前提としてオタクは陰キャ、ギャルは陽キャだ。おれがこの言葉を気持ち悪いと思う理由は二つ。
まず一つ目は卑屈さだ。オタクはスクールカーストで下っ端に位置し、それでよくない思いをしてきたはず。それなのに陽キャであることを是とし、ギャルにあこがれる。自分が差別されてきたのにその差別構造を肯定し、従う。その卑屈さが嫌いだ。白人に差別されてるのに白人コンプこじらせて外人と付き合いたがるポカポンタスみたいで気持ち悪い。
二つ目は怠惰だ。陽キャに憧れてるなら陽キャになる努力をすればいい。それなのにオタクは自分は陰キャのままで陽キャに愛されたいと願っている。そんなの働きたくない、宝くじも買いたくない、投資もギャンブルもしたく無い、でも、金持ちになりたいと言っているのと同じだ。
差別されている側でありながら、その差別構造と戦う努力も上流階級?に回る努力もせず、かといって現実を受け入れることもせず、まるで幼稚園児のように受け身で上流階級側から愛してくれることを望む。なんて気持ち悪いのだろうか。ポカポンタスはまだ英語を学んだり自分からアプローチしたりと努力(?)してるだけまだ立派かもしれない。
もちろん、この言葉をネタとして利用する分には問題ない。オタクは陰キャとして恋愛するなと言いたいわけでもない。好きになったやつがたまたまギャルで陰キャ・陽キャ関係なしにその人となりが好きになりましたとかならわかる。自分が陰キャである自覚があるのに最初から「陽キャとしか恋愛したくないよ~」とほざくのがキモいんだ。そういう作品を読んでるやつもどうせそんな気持ち悪い精神構造してるんだろう。
優しいギャルにへりくだる陰キャオタク、ポカホンタスと構造的同値になる理論か これは論文一本書けるよ 正義学か社会人類学か何かに出そう
ポカホンタスな
でもギャルはオタクに優しいからなあ
は? まず陰キャ非モテ男のくせに「女と恋愛したいよ~」って言ってるのがキモいんだから その女の中身がどんなのだろうが一緒だろ