はてなキーワード: 外人とは
前提としてオタクは陰キャ、ギャルは陽キャだ。おれがこの言葉を気持ち悪いと思う理由は二つ。
まず一つ目は卑屈さだ。オタクはスクールカーストで下っ端に位置し、それでよくない思いをしてきたはず。それなのに陽キャであることを是とし、ギャルにあこがれる。自分が差別されてきたのにその差別構造を肯定し、従う。その卑屈さが嫌いだ。白人に差別されてるのに白人コンプこじらせて外人と付き合いたがるポカポンタスみたいで気持ち悪い。
二つ目は怠惰だ。陽キャに憧れてるなら陽キャになる努力をすればいい。それなのにオタクは自分は陰キャのままで陽キャに愛されたいと願っている。そんなの働きたくない、宝くじも買いたくない、投資もギャンブルもしたく無い、でも、金持ちになりたいと言っているのと同じだ。
差別されている側でありながら、その差別構造と戦う努力も上流階級?に回る努力もせず、かといって現実を受け入れることもせず、まるで幼稚園児のように受け身で上流階級側から愛してくれることを望む。なんて気持ち悪いのだろうか。ポカポンタスはまだ英語を学んだり自分からアプローチしたりと努力(?)してるだけまだ立派かもしれない。
もちろん、この言葉をネタとして利用する分には問題ない。オタクは陰キャとして恋愛するなと言いたいわけでもない。好きになったやつがたまたまギャルで陰キャ・陽キャ関係なしにその人となりが好きになりましたとかならわかる。自分が陰キャである自覚があるのに最初から「陽キャとしか恋愛したくないよ~」とほざくのがキモいんだ。そういう作品を読んでるやつもどうせそんな気持ち悪い精神構造してるんだろう。
(参照:「優生学について知りたいのに、誰にも聞けない」https://anond.hatelabo.jp/20220120142843)
つまり最近進撃の巨人でジークが主張してるエルディア人安楽死計画(エルディア人の断種)なんかは反出生主義というかもろ優生思想な訳ね
https://anond.hatelabo.jp/20220121151104
行為者(ジーク)が「対象(エルディア人)が苦しんでいるのは生まれてきたからで、生まれてこなければ苦しまない。対象の苦しみを失くしてあげよう」と思っているならそれはその対象について「反出生主義」(対象がそれを望んでいるという意味ではない)。
断種の対象を疾病または災禍ととらえて「対象者が今後生殖をおこなわなければ(対象者以外の)人類がより良いものになる」というのが「優生思想」。これは断種「されない側の視点」の話で実行者の真意がどこにあるかとはまた別の話。
まあどんなに理想的に聞こえる理屈をこねまわしても断種対象者以外のホンネは個人的な妬み恨み復讐メシウマ優越感または自分がその対象になりたくないという恐怖だったりするわけだ。そしてその行為の対象がマイノリティーの場合「対象者自身はどう考えているか」はあまり考慮されない。というか相手の立場になって考えられれば初めからそういう発想は出てこねーんだ、そもそも。
いや違うな。
それが対象にとってどういうことか分かってるから自分は嬉しいし自分にはされたくないし、でもそいつらにはそうしてもいいという理屈を小賢しくひねくり回すわけだ。「社会のタメですー(笑)」とか言って。
人間の中からケモノが顔を出せば理屈は喜んでシッポを振ってついてくる。
無意識にしろ意識的にしろホンネをゴマ化す(ヘ)理屈を自分で唱えてりゃまだいい方で人口のうち多数を占める愚民は「これは社会(国家・世界・人類)にとって良いことなんです。あなたに損はないですよ」と言われりゃさも自分は正しいことをしてやってるんだというドヤ顔で他人を踏みつけ自分の動物的な感情を充足させ、勘定は政府やら世間やら他人に回す。自分には何の才能もなく何の努力もしなくてもたまたま多数側に生まれただけで他人より優れていると思い込めるんだからそもそも文句はないが、ひょっとしたら何割かは「社会が良くなる」というお題目を本気で信じているかもしれない(それは自らの優越感を意識していないという意味ではない。社会のためはオレのため、二方三両得ってだけの話だ)。
「ミンシュシュギ」のオダイモクも愚民が唱えりゃただの多数決の独裁になる。「自由で平等」なのは多数派の間だけでそのうえ独裁者は「多数」だからそのうちの誰一人として自ら責任は取らない。「衆愚に生まれて安心安全」システムだ。
