はてなキーワード: 彼岸とは
「一度も喫煙習慣を持ったことがない」というレベルでは該当者の29歳(「飲み会で友達のを吸ってみた」ぐらいはある)
まず、そもそも大学に入るまで、友人から家族・親戚、その友人に至るまで、知り合いに喫煙者がほとんど存在しなかったな
というわけで、喫煙者というのは最初から彼岸の存在という感覚だった
(つーか、「喫煙者の不良」ってそんなにどこの学校にでもいるもんなの?)
大学のサークルでは喫煙する層も2・3割いたけど、残りがみんな非喫煙者だったのもあってか、喫煙者は部屋の外の「自然発生的な喫煙コーナー」に吸いに行ってた
喫煙者自身も、煙の匂いがそこらに染みついたり部屋がヤニで黄色くなったりすることに対しては否定的だったしね
彼らに対する印象は、格好悪いとかそういうんじゃなくて、なんつーか「喉が渇いた」とか「トイレに行きたい」とかそういう欲求がひとつ多い人たち、ってイメージだな
という俺の経験とあなたの経験を総合して考えるに、喫煙習慣の継承に寄与してきた「煙草格好いい」「吸えない奴は格好悪い」っていう文化が消えてきたことで
社会的な正義/不正義は、技術的な「正しさ」とは関係なく決まることに、そろそろ気付くべきだ。
http://takagi-hiromitsu.jp/diary/20110529.html#p01
その意味するところは、次のどちらなのか。
これを明らかにしてほしい。後者なら私も賛成だが、前者なら情報技術分野関係者は受け入れることはできないだろう。法務省は後者のつもりのはずと信じたい。
情報系技術者以外の人間にとっては、どちらであろうと、望まない被害を受けるという点に変わりは無い。ゆえに「一般人」が、「罰するなら両方とも罰するべき」という発想に傾くのは、まさにPL法の論理であり、極めて自然なことだ。
そもそも、「技術そのものに正邪がある」という発想を社会に発信し広めてきたという点で、高木先生、貴方にも確実に責任の一端がある。裏切られてから慌てても遅いのだ。
言うまでもないが、技術そのものに正邪などない。その技術が社会的な正義に適うものと看做されるか否かは、それが利用者にどう受け入れられるかに完全に依存している。良き意図を持った技術者によって生み出された技術が、必ずしも正義を実現するとは限らない。その逆も、また然りだ。
これは、ソフトウェア技術においては特に顕著だ。なぜなら、ソフトウェアには実体が無い故に、「情報処理の結果にどう価値を見出すか」という問題の答えは、完全に受け手に依存しているからだ。「善良な技術と悪徳の技術」という二分法の論理を認めた時点で、あらゆるソフトウェアは「善悪」の彼岸を容易に行き来しうるということに、もっと早く気づいて欲しかった。
今からでも遅くない。高木先生にはぜひ、「技術」というものに対するスタンスを、今一度考え直していただきたい。今から立場を変えたとしても、私は、そのことを絶対に笑いはしない。
ソフトウェアに必ずバグが潜んでいるように、議論の誤りが判明することは恥ずべきことではない。ただ、反省し修正すれば良いだけなのだから。
補足:
当然ながら、私はソフトウェアにPL法の論理は適用できないと考えている。その理由は、主に以下の二つ。
そもそも、近年のアジャイル開発の理論が主張するように、「利用者の要求は変化する」ものだ。ある時点での要求を完全に満たしたソフトウェアが、将来のある時点における要求を満たさない、といった事態は容易に起きうる。その場合、そのソフトウェアには「バグ」があると看做されるだろう。この場合でも、ソフトウェアの開発者には、それをメンテナンスする義務が発生するのだろうか?
