2024-04-20

母の闘病生活と優しくない父

から優しさを感じた記憶は無い。

かといって、クソ野郎だというわけではない。

大抵の人間はすべての美徳を兼ね備えているわけではなく、父もそうした不完全な人間の一人であり、父の場合は優しさが感じられない、というだけだ。

(くどいかもしれないが、「優しさが無い」とまで言う気は無く、「俺が優しさを感じた記憶は無い」というだけである。)

そんな父と2人で暮らす母の闘病生活が愉快なものではないだろう、というのは容易に想像がつく。

自分は母に優しくしたい、と思う。

 

母は母で、他人の優しさに応えるような生き方はしてこなかった。

子供である俺が毎年もっと苦痛を感じる選択が、母へのプレゼントだ。

毎年、誕生日母の日にはプレゼントを贈る。

母の好みや家族エピソードに沿ったもの、なんてことは考えない。

そんなものを考えて選んで罵倒されれば、俺の心へのダメージリカバリ不可能な深刻さになるからだ。

流行や、世間一般の好み、利便性ブランド、そういった客観的価値を有するものを送る。

それでも、プレゼントを決めるときは心の中で油汗が落ちる。

だって、たった一人の母親好意で贈ったプレゼントを酷い扱いされるのは悲しいだろう?

それでも、毎年贈り続けてきた。

しかすると、今回だけはこれまでとは違う反応があるかもしれないじゃないか

  • そんな心の無いプレゼントなら贈らないほうがいいと思うんだけど 母親にプレゼントなんてほとんど贈った記憶の無いオレのほうがおかしいのか?

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん