はてなキーワード: ガス抜きとは
人生にはやっぱり不満があっても耐えるしかないときがままあるし、そういうときに愚痴はガス抜きとして大事だと思う
愚痴の具体的な内容を聞いても、それは不満に感じて当然だろうな、と思う
でも自分は仕事できないやる気もない人間で、もし知り合いと自分が同じ職場だったら、たぶん愚痴を言われる側になる方だ
知り合いの愚痴には、ムカつくやつの態度の悪さも含まれているんだけど、自分も何かのきっかけがあればそういう態度を取りそうな気がする
そんな感じで、愚痴を言う方じゃなく言われてる方にばっかり共感してしまう・・・だからつらい・・・
愚痴を言われてる方の人とはまったく面識が無く、知り合いとは付き合いも長く親しいんだからそっちに共感するのが当たり前で、知り合いだってその前提で話しているだろうに
きっと、知り合いの側に共感して「ひどいな!最低だな!」って言えればお互い楽なんだけど、自分もダメダメなんでそんなこと言う資格ないと思うから言えない
昔はついついそこで愚痴言われてる方の肩を持ってしまって、場の空気を悪くしたりもしていた
今は少し学習して、「そうなんだ、大変だね」くらいで流すようにしているけど、内心は全然流せてなくて自分が怒られたような気になっている
あと、今自分がいる職場は特に大きな不満が無くて、愚痴られる側の自分が恵まれた立場にあることが後ろめたく感じてもいる
・国語ができないと仕事の報告ができないし記録も取れない(仕事はみんなでやるものなので、報告ができないとみんなも自分も困る)。あと小説とかは人生を楽しくするよ。
・理科ができないと火事や事故を起こしかねないよ。たとえば、穴がたくさんあるからって、3つ口の電源コードにアイロンとホットプレートとドライヤーをつないで全部パワーを最大にしたら、ブレーカーが落ちるのは何故でしょう。カセットガスを捨てる前のガス抜きは、外でやらなきゃダメなのは何故でしょう。第一、今、みんなマスクして手を洗ってるのは何故でしょう。理科を知らなかったら、下手すりゃ、あなたは簡単にしにます。
・社会ができないと仕事や世界の意味がわからない。大きな目で見ると、例えばテロや戦争が何故起きてるかとか。あと株や政治の話とかも有効かな。
・英語など外国語ができないと海外の情報を手に入れられない(翻訳サイトあるけど誤訳に気づける程度は必要)。
子ども向けに噛み砕くとこんな感じかな。
ま、あと、新しいことの学び方を子供のうちに知っておくと、大人になってもお得だよ。おとなになってもアタマいいってかっこよくないか?
障害者も、LGBTも、黒人も、女性も中には既にある程度の地位を確立した人がいるのです。
その人たちが旗振り役になるから運動として成り立ち、世間は差別を認識できるのです。
KKOが地位を確立したとき、そのKKOは既にKKOではなくなっています。
なので、KKOにはKKOを差別問題化させることのできる優秀な人材、KKOをまとめ上げるリーダーになれる人が性質上存在し得ません。
つまり、KKO差別が順当な差別だという論理展開ができる人や団体が世の中にはないし、今後も生まれ得ないのです。
おそらく白馬の騎士も現れないでしょう。
それは、成功してある程度の地位を確立してしまった元KKO達です。
そして、その元KKOの言葉は実経験を伴うため救おうと思う非KKOがいたとしてもその人達の意見をひっくり返す十分な強度を持っています。
リーダーも正当性を説明できる人もいない暴動はただの暴動で終わります。
KKOには寄る瀬が無いのです。
そうなるとどうなるか?
