はてなキーワード: モナリザとは
個人的には旅行にはほとんど行かないタイプだが、旅行の魅力は二つあると思う。
一つ目。
例えば、本物の「モナリザ」をルーブル美術館で実際に見た人がどれくらいいるか?という話だ。
もちろん、本物の「モナリザ」を見ないで死んでいく人達が大半だし、「別に見なくて一生を終えてもいい」という人もいるだろう。
ただ、「言われてみれば、見たことがないな。実際、どんなものか一度見てみたい」という人もいるのではないかと思う。
それがある人にとっては、「奈良の大仏」かも知れないし、「ハワイ」なのかも知れない。
「一度、シンガポールのマーライオンのガッカリさ加減を味わわないと死ぬに死ねない」人もいるかも知れない。
もっと広げれば、「回らない寿司を食べずに死ねるか?」みたいな話にもなる訳だ。
「一回性」という意味では、「ロシアワールドカップの日本の試合」や「声優のコンサート」という人もいるし、結局、
その人本人の取捨選択になる。全ての体験が体験出来るわけでもないので。
二つ目。
こちらは、「旅行に金が掛かる」というが、「そんなこともない」という話。
例えば、自分の最寄り駅の二駅前で下車してみる(休みの日でもいいし、週末早く上がれた時でもいい)。
そして、街の中を散歩してみる。
長年同じ所に住んでいる人でも、二駅前の街中の様子まで把握している人は少ないんじゃないかと思う。
要するに、目の前に見慣れない景色が広がっている。
別に調子に乗って迷ったところで、今はスマホがあるので大丈夫だ。
4年ぶりに書くけど、堀先生や碓井先生や山田先生がいた頃が懐かしいなぁ。
今はHPを見ると退任された方が多く、見覚えのない先生も何人かいました。
今の地理学科はどんな感じですかね。
偏差値が自分がいた頃より10近く下がってるのを見るとやるせない気持ちになります。
ちょうど海津先生が赴任して来られたばかりの時でした。
彼の授業では英文を使った海洋学や地質学が盛んで皆で囲んで訳す作業で、毎回宿題を出されて英文和訳を提出してたっけ。
三木先生や土平先生、山田先生とのフィールディングは実に有意義だった。歴史、城郭、地誌、測量などなど、今の仕事に大いに役立ってる。
もうおられないかもだけど池田碩名誉教授が研究室を勝手に占拠してるって話を彼のゼミ生だったF氏から伺った時は本当に爆笑だった。
池田先生の授業も相当面白かったよ、今となっては良い思い出(評価は可よくて良ばっかりだったけどw)。
堀信行先生の授業は正直最も議論が白熱したのではないかと思う。
当時専攻してた環境地理では、気候学より水文学の話が面白かったよ。ダヴィンチのモナリザの絵から地理的情報を読み取る方法論は今でも為になってる(『水の原風景』は名著)。
僕はあの頃が一番好きだった。いつか奈良大学に色んな事を報告できれば良いなと思う。
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一方で「客観的な非がある」的な主張は論理的に論陣を張らなければ出来ないわけですが
「キモイ」は感覚なのは否定しないけど、そういえば「自己中」とか「身勝手」って非論理的な言葉か?
と思って辞書を引いてみた。そしたら謎が解けた。
み‐がって【身勝手】
[名・形動]他人のことを考えず、自分の都合や利益だけを考えて行動すること。また、そのさまや、そのような態度。わがまま。「―な言い分」「―に行動する」
じこちゅうしん‐せい【自己中心性】
これっていわば特徴の指摘であって、感情とか感覚とは別のものだよね。
私が気持ち悪いと感じるかどうかは、ある作品の自己中心的さとか身勝手さという特徴とは別のこと。
あなたは
と書いておきながら、
とか書いてるけど、まず他の表現を要求したのはあなただし、並べた言葉も別に非論理的な言葉ってわけじゃないんですけど。
「あなたは身勝手ですね」というのは「あなたは私の権利を侵害していますね」という意味じゃなくて「あなたは自分さえよければいい、他人のことは考えない人ですね」という意味ですよ。
あなたは専ら「身勝手」という言葉を感情的・攻撃的な言葉のように扱ってるけど、それは普段あなたがそういう言葉で攻撃したりされたりしている(か、他人がそうやって攻撃し合っているのを見ている)が故の思い込みですから。「他人のことは考えない人だからこうやって私の権利を侵害するような真似が出来るのですね」の略だからそれは。
そもそも「論理的」とはどういうことかってこと、あなた解ってないよね?
