2008-10-26

妄想現実の狭間で生きる

妄想世界現実世界の真ん中に立つのが丁度いい

妄想世界とはけしてアングラメンヘルではなく、価値観の異なる別世界である。

妄想に寄る=

楽しいことが考えられる。創作活動に取り組む。行動に後悔や迷いがない。

孤立する。天才でない場合世捨て人になる。

現実に寄る=

常識的に生きることができ、協調性社会性を得ることができる。

悩みや後悔や自責の念が生まれる。

 私は人を見下すことができない、狭小な人間である。上から目線で他者を蔑むことに美学を感じられないし、そもそもそんなことができるほど立派な人間ではないと思う。もちろん悟りきれていないので、ふと人を軽蔑してしまうこともあるが、すぐに省みる

 そして、それでいて人と違う視点を持ちたいと思う。少し視点を変えるだけで世界は形を変える。幸いなことに、努力意識をしなくても他の人の考えとのずれを感じることがよくある。

 けれど、相手の調子に合わせることも心地良く感じるし、白状すれば、キャラを作ることもある。が、別段それが本当の自分でないなどと馬鹿げたことを考えたりもしない。

 ただ、私は生まれながらにして位相に、半身を漬けているんだと思う。私はアングラメンヘルの住人ではないので、二次元か、マヨイガか、そのあたりでしょう。その異世界には常識を求める人はおらず、義務感や焦り、レッテルから解放され、自己肯定に溢れ、夜の夢こそまこととなり、触手少女おもてなしする。

 そこには珍しい考え方や、新しい視点や、面白いアイデア無限に詰まっている。仮に妄想と呼ぼう。

 たまに、妄想彼岸に行ってしまいたいと願います。だが現実世界で生きることが立ち行かなくなる。私はまだ現実を捨てられない。妄想に100%漬かること、それは精神の死だと思う。振り切ってしまった人を狂人と呼ぶのだ。

 たまに、期待に応えようとしたり、あるいは単純に忙しかったりして、素晴らしい妄想のかけらを取ってくることを忘れます。そして現実での悩みという落とし穴にはまることになる。そんなことを考えるのは時間無駄でしかない。

 私は現実が少し嫌いだ。社会情勢、人の裏表、いろいろある。将来のことを考えると不安になる。

 私の妄想はとても変態的で異常である、という自覚がある。それは突飛でどうしようもなく、性的な意味でも危うい。

 だからどちらかに寄ると不安定になる。超越した妄想と、地続きの現実との間で揺れ動くのが丁度心地よい。それが幸福だと信じて私はずっと生きていくのだろう。妄想から離れることも望まず、現実を捨てることも叶わず、それは一見中途半端生き方だが、他者と違う妄想を抱き、それでいて社会生活を送れている自分を、私は誇りに思う。願わくば、このまま生きていけると信じたい。

 妄想世界の地平は遠い。

 認識できる範囲だけが世界というなら、世界はとても広い。

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