ソフトウェアを「製造物」と看做す概念は、「完全な設計は可能である」とするウォーターフォール開発が長年の間主流を占めていることからも分かる通り、人々の意識に深く浸透している。
今こそ我々は、ソフトウェアに対する正しい理解を広め、社会との適切な関係を構築すべく、活動していく必要があるのではないだろうか。
大学に入って暫くしてのことだが、某深夜アニメにはまってしまった。
そもそも大学入学まではアニメなどゴールデンタイムに観るぐらいしかなかったし、ジャンプなど漫画雑誌も購読していなかったので、そういうものに疎かった面はある。
初めて買ったゲームを朝までやり続けたように、どの程度が異常なのか、それともよくあることなのかがわからなかった。
きっかけはなんだっただろうか。放送をぼちぼち見始めて、世界設定や元ネタ、キャラクタを調べているうちにどっぷり浸かってしまった。
たとえ入口が一つであっても、そこから先は広いと分かった。それこそ考察・カップリング・作画・声優・公式・非公式・メディアミックス……全てに手を付けたわけではないけど、きっと望めば望むほどコンテンツは存在し、それが枯渇すると今度は自分が供給に回るのだろう。自分にはそれが深淵のようにも見える。そして自分はそれに覗き込まれてしまったのだろう。覗き込んだのは、どちらも自分自身だというのに。
気づけばアニメ系まとめサイトを逐一チェックし、公式のメディア展開に一喜一憂し、日常生活でもキャラクタ名を空目する自分がいた。それについて割と恐怖したし、自分を律しようと試みた。今のところそれは成功しているように思える。毎日のweb巡回ルートと、日々保存される画像を除いては。
またはサブカル系の考察や思想に手を出してみたが、こちらはちょいと微妙である。コンテンツと消費の話は個人的には面白いのだけど、妄執を解決するには至らなかった。
頭ではあの世界が、あの作品がフィクションであると解っている。解っているのにそれでもフィギュアを見たりアニラジなんかを聴いたりすると混乱する。混乱すると判っているのに、その情報を検索するのを止めない。
たまにSSや同人のたぐいを目にすることがあるが、自分自身はそれを好まない。メアリー・スーよろしくキャラクタとオリキャラを絡めたりするものもあるが――自己嫌悪に陥ってこれまた混乱する。少しでも想像すると自己中毒になる。
誤解しないでいただきたいのは、作品自体を批判したり、ファン活動や同人活動を嫌悪しているわけではない、ということだ。むしろ、何かに夢中になったり自分を捧げるというのは素晴らしいことのように感じる。自分にはその覚悟がなくて、自分で引いた境界線の前から、此岸から彼岸の人々を見ているに過ぎない。ぶどうを取れなかった狐のように、指をくわえて。それでもその線を越えようとしない、越えたくとも越えられないのは、越えれば自分が自分でなくなるとでも思っているのか、それをよしとする自分が許せないのか。
この「病気」とも言えるものは、きっとそのアニメのコンテンツを全て絶つか別のコンテンツに移行するか、同人も含めた全てが終わらない限り、一生治らない依存症なのだと思う。このまま距離を取り続けて、それがオワコン化しても耐えられるだろうか。……それはまだわからない。どこかで折り合いを付けるか、そこから別のものにシフトして昇華させる必要があるのだと思う。孤独な誰得チキンレースである。
私は卒研のテーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年間自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せでした。ですので、後輩にもぜひ好きなテーマで卒研をして欲しいと思っていました。
私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいました。しかし、後輩に「今の自分の研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました。
どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした。
そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOのwikipediaの考察がいかに素晴らしかったか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました。
また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです。
これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)
他にもネットを探すとユニークなテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手と結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります。
卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです。
たしかに、「好きだからテーマにしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です。研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。
もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。
論文とは「問い」です。一般的に論文のテーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。
「ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなぜラノベが好きか」ということになるのでしょうか?
これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。
「「好き」は理性ではなくエモーショナルな部分に依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」
つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです。
そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです。
さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義」ですが、混沌としているようですね。
程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性(20~30代)でしょうから。(成人男性が青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)
また、文学・物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念を引用することが結果を導く前から既に必要となります。
例えば、物語的に観れば大塚英志が提唱した「物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。
ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。
オタクたちのメンタリティには、教養主義や文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。
ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワード(カテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。
ところで、先ほどラノベの定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義の文学に「SF」がありますね。
サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました。
小谷真理の『女性状無意識』に対する松岡の批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。
最初にハーバード大学のフェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネーシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノガイネーシスはそれにもとづいて提案した新概念で、
父権的な社会が蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。
長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会の価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世の魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動やセクハラ問題が噴出してきた。
では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性的無意識を象徴するガイネーシスになるのではないかと見た。
それにしてもいつのまに、女性こそが文学の可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。
まずはエレイン・ショーターが父権的文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFとフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した。
(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。
しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFとフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。
ということで、ここでは「外部の他者」たる女性と文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとではないのではないでしょうか?
では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます。
そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は
「【デリダとは】仏哲学者。20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学の呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」
とツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))
デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪の彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要ではないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーのニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)
ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。
女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである。
女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性の本質は存在せず」、「女性の真理は存在しない」。
女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性の本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分が存在しないということを知っているということである)。
実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニストの女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性が男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)
ニーチェの『善悪の彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。
真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。
そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか。
デリダは女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした。
つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから、女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。
見事にややこしいこの解釈から、女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。
ニーチェは芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。
であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)
十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉を発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレートな表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる
という指摘もあります。
例えば、オタクにとっての現実における外部性にインターネットがあります。
○オタク男性であろうツイッターユーザーのアイコンが、イラストやアニメの美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性を無意識に象徴しているのではないでしょうか。
また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユングの提唱したアニマ(男性の女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。
このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性が
先程のツイッターのイラストやアニメの美少女アイコンを無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?