「この作品は男の内面を女の身体に語らせており、不当で不誠実で不正確でありかつそれに意図的に目をつぶろうとする身勝手さ自己中心性をそなえている。ゆえに批判から逃れられない」。AはB故にC。という主張に対して、それが論理的でないということを証明するためにはこの作品は不当でも不誠実でも不正確でもないしそれらに意図的に目をつぶってなどいないということを示さなきゃならないわけ。AはBでない故にCでない、という理屈。
でもそのためには「この作品は男の内面を女の身体に語らせてなどいない」という証拠を出さなきゃならないわけだけど、あなた自分で「そこは間違いない、男の内面を女の身体に語らせている、女を被った喪男である」と認めちゃってる。だから、覆せない。はい、論破。みたいな感じになってるんだよ今。
例えばイタリアに生まれ育ったイタリア人と言うだけで私達とは文化も環境も全てが違いますが
つまり「読者が理解・共感できるから本物じゃない」っていう理屈なわけだよね。
その「本物」って何? って聞いてるんだけど。
例えばジョジョ5部のキャラがヘタリアかゴッドファーザーにでもより近ければ「本物」ってことになる?ならないでしょ。
実在のどんなイタリア人に近づけたとしても「本物」にはならない。何故か?
ジョジョ5部のキャラクタの「本物」は原作者でも典型的イタリア人像でもマフィアの実態でもなくて、ジョジョ5部のキャラクタ自身だからだよ。
あの人物像、あの性格設定、あの立場あの過去あの感じ方のキャラクタたちがあの状況に放り込まれたというのがジョジョ5部という物語であるわけ。
一方「私モテ」の「本物」は"智子"じゃなくて作者であり喪男だけどね。
そこがジョジョとは違って不誠実だし嘘と飛躍にまみれてるし、個人的な感覚としては薄汚い感じがするっていう人がいるのも解るんだな。
オリジナリティの有無とか架空性がどうこうとかの問題ですらない。コンセプトがうんこなの。
アンジェロみたいになるかもねw
私は絵面の話をしていましたよね。
作者の絵がかなり下手なのでわかりにくいですが、目をグリグリと大きく描いていて
絵面の話としてもかわいくはないよ。「積極的に嫌われはしない最低限の程度の容姿の女の子」として描いてるだけだよ。
表情もかわいくないし言動もキモいしw
かわいいのはもこっちの同級のリア充とかいいにおいがするタイプの女の子でしょ。
こういうレベルの必然性でいいなら『私モテ』について私がでっちあげましょう。
コミュ障オタクなのだから、友達ゼロでも通学を続けるタフさが必要だ。
時には便所飯する可能性もあるし、
一人で声優イベントに出かけて気持ち悪い妄想にふけるかもしれない。
でもそのギャップが逆に考えてみるとおもしろいかもと思った。
しかも女子高生のような、世間的ステータスとしてはモテてもいい筈の人。
なんて。
だから、その「面白い」は「男がやるより女がやったほうがいいという面白さ」でしょ。
「男がやるのと女がやるのとでは描き出せるものが全く違う、女でしか描けない面白さ」っていう6部のそれと違うでしょ。
しかもその言に則ると私が実際に書いた「見苦しくないとかカワイイとか萌えるとかいう面白さ」より悪質だよね。
「女がやった方が見苦しいしキモチワルイしみっともないという面白さ」だよねあなたが提示してるのは。
それは喪男の見苦しさキモさみっともなさからくる面白さなのに、何で女にさせてるの?
そしてそういう女をないがしろにして成立してる描き方は不当だし不快を誘ってもしょうがないので叩かれてしまうのよ、と繋がる。
・お言葉ですが、「女ではハードルが高い」みたいな弱さは6部の女性キャラにはあまり描かれてないと思います。
・「ギャップ」「聖母マリアのような大きな人間愛」という女性イメージはそれこそベタで広義な萌えでしかないかと。
・JOJOと『私モテ』はむしろ例外的に変な共通点に満ちており、『私モテ』と異なる作品や作家はもっとごまんとあったと思います。
・刑務所ブチ込まれてすぐの徐倫の翻弄されっぷりがその「弱さ」の描写です。まー登場早々例の発言だし1部ヒロインみたいな超おしとやかなお嬢さんの弱さほどは判りやすくないかもだけど。
・語義広げすぎ。コアで狭義な「萌え」がメインの作品を正当化するためにわざわざそんな無理矢理共通点作らなくていいですから。
・ジョジョネタ混ぜたのは私だがわざわざそれを拾って広げたのはあなたです。
・じゃあジョジョはこれで打ち止めとしとこうか。ジョジョ絡めてるくだりにはもう反論とか要らないからね。
「お前のこの部分の論じ方は詭弁です」という風に書いてくれないと
どこについて異議があるのかわかりません。
自分で書いたことくらい覚えとけw行き当たりばったりでいい加減なことばっかり言わないでくださーい。
萌えるように売れるようにするのが「超いい加減」であれば
世の中は「超いい加減」な作品で満ち溢れています。
まず、私があるものを叩かれて当然と判断するか否かと私がそれを気に入っているかどうかはイコールではない。気に入っているものを叩かれたらイヤな気分がするし気に入らないものを叩いてる人間には加勢したくなるかもしれないが、その感情的なプラマイは叩きの土台にある批判の論理の正当性を保証しない。
「気に入っているものを批判されたのでその批判は不当」とか「気に入らないものを批判しているのでその批判は当然」という理屈ではないわけ。
そして、そもそも私はいち意見を述べただけで力説はしてないしw、私が気に入る気に入らないの表明はしていない。
それを
という風に表現しちゃうっていうのはあなたが思いこみが激しくてちゃんと文章が読めていないからだよ。
っていうか、マジ何でそういう理屈が浮かぶの?自分が普段そういう考え方でモノ考えてるからつい他人にも敷衍して考えちゃうの?
