はてなキーワード: 関東とは
〇50 代女性:愛知県の実家に親族10人程度が集まり、お墓参り後に一緒に食事。
〇30 代女性:九州の実家に帰省。他県からも親族が帰省し、親族5人で会食。後に他県から来た親族の陽性が判明。
〇20 代男性:発症前に県内の実家へ帰省し、友人5人と居酒屋ハシゴし飲み歩き。
〇10 代男性:実家がある関東へ帰省。帰省先で友人と複数日に渡って遊興施設や観光地を訪問。
〇20 代女性:発症前に、関西の友人宅に滞在し友人宅でのパーティーに参加。 パーティー参加者8名のうち5名の陽性が後に判明。
〇10 代女性:友人3人とカラオケし、その後、別の友人3人と三重県へドライブ。 同日夜にさらに別の友人3人とカラオケし、その4人全員が陽性判明。
〇20 代女性:発症前に複数回、友人親子の家へ家族で遊びに行く。友人宅ではマスクなし。また、友人2家族と計11人でとリゾート施設でBBQ。
3 友人や親族との会食
〇20 代女性:友人3人と名古屋市の居酒屋で飲食。うち1名が後に陽性と判明。
〇20 代男性:発症前に、三重県のナイトクラブでパーティーに参加。
〇20 代男性:発症前に夫婦で結婚式へ参加。その後の2次会から4次会まで参加。
〇20 代女性:発症前に友人と4人で朝から晩まで遊ぶ。その後も複数の友人と会い、県内又は県外で会食を繰り返していた。
〇10 代男性:発症前に友人を自宅に呼んで4人で食事し、その後麻雀。後に会食及び麻雀のメンバーに感染者がいたことが判明。
〇20 代男性:38度以上の発熱があったにも関わらず、友人と居酒屋で飲食。
〇30 代男性:友人10人と名古屋市内で会食。そのうち1人が発熱していた。
4 友人とバーベキュー(BBQ)
〇20 代女性:自宅や河川敷で友人とBBQ。また複数日に友人と県内で飲み歩く。
第5波の感染爆発がオリンピックと無関係とする説は、デルタ株の感染力の強さが原因と考えるのが主流のようだ[1]。
デルタ株の感染拡大がたまたまオリンピックと重なっただけなのだ、と。
現在、全国各地に広がっているデルタ株の系統で最も初期のものは、ことし5月18日に首都圏で海外渡航歴がない人から検出されたウイルスだったと分かり、さらに調べると、これとよく似たウイルスが4月16日に空港の検疫で見つかっていた[2]。
一方で、ことし5月ごろ関東や関西、中部、九州などで確認されていた、海外から流入したとみられるデルタ株のクラスターの多くは大きな感染拡大につながらず、7月初旬ごろまでにはほぼ収まったとみられる[2]。
もしデルタ株の感染力の強さだけが感染爆発の原因ならば、オリンピック期間中より人流が多かった5月、6月に感染爆発が起こっていたはずだ。
現実には感染爆発につながった遺伝系統以外のデルタ株は7月初旬で収束していた。
そして感染爆発した系統もオリンピックの開始を待つように急速に感染拡大した。
オリンピック開催によって、感染拡大防止のための堤防のどこかが決壊したと考えるしかない。
国立国際医療研究センターの大曲貴夫氏の指摘どおり、オリンピック開催に伴い局地的・一時的に密な状態が生まれた事実は否定できない。
ここではもうひとつ、国民の側の感染防止策に対する意識がおろそかになった可能性を指摘しておく。
5月から6月にかけて、オリンピック開催、さらに有観客開催を主張する中で、感染拡大防止策を軽視するかのような無責任な言説がまき散らされた[3][4]。
「国民にあれするなこれするなと要求しておきながら、自分たちはやりたい放題か。付き合ってられねえ。」
このように考えた人を責められるだろうか。
個々の国民にとっての帰省は、アスリートにとってのオリンピックと同等以上の価値があるかもしれない。
あるいは1年半近く慣れないライフスタイルを強要されてきた国民の中に、
「なんだ、これまで活動自粛だの、会食回避だのしてきたけど、感染防止策とか関係なかったのか。」
と受けとめる人が現れても不思議ではない。
不慣れな行動を意味も十分に理解できないまま強要されていること自体がストレスなのだ。
人は基本的に見たいもの、耳当たりのいい情報に流される(何より、政治家とその取り巻きはその権化ではないか)。