以上より「ラノベ読者はなぜラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ、家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです。
○ラノベの本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?
どんな飛躍がしたいだろう?
私はどんな生理的な物を持ちだすだろう?
血や涙など、いくつか組み合わせて突然歌い出すだろうか?
それとも効力を失った、それらさまざまな愛をひとまとめに嘆くことで
息切れするだろうか?
息を吸いこんだら、それはもう飛躍の準備をするようなもので
吐きだしたときにはもう何か言動的、イデオロギー的なものが勢いよく漏れ出してしまいそうだから
私はこうして暗闇の中、ずっと息を潜めている。
今まで漏出した存在の、その数と多様性を考えたら頭がおかしくなりそう
今まで街でそのようなたくさんの蠢く生き物たちを見てきたけれど
家で籠りながら幻聴に苛まれているほうが、よほど多くの生身の人間と関わっているような気になれる
それほどの程度のものではないが、人を好きになることもできる
ならばもう告白していいのでは?
距離はそれほど離れてないのだから
http://anond.hatelabo.jp/20100813213325
だから、親とか、近い親戚が死んだら、小さな墓でも用意して、お彼岸と命日にお墓参りに行けばいい。
いろいろとしきたりはあるらしいけど、最近は、そういうことを継承しない子も多いらしくて、お寺さんなんかもざっくばらんに、いろいろ教えてくれるし、知らないからといってバカにしたりしなくなってる。
私は親に勘当されてもいないし、親戚づきあいもあるけど、母が「いたぶって恥をかかせて遊ぶため」に産んだ子だから、そういうことは何にも教わっていない。何かのときに「なんで、私はしきたりとか知らないの?」と聞いたら「見てたらわかるでしょ」とのたまわった。そういう行事はみーーーーんなやらずに来たくさに、どうやって見るんだろう。まったく、あの母親は理解不能だ。
というわけで、まったくもって個人的な解釈で申し訳ないんだけど。
やるべきことは、ただ一つ。現在ある自分の命が、ご先祖さまから延々と受け継がれてきたものだということを感謝して、あの世に向かって手を合わせること。
お墓のことが気になるのなら、霊園でも回ってみれば? 最近は、いろいろ自由で「個人墓」とか「樹木墓」とか「共同墓」とか、いろいろあるよ。
高齢化社会という負け戦
ttp://eiji.txt-nifty.com/diary/2010/03/post-48af.html
人類社会は、長らく寿命が40年50年しか無かった時代から、たかだか1世紀で、その倍近くも生き存える時代へと進歩した。
なのに、ライフスタイルは昔とたいして変わらない。子を産める年齢は限られているのに、やたらと婚期も遅くなり文明の必然として少子化にもなり、でも、老いても生きる人間をどうしようか? という議論は一切回避して来た。
元気なうちに、祝福されて自裁できる習慣を普及させることが急務です。70歳のALS患者は生かす価値と義務があって、50歳の若年性惚けの壮年は生かす価値は無いのか? など、難しい議論が必要になるでしょう。
誰を生かす価値があって、どんな状態なら、もう彼岸に送って良いのか? の判断は、仮にそういう習慣が当たり前になっても難しい判断になるでしょうけれど、この負け戦を継続するリソースとアイディアが無い以上、果敢に進むしかない。日本人の平均寿命を下げるという明確な目的を持って挑むしか無いでしょう。
そして私たちが今、この議論を避けて封じ込めているのは、それが文明や人道に反するからではなく、われわれはぎりぎり逃げ切れる、という安心感があるからです。50歳代以降を除外して、この破綻の波をもろに被る世代だけで、国営姥捨て山の是非を問う国民投票でもして欲しいですね。
私たちは、これが今以上に酷くなる負け戦だということを自覚しなければならない。それを自覚した上で、戦場から撤退する出口戦略の議論を一日も早く始めるべきでしょう。老人が自然発生する以上、戦争は終わらないけれど、戦線をどこまでどうやって縮小するか? の議論が急務です。
いまさらだけども。
ちなみに私は神社や神事に敬意は払うし浄土真宗は悪くないと思うが、信者といえるのかわからない。檀家でありお宮参りもした身だけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20090910042302
神の存在を「肯定」するか「否定」するかの二つしかない。
これは思いつかなかった。もちろんキリスト教徒でなくとも肯定か否定はあるのだけれど、増田の場合、特定の神の肯定か否定になってしまうわけか。
つまり、神を選べない。
それが、敬虔な信者である親を持ったからなのか、物心付く前から一神教の信者だったからなのかはわかりませんが。
しかし、なんにせよ、アニミズム的な神道と一般的神や信仰とは異色の仏教とを、さらに神仏習合を経た日本という神道と仏教の国は悪くないなと思った。
で、タイトルの話はこっち。
どうなのだろうか。地域的なこと、都会か田舎かというのもあるだろうか。
私自身は、神社にいけば神が祭られているとおもうし、鳥居や注連縄や榊や紙垂に出会うと神を意識する。また、お墓や仏壇や彼岸や法事では仏を思う。
皆さんはどうだろう。神を意識したことがありますか?
