論と特定の方法を携えて実直に調査研究を続けるような、そんな社会学者たちはこれまでたくさんいたし、いまもたくさんいます。いま、この社会にとってほんとうに必要なのは、「職人的」な社会学者なのです。
要するに、この講座のシリーズ全体でおこなうのは、社会学そのものの再定義です。もっといえば、これは「本来の社会学」へと立ち戻ろうとする試みです。社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない。私はすでに、2018年に有斐閣から出版された『社会学はどこから来てどこへ行くのか』という対談集で、そのような趣旨のことを述べています。
まずここで説明されるべきは、「地味な、地道な、実証的なスタイルで調査研究をおこなう社会学が求められるようになった」理由であり、そしてかつてはそうしたものが忌避(あるいは小馬鹿に)されていた理由である。例えば、社会学という学問の発展の結果なのか、社会経済的な環境の変化や取り組むべき新たな社会問題の登場の影響なのか、社会科学研究全体のトレンドの変化の影響なのかが、きちんと説明されるべきである。上の文章はそうした説明が一切なく、以前の社会学は中身がからっぽだったが、自分たちが「地味な、地道な、実証的な」ものに改善したという、それこそ中身が空っぽなことを言っているだけに過ぎない。
「社会学者は、大風呂敷を広げた預言者であってはならない」というのも、別に社会学に限ったことではない。具体的には見田宗介や宮台真司のことを言っているだろうが、30年以上前には「大風呂敷を広げた預言者」は、哲学者の浅田彰など、社会学以外にも数多く存在していた。現在だと斎藤幸平や成田悠輔の名前が「現代の預言者」として思い浮かぶが、彼らは経済学者である。社会学者で思い浮かぶ名前はもういない(古市は軽薄ではあるが預言者的では全くない)。
そもそも、「地味な、地道な、実証的な」をくどいほど強調している点で、おそらくはSNS上の社会学バッシングを気にして怯えるばかりの、自分たちの中身のなさを暴露している感じがする。本当に「地味な、地道な、実証的な」人は、そんなことは口が裂けても言わない。ネット上の悪口など意に介さず、自分の研究にコツコツと取り組むだけだ。「大風呂敷を広げた預言者」についても、そうした人がなぜ必要とされるのかの現代的な状況について丁寧に分析・説明するだろう。
そして後半は、紙の本との出会いが大事だというノスタルジックな感情論に終始している。もちろん世代的に共感できなくはないが、30年前からの情報環境の劇的な変化と今回のシリーズの編集方針との関係について、社会学者として何か分析的な議論があるべきだろう。
細かいところだが、「巻数も26あったと記憶しています」って、なんですぐ調べないのだろうか。「地味な、地道な、実証的なスタイル」な人は、そういうところから絶対に手間暇を惜しまない。そもそも、岸氏はネット上の発言しか知らないのだが、それらを読む限り、経済政策論にも安易に口を挟んだりなど、「地味な、地道な、実証的なスタイル」の人には全く見えない。
特に印象的だったのは「TPP断固反対 嘘つかない ブレない」
「TPP交渉参加 嘘をつく ブレる」というのが実際。
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消費税を導入する前も「大型間接税は導入しない」とか言ってました。
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【動画】
https://www.dailymotion.com/video/x2vfhpn
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立憲民主党は、少しだけ毛色が違っていて
それで、社民系と同じような、護憲政党という側面もあったのですが
大差無くなっています。
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一番ましな順からたたき、悪い順に持ち上げるようなのが工作員。
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パチンコ推進議員連盟や、日韓海底トンネル推進議員連盟も知らず
韓国のスパイ企業としてはじまったLINEをマイナンバーと連携させる事にも
疑問を持たず、工作員の宣伝だけ見て鵜呑みにしてるような状態です。
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日本人にとって役に立つ事は何もしていません。
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何度も言うけど政治家の評価は個々の評価基準以外なく法律なんて当然関係ないんだから「感情論」の一言で終わるわけないだろって言ってんの、感情論以外ないんだからそれを馬鹿にできるはずもないの、「法律違反してなければ全員同着」にはならないんだよ
てか最初に言ってたのは「法には違反してない」で発言趣旨が変わってるし、感情論で話してる(法律の話をしてない)と思ってる相手にそれをいうのがズレてるってのも何も揺るがん
なんであれ「政治家の言動への評価」において「ごちゃごちゃ言うな」と言う方がどう考えても間違ってる、それが罷り通るなら先は北朝鮮か中国だよ
興味ないで逃げるくらいならそんなわけわからんこと言うなよ
年の差婚で当人達がどんなに愛していようともグルーミングと騒ぐ輩がいる
グルーミングが問題なのはこれを色んな低年齢者に対してだったり効きそうな層を狙って欲望を満たそうとする人間に対してのもの
単に低年齢側が好き過ぎて特別な存在になるケースもあるだろうし
そこに入って来てくれる人はどんな年齢だろうとも好きになったりするもの
それは愛じゃないというのなら、子供が欲しいと思ってする結婚だって愛は無いとも言えてしまう
もっと言えば「あの人は恋人と別れたばっかりらしいからチャンス!」と思う事に対して
その人が好きなんだとしたら恋のチャンスだし、やりたいだけならまあある意味性的搾取かもしれないが
グルーミングを拡大解釈している層はその捉え方だとこの例どちらもグルーミングになってしまう
愛がすべてグルーミングだ
男が男を愛すのも、女が女を愛すのも、ティーンエイジャーが30代を愛すのもその逆も、それぞれ愛の形
2023年7月からは16歳未満とは愛があろうと無かろうと性行為が犯罪になったが
「単に自己の性的欲望を満たすだけの目的」でなければ罪には問われない事は判例もある
愛した人がたまたまその年齢だったケースもあるだろうし
あったであろう葛藤をすっ飛ばして勝手な事を言う結果、本当に「自己の性的欲望を満たす目的」の人達への適用すべきグルーミングの定義が狂ってしまう
こういう人達こそが巡り巡ってどこかで起きる犯罪を一つ増やしかねない
心を埋めてくれたその人を好きになり関係を持ったがその人が本気で私に向き合ってくれる人だった
そこまで否定されるのであればその感情の行き場はどこへ行けばよかったんだろうか
幸せとは何かを教えてくれた
私が大人になって私から別れを切り出したのは私の考えが大人になれなすぎて苛つかせてしまうのが申し訳なくなったから
対等に扱おうとしてくれているのにね
愛されて育ってこういった不安を抱えずに育ち
他者の気持ちを汲まずこき下ろして相対的に幸せだと感じたいだなんて愚かなこと
当然そんなことも考えないだろう
AV新法を説くフェミニストが寧ろ女性を生きづらくさせているとか
そんなところ
岩井夫妻の幸せそうな写真を見て私達にもこんな時期があったなと思った
芸能界で育った彼女はきっと私より遥かに肝も据わった大人な内面なんだろう
私のように劣等感に押しつぶされてもしないし
他人の気持ちを考えられない愚かな大人様達よりもずっと対人経験は濃いことは想像に容易い
羨ましいなと思いながら
ここまで読んで私が当時10代女で相手が30代男だと思っただろうか?
10代男と30代女でもまた印象は変わったんだろう
30代女だったらいいんだよという話ではない
起訴されたりしている
愚かな印象論感情論を用いる自らに気付けばいい