当局が矛盾したメッセージを国民に発信すれば、国民の感染拡大防止策に対する意識が弛緩するのは当然だ[5]。
とはいえ、新型コロナに感染して損をするのは間違いなく私たち自身である。
無責任な当局関係者や御用言論に惑わされることなく、感染防止策の基本をもう一度肝に銘じたい。
新型コロナウイルス感染症に関する菅内閣総理大臣記者会見(令和3年7月30日)
https://www.kantei.go.jp/jp/99_suga/statement/2021/0730kaiken.html
[2]デルタ株“1つの起点から全国拡大か” 国立感染症研究所が分析
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013183971000.html
[3]観客上限1万人 規模縮小でも有観客に踏み切った首相
2021/6/21 21:07
https://www.sankei.com/article/20210621-23SHMAUX2RIENACWHNH4UWVCIA/?outputType=theme_tokyo2020
[4]緊急事態宣言は「屁みたいなもの」 「さざ波」発言の高橋洋一内閣官房参与がTwitterに
400mlは全滅
https://www.bs.jrc.or.jp/ktks/bbc/index.html
https://www.bs.jrc.or.jp/kk/bbc/index.html
https://www.bs.jrc.or.jp/hkd/hokkaido/index.html
https://www.bs.jrc.or.jp/csk/bbc/index.html
https://www.bs.jrc.or.jp/bc9/bbc/index.html
現状でコロナのワクチンを打った人は一定期間の献血が受けられない。それに全国的に巨大な第5波が襲っているので、供給減なのは仕方ない。だからこうなることは致し方ないのかもしれない。だけど慣れ親しみすぎてはいるけど、これは異常事態だ。献血が受けられないということは、千葉県の新生児の死亡事故と同じように助かる命が助からないことを意味する。車で事故を起こしても搬送先が見つからずに死んでしまうかもしれない。災害級の大雨もあって需要も増えている九州地域とかは本気でやばいらしい。
自分は既に年内の全血は規定数に達しており9月にワクチン接種をするから、少なくとも10~11月にならないと献血に貢献できない。
両親はなんとかワクチン接種2回完了して2週間たったけど、兄弟家族やその子供とかはまだまで。
受けていないとか年齢的に受けられないとかもあったりしてさ。
参加する人たちや主催者は自分が住んでないところだからどうなったっていいんだろうけど。
フジロック参加者は全員絶対コロナ出さない覚悟で死ぬ気で対策して参加して。
っていうかこれで感染広がったらどうするの?誰か助けて。
遅ればせながら「竜とそばかすの姫」を見てきた。ネタバレが嫌だったので、事前に紹介記事も読まなかったし、どんなストーリーかもろくろく知らなかった。
鑑賞後にいくつかの感想ブログを読んだのだが、「映像や演出はすばらしいが脚本がダメ」という評価が多かった。自分も同感である。
おそらく最大の要因は、ネットの世界とリアルの世界との分断が激しすぎて、どちらの世界のキャラクターにも全く感情移入ができないことだろう。ネットでは暴れん坊の竜とネット自警団との戦いが続く一方、リアルでは陰キャ女子高生を中心としたラブコメもどきが進行する。
両方の世界の繋がりが緩いせいか、それぞれの世界に登場するキャラクターの行動原理が読めない。「コイツはなぜこんなことを?」という疑問が解けないまま、ストーリーは進行しつづける。
そして、多くの評者が指摘するように、物語の終盤にかけて脚本の破綻は顕著になる。児童虐待を受けている兄弟を父親から救うために、大人たちに見守られながらなぜか一人で関東へ向かう主人公。なぜか主人公に気圧されて、呻きだす兄弟の父親。兄弟たちが一体どうなったのかも観客には知らされないまま、さっぱりとした顔つきで故郷に戻ってくる主人公。竜とくっつくのかと思いきや、イケメンの幼馴染といい感じになる主人公…なんでやねん!!!