はてなブックマークを徘徊していて
「まえはこんな酷い人だったけど、今はちゃんとした人と出会えました」系の話をまわった。幸せそうで羨ましい。
さっぱり「いい人」に会えない自分は、なんなんだろう。
ひとりつぶやく、三十路の夏。
でも、もう恋なんかできないような気がする。28の恋愛がDVだったのは痛かった。別れるために消費したエネルギーも大変だった。男性に対する失望も大きい。
いい人がどういう人かわからない。DVにほれた自分の感性が信用できない。「この人いいひとそう」と思っても突っ込む勢いが、ない。ちょっとの「あれ?」が、行動にブレーキをかける。
恋がしたい。恋がしたい。でも、もう恋なんて怖くてできない。
手を握られただけで高揚する気持ちや、ただひっついているときの幸せ。あの甘い気持ちは、もう自分からは遠い彼岸の出来事のようだ。最初の頃や、違う人と付き合っていた頃には、確かにあったものなのに。
今は、拘束されて肌がボロボロになり、体を壊し、精神的にも不安定になっていく恐ろしい感覚のほうが強い。次第に平常の生活ができなくなっていく私に、彼は「お前ができないから、俺が怒ってやっているのだ」と怒った。怒られる恐怖から、また私がおかしくなる。おかしくなるとさらに、「お前が(以下略)」は繰り返される。このスパイラルから抜けるために、自分の持っているインフラを総動員した。失ったものは多い。友人も失った。
やっと、「平常」といえる精神状態に戻ったときには、別れてから一年以上が経ってた。
これから先、この体験を上書きできるような出会いなんてあるんだろうか。仮に出会いがあったって、私にわかるんだろうか。また違う酷い男にひかかって、同じ目にあったりしないだろうか。信じられない。
今朝、この元彼と付き合う前の彼氏が夢に出てきた。その頃の、幸せだった恋愛を少しだけ思い出した。思い出したら苦しくて苦しくて、泣きそうだった。最悪の寝覚めだった。恋愛の甘さなんて忘れていたかったのに。
ある日の午前。
少し前に述べたとおり俺が座っている席は窓際であり、そこは春の暖かな日差しに当たりうつらうつらと舟を漕ぎまどろむことができるいわば桃源郷、アルカディアなのであるが、この日の日差しは特に気持ちよくしかもそのときの授業は特に眠気を誘う英語であったもんだから、俺はある意味永久機関と呼んでもいいあの水飲み鳥のごとく首をカクカクさせつつ覚醒と睡眠の間に流れる三途の川を渡す船の上で船頭と渡し賃について押し問答を繰り広げることになってしまった。およそ5分程度すったもんだを続けた末、俺と船頭も何とか渡し賃について合意を得てさあ彼岸に渡らんと意識を手放しかけたとき、それは突然やってきた。
「――――んガっ!?」
いきなり後ろにもンの凄い力で引っ張られたと思ったら後頭部にとてつもない痛みが走った。
「~~~~~ッ、なぁにしやがるっ!?」
おま、打ち所が悪ければ死に至るほど危険な行為だぞ今のは、と憤然とした思いを胸に振り返りそう怒鳴った俺が見たのは、涼宮山ハルヒの――思えば初めて見る――デザートイーグルのマズルフラッシュの瞬間の映像のような笑顔だった。もし笑顔に温度が付随するのだとしたら、重度の火傷を負ってしまっているだろう。
「気が付いたでごわすぅ!!」
……ええい、唾を飛ばすな唾を。何に気が付いたんだ。
「どうしてこんな簡単なことに気が付かなかったのでごわすかなあ!!」
「だから何が!」
「無いんだったら、自分で立ち上げればいいではないでごわすか!!」
「だぁから何を!?」
「――――部活でごわすぅ!」
は。
「……わかった。でもまぁ、取りあえず今は落ち着け」
「ちょっと何でごわすかその冷めた反応は!? もうちょっとおんしもこの発見を喜んでほしいものでごわす!」
「ほれ、今は……」
授業中だから――ってオイ!?
「えー、『One hundred million and two thousand years from now, I has been loving you.』ここの訳し方ですが――」
「せんせー、すいません、そのちょっと前の『Words can't say of th-is time I've been waiting to share my love with you.』の訳がちょっとおかしい気がするんですが」
「え? えーと……ああ! ごめんなさい、正しくは――」
無視かよ!? なんだそれ!? 「涼宮山の相手はオマエに任せるから後はよろしく」って態度の表れかコノヤロウ先生も谷口も国木田も朝倉川もその他諸々のクラスメイトも!?
