はてなキーワード: 便器とは
中学生の頃、登校中にだ。
でも、漏らしたのはこれが最初で最後(だと思いたいという希望的観測)だ。
当時の登下校に限らず移動の時は腹の調子を見て、出来るだけ大便を済ましてから動くように心がけている。
ただ、いくら心がけていても、腹の下しは先取りできないし、終わりを伸ばすのも限度がある。
腹痛が始まったのは、通学路の半分を超えたあたりだったと思う。
腹を襲う猛烈な鈍痛。あ、いつものやつが来たなと思い、大便が漏れないように尻の穴に力を入れて堰を作る。
波は堰のギリギリまで攻めてきて、そして引き潮のように戻っていく。その繰り返しがしばらく続いた。
民家でトイレを借りることも考えたが、私にとっては腹痛は日常茶飯事で、借りることによる羞恥を鑑みると、それはとても実行できなかった。
全身から冷や汗だひたひたと湧出し、顔が自然と下を向く。視界には余計なものを入れず、ただ足と尻の穴にだけ意識を集中した。
一歩、また一歩と歩みを進める。普段登下校している20分程度の道程が、永久に続くのではないか、そんな風に思えた。
校舎が見えて来た。学校の周りであることを示すレンガの歩道をそのまま進む。
登校中の生徒に友達がいないことを、そしていたとしても話しかけられないことを、頭の片隅で祈る。
この時点で尻の堰は既に限界を超えており、土嚢を積んで緊急対応をしている状態だった。
校門を通り、自転車置場を抜け、校舎へと入る。
靴を脱ぎ、靴をしまう。下駄箱からトイレまでは曲がり角の無い一直線。
その途中。もうトイレまでは10mも無かっただろう。中庭に面した日当たりの良い廊下で、堰が決壊した。
モリモリモリと、尻から大便が噴出し、ズボンを盛り上がらせる。大便が尻を伝い、足の付根へ落ちていく感触を受ける。
廊下に落ちたら一貫の終わりだと思い、残りの10mを尻を(大便を)抑えながら、歩みをさらに小股にして、トイレへと駆け込む。
幸い足元からの大便の漏れは無く、道中は無事のようだった。だが、パンツ及びズボンは悲惨な状態で、見事に大便にまみれていた。
普通の人間ならこの時点で、授業には出ずに下校することを考えるだろう。僕もそうだった。
しかし、今日は中間テストの日だった。休んだことによる、先生や親、友達への事情説明等を考えると、頭が重くなった。
トイレの水で洗えば何とかなるのでは、そう考え、大便器の水でパンツとズボンを洗い、出来るだけ乾かして、颯爽と何事も無かったかのように教室へと向かった。
その後のことは、書かなくても分かると、思う。というか、これ以上、書くことが、自分にとって辛い。
簡単に概要だけ書く。教室は臭い臭いのオンパレード、教師は気を使い現状維持、その状態でテスト続行、絵に描いたような最悪な1日となった。
何でこんなに辛いのに、書いてるだけで冷や汗が出てきて、情けなく思えてきて、思考はどんどんマイナスに落ちていくのに、わざわざこんな文章を書いたんだろう。
似たような経験のある人とか、現在進行系で似たような問題に陥っている人がいれば、こんな奴もいるよというお知らせにはなるのだろうか。
良ければ、過去の恥を書くことの意義を、誰か教えて下さい。
タイトルの通りである。うんこ漏らした時に増田に助けてもらったので恩返しという名の懺悔をする。
誰かに言わないとやってられない。増田なのでこの際包み隠さず書く。うんこは漏れたけど。
一回目。あれは七月の終わりごろ。
自宅から自転車で駅に向かい電車に乗り、電車を降りたらまた自転車に乗るという通学をしていたのだが、
何をどうやっても一限の始まりに間に合わず、間に合わない以上は出来るだけ急ぐのだが、腹の調子が悪い時はそれは地獄であった。
毎回うんこ漏れそうだなとか思いながら駅のホームの端にあるトイレに駆け込んだりしていたり一回民家に駆け込んだこともあったのだが、
七月のそのときは少し事情が違った。いやよく覚えていないのだが…
