はてなキーワード: 徘徊とは
ネット民の知ったふうな見解(関わらないのが正解、とか)の間の隙間で
個人的にできることややるべきことがあるんじゃないか、という話をしてるのかな?いまいちよくわからんけど。
そうだとしたら、ボランティアマインドってつまりそういうことだ。
ボランティアといえばなんかどっかに登録してやるものとか特別な活動というイメージが固まっちゃってるけど。
迷子の徘徊老人保護するとかさ。単なる親切と地続きなのがボランティア。
気づいた人が自分の意志と能力と責任において試みるべき人助けがボランティアの本質であって。
そこが全くわかってない人(≒人助け経験値ゼロの人)が、懐手であれはいいとかこれはわるいだとかのネット品評会をやっている現状。
間違ってはいけないのは善意であれば何やってもいいというのとは違うということ。人助けというのは一にも二にもテクニカルな問題。できることはやればいいし、できないことはできない。
放置子に関しても「児相に通報するか一切関わらないかのどっちか」だなんていうゼロ百のルールはない。その間のところで、自分の責任においてがっつりコミットしてもいいしちょっと言葉かけるくらいの超ささやかな関わり方があってもいい。何が正解だとか不正解だとか他人にジャッジや指図してもらうことじゃない。
16年と半年前、57歳になったばかりの2007年の9月に初めての投稿をしました。その2ヶ月くらい前から閲覧はしていた気がしますが閲覧履歴のようなものはないためわかりません。
ちょうどその頃、勤務していた会社で役員に昇格したばかりでした。法学部を卒業し新卒で入社して以来、ひたすら営業畑にいた私が役員になってから与えられたのは情報システム部を含むIT分野でした。
その10年前ごろから会社にパソコンが導入され始め、総務部門にいた同期が悪戦苦闘しており「大変そうだな〜」なんて気楽に思っておりましたが、まさか自分がそれらを統括する立場に置かれるとは思いませんでした。
IBMが主催する勉強会に参加したり、書籍を購入したり、パソコン教室にも通い、DELLのデスクトップPCを購入して大学生だった息子に助けられながら設定をしていました。
インターネットを徘徊する中で見つけたのがはてな匿名ダイアリーです。
結局半年足らずで外部の専門家を雇うことになり、お払い箱になった私は金融商品を取り扱う子会社の代表取締役を務め、そこもお払い箱になると取引先の名ばかり役員となって月に数回だけ会議の名目で仕出し弁当を食べに行き、65歳となる2014年に完全に隠居生活に入りました。
私が本格的にここを利用するようになったのはそれからです。
毎日のスケジュールは犬の散歩、朝食、昼食、刑事ドラマ、夕食のみです。買い物、旅行、ゴルフ、孫、会食などが不定期で入りますが、基本的に暇なのでここで皆様の投稿を拝見したり、社会問題、映画、音楽、歴史などについての投稿を行い皆様からのコメントを楽しんでおりました。
この時期に妻と隠岐旅行に行きましたが、それもここで隠岐の魅力を語る投稿を見たことがきっかけでした。探してみましたが、残念ながら見つかりませんでした。
後にTwitterやブログなども始めましたが、Twitterは見るだけになり、ブログの更新はされなくなり、継続的に利用を続けてきたのは結局匿名ダイアリーのみでした。
私が定年後もボケっとした生活をせず、さまざまなものに興味を持ち精神的なアクティブさを維持できたのははてな匿名ダイアリーのおかげです。
さて、私は大腸がんで苦しんだ祖父の介護で幼少期に苦労した経験がありました。そのため、かかりつけのクリニックにてビデオスコープ内視鏡が導入されたことを知った時から定期的に胃カメラ、大腸カメラを含む検査を夫婦で受けてきました。
しかし、2019年に最後の大腸カメラを受けて以来は検査を行っていませんでした。70歳になったし、息子夫婦の末孫の小学校の入学式を見たし、娘夫婦が仕事が終わるまで孫を預かるようになって忙しくなったこともあり毎年「来年でいいか」となっていたのです。