てかハルヒもほら、俺たち完全にないがしろにされてしまっているんだぞ、ここはさすがに怒るのが正当だと思うんだ俺は。
「――そうでごわすな、授業中でごわした。ちょっとはしゃぎすぎたでごんす。だから授業後に詳しく説明することにしたでごわすから、授業後はそのまま大人しくしているでどすこいよ?」
ええええええスルーか、この状況をスルーか!? もうちょっと反応しろよ、クラス内立ち位置についての危急存亡のとき(俺の)なんだよ!
「部屋…………部屋……うむむ」
ぐう……と、とにかく。
流石に授業中に騒ぐことはダメだと思う心はあるのか、ハルヒは大人しく引き下がり何事かブツブツ呟きながら席についたのだった。
彼氏?いないですよ。
だからなんですかー。
結婚?興味ないですよ。
なんで番ってなきゃいけないの。
勘弁してくれ。
売れ残ってる自覚はありますよ。
もう、そっとしておいてほしい。
そんな悪いこと?
恋愛をしていないことを
「人生を怠けてる」とか。
「大丈夫よ、いい人はきっといるから」とか。
「女が一人で生きていこうなんてわがままなのよ」とか。
脅迫されてるみたいだ。
どっちにしろ、
「子供を持ったりはしないほうがいい」って
医者から言われてるのを
言った方がいいのかな。
いちいち人に開陳するのもめんどくさいしな。
どっちにしろ、根本的に、男が嫌なんだって
言った方がいいのかな。
別にレズじゃないけど。
ちゃんとね、一人でも生涯食っていけるように
そっち方向に努力してたんですよ。
なんとなく感じてたし。
男は、小さい頃はからかっていじめてたくせに、
年頃になると急に変な態度に変わって、
そうかと思えば、よくわからないことを
かかわりたくないと思うことがある。
いつもじゃないけど。
いやになって行った女子高で卒業のときに
「増田さんにあこがれてました」とか告白をされたり
女の子の友達に
「増田が男だったら良かったのに」としばしば言われ。
気づいたら、自分の周りは女子ばっかりだった。
私は、男に生まれるべきだったと思う。
こんなに女子ばっかりに囲まれてることも無かっただろうな。
難しいな。人生は。
静かに生きていくぐらいは許してくれよ。
ちゃんと清潔に、見苦しくない程度には
やっていくからさ。
優しくなんてしてくれなくていい。
ただ、そっとしておいてほしい。
2009.01.03 小学校教科書クイズ 2ch番組ch(NTV)早答え集計テスト 全60+30+2=92問内42問
12 ID:b5gojdqH 35mm B 5 あさがお かまくら さなぎ まばたき 後足 前足 尾 水色 白地図 反復横とび 風力発電
4 ID:9iEo95qs 球根 訓読み 今こそわかれめ 彼岸
4 ID:bgij+NGC ぼっちゃん 季節風 場 底辺かける高さ
3 ID:FFWtidDN 薩長同盟 三葉虫 折れ線グラフ
2 ID:N8oX0/X9 240 でしりっとる
2 ID:oW6ZhHe+ DBAC 明後日
2 ID:tSjlkgbc v さんづくり
1*9 ID:- ID:2Zr7Aa9R 出島 ID:8Fs6bM/Y 90cm3 ID:AdzCgPJd 三角州 ID:c78GpIrj やじろべー
ID:eSz76ImY さ ID:hpK5K2HZ シリウス 等 ID:i5culDFE ウ リ ID:wMg2p1QW ろくぼく
2009.01.03 小学校教科書クイズ 2ch番組ch(NTV)早答え集計テスト 全60+30+2=92問内42問
12 ID:b5gojdqH 35mm B 5 あさがお かまくら さなぎ まばたき 後足 前足 尾 水色 白地図 反復横とび 風力発電
4 ID:9iEo95qs 球根 訓読み 今こそわかれめ 彼岸
4 ID:bgij+NGC ぼっちゃん 季節風 場 底辺かける高さ
3 ID:FFWtidDN 薩長同盟 三葉虫 折れ線グラフ
2 ID:N8oX0/X9 240 でしりっとる
2 ID:oW6ZhHe+ DBAC 明後日
2 ID:tSjlkgbc v さんづくり
1*9 ID:- ID:2Zr7Aa9R 出島 ID:8Fs6bM/Y 90cm3 ID:AdzCgPJd 三角州 ID:c78GpIrj やじろべー
ID:eSz76ImY さ ID:hpK5K2HZ シリウス 等 ID:i5culDFE ウ リ ID:wMg2p1QW ろくぼく
●3-01 [小3目標70%]デシリットル2112[27] 198 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:20:34.65 ID:N8oX0/X9 でしりっとる
●02 さんづくり[多分けかざり][3] 245 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:21:42.93 ID:tSjlkgbc さんづくり
●03 2657球根[27] 344 :The King Of 2channeler(2ちゃんの王様) ◆KINGv8V.1M :2009/01/03(土) 19:26:13.28 ID:9iEo95qs 球根
●04 2853[22]v 397 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:27:33.56 ID:tSjlkgbc v
●05 3126反復横とび[22] 472 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:29:44.49 ID:b5gojdqH 反復横とび
●06 3603場[13] 545 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:32:00.19 ID:bgij+NGC 場