それで結局、『私モテ』の話ではなくオタク向けコンテンツ全般の話にしたいわけね?w
あなたは結局、『私モテ』が何故欠陥品であるかについては「感じ取れ」というスタンスです。
ですがあなたの感じ方を共有出来る人間は限られていて、そうでない人間がたくさんいます。
そのような”他人”に広く物事を説明する手段が論理です。
違うよ。でも詳細はもう冒頭で述べたし大体いいよね。
論理は他人に物事を説明する手段じゃなくて思考の妥当性が保証される法則や形式のことだよ。
説明する手段として使えるとしたら、それは論理が思考の妥当性を保証する法則や形式に則っているからだよ。
そして元増田記事は則っているし、わたしの主張も今のところ則っている。
あなたが受け入れられないでいるだけなんだよ。
違うよ。あなたが不当とか不誠実とかの表現を非論理的な言葉だと誤解しているからだよ。
不当とか不誠実ということばは「男の内面を女子高生の肉体に語らせている作品である、だから不当である」という用い方をされていれば十二分に論理的なんだよ。
あなたが目をつぶっているだけだよ。
何故そんな無意味な嘘を付くのかわかりません。
一から十まで全部私のトラバなんだってお墨付きがあった方が心地よくやりとりできるでしょ?
「ないがしろにする」の意味は不明なままでした。
読むところが違うのであれば具体的に抜書きで提示してください。
例は「大人をないがしろにする」っていうヤツだけど。
大人をないがしろにするっていうのは例えば、「この局面でこんな言動する大人いねーよ!」という大人を出すという事だ。
こんなに簡潔に書いてあるのに見逃すとか、見たくないもの見なさすぎでしょw
あなたが今肯定した論理であれば「基本ファッション雑誌なので」なんてことは言い訳にならないはずです。
「有意義な情報を摂取できる」っていうレベルは要求が高すぎ。「有害情報は掲載しない」程度が妥当かな。
で、心掛けてるかはともかくまあまあそう出来てるかな、という意味で「すべて女性向けで不当っていう感じでもない」と位置付けたの。「つーかananのがひどいので例として適当」というのが本題なので、そこと繋げるためにね。
cancamの紙面構成は広告で4割、ファッションスナップ・スタイリング例で5割(逆かもわからんが)、読者ページが1割ってところだよね。有害な可能性が最も高いのは読者ページで、理想の男像とか男はこんな女が好みとかが結構偏ってる可能性があるのでNG。
…くらいまで書いて気がついたけどごめんアレだMoreとかnon-noと勘違いしてた。ちょっとcancamのくだり全面的に撤回するわ。映画館が不当って話だけにしてちょ。
この基準に従えば確かに
ただ、私はこの基準には不賛成です。
あなたが賛成か不賛成かはこの基準が論理的に適当か不適当かを意味しないです。
感じ方は否定しないけどそれで反論になってると思ってるならそれこそ無意味だよん。
1.女性向け雑誌が女性向けの誌面を作って男性を読者層から除外するのが男性への攻撃だとは思えません。
そうかあ?
例えば一時期の○○男子叩きは著しいものがあったでしょ。眼鏡だの理系だの肉食草食だの。今でもイヤだと思ってる人結構いる気がする。
あれは男性へのレッテル貼りが不当だったから男性の不快を誘って批判に至ったわけでしょ。
同じ事だよ。
あなたが楽しく笑ってるようには到底思えません。
無意味なやりとりはやめましょう。
まあぶっちゃけちゃうと、これまでのところ「(失笑)」って感じだからねえw
もうちょっと面白いこととか鋭い指摘とかしてくれればいいのに、滑ってばっかりなんだもん。
いいえ同意してません。「これはもてない女性ではなくコミュ障オタク男性だ」と指摘したのは大元の増田記事です。あなたじゃないです。
あなたの「嘘がある」「飛躍がある」という指摘に私は賛成しました。
作品についての指摘・認識はあなたと私はほとんど一致してるんですよね。
ただそこから展開する、
作品についての指摘・認識は私とあなたはほとんど一致していませんよ。
まず「描き直せ」とは誰も言っていません。あなたは私の批判をそういう方向の攻撃として捉えているわけですねw
描き直しは別に求めていません。「そういう描き方をしている限り叩かれるのは必至だよね」と言っているだけです。
「非である」という批判が生じることをあなたが理解できない理由は簡単です。
私が再三言っているこの作品の自己中心性とか身勝手さとか不当さについて、あなたは用語レベルで誤解していましたしスルーを決め込んできたからです。