本当の「民主主義」は「多数決」とイコールではない。民主の「民」は多数派だけでなくすべての少数者ーー病人かタワキ違いハク痴外人アイの子こども年寄り男女女男童貞オタク売タその他ーーも含めて全員自由で平等でなければいけないし、民一人一人は全員が自分自身のそして社会の「主(あるじ)」として全てのことに責任を負わなければならない。代議士はあくまで民の「代表」でありその責任は最終的に民全員に帰する(だから代議士は民意に従う責任がある)し、少数者(マイノリティー)だけにババを引かせるやり方は民主主義ではない。
自分に都合がいいことを聞いた瞬間に思考を停止する低級な動物が多用したがるキメ文句のひとつににベンサム(1748 - 1832。イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者)による「最大多数の最大幸福」という言葉があるが、これは「個々人の幸福の総和を最大にするのが正しい行為・政策である」という意味で(愚民がそうであってほしいと願うような)「多数を幸福にするためなら少数を不幸にしてもいい(そうすれば幸福な人数が最大になる)」という意味ではもちろんないし「少数の不幸は多数のメシウマ」を肯定するものではない(当たり前だ。普通にサイテーである)。個々人の幸福の総和を最大にするにあたってベンサム自身は「個々人が幸福を追求できるように法律で私的不可侵領域を定める必要がある」としている。ようするに「たとえ多数派がそうすることで幸福を感じるとしても他人の私的なことに手出し口出ししてその人を不幸にしちゃいけませんよ」ということだ。たとえば自分が幸福になるために自分が結婚したりしなかったり子供を産んだり産まなかったりするのは正しいが、自分が幸福になる(感情的にも経済的にも社会制度的にも)ために他人に結婚させるさせない・子供を産ませる産ませない権利は誰にもありませんよ、ということである。
この「他人」がマイノリティーであっても当然全く同じことでたとえ「同性カップルは結婚しても子供が生まれない。税収が減る年金が高くなる国が(:読み:「オレが」)損する」と思っても自分が結婚したい時に結婚して制度上の優遇を受けられるなら他人に同じことを禁止する正当性はない。「結婚はするが子供は作らない」のは同性カップルに限った話ではないし、それでも制度上の優遇が不当だと思ったら結婚に付随する優遇措置は一律に廃止すればいいのである。少子化が問題であるなら公的な扶助、優遇措置は既婚未婚ジェンダー性指向等いかなる属性にも関係なく実際の出産または養育の実態に対して行うべきだ。
生殖というのもまた自らの生存に次ぐ(どちらかと言うと結婚制度よりもなお)私的な不可侵領域であるがこれを本人ではなく誰か他の人が「おまえは生殖してもいい。おまえはダメ。社会のタメだから(笑)」とやるのが優生思想である。特定の人たちを(未来の)社会から「居なくすれば」社会はもっといいものになるらしい。しかし居てもいい人間いけない人間を本人の都合以外で選ぶ社会はすでに民主的な社会ではない。
社会のメンバー全てに平等の権利を認めた結果として社会に何らかの不利益が生じた場合、民主的な社会ではその不利益は全てのメンバーに平等に配布されなければならない。利益は多数派だけに分配し不利益はマイノリティーだけに分配(またはその逆)してはいけない。個人の幸福の総和は全ての人の幸福を高め全ての人の不利益を削減することで得られなくてはならず、不利益を一部少数者に集約した上で「[その少数者の属性]なんてこの社会には存在していない」ことにして残りの幸福だけを勘定してはいけないのである。それが「民の一人一人全員が社会の『主(あるじ)』として責任を負う」ということである。
もちろん「民主主義」というのは人間の価値観のひとつであり宇宙の絶対法則ではないので他者に由来する不利益に対して責任を負うことを一切拒否するのも個人の自由であるが、その場合民主主義社会によってもたらされる幸福の方も全て自ら辞退するのがフェアな態度であろうと思う。民主主義社会において多数派に属することの恩恵は(本人が自覚しているいないにかかわらず)計り知れず、本来数的にもその影響力も取るに足らない少数者・社会的弱者にイジワルするためだけにその恩恵を手放すというのも到底得策とは思えないが、けだし度し難きは小人なり。生まれつき享受している恩恵というのは本人には認識できないものなのかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20181112114914
さらに後出しごめんね。私の昔の記事どうぞ。フェイク混ぜすぎたけど今はもっと年収あるよ。養護施設に募金と外人なのは本当。あれから縁あって再婚できたんだ。あなたがなんか中卒40にニーズないってすごい強調してて面白かった!