確か駅を出た時にはそんなに腹の調子は悪くなかったのだが駐輪場に移動してしばらくチャリを漕いでいたらヤバくなったような気がする。
駐輪場から大学まで微妙に遠く、大体十五分くらいかかるのだがうんこ漏れそうなときにそんな時間耐えられるわけがない。
悲しい。今思い出しても情けない。路上でうんこ漏らす大学生に自分がなろうとは。
うんこをどうやって処理したか微妙に覚えていないが、多分大学まで行ってトイレで処理したのだと思う。
何せ初めてうんこ漏らしたわけなのだから内心パニックである。もう本当にどうしたのやら。とりあえず「うんこ漏らした」とかでググったのはしばらく後だった。
うんこ漏らしたのはもう事後だからどうしようもないが問題は講義である。
さっさと帰れよウンコマンと自分で思ったがそうはいかない。テストの予想問題の解答をやるとか何だとかで一限は出ないといけなかった。
おまけに二限は配られたプリントを回収しなければならなく、三限も何かあった。
だから一限には出た。うんこ漏らしたけど普通に座席に座った。匂わないかハラハラしていたが今考えるとハラハラする以前に人間として大切何かを失っていたように思える。
何やら汁っぽいものがズボンに染みていたはずだが念入りに拭いた(はずだ)し、ズボンの色は深い紺色でカモフラージュされたので結果的に妙な悪運を発揮したことになる。
パッと見ではわからないのだ。
ただうんこの処理やら何やらで入るのは遅くなったし板書の文字は見えないしで一限の講義はひたすら辛かった。
一限が終わって教室移動。一限は専門だったが二限以降は全学共通科目、つまり一般教養であり、比較的出席などは緩い。三限も同様。
二限の科目がまさにそうで、プリントは毎回配るが大部屋で出席確認はなし、テスト一発という今この状況ではとてもありがたい科目であった。
パンツを買うのだ。
まずはパンツを替えたい。
猛烈にそう思っていた。
この時コンビニのトイレが閉まっていたというのが妙に記憶に残っているがそこでパンツを替えたかったのだろうか…今となっては良く分からない
とりあえずコンビニのトイレが閉まっていたので大学のトイレに向かいパンツを替えた。
しかし事態は深刻である。パンツを貫通して汁がズボンにまで到達しているのである。一限は仕方なく、本当に仕方なく席に座ったがこれ以上のうのうと講義を受けていられる気分ではない。
だから帰った。三限は出なくても問題なさそうな感じだったので躊躇いはなかった。電車では立つと見られるかもしれなかったので座席に座った。もうマジで汚い。
私は実家から通っていたので、家事もそれなりに請け負う。テストが近いので早めに帰って風呂を洗うのは良くやっていた。
おまけに日中は家族はほとんど出払っていて、居ても風呂場からは遠い。
それらの事情を利用して、風呂場を洗うついでに、パンツとズボンを洗った。ものすごく念入りにシャワーで流し石鹸で洗った。
パンツは捨てようにどこに捨ててもバイオテロなので洗うことにした。ズボンは直接うんこが付いたわけではなかったから捨てるわけにはいかなかった。
一応パンツとズボンは洗濯機に放り込んだ。うんこはきれいさっぱり流されて微粒子レベルでしかないことは確認済みだったから大丈夫ということにした。
選択されたものを見ても綺麗になっていたので一応の解決はされた。
以上が一回目である。このときはもう二度とやらねえと思っていた。
二回目は年が明けた三月の初旬。浪人時代の友達に焼肉を誘われてそれを食いに行った帰りである。
長期休暇で碌なものを食っていなかったからであろう、久々の肉は私の腸内環境を大幅に活発化させた。
私はあの日以来うんこ漏らしてもパンツとビニール袋は持ち歩いておこうと思ってリュックに入れていたのだが、
この時は別のカバンで外出していた。
私はそれが悲劇に繋がるとは肉を焼いているときには予想だにしなかったであろう。
家の近くの駅から出た時であった。これはヤバイと確信する何かがあった。
とりあえずトイレを求めて駅近くの交番に行ってみたら警官はいなくて代わりに知らないおっさんに「ここトイレないよ!」と言われた。誰だったんだ。