「嘘」や「飛躍」の有無や奇形性はその自己中心性や身勝手さや不当さの論拠であるというのに、なんでそこが認められないんですかねー。という感じです。
力を入れるところが間違っている気がします。
えっ何?当たってた?当たってた?ww
だってすごい解り易いんだもんwww
あっごめんねwwこんなに笑ってるとまた傷ついちゃうよねww
あなたの「キモい」という感情は否定してないので覆す必要は無いと思います。
一方で「客観的な非がある」的な主張は論理的に論陣を張らなければ出来ないわけですが
あなたの話を聞いていくと結局「キモい」「自己チュー」という感覚的・感情的な言葉に帰着するので
あなたの主張は「感情的にキモい」以上のものが出てきていません。
「むしろ」じゃなくてはっきりと認めています。何度も何度も。最初から。
私はこの漫画について「コミュ障オタク男性を女子高生にしている」と書いてきました。
なんとなくわかってきましたが
あなたの感情では「コミュ障オタク男性を女子高生にしている」→「明らかな非であり許されない」となっています。
が、その「→」の部分の論理がどうなってるかということを私はずっと聞いています。
今のあなたの主張っていうのは要約すると「オタクがモテない女かぶってモエててわりーか!かわいいんだからモエるんだから売れるんだからいいだろうが!叩くな!!1!叩きは全部感情論で意味がない!!1!!」ってことでしょ。
まずもう少し冷静になって欲しいです。
私はあなたの論理を聞いているだけだから感情的にならずに話したいんですが。
>「叩かれるのはしょうがない」「異様だし」「身勝手だし」「自己中だし」
「異様」だから叩く、は私は反対です。
「身勝手」というのは具体的に誰の何の権利が侵害されてるのか説明されません。
「自己中」も同上です。
私は『私モテ』が叩かれるべきではないと言ってるのではなく
あなたの叩きの論理が未だにさっぱり示されていないと言っています。
私とあなたは戦ってるわけではなく
お互いに相手の打倒を目指しても得る物は何もないので、
感情を叩きつけてくるのではなくて論理で喋って欲しいと願っています。
「本物の英国紳士やマフィアのもの」じゃないって、読者が理解・共感できるから本物じゃないっていう理屈なの?その「本物」って何?
例えばイタリアに生まれ育ったイタリア人と言うだけで私達とは文化も環境も全てが違いますが
彼等のイタリア人らしさと言うのはたまに「ナポリのピザが食べたい」とか言い出すレベルでしか実装されません。
殺し合いを日常にする犯罪組織の下部構成員の思考回路や人生観なんてものも私達の理解や共感からは隔絶する筈です。
私達が容易に理解や共感できないほど”リアル”にイタリア人やマフィアを再現する必要はそもそもないからです。
私はエンターテインメントにあなたのような独自の厳しいルールを課しません。)
ズラズラ非難の言葉だけを並べたてるのは「論理的」とは別のことです!
これまでよりもなんとなく堅い印象の言葉をチョイスしたのがあなたの「論理的であろう」とする努力の成果であれば
そもそもあなたは論理と言うことについて根本的によくわかっていないのかもしれません。
「不当」は「正しくない」と言った程度の意味ですが、
「あいつの行動はこれこれこうで、俺の権利をこのように侵害しているので不当である。」というように
「~~~しているので」の部分を誰にでもわかるように説明するのが論理です。
Q「彼のどこがおかしいのですか?」 A「あいつは不当だからおかしい!」というのは
トートロジーと言って説明になっていません。
>えーとつまり『私モテ』が特別気に入らないのではなくオタク向け作品全般が気に入らないだけですか?
元の文章って「オタ向け作品が叩かれるのは何故か」っていうことに関してのわたしのいち意見であってわたしが気に入る気に入らないの表明じゃないから。
あなたが「叩かれて当然」と力説することと、あなたが気に入らないと言うことは、
それで結局、『私モテ』の話ではなくオタク向けコンテンツ全般の話にするんですか?
あなたはもう少し主語や目的語を添えて会話するようにしてください。
「お前のこの部分の論じ方は詭弁です」という風に書いてくれないと
どこについて異議があるのかわかりません。
…こういうやり取りも何度かしていると思いますがなんで改めてくれないんですか?
荒木飛呂彦が独身で人殺したくなったとしても吉良吉影の三位重視のポリシーとか他人の手首とのフェティシズムとかとは別の動機別のスタイルになって当然でしょ?
