高齢化社会という負け戦
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人類社会は、長らく寿命が40年50年しか無かった時代から、たかだか1世紀で、その倍近くも生き存える時代へと進歩した。
なのに、ライフスタイルは昔とたいして変わらない。子を産める年齢は限られているのに、やたらと婚期も遅くなり文明の必然として少子化にもなり、でも、老いても生きる人間をどうしようか? という議論は一切回避して来た。
元気なうちに、祝福されて自裁できる習慣を普及させることが急務です。70歳のALS患者は生かす価値と義務があって、50歳の若年性惚けの壮年は生かす価値は無いのか? など、難しい議論が必要になるでしょう。
誰を生かす価値があって、どんな状態なら、もう彼岸に送って良いのか? の判断は、仮にそういう習慣が当たり前になっても難しい判断になるでしょうけれど、この負け戦を継続するリソースとアイディアが無い以上、果敢に進むしかない。日本人の平均寿命を下げるという明確な目的を持って挑むしか無いでしょう。
そして私たちが今、この議論を避けて封じ込めているのは、それが文明や人道に反するからではなく、われわれはぎりぎり逃げ切れる、という安心感があるからです。50歳代以降を除外して、この破綻の波をもろに被る世代だけで、国営姥捨て山の是非を問う国民投票でもして欲しいですね。
私たちは、これが今以上に酷くなる負け戦だということを自覚しなければならない。それを自覚した上で、戦場から撤退する出口戦略の議論を一日も早く始めるべきでしょう。老人が自然発生する以上、戦争は終わらないけれど、戦線をどこまでどうやって縮小するか? の議論が急務です。