そして急いで駐輪場に向かう途中で…
ケツを浮かせながら家に帰る。幸いにもまた家族は出払っているらしく、風呂も洗ってなかった。おかしい帰ったのは十一時くらいだったが。
ともかくうんこを流してパンツとズボンも洗って洗濯機へ放り込む。
二回目なので手慣れたものである。こんな汚い作業手慣れたくなかった。
うんこの処理をしているときうんこのかおりで小学生時代の最悪な思い出が蘇った。そう過去にもうんこの処理をやったことがあるなと。
あれは小学三年だか四年だかのころである。掃除をしていたら学校のトイレが詰まっていたのだ。
私は運悪くトイレ掃除の係だったのだが他にもう一人A君という男子が居た。
おぼろげな記憶ではA君は確かトイレが詰まっていた時にカッポンがないから和式便器に手を突っ込んで詰まりを取り除いていたような…
いや、よそう。こういうのは思い出してはいけない。最悪な思い出をこれ以上共有するべきではない。
初めての増田でこういう最悪な記事を書いた私が言うのもなんだが、今初めてうんこ漏らしてこれを見つけたあなた、少なくとも私よりはマシですよ。
2日間で暮らしを建て直す。
ペーパーでトイレ掃除をする(3分) 陶器の便器に石みたいなのがついていて汚れが落ちにくい→アマゾンでサンポール注文した
②洗濯機1回目 洗濯槽の掃除からしないとなんかかび臭い→過炭酸ナトリウムと洗濯洗剤で空洗浄した。(今日は短縮30分) 12時終了予定
12;00になったので、とりあえず脱水
④家事タスク時間管理のタイマーがなかった。スマホでもいいけど使い勝手が悪いから専用に購入しよう→アマゾンでタイマー注文した。
⑤デスクの上の掃除 定位置が決められないものをどんどん隣のエリアに移していく。
掃きだして、片づけていけばいつかは全体が収まるだろう。そもそも物量はそれほど多くないのだから。
デスクの上の清掃完了。にきびの薬とか日焼け止めとか化粧品類が結構デスクにある。これをとりあえずサイドテーブルに移す。
マイクロSDとか定位置決まらないけどとりあえず引き出しに投げこんで後で考える。
これでデスクは片付いた。
デスクの上と同様、大物をとりあえずエリア外に出して、不要物、ペットボトルや瓶など洗濯物を所定の位置にもっていく。
PC周りの配線は根本的に手入れが必要だけど、今はとりあえずおいておく。
掃除機で綿埃を吸う。あとはフローリングを水拭きすればだいぶマシになるはずだ。
だが信頼できる雑巾がない。今洗面所にある雑巾で床を拭くと雑菌播種行為になりそう
→バケツに雑巾と次亜塩素酸ハイターを入れて雑巾の信頼性を高める。濃度と温度のレシピがないけど適当にやる。
ここも大物をエリア外に出してごみを拾い、掃除機をかけて水拭きする。
⑧洗濯機2回目開始 13時15分 靴下とかパンツの口ゴムがあるものをとりあえず常温の水道水で洗う。
洗濯洗剤と気持ちだけ過炭酸ナトリウム追加 意味があるかどうかは不明→14時まで放置
おなかすいた・・・けど食糧があんまりない。とりあえずレンジでご飯炊くようにだけ無洗米をセットした。→14時まで放置
⑨順調なのですこし油断が出てきた。ここで気を引き締めなければ。クリーニング関係とアイロン関係と重要書類関係の山がある。
床を片付けているとカバンとか皮革製品がある。これの手入れをどうしたらいいかよくわからない。
水牛底皮のリュックは、とりあえず無印の皮革用クリーム、っていうやつをウエスで塗り込んだ。悪くない。
ついでに靴も一足略式で磨いた。皮革製品の手入れは何をどうしたらいいか未だよくわからない。クリーナーとクリームと靴墨と防水スプレーがあるけど・・・コロンブスから何か高いものまでどれを買えばいいのか。。。
⑩洗濯3回目開始(15:15) 2回目では靴下15足、パンツ8枚を洗浄。 3回目ではTシャツ、タオルなどを投入 →16時まで放置
少し飽きてきた。綿のハンカチ3枚アイロン掛けして仕舞う。台に平置きにしていたのでアイロンかけは楽だった。