なんとなく覚えたみぞおち痛で昨年にクリニックを受診し、そこで行ったエコーで膵臓がんが見つかりました。超音波内視鏡ではなく通常のエコーで見つけられたので定期的に検査を受けていればもしかしたら早期発見ができていた可能性はあります。
とにかく総合病院で詳しい検査を行い、手術が可能だったため膵切除を行いました。
手術ができ、化学療法も行える状態であったため命拾いしたと思いましたが、医師からは「楽観的ではいられない」と告げられました。
医療の進歩によって、幼少期に見た祖父の壮絶な闘病とは比べ物にならないほど穏やかな生活を送ることができました。食事も取れていましたし、妻と買い物や旅行にもいけましたし、去年の誕生日も家族に囲まれて過ごすことができました。
しかし、年明け直後の強い背中の痛みで意識を失って以来、一気に体力が削られてしまいました。75歳の誕生日は迎えられそうにないです。妻は寂しがりやなので、私が妻を看取りたかったのですが、最後の最後に寂しい思いをさせてしまうことになりました。
体力のなさと慣れないiPadでの入力なので、これを書くのにも長い時間を必要としました。
今までありがとうございました。
私、最近趣味でラーメン作りを始めてみたんです。でもなんと、友達が食べてくれるか不安で、結局、全部自分で食べちゃったんですよ。まさに受け入れられない状況ってやつですね。
それと同じように、私はケーキ作りも始めました。でもね、これまた受け入れられないことが発覚。友達から「これ、何の味?」って聞かれて、正直に「分からない」と答えた瞬間、みんなが引いてしまって…。まあ、甘いものは得意じゃないんですよね。
夜の巷を徘徊することが好きで、そこで見かけた人間たちについて考えることがあります。「人間って、なんでこんなに面白いんだろう?」ってね。クリシェって言葉があるけれど、それって実はリアルで面白いんですよね。例えば、あるアーカイブを見ていたら、世帯年収が増えれば良いと思ったら、それが怖いですよね、わかります。
日本の街は本当に面白くて、週末になると四天王の中でも最弱な私が、どんな落とし穴にハマるかわかりません。でもさ、だったら起こることってあるじゃないですか。一括投資って言葉も聞いたことがあるでしょう?私、それをやってみたら、結果は…まあ、お金が減る一方でした。
とにかく、人生って面白いものですね。どんな出来事も笑いの素材になるし、受け入れられないことも、それが笑いに変わる瞬間がある。これからも、笑いを届けられるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします!
しかし戦争の道具が発展し機関銃が装備されるようになるとその役割は終わった。
騎兵が無くなった理由は、戦場において機関銃の絶好の的となったからだ。
歩兵のように匍匐前進も出来ない騎兵は戦場においてその機動する空間を失ってしまった。
それでも当時特権階級が支配していた軍隊においてはその出自が騎兵科である軍上層部によって騎兵が尊重され即座に消えてなくなることはなかった。
とはいえ戦場においてただ機関銃になぎ倒される存在になるわけにもいかず、騎兵は戦闘中には下馬して歩兵としての役割を果たすこととなる。
さらに軍隊にモータリゼーションの波が及ぶと軍馬育成のコスト削減のため騎兵は完全に消滅することとなる。
現在のウクライナの戦場において戦車は活躍する場がないと言われている。
その理由はドローンなどの徘徊型兵器が比較的低空で活動する戦場では戦車は格好の的となり、その機動するスペースが存在しないからだ。
これは騎兵が機関銃によってその活動を制限されたことと似ている。
夜の巷を徘徊しながら食事をとったりしていたら少し精神的に落ち着いた。
妻の心配をしている人が多いけど、ちゃんと離婚するのでご安心を。
妻は聖女ではなく普通の感性を持って普通の人生を送ってきた普通の女性であり、異常者の俺がそれを受け入れられなかっただけだ。