KKOのまま救われることを諦めたKKOが頑張り始めるかもしれません。(日本人の特性的にその可能性が高い)
そして、一部は成功するでしょう。
世間も「じゃあ頑張れば良いじゃん」という空気が醸成されて行きます。
一方、もしかしたら、先鋭化したKKOを利用して権力を握ろうとするトランプのような男が現れるかもしれません。
ただ、大抵こうやって利用する人に限ってKKOを救いません。
木走正水さんがお亡くなりになった。
今はもう廃刊となったJANJANでデビューしたのは2002年か03年頃でしたでしょうか。
はてなに活動の場を移されてからも、ご縁があって、いくつかご意見を交わさせていただきました。
時にはちょっと熱がこもってしまったこともありました。時に本当に失礼なことも言いました。申し訳ありません。
懐かしく思い出されます。
僕のほうは、Bewaadさんがブログをおやめになった2010年頃から
自分のブログにも実名を詮索する動きが活発になってきたこともあり、うんざりして
自分自身もはてなダイアリでの発言を控えるようになっていました。
2000年代初頭、JANJANは、創成期のネット言論空間を多少なりとも担っていました。
JANJANは、実名匿名のはざまで安定した言論空間を確立できず、数年で消滅してしまいましたが、代わりにはてなが登場し、
しかし、僕の中で、市井の人がネット空間で発信していこうという熱い思いは少しずつ変質していき、
はてなとの付き合いも、はてブでガス抜きするだけになり果て、そのことに気が付いたときに、
ついにはそれもやめてしまいました。
ブログからもフェイドアウトし、平穏な日々を送りながら、木走さんがアゴラでご活躍になっているのを時折、拝見していました。
ある日、木走さんの記事のなかのふとしたヒントから、木走さんの素性に気が付いてしまいました。
意外なことに、実世界の人間関係・仕事につながりがある人だったので驚きました。詳しくは書けませんがニアミスどころの話ではありませんでした。。
木走さんのほうは、多分ぼくの存在には全く気が付かなかったと思いますが。。
なので、その後は、木走さんの実社会での環境の厳しい変化も風の噂程度に耳に入るなか、
記事を拝見させていただいていました。
訃報を受けたときに、思い出したのは、JANJANの頃のフレッシュで熱い木走さんです。
そのことを懐かしく思い出すのが、ぼくにとっての木走さんへの追悼です。
望んだわけでもないのに今まで全く女っ気が全く無かった。
毎度毎度、女性に勝手に一方的に好意を持ってしまっては引かれる。
仲良くなりたいと近づいたら、塩対応でそれより先に行けない。
その割には、彼氏持ちや既婚者には「彼女出来そうなのに」「結婚したらいい旦那さんになりそう」
って言われる。勘弁して欲しい。安全圏から無責任なことを言わないで欲しい。
もし同じことを言った経験のある女性は、自分がって意識がない限りは頼むから止めてあげて欲しい。
昔いいなと思った子達は大抵同年代のライバルがいた。もちろん勝てなかった。
少し前いいなと思った子達には既に彼氏がいた。
平日朝晩オナニーして、休日は4,5回オナニーするのやめたい。
もし、若い頃のどこかで彼女が出来て1度は発散できたらここまで執着しなかっただろうか。
世の中の人達はやることやって、その度にガス抜きできてるのに、
一度も達成できない俺が毎日数回やるのは異常だなんて思わないで欲しい。
セックスがしたいだけでは、と思うだろうがそりゃしたい。
セックスがしたいだけならとっくの昔に風俗に行っている。それでは解決しない。
自分に好意を持って笑いかけてくれる女性がいるってすごいね。羨ましい。ものすごく。
恋愛結婚報道で若干の落胆を自分がしてしまっていることに気づいてから、いちいち覚えたり活動を追うのを止めた。
よく言われるどうせ自分が付き合うわけでもないのに~というツッコミはそのとおりだと思ったから。