というわけで、本作に不満は多々あるのだが、同情すべき部分もないわけではない。一部で指摘される細田守の「制度」に対する理解の欠如という点だ。要するに、細田の作品世界のなかでは、福祉制度が無能かつ無責任に描かれてしまうということである。しかし、これは現代日本の映画事情を考えると、おそらくやむを得ないところだ。
そもそも、物語と制度とはあまり相性が良くない。物語は多くの場合、主人公の決断や行動でストーリーが展開していくし、視聴者や読者もそれを期待する。名探偵コナンの犯人が警視庁のローラー作戦で逮捕されてしまうと、興ざめもいいところである。見ている側としては、コナン君の活躍で事件が解決するのを見たいのだ。
そういう物語と制度との相性の悪さを補うための一つの方法が、制度の中の人を主人公にする、もしくは制度の中の協力者を登場させるというものだ。
だが、現代日本のアニメ映画において、児童福祉施設の職員を主人公するという選択肢は果たしてありうるだろうか。「おおかみこどもの雨と雪」はやや例外としても、ヒット作を目指すのであれば、主人公はどうしても高校生以下でなくてはならない。その縛りが脚本に大きな制約を生んでいる。
仮に児童福祉施設の協力者を登場させたとすれば、ストーリーの説得力自体は増すものの、ラストあたりの展開は協力者に解決をぶん投げる形になり、主人公の出る幕はほぼなくなってしまう。それでは、エンターテイメントとしてのカタルシスに欠ける。
つまり、児童虐待のような現実社会と地続きの問題を登場させるから、脚本のいびつさが目立つのだ。子どもの貧困を描いた新海誠の「天気の子」にも同様の問題が指摘できる。
現実社会には現実社会の解決策がある。それを一足飛びに高校生に解決させようとするから、脚本に無理が生じる。主人公たちを活躍させるためには、制度を無能に描き、リアリティを欠いた解決策をひねり出すよりほかない。
だから、細田守にせよ、新海誠にせよ、作品の主人公には大人しく世界を救済させておけと言いたい(それが嫌なら、主人公は高校生以下でなくてはならないという縛りと戦え)。
隕石が降ってくるとか、人工衛星が降ってくるとか、そういう超緊急事態を前にすれば制度は実に無力だ。だからこそ、主人公やその仲間たちの超人的な活躍が光るのだ。そして、世界を救うだけなら、より長期的には必要になる制度的(かつ地道な)解決策についても考えなくていい。
というわけで、高校生以下を主人公に据える限りにおいて、セカイ系の物語にはそれなりに有用性があるのが理解できたことが「竜とそばかすの姫」を見た最大の収穫だったと思う。
★☆☆☆☆
5つ星のうち1.0
無料だったので
Amazonで購入
メルヘンチックな世界観だなぁという印象しか感じませんでした。
とはいえ日本の人口の半分近くが住む関東圏だとこんな環境で育ったのかなぁ?
中学生同士のジャレ合いで根性がどうの…平和ボケしたお話だなぁと感じました。
https://www.amazon.co.jp/dp/B072HSHYHL?tag=itmedia-nl-22&linkCode=ogi&th=1&psc=1
今年からまた少しずつ行けるようになって。
で、第5波が来て。
関東に住んでる友達は結構行ってるレポ見るけど地方の子はほとんど自粛してるんだよね。
大っぴらに言えないからしてないだけかもだけど。
そういう私もめちゃくちゃ感染対策して気をつけて行くつもりだったけど、自分が感染しなくてもウイルスを媒介する可能性あるんだと気付いて萎えてる。
ワクチン2回打ったけどインフルと一緒で打ったって重症化が防げるだけで罹患するかもだし。
前に働いていた会社でクラスターが起きて、知ってる人が亡くなったり中等症で入院してる話を聞いてからめちゃくちゃ怖いんだけど。
みんなどうやって心に折り合いつけてるの?
考えるの本当にだるい。