家の名義や慰謝料など応えられる要求には応えるし、場合によってはもっと条件の良い独身の男性を紹介する。
今、トラバ見てからこのブクマ見て、何回も「どこかに年下なんて書いたっけ」って見返したけど、よく考えたら「自分と同年代かそれ以上で独身な時点で異常者」だから「条件の良い」って言ってる時点で年下になるのか。
俺は「年下の男性」なんて全く意図してなかったけど、こういう周りの人が当たり前に持ってる感覚を持ってないのが異常者なんだよ。
すまんな。
年下の男 って書いてあった時期があった。
ない。
書いていないものを「書いてあった」と断定されるのは最も見過ごすことのできないものなので、トラバにも返信したけどここでも書かせてもらう。
可能ならば削除して欲しい。
というか「書いていないもの」を「書いてあった」と断定するのは俺と同等かそれ以上の異常者なのではないか。
「書いてあったのかもしれない」なら理解できるけど「書いてあった」という断定は流石に人のことをどうこう言っていられる場合ではないと思う。
これは多くの人に知ってほしい、という気持ちと、
居ても立っても居られない気持ちになったため、
拙いながら書いてみることにしました。
作品を作る上で登場人物の描かれていない裏側を想像するように、
役者さんのTwitterを見て、作品が完成するまでの様を想像するように、
この芝居を見たひとりの自分、がどうこの作品に出会い、どんな行動に至ったのか、というような
■この劇に出会った経緯
詳細には覚えていないけれど、「何かいいお芝居ないかなあ」とTwitterを徘徊していた10月頃、
仮チラシとタイトルを見て、「あ~たぶん好きなやつ」と思って、カレンダーに追加したような記憶。
「かみさまを殺すための旅」というタイトル。「あまい洋々」という団体名。
(この漢字とひらがなのバランスがうまくいえないけどすごくいい)
(ぜひタイトルの解釈や、団体名の由来について、どこかで伺えたらいいな、とふんわり思っている)
柔らかいタッチのイラストと、少しビビッドな色遣いの仮チラシ。
1999年生まれなんだ、自分とひとつしか変わらない歳の人が、
自分の劇団を持っていて、もう4回目の公演に取り組もうとしているんだ、と。
■劇場に行くまでのこと
なるだけ、芝居を見るまで感想やバイアスになる情報は入れないようにしよう、と思いつつ。
しかし、予約する段階でチェックした本チラシのデザインは仮チラシからさらにアップデートされた素敵で、
「オムニバス形式の短編詰め合わせ、ぜったいすきなやつ~」という気持ちと、
「虐待・性暴力・モラルハラスメントを想起される表現を含みます」というのに、ちょっとびびったりもしていました。
■観劇当日のこと
観劇をした12/9(土)は少し温かい冬の日で、雲一つない晴れた日。
北千住に降り立つのはたぶん初めてで、アクセスがいい都内の駅だけれども、意外と遠いなあと思いながら電車に揺られていました。
勘違いしていたのだけれど、BUoYを初めて調べたときはカフェが出てきたので、「カフェでやるタイプの芝居かあ」と思っていたけれど、
実はカフェは2階、劇場は地下ということでした。終演後に2階のカフェに行ったら満席だったので、改めてカフェも行ってみたいな。
■観劇をしたあとのこと
劇場に入ってから、出るまでのことは、別の記事でまた語るとして。
わたしは、素敵な芝居を見た後は、台本を買って帰るのが自分の中で決めた約束事みたいにしているところがあります。
もちろん、帰って、改めてじっくり味わいたいというのもあり、チケット代以上に何か劇団に還元できれば、みたいな思いもあり。
物販で売られていた、主催の結城さんが書かれたイラストも素敵だったな。
この芝居を通して、すっかりわたしは、結城さんのファンになってしまって、
何かの形でこの方が芝居や創作活動を続けていくのに、貢献できたらいいな、
この方は芝居をつづけていくべき(べき、というと断定的で独善的で強い言い方に聞こえて嫌だけれど)人なんだろうな、と思いました。