●07 白地図 3802[19] 636 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:36:37.14 ID:b5gojdqH 白地図
(こっち・そっち など 注ぐ 4本)
●4-01 [小4目標60%](風の力で)発電4203[20] 804 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:40:48.98 ID:b5gojdqH 風力発電
●02 差4628[17] 907 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:43:00.22 ID:eSz76ImY さ
●03 明後日4558[22] 16 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:46:51.81 ID:oW6ZhHe+ 明後日
●04 5041シリウス 等[3] 66 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:49:25.15 ID:hpK5K2HZ シリウス 等
●05 5134 240(度)[28] 132 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:51:07.39 ID:N8oX0/X9 240
●06 こやり5632[13] 168 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 19:52:19.29 ID:POdd+Yon こやり
●07 訓(読み)5746[30] 365 :The King Of 2channeler(2ちゃんの王様) ◆KINGv8V.1M :2009/01/03(土) 19:57:19.46 ID:9iEo95qs 訓読み
●5-01 [小5目標50%]0136三角州(|デルタ)[15] 488 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:00:15.95 ID:AdzCgPJd 三角州
●02 折れ線(グラフ)0550[20] 584 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:02:11.07 ID:FFWtidDN 折れ線グラフ
●03 暑さ寒さも)彼岸(まで0737[21] 743 :The King Of 2channeler(2ちゃんの王様) ◆KINGv8V.1M :2009/01/03(土) 20:06:16.22 ID:9iEo95qs 彼岸
●04 1004[25]水草(藻でも正解扱) 848 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:08:29.79 ID:POd +Yon 水草
●05 季節風[モンスーンでもOKかと]143 79 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:10:46.18 ID:bgij+NGC 季節風
●06 坊っちゃん[20] (きびしめ?) 232 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:15:55.12 ID:bgij+NGC ぼっちゃん
●07 1858底辺×高さ [12] 347 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:18:07.17 ID:bgij+NGC 底辺かける高さ
(たまどめ 1.2 しんにょう)
●6-01 出島 3208[19] 708 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:30:44.79 ID:2Zr7Aa9R 出島
●02 353 四(方)八(方)[29] 813 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:32:48.54 ID:POdd+Y on 四方八方
●03 3747さんようちゅう[11] 921 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:36:40.05 ID:FFWtidDN 三葉虫
●04 394薩長(同盟)[20] 226 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:38:41.00 ID:FFWtidDN 薩長同盟
●05 4239酸素 [8] 385 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:41:07.77 ID:POdd+Yon 酸素
●06 90立法センチメートル [25] (きびしめ)506 :名無しさんにズームイン!:2009/01/03(土) 20:43:21.54 ID:8Fs6bM/Y 90cm3
(*** 省略 DACB)
●10 今こそ)別れめ(いざさらば 5106[18] 719 :The King Of 2channeler(2ちゃんの王様) ◆KINGv8V.1M :2009/01/03(土) 20:48:53.57 ID:9iEo95qs 今こそわかれめ
http://anond.hatelabo.jp/20090103203152
計算中
・妄想世界とはけしてアングラ、メンヘルではなく、価値観の異なる別世界である。
■妄想に寄る=
楽しいことが考えられる。創作活動に取り組む。行動に後悔や迷いがない。