お言葉ですが、すごく荒木飛呂彦っぽい思考のバリエーションに過ぎないと思います。
もし”リアル”に性的な連続殺人犯を描くのであれば吉良のようにスマートな人物像にはなりません。
なんかこの話であなたに反論してると荒木批判みたいになって心苦しいんですが、私は荒木作品は好きです。
まず、もっと出発点が違う作家はいくらでも居るのに何故よりによって荒木飛呂彦を選んだのかとても謎です。
次に、他の作家と出発点が違うからなんなのかがよくわかりません。
私は絵面の話をしていましたよね。
作者の絵がかなり下手なのでわかりにくいですが、目をグリグリと大きく描いていて
少なくとも不細工としては描いていない。
のです。
私もそういう段階の話をしたくて仕方がないですが
論らしい論が提示されないと検討に移れません。
「不当なので間違ってる」というようなレベルの日本語&論陣は、
読み手が内容を理解する・しないという段階に達していません。
むしろ「すごく良く女を描いてる」と言ってる評もあるんだけど。
なにかあなたは核心部分でいつも他人のものを引っ張ってくる気がしますが、
作者本人の見解としてはhttp://proudyblood.nobody.jp/wryyyyyyy6.htmlの冒頭、作者コメントの引用かな。
こういうレベルの必然性でいいなら『私モテ』について私がでっちあげましょう。
コミュ障オタクなのだから、友達ゼロでも通学を続けるタフさが必要だ。
時には便所飯する可能性もあるし、
一人で声優イベントに出かけて気持ち悪い妄想にふけるかもしれない。
でもそのギャップが逆に考えてみるとおもしろいかもと思った。
なんて。
・お言葉ですが、「女ではハードルが高い」みたいな弱さは6部の女性キャラにはあまり描かれてないと思います。
・「ギャップ」「聖母マリアのような大きな人間愛」という女性イメージはそれこそベタで広義な萌えでしかないかと。
・JOJOと『私モテ』はむしろ例外的に変な共通点に満ちており、『私モテ』と異なる作品や作家はもっとごまんとあったと思います。
・JOJOの話をしてるとJOJOについての見解の差まで話題に混入してきて論点が遠ざかる一方な気もします。
これを読んで根本的な問題がわかりました。
やっぱりあなたは論理と言うことについて全くわかって居ません。
あなたは結局、『私モテ』が何故欠陥品であるかについては「感じ取れ」というスタンスです。
ですがあなたの感じ方を共有出来る人間は限られていて、そうでない人間がたくさんいます。
そのような”他人”に広く物事を説明する手段が論理です。
「明らかに不当、不誠実、間違ってる、何故わからない」みたいな論理性0の返答が返ってきたのは
自分の感じ方を強い言葉で繰り返すことが「論理」であるとあなたが誤解をしてたからです。
っていうことにしておいて下さい。
何故そんな無意味な嘘を付くのかわかりません。
「ないがしろにする」の意味はその後のやりとりで出ているのでよく読んでね。
読みましたが
といったことを力説するだけで、「ないがしろにする」の意味は不明なままでした。
読むところが違うのであれば具体的に抜書きで提示してください。
>「レディースデーやってる映画館は男をないがしろにしてるので不当」とか
ああ、本当にそのレベルなんですか…。
(他人の感じ方を縛る立場に私は一貫して不賛成です。)
??
あなたが今肯定した論理であれば「基本ファッション雑誌なので」なんてことは言い訳にならないはずです。
CanCamは20代前半女性以外をないがしろにしてはいけないので、
中高年のおじさんが読んでも幼稚園児が読んでも有意義な情報を摂取できる誌面づくりを心がけるべきですよね。
「CamCamは基本ファッション雑誌なのですべて女性向けで不当っていう感じでもないけど」なんていう
あなたの都合や主観でファジィにONOFF出来るような性質のものではありません。
この基準に従えば確かに
ただ、私はこの基準には不賛成です。
これを適用すると無傷で済む人や人工物はこの世に存在しなくなり、
ananとかは特に女から見ても「うわあ…」って紙面のときあるよ。
仮に客側読者側である女が「それは商業的に向こうがそうやってるんだから仕方ないじゃん」と言ったとしたら、
「そうだけどだから?文句出るのは当然じゃん?むしろ何で擁護みたいな感じになってんの、自分が利益得られるから?」って言い返されるのは
1.女性向け雑誌が女性向けの誌面を作って男性を読者層から除外するのが男性への攻撃だとは思えません。
2.男性が女性向け雑誌を読んで、「つまらなかった」「買って損した」と感じるのはおかしくないと思います。
3.ただ、それでその女性誌の悪口を言ったり、編集部に苦情の電話を入れ始めたら、頭がおかしいと思います。
理屈として間違ってない。
間違ってるか間違ってないかというレベルですらなくて絶句します。
あなたの「理屈」や「論理」というのは常にあなたの独自の感じ方のことを指すんだということにはもう慣れましたが。
笑えることって楽しくない?w
あなたが楽しく笑ってるようには到底思えません。
無意味なやりとりはやめましょう。
ほらこれも、「わかりません」。「ありません」じゃなくて。
「挙げられたこれとこれとこの指摘は作品に関する事実と相違しています、つまり誤解です、誤解なのでその非難は的外れです」とかじゃない。
思い返せば作品に関する事実はいくらも語られて居ないんですよね。
作品について「これはもてない女性ではなくコミュ障オタク男性だ」と指摘したのは私で、あなたも同意していると思います。
あなたの「嘘がある」「飛躍がある」という指摘に私は賛成しました。
作品についての指摘・認識はあなたと私はほとんど一致してるんですよね。
ただそこから展開する、
「非である」「描き直せ」的な主張はなんでそうなるのか論理的な説明が無いのでわかりません。
そこで論理的な説明を求めると
「気持ち悪い」「ちゃんとしてない」「まともでない」「真っ当でない」「叩かれたってしょうがないと思う」
というのが顛末です。
ただ原因として、冗談ではなく、
あなたがそもそも論理というものをよくわかってないことはさっき確認できました。
あっごめんねwだって反応のパターンがすごいよく似てると思ってさ。
本当に冷静な人間はw文字一つとっていちいち攻撃だとか感情的になってるとかあげつらわないもん。そこ本題じゃないんだし。
取り乱してもいいんだよ?それだけ傷ついてるってことなんだから。
力を入れるところが間違っている気がします。
好きすぎて吐きそう。
いや、まだ『ニューロマンサー』と『クローム襲撃』読み終わって『カウント・ゼロ』が終盤に入ったくらいのとこなんだけど。
ねえなんで文庫本ニューロマしか出てないの? 残りが絶版とか出版社の目は節穴なの?