それくらい、芝居やアフタートークで見えるかわいらしい印象の反面、パワーを持った方でした。
劇場から出た後は、一緒に芝居を見に来てくれた友人と、(二人ともが台本を買って)
近所のカフェでおいしいお茶を飲みながら、作品の感想をじっくり語りました。
正確には、カフェに向かう道中から、電車の中で解散するまで、たぶん2時間くらいほぼずっと、この作品について、考え、話し続けていました。
しかし、そのうちの半分くらいは、建設的な議論なんかではなく、
「めちゃくちゃよかったね」「しんどかったね」「今年イチかもしれない」
「マジで観に来てよかった」「なんでもっと早く出会わなかったんだろう」「もう1回みたい」
「ていうか知り合いの演劇関係者全員見て」「とりあえず帰ったら近所の演劇人にLINEしよ」
あ~~~でも、本当に、今思い出してもよかったな。行けて、観れてよかった。
初めての劇団を見に行くときは、好きになれるかな、ちゃんと楽しめるかな、といつも心配になるのですが、
今回に至っては、友人を誘って予約した自分をめちゃくちゃほめたたえたい、そんなお芝居でした。
【追記】
ブクマですげー怒られててこわい。
もちろん今は隠し事してた俺も悪いって思ってるけど、あそこまでショック受けるとは思わなかったしデマがあっという間に広まって当時は冷静な判断が出来なかったんだよ。
あといくらキモいからって人の顔見て吐き真似してキモがるの本当にやめろマジで。
【再追記】
なんか二回も結婚してる設定にされてるけど一回もしてねえよw
どっちも結婚直前まで関係を深めたけど一人目は仕事が忙しくて全然会えない時期が続いて振られる、二人目はパンデミックの最中に反ワクかつ中国大嫌いなネトウヨになっちゃって、色々話し合った結果価値観が合わないねって別れたんだよ。俺は中国と台湾のアート市場に凄い可能性を感じてるんで。
特に二人目の人は画家やってて俺のビジネスパートナーでもあり、一緒に個展を企画開催したり画集の出版までしたのにあんなことになって本当に残念だわ。
【再々追記】
いや、なんか…久しぶりにいとこの夢見て、昔を思い出して嬉しくなって独り言感覚で走り書きしただけなのに、ここまで多くの人にマジレスさせちゃって本当にすまん。
ただ、だいぶフェイクも入ってるので支離滅裂な内容になってるだろうし、色々誤解を招く内容になってるからしょうがないか。
でも中学のときからたびたび女のイジメグループのターゲットになってたので、連中のような醜悪な女集団は絶対に現実に存在するとだけは強く言っておきたい。
hiruhikoando ずいぶんと親族間の結束が強い親戚だなという感想。華僑的な 増田 男女
俺の家系は一家揃って韓国系(在日朝鮮)なので日本の一般家庭とはたしかに違うかもね。
take-it “詳細を事細かに話した”=彼女にもいとこと同棲してるのを説明したと思われるのに、ブクマカにここまでフルボッコにしてるの、怖い。お前ら、何があったんだっていうか羨ましいのか。マンガみたいな青春。
そう、ちゃんといとこの事情とか話して(だいぶ慌ててまくし立てた記憶があるけど)あの冷たい拒絶だから当時18歳の俺にはどうしようもなかったよ。漫画は全然わからんが喘息持ちの人と一緒に暮らすのを羨ましがる奴がもしいるなら、あの病気の怖さを知らんのだろうなと軽蔑する。
moeshine 元カノ側も「一時期は男という性別自体が嫌いになるくらい拗らせ」ててもおかしくないような話な気が
俺が中退してすぐ後にmixiで元彼女の日記見たらパイプ煙草咥えてるマッチョな彼氏と付き合ってる報告上げててその後結婚したらしいから幸せだと思うよ。
mirakukira 韓国系なら先に書けよ、キモイと言われるのも納得だわ
こういうの久しぶり。2000年代前半は色んなとこでお前チョンかよって蔑まれたけどもう慣れたわ。
あとsnegってなにってググったら確かにそれっぽい話で俺も笑ったわ。えろげー一切知らんけど。
ので色々思い出したので独り言。