■現実に寄る=
常識的に生きることができ、協調性、社会性を得ることができる。
悩みや後悔や自責の念が生まれる。
私は人を見下すことができない、狭小な人間である。上から目線で他者を蔑むことに美学を感じられないし、そもそもそんなことができるほど立派な人間ではないと思う。もちろん悟りきれていないので、ふと人を軽蔑してしまうこともあるが、すぐに省みる。
そして、それでいて人と違う視点を持ちたいと思う。少し視点を変えるだけで世界は形を変える。幸いなことに、努力や意識をしなくても他の人の考えとのずれを感じることがよくある。
けれど、相手の調子に合わせることも心地良く感じるし、白状すれば、キャラを作ることもある。が、別段それが本当の自分でないなどと馬鹿げたことを考えたりもしない。
ただ、私は生まれながらにして位相に、半身を漬けているんだと思う。私はアングラやメンヘルの住人ではないので、二次元か、マヨイガか、そのあたりでしょう。その異世界には常識を求める人はおらず、義務感や焦り、レッテルから解放され、自己肯定に溢れ、夜の夢こそまこととなり、触手は少女をおもてなしする。
そこには珍しい考え方や、新しい視点や、面白いアイデアが無限に詰まっている。仮に妄想と呼ぼう。
たまに、妄想の彼岸に行ってしまいたいと願います。だが現実世界で生きることが立ち行かなくなる。私はまだ現実を捨てられない。妄想に100%漬かること、それは精神の死だと思う。振り切ってしまった人を狂人と呼ぶのだ。
たまに、期待に応えようとしたり、あるいは単純に忙しかったりして、素晴らしい妄想のかけらを取ってくることを忘れます。そして現実での悩みという落とし穴にはまることになる。そんなことを考えるのは時間の無駄でしかない。
私は現実が少し嫌いだ。社会情勢、人の裏表、いろいろある。将来のことを考えると不安になる。
私の妄想はとても変態的で異常である、という自覚がある。それは突飛でどうしようもなく、性的な意味でも危うい。
だからどちらかに寄ると不安定になる。超越した妄想と、地続きの現実との間で揺れ動くのが丁度心地よい。それが幸福だと信じて私はずっと生きていくのだろう。妄想から離れることも望まず、現実を捨てることも叶わず、それは一見中途半端な生き方だが、他者と違う妄想を抱き、それでいて社会生活を送れている自分を、私は誇りに思う。願わくば、このまま生きていけると信じたい。
うつ病だけにうつるよ!なんて端にも棒にもかからないのはともかく。
自分はうつは伝染すると思う。
例えば一応は健全だと思って日々の生活を送ってる10人の人が居るとして、その中に1人うつのメンヘラを放り込むとする。
10人は毎日忙しく働いたり遊んだり悩んだりする。けどメンヘラの1人は「休養中」だという。
すると10人はその1人の事が気になって、色々と話を聞いてみようとする。
すると、絶対1人や2人は自分の中で必死に眠らせてる部分を起こしてしまう。
「あ、私も本当はこっち側の人間かも・・・」と思って、ふわふわと彼岸に旅立ってうつの仲間入りをしてしまう。
絶対そういう伝染作用があると思う、うつって。
この手のはやり言葉って、使う人によってニュアンスが違うから、結局バズワードになっちゃうよね。
うわ、意味知らない人いるのか。恐ろしいな。
って認識自体、
と対応してしまうから。
いくら「本来の意味はこうだ」と言い張ったところで、「私はこういう意味で使っているし、もはやこちらの意味で使われる人の方が多い」と言われると、「本当の意味で使い続ける、受け取り続ける」こと自体がコミュニケーションを阻害してしまう。有名なところでは「役不足」「役者不足」についての常識非常識論争みたいな感じに。
とりあえず流行っている言葉であるから連呼する馬鹿がいて、あるいは増田や2chのノリでクローズドなコミュニティからはみ出した領域でも平気でそういう言葉を使う人がいて、もちろんそういう人は、いちいち意味なんて説明しないわけだから、わかりづらい微妙なニュアンスは削れ落ちて、ただ馬鹿にしているような響きだけが残る。苦々しく思うのもわからないではないけれど、「知ってて当然」色を出すのはどうかな。そんなに広いコンセンサスのある言葉ではないように思える。
そんな自分もニュアンスが理解できない方。
流行や女性誌を鵜呑みにする女性が間抜けに写るのもわかるけれど、あやしいビジネス書を読みあさってるビジネスマンもいかがなものかって気はするし、就職活動で「自分の長所は、リーダーシップとコミュニケーション力です」なんて言い切っちゃうような人もかなり彼岸に見えて、彼らの違いがわからないんだよね。おまけに、辞書的な意味を調べて知っているとはいえ、俺も「スイーツ(笑)」という言葉から「マスコミの記事を真に受けやがってアホかw」ってニュアンスがどうしても聞き取れない。
・・・これは周囲の、そういう言葉を好んで使う人たちが悪いのかもしれない。笑
だめんずうぉーかーみたいな話って周りじゃ全然聞かないし
「まぁそういう男もいるんだろう」って彼岸のことだと思ってたんだけどいました、最低の男!
シャイで繊細そうな顔してて「初めて?」って聞いたらはにかみながら肯いたそいつ。
「可愛いなぁ」って思ってやらせてあげたら、それをきっかけに盛っちゃって盛っちゃって。
すぐやりたがるようになっちゃって「まぁ、経験少ないんだし」って可愛さに負けてやらせてあげてたら
あたし妊娠させられちゃったのね。あはは。そんで生むにしても下ろすにしても話し合って決めようと思って
とりあえずケータイで「妊娠しちゃったよー」って言ったらそいつ「えっ!」って中出ししてる癖に大声出して驚いちゃって。
「ほんとに?」「うん」「・・・ほんとに?」「うん」で黙っちゃって「おーい」って言ったら
「・・・ごめん。無理!」つってケータイ切った! んで、かけても出ないしメールも返信なし!!