⑪17:00洗濯三回目終了、バスタオルとTシャツを干す。4回目を投入、ワイシャツ2枚と枕。枕は防ダニとかで目の細かい布なので水が沁みとおらない。なんとか空気抜きながら酸素漂白剤入りの洗濯機に突っ込む。でも完全に沈まない。あとで天地返し必要。
⑫暑さも落ち着いてきたので買い出しに出よう。食料、水その他。その前に今の状態だと無精髭が伸びていてびっくりされるので髭を剃っていくことにする。無駄だけど社会参加税と思う。
⑬20:00 買い物終了。少しばててきた。今日はこのくらいか。あとは寝るまで大きくバタバタしないようにしてはやめに寝よう。
クローン病ではありませんが、もと潰瘍性大腸炎持ちです。21歳で発病し、当初はほぼ一日中トイレ行って横になっての繰り返し。トイレでは排泄するたびに激痛が走るし便器が血で真っ赤に染まるし結構つらかった思い出が有ります。
就職活動では工場見学が一番きつかったです。漏らさないように全力で尻に力入れてたのをよく覚えています(会社には病気の事は言わず、結局合格して今の会社に就職しました)。
就職後は会社の方針で工場に配置されましたが、やはりちょくちょくトイレに行くのでたまに叱られました。これは迷惑かけてるのは事実なので謝るしかないと思います。ただ、比較的寛大な職場なので病気のことを話すとそれなりに理解はして頂けました。
工場で働きながら夜はプログラミングやネットワークの勉強をし、約1年したところで情報システム部の人の目に留まってそっちに引き抜いてもらいました。他の方も言っておられると思いますが、IT関連は
・自分のペースで仕事ができる。途中トイレ行っても別いにいいし、期限までに終わればいい。
という意味でお勧めです。IT関連の職場では情報系を卒業した学生を雇ってみたものの、全く基礎ができていなかったということが度々ありますし、それだったらちょっとでも実践で役立つ能力を持っている人のほうがずっと喜ばれます(自作アプリなど実力を証明できるものを持って面接に臨めると最強ですね)。
また、IT以外でも、こういう病気の人は単独でできる仕事、自由にトイレに行ける仕事を模索することをお勧めします。それ以外だと精神的プレッシャーがきつすぎます。
IT部門に移動してからも仕事中にしょっちゅうトイレに行っていましたが期限は守って仕事をしていたので、それについて何かを言われることはありませんでした。
また、年に一回程度、複数人の社員で遠くに出張に行く必要が有りましたが、現地まで単独行動することをお願いして切り抜けました。
さらに数年に一回社長同行出張というウルトラ級のイベントが発生しましたが、前日から何も食べないなどして切り抜けました。それでも出血のためにトイレに行ったりして怒られたりしましたが。
IT系にも色々な職種が有りますが、独学でも学習しやすく実践で役に立ちやすいオープンソース系を勉強するといいと思います。私はLinuxでWebサーバーやメールサーバーを見よう見まねでセットアップするところから始め、RubyやPHPなどのプログラミング言語をこれまた見よう見まねで勉強しました。後にiPhoneアプリなども勉強して習得しました。
1年くらい勉強してようやくなんとなくできるようになったかな~と感じたころに情報システム部から声がかかりそちらに移動になりました。声がかかったのはそっちの部署の詳しい人に色々質問したりしてたからだと思います。
また、最低一台はパソコンが必要というハードルが有りますが、そこさえ超えればソフトウエアは基本無料で手に入るのでやる気さえあれば比較的お金をかけずに勉強できる分野だと思います。
就職したのが22歳の時で、現在42歳になりますが、今はすっかりよくなってほぼ普通に毎日を送れています。
クローン病は潰瘍性大腸炎よりずっと辛いだろうなと思いますし、私の経験談が役に立つかはわかりませんが、元増田さんが平穏な毎日を取り戻されることを祈っています。