大学一年の冬に俺が二股かけて女を弄んでるっていう根も葉もない噂が学内に流れて、当時付き合ってた子に会いに行ったら、両手を口元に当てて今にも膝から崩れそうな勢いで号泣してて、取り巻きの女二人が俺に向かってアイツキモっと連呼しながら俺を見るなり口元に手を当ててオエッと吐き真似をする始末。
「なにこれ?」
と思って当時同じ大学に通ってて訳アリで同じアパートに暮らしてた幼馴染に聞いてみたら「どうやら同学年の連中の殆どがアンタと私が付き合ってると勘違いしてるっぽいぜw」とケラケラ笑いながら言ってきて。
俺は笑い事じゃないんだが?ってガチで心底イラつきながら泣いてる彼女に詳細を事細かに話したんだけど、泣きながら
「気持ち悪い」
とか言って一蹴される始末。
それ以来、女の
「気持ち悪い」
発言と口元に手を当ててショックを受ける仕草がホントにマジで無理になったんだけど、これやる奴ガチのマジで漏れなく苦しんで死んでほしいしキモいのはお前の方だ馬鹿野郎。感情的でストレス耐性低い奴ホント無理。
俺が同棲してたのは同い年のいとこの女の子で、彼女は喘息持ちでしょっちゅう命の危機に曝されるほどの発作に襲われながらも、大病した旦那に先立たれ太鼓で有名な手かざし系カルトにハマった母親のせいで高校一年頃から病院に連れて行ってもらえなくなって、その後インフルエンザと後遺症の気管支喘息にかかってマジで死にかけたりしてたらしい(喘息って拗らせると本当に死ぬので皆気を付けて)。
その現状を知った俺の両親が高3一学期にいとこを自宅に連れてきて保護し入院させ、それ以降、まあ幼馴染だし長期に一緒に暮らすの小学生の夏休み以来だなって高校卒業まで姉弟みたいに暮らしてて、最初はガリガリで小学校低学年くらいの体格しかなくて死ぬんじゃないかと心配してたけど内心は一人っ子の俺に姉弟が出来たみたいで楽しくて、お互い絵を描くのが好きだったから無事に同じ美術大学に進学して実家を離れルームシェア状態になって以降、学校では殆ど話さないけど通学路とか電車内では色々家の事とかバイトや買い物のこととかで話すことがあって、その様子が同級生に噂になったらしいけど、浮気だとか二股だとか取られる発想は当時の俺には全く無くて、付き合ってた彼女がそういうデマを信じて泣かれたときはマジで頭が真っ白になって未だにトラウマになってる。
付き合い始めた頃に、訳アリで同居人居るから俺の家でデートは難しいかもって何度も言ってたのにさ…。
ただ、その一件でスーッと恋愛感情が冷めて、一時期は女という性別自体が嫌いになるくらい拗らせた。
で、その件以降同学年の女子の殆どに嫌われキモがられて、大学に居づらくなって2年の夏頃に中退し小さな広告代理店に就職し、大学に通ういとこと社会人の俺という関係で同居生活は新たな局面を迎えるわけだが、その頃の生活は正直言って楽しかったし、いとこと疑似夫婦みたいな関係性で、結婚生活ってこんな感じなんかなあとボンヤリ思って、ならこれも悪くないな、幸せだなと思ってた。
「これ夫婦みたいやね」
って時折言うと笑いながら照れ隠しっぽくポカポカと殴る蹴るのプチ暴力を受けるのもなんか良かった。
ただ、幼馴染で照れ臭いし小柄で病弱な幼馴染のいとこを異性として見ることは中々出来なくて、振る舞いも向こうはオラオラ系姉で俺はのんびり系弟だったし、テレビ見てるときに膝に座られたり寒いときにハグされてコタツに潜るくらいで限界な感じ。だけど夏場の無防備な薄着の彼女には内心ドキドキしてた。
でも、休日に意味もなく近所の住宅街や公園を徘徊してその風景を渋いとかつげ義春っぽいとか寸評して携帯で写真撮りながら通りかかった喫茶店や飲食店で写真お披露目会をしつつお腹を満たしたり、ちょっと遠くにある安いスーパーまで駄弁りながら散歩がてら歩いて食料確保したり、真夏の夜に近所のビデオレンタル店に出向いてB級和ホラーを始めとするビデオを借りて深夜まで鑑賞会を開いたり、中古CD屋でマニアックな洋楽のアルバムをディグったり一緒に古本屋で何時間も立ち読みしたり。