まあ根本的に間違ってる。
優生学っつーのは「スポーツのつおい、将棋のつおい人集めて子供つくればもっとスポーツ・将棋がつおい子供が生まれて最強」みたいな「なんかすげーやつ」が何人か生まれて、その人たちはハッピー、親もガキ使って儲けてハッピーとかそういう漫画みてーな話じゃねーんだわ。
優生学っつーのは「イイ精子イイ卵子に高い金出せる金持ちがもっとつおくなる」ことじゃねーの。
優生学っつーのは「ある一定の基準に達した特定の条件を満たした(注1)人間だけが生殖して、それ以外には子供を残すことを許さない(ようするに断種するってことだ)ことで社会(国家・人類)全体が今より良いものになる」ってことなの。個人の能力の話じゃねーんだわ。集団遺伝学の話なの。
だから別に金持ちが金出してイイ精子買っても結婚相手をなんらかの能力で選んですげーガキができるのを期待するのも別に悪でもなんでもないしそんなことやってるやつはもう既にどこにでもいるわけよ。んなこた個人の自由だし、そゆことできるやつはむしろ「そうする権利がある」と言っても過言じゃないわけ。そいつら自身の金精子卵なんだから好きなように使えばいい。でもそれは優生学とはなんの関係もない話なの。
優生学っつーのはそーゆー「個人が自分の責任で自分が信じることやりたいことをやること」じゃねーんだわ。優生学っつーのはおまえの「生殖の権利、自分の身体やら人生やらをどう使うか、どう使ってもいいのかを赤の他人様がおまえの代わりに決めて下さること」なんだわ。だからアウツなの。どんなに崇高な目的があっても科学的な根拠があっても、ひょっとしたら実際かなりの確度で人類がより良いものに変わる見込みがあっても、そんでもアウツなの。なぜなら 金持ちやらスポーツ選手やらが自分の金や精子をどう使うか自分で決める権利があるのと全く同じように貧乏人も病気の人間もキチガイも外人も誰と寝て何人ガキをつくるかというのは自分で決める権利があるわけ。だから。
そうやってな、個人が自分で自分を幸せにすることが認められてさえいれば社会(人類)なんて別に今より良いものになんなくてもい―んだわ。いいんだよ?別に社会を良くしたいと思っても。ただそれは特定の人間を犠牲にすることを前提にするんじゃねーよ、ってことだよ。こういうの習うよね?中学校で。
と、まあそういうことだ。社会は別におまえを幸せにする責任なんてねーよ?でもその代わり社会はおまえを他のやつらと別枠に入れて人間が生来持っている権利を剥奪することも許されてねーということだ。そんでイーブン。
わかるかなぁ。わっかんねえだろうなぁ。
注1(1/22 付記)
「基準に達した」だとなんか「努力してそこに至った」みたいになるから「条件を満たした」に訂正した。
これさ、男の性質のせいだと思われてるみたいだけど、日本とかアジアの一部地域の男がそうなだけじゃないの?