もうこの際多少オタク系萌え絵でもいいから誰かコミカライズしろよ。そして一大ブームを巻き起こして映画化までこぎつけろよ。
そしたら流石に重い腰が上がって再版かかるだろうがよ。
ああでも待ちきれない。待ちきれないそんなの。古本でもいいから買っちゃおうかな。しかし今月カード支払い厳しいしな。でも図書館の本じゃイヤだ。手元に置きたい。
カウント面白いけどああ終わっちゃうよう、とベソかきそうな心地になりかけるがまだ『モナリザ』が残ってると思うと生きる気力がリンリンと湧いてくる。
大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。
とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。
自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。
作り出される自分のアイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。
ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分の世界に取り込んでいたような気がする。
ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。
その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。
そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。
好んで読んだのはハードボイルド。
チャンドラーとか、ジャック・ヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。
ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会を渡り歩く勇気(社会に絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイに社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。
それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。
それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。
だから、こう言いたい。
完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。
その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。
著名なSF小説「ニューロマンサー」の続編「モナリザ・オーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。
この感覚。
ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会もスモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。
あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景をスパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。
もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ。
あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分の価値観以外のコミュニケーションを仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しのロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。
ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。
しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。
そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。
これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。
で、いきなりやってくるのは、研修。
法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。
そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。
「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」
これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。
交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュな仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。
それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。
ぼくは、どれだけハードボイルドな世界でショートピースが標準か語りたかった。
「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」
「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」
その人は笑う。
「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」
ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。
そういう感じ。
その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。
同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。
そういって、現場から明るくたちさる。
あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界がガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。
底辺などというべからず。
その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産な現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。
機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。
ちょっと言い過ぎた。
ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。
貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。
本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。
「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」
その履歴書は真っ白だろうか?
数こと話すと人事の最高責任者は頷く。
じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。
配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。
「山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」
「あー、そう言われたのは初めてで」
(ブルースは好きなんだけどねえ…)
そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。
「黄・赤・白・青」は全く要らない情報。省略。
私のクラスのギャル系の人たちは、署名を集め生徒会に提出すると頑張っていて
いくら署名を集めても、現状は変わらないと思っています。
主語が途中から変わっているのに明示していない。
頑張るのが無駄だと思ってるのはあなただろうが、ならばちゃんと「私は」という一語を入れよ。
「いて」という接続もおかしい。「いるが」だろう。
普通科は文字しか書かないのか絵も描くのかどっちなんだ。
で、つまり何が言いたいの。この部分は何を説明したいの。
私は皆が学校に反対してまで署名活動や、盛り上がってるのがよく分からないのですが
友達になぜそんなことをやるのかと聞いたら
「絵を描きたいから描く。Tシャツに絵を描くことを規制されるのはありえない」
とか言われました。
あら?あなたも最後の体育祭だから素晴らしい絵を描こうと意気込んでたんじゃなかったの?
意気込んでたのは友達で、あなたは冷めてたの?
とにかく文章が滅茶苦茶だから主語がわからない。
皆さんはどう思いますか?
結局あなたの論点や考えが曖昧なので「どう思いますか」と言われても困る。
我々他人にはあなたの学校の行事なんてもっとよくわからんしどうでもいいんだから。
体育祭の中で「黄・赤・白・青」それぞれ自分のチームのTシャツを着るのですが
私の学校は美術科と普通科に別れていて、運動を苦手とする人が多い美術科はTシャツに
最後の体育祭なので、すばらしい絵をTシャツに描こうと意気込んでいたのですが
今年はTシャツに絵を描くことが禁止になりました。
私のクラスのギャル系の人たちは、署名を集め生徒会に提出すると頑張っていて
いくら署名を集めても、現状は変わらないと思っています。
先生はTシャツに絵を描いた生徒は体育祭に出場させないそうです。
美術科は絵を描くのですが、普通科はTシャツに文字を描く人しかいなくて
しかもその文字というのが「おっぱい大好き星人」「Gカップです」や性器の絵を描いたりしている人もいます。
美術科は なのはや初音ミク、モナリザやアジカンのCDジャケット等を描いている人が多いです。
私は皆が学校に反対してまで署名活動や、盛り上がってるのがよく分からないのですが
友達になぜそんなことをやるのかと聞いたら
「絵を描きたいから描く。Tシャツに絵を描くことを規制されるのはありえない」
とか言われました。
皆さんはどう思いますか?