ある年にいとこがクリスマスと新年を彼氏と過ごすって二週間ほど外泊してたときはちょっと、いや相当寂しかったし嫉妬したっけ。いつもは俺と過ごして大晦日には近所の寺に鐘つきに行ってたのに…。
家事一般は、いとこが同居中に2回喘息で入院してたし(入院費8万くらい取られてやばかった)よく体調崩してて心配で俺が料理を筆頭に掃除も洗濯も色々やってたんだけど、金が無さすぎて給湯器が買えなかった同居一年目の冬のある日、手が霜焼けで痛くて食器洗いが苦痛って言ったら黙って洗ってくれたのは未だに覚えてる。
その後コーヒーメーカーと炊飯器が滅茶苦茶電気代食うってのに気付いてリサイクルショップでドリッパーと米炊き用の土鍋を買ったら劇的に電気代が安くなって、この世の覇者みたいな気分でお互いやったぜって喜んでた。
んで年明けてからリサイクルショップでナショナルの古いレンジとビクターのテレビデオとメーカー不明のコタツ買って、ナショナルのレンジは今も俺が使ってるけど、あのテレビで色んな深夜番組やら映画を録画して暇なときに一緒に観たり。
忘れもしない、草なぎ剛が泥酔全裸前転で世を騒がせたときに、いとこが就職先を見つけて独り立ちするからって、そのお祝いにアパート隣接の枝垂れ桜が咲く公園で酒盛りしながら俺が裸になってシンゴーって叫びながらでんぐり返しをして、いとこを爆笑させたことを。
んで、いとこはその後良い人と結婚してお子たちにも恵まれたようで、幸せそうな姿を今もSNSで確認出来る。
一方、俺はと言えば二度結婚に失敗してもう生涯独身でいいよって思う昨今だけど、今思うと俺、いとこのこと好きだったんだろうな。
後悔してもしょうがないけど。
初投稿です。
地方の県庁所在地に住んでいるんですが、徘徊老人がオートロック付マンションに入り込むのを半年で2回も経験して不思議に思ってます。
一回目は自分のマンションで、二回目は親が住んでるところ。いずれも分譲で、住人ではない人物が入り込んでるんだが、どちらも「トイレがしたい」と言うのが特徴。すごく焦っている感じを出してくる。
別人だけど、両方おばあちゃんだった。
なんで自分の住居でないところに、わざわざ来るのか不思議で仕方ないのですが、自分が2回も経験してるってことは、よくあることなのかな?と思って。
もし体験したことある方は、どう対応したかも教えてほしい。(マンション供用部のトイレ使われるのも困るし・・。)よろしくお願いします。
親が認知症の傾向が現れてきたので、実家に戻って同居をはじめた
最初は家でぼけーっとして料理も洗濯も出来ない状態だったのだが、私が戻ってきてとりあえず介護認定受けさせ、デイサービスに通わせながら掃除!風呂!飯!ゴミだし!買い物!と
こき使い、5分に一回は同じ事聞いてくるのにも根気よく答え、「あなたは役に立ってるよ自慢のママだよ、だいじょうぶだよ、迷惑じゃないよ」ということを根気強く教えていたら今はとりあえず
料理も洗濯も全部出来るようになった。デイサービスの力もでかい。家だとうだうだ言ってやらない運動をデイサービスはやらせるしご飯も食べさせてくれるし風呂も入れてくれる
隣町に親戚が住んでいるが、子供は男二人女一人、県外に出ており定年しているが戻ってこない。妻も旦那も子供もいるしまああちらにも生活があるんだろうから仕方がない
仕方がないが、結局親戚はすごい勢いでぼけた
母が認知はじまったときには元気だったが、変な電話をかけてくるようになり何度か見に行ったら明らかにこれは認知だおかしいだろってなった
当然子供達には電話して何度か見に来たが、遠距離のため普段から見ているわけではない
親戚は子供に迷惑をかけたくないのでそもそも連絡をしていない、うちに電話してくる
親戚が家で倒れたときも入院したときもなにしたときもあれしたときも全部全部世話をしたのは我が家である
子供達に連絡しても「すみませんすぐ行きたいんですが週末まで動けなくて」
そりゃそーだろーよ、理屈はわかるよ
でもてめーらでどうにかしてくれよお前の親だろ?????