観測範囲の外人男、バトルは好きだけど人間関係大好きだしお喋りだし感情表現ハッキリするし、女より人間好きお喋り好きなんじゃないかみたいな奴多いぞ
言語能力の発達が遅くて、女の子は幼稚園小学校と話をさせるトレーニングが行われてるけど男は女に合わせた段階ではまだ同じことができないから
発達段階に応じた会話トレーニングをされなくて、そのまま受験勉強と仕事を課されるので取り残されてるだけだと思う
外国の高校生男子とよく話すけど、同年代の日本男子よりかなーーーりまともにコミュニケーションできるよ
日本高校男子が不貞腐れてゲームしながら「今ゲームしてるからうるさい」って言ってる横で海外男子は「ママはいつも忙しいから休んでいいんだよ、僕が家事するから」って言ってるし(同い年)
日本男子に話しかけてもゲームの話する以外はイキってるだけか無言(根はいい子)みたいなのばっかりだけど、海外男子は適度に他人に話題を振るし、話しかけるし、他人を気遣うし、人好きでお喋り好きだし、自己開示して意見を言えるし、根だけじゃなくて振る舞いもいい子
こんなのめっちゃ見るで?
若い男は喋んないのがカッコいいみたいな文化が日本にはあるのかな?シャイなだけならいいんだけど、他人に優しい振る舞いをして喋るのは女だけ、男はしないのがかっこいいみたいなのはなんか全然意味わからんし違うと思うで?
優しい振る舞いができなくて気が利かなくてお喋りする能力が低いだけや
凍結屋とは、依頼してお金を払うとTwitterのアカウントを凍結に追い込んでもらえるというサービスである。
そのニュースを見て私は依頼してみることにした。
それが誹謗中傷スレスレのやり方だったので対処の仕様がなかった。
よくこういうことに対して「気にしないのが一番!」「嫌がらせする人は不幸なんだよ」とか
慰めの言葉がネットにたくさん落ちているが、それらは一切私を救わなかった。
Twitterで嫌がらせをしてくるという事実自体をどうにかしたかったので、
凍結屋という存在は私の救いに見えて仕方なかった。
違法行為だとわかりつつも。
いろいろ調べてみると、凍結屋は自分から凍結屋と名乗っているわけではなく、
調べたらわかるという感じだった。
被害に合われた方がご丁寧に凍結屋のアカウント名を書いていたので、
私は「貴方は凍結屋ですか、もしそうならお願いしたいアカウントがあります。
料金と支払い方法を教えてください」と送った。
「Hi」
「paypay 10000yen」
というような簡素な返事が届いた。
やり取りを続けていると向こうは日本語もわかるようだった。
ただ私にとってはどちらでもいい話なので、
まずはpaypayのアカウントを取ることにした。
私は何をやっているんだろう、と思う。
緊張感や罪悪感がありつつも
凍結してもらえると考えるとどうしても手を止められない。
支払いしてください」
と連絡が。
QRコードにアクセスすると、相手のアカウントらしきものが出てくる。
かなり胡散臭い。
引き返すなら今だぞ、とも思う。
ただ私は騙されてもいい、騙されたなら1万円は授業料。
それよりも凍結してもらえる確率が少しでもあるならそれに賭けたいという気持ちの方が強かった。
「OK」
と受領の連絡が来る。
凍結はされていない。
ああやっぱり私騙されたんだ、とここでようやく実感した。
平常運転なのがよっぽど辛かった。
そして、違法行為に加担しなくてすんだというような安堵感もあった。
自分自身の気持ちを何とかしなくちゃいけないということを学んだ気がする。
私が学んだのは
・凍結屋は詐欺
・paypayは便利
のふたつだった。
折角なのでpaypayをこれから利用してキャッシュレス生活を
始めることにした。
・実際に凍結屋からDMが来て脅されて、その後凍結された人がいる
・ニュースになってからTwitter社が対策しているとはいえ、それでも凍結された人がいる(やまもといちろう氏など)
・私のように凍結屋は詐欺だと報告している人が他にいない
ということはどこかに本物の凍結屋がいるということなのだろうか?
それは不明だが、私は騙された。
私が完全に悪いのだが、注意喚起になればと思い書いてみました。