http://anond.hatelabo.jp/20090210131133
別に何とも思わねえな。ただ、弱者救済のために
わざわざ生活保護給付のつもりで書いてやったら小賢しい小言でしか反応できない、
退化しきったジジイしか現れないんでそこは残念だな。
SBMはお前らのちっぽけな自尊心を取り戻すためにあるんじゃねえし、
徒党を組んだところで程度の低い皮肉しか言えないようじゃ、
俺の書いたことを立証しているだけだぜ。
アクセス数があるから終わってないみたいに書いている奴がいるが、
それだけ情弱が多いってだけだろ?沈みゆく船の上で
「こんなに乗客がいるんだからこの船は沈んでいるわけない」
ってアホじゃねえか?状況認識と、危機回避ができてないだけじゃねえか。
アクセスがあるから自分には価値があるんだと思い込みたい勘違い馬鹿も沸いてるが
お前は単なるはとバスだぞ。
バスで自民党と社民党の区別もつかないオバちゃんを何十人美術館に送り込もうが
美術館の価値があがるわけじゃねえし、バスにアート的な価値が出てくるわけもない。
バスの運転手が「このバスは何百もの人にモナリザを見せたんで、モナリザ並みの価値があるんです」なんて言ってたら
失笑だろ?
だいたいお前らがいくらアクセス数を競ったって、
ニュースサイトに紹介されてアクセスがあったって喜んでる奴なんて
記事を書くたびにあらゆる場所からリンクされて
連日数万ヒットの状況を経験しちゃえば
あらゆる場所からリンクを受けて、
日本だけじゃなく海外からも数万、数十万もの人が押し寄せてくる状況があった。
ニュースサイトの奴らも評判が良いもんだから
けど、今じゃ誰も脱出ゲームになんか見向きもしない。
それなのに脱出ゲームを未だに紹介し続けてるような
情弱がいつまでも身分をわきまえないんで
次の潮流を全然掴めずにフラッシュゲーム自体の活気を失わせてしまった。
状況さえ見誤らずに次々とニューウェーブを紹介できてれば
今ごろニコニコ動画なんか寄せ付けない重厚なコンテンツが出来上がってたのにな。
全部お前らの責任だぜ。
そんなのを有難がる情弱どもも同様だ。
何も行動できない、考えることもできない情弱を集めて大将気取りか。目出度いな。
だけどそいつら、服を着てるだけの進化しきってない猿だぜ。
そんな情弱をぬくぬくと守っていったい何になる?
おい、まなめ。まずはお前からやめろ。
折れた骨がくっつくとさらに頑丈になる。マリナーズの佐々木も、肘の手術をしてからの方が活躍をしている。
私は中学生くらいの男の子が好きです。初々しくて、穢れていない未発達の身体。何より「可愛い」。見ていて癒される、キュンとなる。オタクっぽい言い方をすれば「萌え」。
と言っても対象は二次元に限られていて、そこまでディープじゃない。「私ショタコンだから(笑)」って笑いにできるようなポップな変態。だから、口では色々理由つけて魅力を語っていても、それはあくまでネタで、実際はチワワ見て可愛いみたいな、愛玩動物感覚で見てるに過ぎない。何より私は「キャラ」にしか興味ないわけで、「子どもの着替えが毎日見れる!」って教師になったり、「男の子に抱きつきたい!」って紛争地域にボランティアに行くような、自らの歪んだ性欲を満たすためにアクティブに行動する正真正銘のキ印とは違うんだよ。
そんな風に思っている時期が、私にもありました……。
私が最初に三次元の男の子にハマッたのは、誰でもそうだと思いますが、神木隆之介くんです。日本のショタコン人口を数万人単位で増やすためにこの世に降臨した天使。今これを読んでるあなた! youtubeで「神木隆之介」って検索してみてください。私の言っていることが世迷言でないことがわかるはずです。わからないあなたは正常な美的感覚を失っている証拠ですので、モナリザでマスでもかいて反省しなさい。
もちろん共演してる他の男の子にも興味が沸いてきます。
「山田涼介くん可愛いなぁ。でもジャニーズだし……。ジャニーズにハマッたら女としてお終いだな!」
そんな葛藤の日々。
「マイブームは好きな映画俳優が出てる映画を、年代を追って見ていくことかな」
本当はミクシィで素人の可愛い男の子を探しては保存しています。フォルダ名は「英会話関係」です。
「違法ダウンロードソフトって言うの? ウィン、何とかだっけ? 最悪だよね!」
情報革命第三の波の象徴とも言っていいソフトを利用して、ショタで検索しまくりですよ! そしたら可愛い男の子が恥ずかしそうにオナニーしてるんですよ! そこら辺の何千万と予算をかけたかけた恋愛映画よりも遥かにドキドキするですよ。この行は全部冗談ですよ。
電車に乗っている時、皆さんは何をしますか? ケータイを見る? 広告を見ながら何となくボォーッとする?