いくらこっちでなんとかしようにも親戚だと出来ないことも多いんだよ
なんでこっちが徘徊した親戚を探して夜通し探さなきゃいけないんだよ、東京から帰りたいけど時間がとかうだうだうだうだうだうだうだうだうだ
そしてたまに帰ってきて一日親戚の世話をしてやりきった!とばかりに帰っていく
と、怒りをつい零したがまあしょうがない
親戚の子供達はふつーに就職し結婚し子供が出来、家を建て、というリア充である
私のように結婚も子供もできずに年取っただけのババアとは違うんだろう
でも実際親が年取った時一番身軽に動けるのって独身の子供なんだよな、散々若い頃馬鹿にされてきたけど
うちの親が私と同居してみるみる回復していくのと裏腹にうちの母より元気だったのに、あっというまに認知が進みまくり徘徊してしまった親戚を見ているとやっぱり大きな違いは見守っている家族がいるかどうかに限ると思う
認知症は自分でも不安なので家族にあれこれ質問したりするがその相手がいないと不安がそのままになるので認知は進む
認知症の人は「自分は役に立っていないかもしれない」という不安をいつも抱えているので自己肯定感がどん底、それを「大丈夫だよできてるよすごいよ」っていう声が近くにないと認知は進む
結局親戚はどー考えてもこれ老人ホームだろうなっておもうレベルまで悪化しているけど、子供一人でも実家で同居するか引き取れば違ったんだろうな、多分今も元気だっただろうなって思うと切ない物がある
実際会社でも、妻と別居して母や父と同居してる定年間際のおじさんけっこういるんだよね。死ぬまでは一緒に住むらしい。そういう家はいい感じに年をとって看取ってる
結婚して子供を作って、家を出て親を捨てていくのはまあ人間の姿として正しいんだろうが、私らはあっという間に衰えて認知が進む親戚しかみてないのでどうもかわいそう感がぬぐえない
親戚は子供達がたまにきて孫の顔見せてくれたらそれでいいんだろうけど、近所の親戚に介護丸投げして、「自分たちの生活があるから」とかいって親を見捨てるのを当たり前の様な風潮、誰か被ってる奴らがいると知って欲しいわ
いつになるのやら
それが一日で30万勝ったのか毎月安定して30万勝ってるのかで意味が違ってくる。
1日で30万勝った話なら、中々無いがまああるっちゃある。
毎月30万勝ってるって意味なら軍団作らずに一人で「パチンコ」ではだいぶ厳しい。
「パチスロ」を含めても良いならまあ行ける
ただ、会社での自慢話という事なのでニートで毎日一日中徘徊している訳では無いだろうから
というか正直盛ってると思う
羽生結弦側の主張
現在、様々なメディア媒体で、一般人であるお相手、そのご親族や関係者の方々に対して、そして、私の親族、関係者に対しても、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道がなされています。生活空間においても、不審な車や人物に徘徊されることや、突然声をかけられることもあります。
私たちは、共に思い悩みながらも、このような事態から、互いをなんとか守っていけるように努めてきました。
しかし、私が未熟であるがゆえに、現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした。
このような状況が続いていく可能性と、一時改善されたとしても再びこのような状況になってしまう可能性がある中で、これからの未来を考えたとき、お相手に幸せであってほしい、制限のない幸せでいてほしいという思いから、離婚するという決断をいたしました。
マスコミ側の主張。
なんか週刊誌とかはやりすぎたりするみたいんだしw
はっきり書いたほうがいいんじゃないのw
キモすぎるだろ、こいつ。
本気で大丈夫かよ。