うおーい、下ろす金くらい出せ。あと+二十万くらいの慰謝料で良いから。
本当だ。消えないうちにグーグルキャッシュからサルベージしておこう。
パスカル『パンセ』
ライプニッツ『単子論』
ジェイムズ『宗教経験の諸相』
レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』
ブーバー『我と汝・対話』
ライル『心の概念』
デュルケム『自殺論』
キャンベル『千の顔をもつ英雄』
ポランニー『大転換』
オルテガ『大衆の反逆』
オング『声の文化と文字の文化』
ポパー『推測と反駁』
フロム『自由からの逃走』
デリダ『グラマトロジーについて』
ペンフィールド『脳と心の正体』
ソンタグ『反解釈』
フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』
ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』
イーグルトン『文学とは何か』
ガダマー『真理と方法』
ダマシオ『生存する脳』
クワイン『ことばと対象』
マッキンタイア『美徳なき時代』
ツリー内主要エントリ
http://anond.hatelabo.jp/20080226210253
Bさんと久しぶりに2人で出かけることにした。
1度目は学生時代、2度目はお葬式、3度目はある町の寺社仏閣めぐり、
今回はお墓参りである。
集合場所である駅から電車に乗った。
各停しか停まらない小さな駅から歩いて15分ほどの所にお寺がある。
いつも饒舌に喋っている僕はほとんど喋れない。
ときどきBさんが話を振ってくれるのだが、まともな会話が続かない。
自分でも緊張しているのが分かる。
入って左手に20基ほどの墓標が並ぶところにAさんのお墓がある。
彼女が死ぬまで嫌っていた父親の家の墓だ。
春になるとここは桜で埋め尽くされる。
ただ、お彼岸から2週間ほど。
周りの墓には陽気でやや疲れ気味のお花が飾られていたが、
彼女の眠る場所には何もなかった。あの家族。ここに来ていないのか。
「バケツをとってくる」とBさんが離れた。
僕はAさんと1人で対面した。一年半ぶりのことだ。
目を閉じて無心で彼女の顔を思い出した。
そしてようやく言えた。「ゴメンね。一緒にいられなくて」
あの子は、いつも自分が他者にどう見られるのか。そればかり悩んでいた。
なぜ受け入れられないのか。なぜ他者とあわせられないのか。そのことに苦しんでいた。
僕は「他の人の気持ちも考えなくちゃ」を様々な表現で何度も説明した。
ロリオタである僕に小学生並みの体を提供すること。それが交換条件だった。
もう他者との関係を"モノ"で釣るしかできななくなっていた。
ずーっと彼女を助けられなかった自分を責め、後悔し続けた。
でも、彼女を想っての悩みだったはずが、途中で変わってしまった。
この子と2人でいることを想像するのが怖かった。
他者への尊敬も思いもなく、ただ自分のことしか考えられなくなった。
誰かに依存しようとした。誰かに自分を救って欲しかった。
死を選択せねばならなかった彼女と全く同じことをしていた。
Bさんがバケツに水を入れて帰ってきた。
簡単にお墓を掃除をして、僕が線香を付けた。
そしてひたすら手を合わせ続けた。
いつか彼女と会話ができることを祈り続けた。
終わって立ち上がると、そこにはBさんがいた。
「どうです?」
「うん、なんとか」
「いえいえ、自分も来たいなあと思ってたんです」
「ずーっと、ここに来るのが怖かったんだ。
今日、そしてあのとき、Bさんがいなければ
僕はどうかなっていたかもしれない。本当にありがとう」
初めて僕は他者に打ち明けることができた。
この間の心の変動を正直に告白した。
「私もそうですよ」とBさんも続けた。
彼女が抱える闇の一部分を僕に教えてくれた。
それから僕とBさんは、お墓の前で、電車の中で、
そして昼食に入った店で、とりとめもなく喋り続けた。
やっぱ、Bさん。いい子だ。
でも、躊躇いを振り切って、なんとか前へ歩こうとしている。
傍目から見たらヨタヨタはしているけど、でもやりたいことを持ち続けている
僕はそう願い続け、心の中で彼女を抱きしめた
「じゃあ」
「また」
僕らはあっさり別れた。
やがて電車の扉が閉まる。
僕が手を挙げると、彼女は微笑んだ。
僕は肝心のことを忘れている。
Bさんが好きなことを伝えていないのだ。
でも、もう少し経って、
自分で確認できたとき、電話をしてみよう。
それから半年経った。
さて、このような私的なポエムを書き連ねてきた、
その理由についても説明せねばならない。
僕の後輩で、Aさん・Bさんの先輩であるCという男の存在だ。