私は可愛い男の子を探します。近づきます。触ります(頭の中で)。
ただじっと見つめてるのも良いけど、マイメロ風に「満員電車で会えたらイイナ!」って妄想もします。つまり混んでるのを利用して可愛い男の子にべったりくっついて、感触を楽しむのです。相手は恥ずかしながらも嬉しそうな反応をします(確定しています)。
本気でヤバイかもしんないなぁ。そのうち誘拐とかしちゃうかも。
http://anond.hatelabo.jp/20070924231846
著作物の流通、対価の支払いなどにいろいろと問題が起きている。PC関連機器の発達が著作物の流通過程に生じるコストを大幅に現象させたからである。著作物をなにか形のある商品として流通させることが困難になった今、著作物の概念の見直しが迫られているのではないか。
この文章では、著作物とは「誰が」、「何を」(、「誰に」)伝えたかが重要であると主張してみる。例えば、ゴッホが描いた「モナリザの微笑み」には価値があっても、私が描いた「モナリザの微笑み」には価値が認められないだろう。ビートルズが歌うイエスタデイは、私がカラオケで歌うイエスタデイとは違う。
録音物はあくまでも録音物。MP3プレーヤーがどんなにがんばろうと、歌い手も聞き手もそこには存在しない。録音物を聞く限り、自分はそれを横から聞いている第三者でしかない。
言い替えれば、現行のインターネット上における著作物の流通は中身だけが先行し、その中身を伝える人が見えない。これは表現の世界においてものすごく損をしているのではないか。J-POPの歌詞がどれだけ愛を叫んでいても、それをCDプレーヤーで聞いている限り、その伝えたい内容はあくまでも他人ごとでしかない。つき合っている彼女が私に「愛している」と言えば感動するが、スペースシャワーTV(歌や音楽の専門チャンネル)などで「愛してるぅ」といったフレーズを百万回聞いても感動しない。
つまり、メディアの流通はあくまでデモであり、そのアーティストが自分という個に向けて発信(すなわち、聞き手が共感)したときに初めて大きな価値が発生すると考える。そのアーティストが使った表現を他人が単にパクるだけでは単なる劣化コピーでしかなく、アイディアを拝借するにしても、それが作品として認められるにはより高度な洗練が要求される。
本文章の問題点:
http://anond.hatelabo.jp/20070314201650
というところがとてもじゃないが耐えられない。
一行知識というのが世の中にはある。雑誌のハシラに書いてあった「サンドイッチはサンドウィッチ伯爵がトランプの合間に食べられる食事として発明した」といったような、どうでもいい雑学のことだ(唐沢俊一さんが詳しい>http://www.tobunken.com/)。今はトリビアとか言うんだっけ? この一行知識のよいところは、あまりにくだらないから誰も正誤を確かめない、ということだ。
「ものを知っている」というのは「見たことがある」というのとは根本的に違う。原著にあたれとは言わないが、少なくとも「インターネットのウィキペディア」で手に入れられるような知識に、正誤の確証性は求められないだろう。
だが、それでもいいのだ、それが一行知識ならば、その知識は「いかに役に立たず」「いかにくだらなく」「いかにソースが不明瞭」でもかまわない。面白いことが第一であって、他には何の役目もない。
ところで、カラスの脳には霊長類の新皮質に似た構造があって、他の鳥よりはるかに頭がいいらしい。
そう、スチャダラパーの名曲「ヒマの過ごし方」で歌われるように、人類の脳も、発達すると同時にヒマを知った。
ヒマを潰すために絵を描き、音を発し、言葉を生み、知識を遺す。
性本能は水爆戦がなくとも暴走し、テレビモニターの中に映る肌色の物体に欲情することを喜んだ。
かなり思いがけない事だが 人は必死でヒマをつぶしてるだけだ
本来 人はヒマだった そしてそれを受け入れることができた
世界中の至る所そんな足跡を見つけることができるだろう
スチャダラパー「ヒマの過ごし方」WILD FANCY ALLIANCE
酒の席で発酵と腐敗について一言、殺人の前にはモナリザの素晴らしさを語ろう。
女子プロの前座で小人プロレスやってた頃って百貨店の試着室で誘拐されてタイかどこかでだるまにされて、なんて都市伝説がありましたよね。
長い人生を生きていれば、要らぬ知識を溜め込むぐらいのヒマは誰でも作れるだろう。
そこで何を溜め込むかは人の勝手だ。できることなら、要る知識を溜め込んだ方が良いのだけれど。
本・テレビ・インターネットで見聞きしたことを話してるだけの浅いことしか知らないひとたちと、本当の知識を持っているひとの差は、誰にでもわかる。
「大切なのは何を知るかではなく、いかに知るかだ」という言葉にもある通り「インターネットのウィキペディア」ではそれなりのことしかわからない。
なぜ、自分よりも知識の少ないひとしか周りにいないのか、その原因を深く考えてみよう。
それなりの知識を溜め込んだ自分を、後悔する前に。