でもはっきりと線引をした心構えでファンになるには自分には難しかったので、最初から追わないようにした。
仕事で余暇時間が減ったということもあり、純粋に作品だけ見て楽しむというスタンスに落ち着いた。
オナニーの日課でエロ同人作家をフォローしておかず集めに興じているが、
ツイートを見てると作品だけじゃなくてその先の作者にも興味を持ってしまうのは
自分でもやべーやつだなと思ってる。
そういう人たちがある日結婚しました、子ども生まれましたと発表してると
意識の表層ではめでたいなーとは思うけども、
自分でも思うが心が腐っている。
どこかでネガティブな共感を求めてオタク趣味に逃げてしまっていたところに、
男の友達はそれなりにいた自負はあるんだけど、皆ほとんど結婚してしまって疎遠になり、急に寂しくなった。
30歳600万なら婚活でいけるだろ、と言われてやってみても駄目だった。
身だしなみを整え、ケチらず、押し付けがましくならず、相手の反応に合わせて会話を楽しむよう心がけた。
それをネットで愚痴ると、顔が相当ブサイクか性格が悪いんじゃないのって毎度毎度同じ結論にされるのも辛かった。
(性格が悪い、のくだりは前述した内容からすると否定できないが、会話する内容は朗らかになるように努めていた)
ハゲでもデブでもないけど身長が163cmで低い。検索条件に身長を入れられると一発で検索外になる。
外国人と交際はできないか、と第二外国語を勉強したバカな時期もあった。
外国語学校に行き、一応検定も受かるまでには習得したが、そもそも知り合いが出来るチャネルがなかった。
言語交換サイトは大抵相手の言語に合わせないと会話が成立しないことが多く、日本語でやりとり出来るような人はほぼいない。そして長続きしない。
まったくもって浅はかな考えだった。
コロナの影響でテレワークになり、いよいよ外出は食料調達程度になり
人と会話する機会もがくっと減った。
なんだか、もう、どうしようもないのかな。
「うきは皆 落ち穂還らぬ むつきかな」
これは幌生家の足軽大将、凹田米国衛門が直参の部下限定で開催した連歌会で詠んだ歌である。
非公開といえども彼は非常に多くの部下を抱え、その中には「草」も混じっていた(むしろ大草原は凹田家の常だった)から
その内容はあっさりと漏れ、武威ノ本で話題を呼ぶことになった。
季節や農業を詠んでいる歌に見せかけて、主家への不満を漏らしたと受け取られたのである。
知らせを聞いた中にはあの楠永玉秀の悪夢が脳裏をよぎった者もいたという。
出世頭の発言に、かたちの上では非公開とはいえ、幌生家中には動揺が広がっていた。
野次馬の中には、このような事態になった背景には、幌生家の家風があると指摘する軍配者もいた。
いまや武威ノ本最大の威勢を誇る幌生家が勢力を急速に拡張したのは、家臣同士を競わせる方針が寄与している。
その方針の厳しさは一時期などは目標以上に石高を伸ばせなかった家臣の人相書きを辻に張り出して屈辱を与えていたほどのものだ。
ゆえに武将たちは切磋琢磨し、兵たちも大将に恥をかかせないため必死に働いた。
それをいちおうプラスの側面とすれば、マイナスの側面として幌生家の家臣同士が出し抜くべきライバルに近い関係になってしまい、
お互いに支え合うことが難しくなる点があげられる。
それでも古参であり同じ戦場をいくつもくぐり抜けた戦友の関係ならまだ助け合うこともできるようが、
途中参加の家臣にとっては、いくら成果をあげていても、心細く不満を溜め込みやすい家風といえる。
もちろん、その家臣による性格の影響も大きい。
凹田米国衛門が相談できる相手としては同時期に幌生家に仕え始めた藍水軍の船大将、藍玉鈴が挙げられるが、
相談できる相手が極少数では相談して頼みの綱を失う恐怖もあり、ガス抜きも簡単ではない。
幌生家が厳しい負担に見合った厚遇を与えているつもりでも、傭兵上がりで経験豊富な武将の多い家臣たちがどう受け取るかはわからない。