はてなキーワード: 改名とは
某事務所は前社長死後、社長交代でかなり風通しがよくなり、積極的にタレントの方向性に関しても意見を聞くようになり、仕事の幅も広がり、待遇も良くなっていた。デビュー組以外のジュニアに関してもダンスレッスンを重視するようになってきていて、以前の状況とは相当変化が見られていたらしい。
おそらくこのあたりはファンも体感しているところだったのだろう。
そこに所属タレントが言及したようで多少話題になっていた(実際言及は見てないが)。
タレント自身もその状況を実感しているからこそ庇いたい部分があるのだろう。
ブラック企業が行政指導によりホワイトに向かっている時みたいなものだったのかもしれない。
しかしおそらくそれでもなお事務所は許されることはないのだろう。きっと、名前を変えても同じだ。
だからこそ独立しろとスポンサーは促すが…さすがに焦り過ぎだったのではないだろうか。CM放送を見合わせるくらいで一度様子を見る形でもよかった気がする。
グループを持っている彼らは全意見を統一し、さらに信頼できるスタッフを探し、スタッフたちの生活を守る覚悟を持たなければならない。
もし事務所側が残りの契約期間を相当譲歩したとしても明日独立できるものではないのだ。どんな芸能人でも同じだろう。
ジャニがギャラ受け取らないと言ってるので業務提携の取り分10:0という状態が今だろう。
そもそも論として日本の芸能業界はもっと積極的に業務提携システムを取るべきなのだが、昭和で止まった業界だ。搾取側がそれを歓迎しないのだろう…。
今回の件で週刊誌にも出たことがあるもっとやばい社長たちがざわついてるのかもしれないが、音事協グループ周辺の芸能事務所がやり玉に上がることはなく、ジャニーズ内で全てを終わらせたいと考えているし、おそらくはそうなると思う。
(ジャニーズ脅したって元総長とか今で言う元半グレのような人たちは出てこないが、バーニング系はどうかな?MAX松浦大丈夫?)
だからジャニーズタレントだけが逆に言えば開放される流れがあるのかもしれない。
ただ希望もあるのだ。能年玲奈が独立したとき物凄い嫌がらせがあったようだが(あの社長は元やべー総長の弟だ)その後でポツポツと独立する流れもあったのだ。ジャニーズの中でも独立自体は結構起こっていた。
ジャニーズタレントの行動が、今の日本の芸能界の仕組みを少しだけ変えるきっかけにはなるかもしれない。
過去は変えられない。過去がやばいと未来を作ることもできない。残念ながら、タレントたちの想いも届かない。
それにしたってタレント側はよくコメントしてると思う。叩かれもするだろうが、もし生半可なタレントならコメントを求められた時点で吐いてる。
あの事務所はある一定の年代からはジュニア時点で人気がでてないとデビューは遠い仕組みだった。それだけファンを引っ張っていける力量があるのだろう。
なんか個人名と新旧事務所名が混ざってるせいでまだ団体に責任が分散されてしまってるのがやだね
いやさんつけたくないから
日本の報道機関の異常さが再三指摘されているのに、何の解明もされないまま焦点が名称問題にすり替えられようとしている
ジャニーズにおける子供たちの性的虐待に関しては、以前から世間によく知られていた。
ジャニー氏を英雄視する追悼番組にネット上では多くの人が憤っていた。性被害について報道するのは週刊誌のみ。テレビ局はひたすら沈黙し揉み消す方向に動いていた。
SMAPのジャニー氏への謝罪会見もネット上ではその異様な光景に疑問を抱く人が多かった。芸能事務所の社長への謝罪のための特番。メディアを私物化するような行為。そしてジャニーズを辞めたタレントに対する妨害。
多くの人が問題視していたが、いくらネットが炎上しても何も変わることはなかった。
風向きが変わったのはBBCによる報道で、ようやくメディアの癒着にメスを入れられる日がやってきたと感じている。
各テレビ局に、なぜ報道できなかったのかを調査して報告して欲しい。
怒っているジャニーズファンがいるみたいだけれども、別にジャニーズファンへの嫌がらせで叩いているわけではないんだ。
同様に、芸能事務所とメディアとの癒着だって許されないんだよ。
恥のせいとは少し違うけど、京阪の駅から微妙な改名をした2例(3駅)を
枚方駅→枚方公園駅。枚方東口駅→枚方市駅(市役所は現在の市駅近くにある)
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E6%96%B9%E5%B8%82%E9%A7%85
香里駅→香里園駅(そもそも地名の文字は香里ですらなかった上に由来的には他所のパクり)
ttps://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E9%87%8C%E5%9C%92%E9%A7%85
元増田みたいなのが居るから地名変えちゃったってケースを出すよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230912103559
地下鉄南北線に志茂駅というのがあるが、ここは昭和初期まで「下村」だった。上村は近くにないので、岩淵宿から見て下の村という意味かと思われる。
関東大震災後に人口が流入して町になる時、「下町」じゃあれなのでちょっとこじゃれて「志茂町」とした。
後に町が取れて志茂となり、駅も出来て有名になったが、住んでる人も元は「下」のこじゃれた書き方だったとは知らないことが多い。
関東大震災後に東京近郊は下町からの移住で人口が増え始め、川口町と合併して川口市になる横曽根も人口が増える前に区画整理をする事になった。
横曽根の中心の北には「北」、南に「南」というおざなりな小字があり、西側は「新田」という小字があったので、「北」を「北町」、「南」を「南町」、真ん中を「仲町」とし、西側の新田は「仁志町」とした。
仲は中を、仁志は西をこじゃれた風にしたものだ。
だが西川口駅が出来て人口がどっと増えると、駅西側は全部西川口にしちゃえという事になって北町も仁志町も全部西川口になってしまった。
「仁志」とかせっかく付けたのに結局に「西」で上塗りされちゃっというケースである。
余談だが、南町は残ったのだが、ここは市境に近く、川口市南町から歩いて5分に蕨市南町があるので混乱の元だ。この命名法はよくない。
先の事を考えない鉄道会社に振り回されたケース。
東上線の中板橋駅の西側に711の弥生町店があるが、実はこの辺りは川越街道の上板橋宿跡である。
大正初めに東上鉄道(現東武東上線)が開通すると、始発駅の池袋の次は板橋下宿に近く貨物扱いで重要な下板橋駅が設置されたが、その次は4km先に設置する事になった。当時は蒸気機関車の単線運転だから交換用の駅で距離もその程度が適当だった。
だが駅の周りがマジで何もない。だから駅名に適当な地名も無い。
だが昭和初期に電化されて加速性能がいいので駅を沢山作る事になり、下板橋と上板橋の真ん中にも駅を作る事になった。だがこの近くの地名は、上板橋宿に因んで全域が上板橋になっていた。
でも下と上の中間の板橋だから中でしょと「中板橋」駅としてしまった。
すると上板橋が上板橋駅付近になくての隣の駅の周辺にある、しかもその駅名は中板橋というおかしなことになってしまった。
地名変更できるようになると上板橋は古い名前を捨てて「弥生」というこの地に特に縁のない名前にしてしまった。
元々池袋村は今の下板橋駅付近が村の中心で(現池袋本町)、池袋駅が設置された当初は池袋村の村の外れの村境ぎりぎりの場所だった。
今の西口付近はその名も「上」という小字の場所だった。その他にもこの周辺は「原」とか「下上」とか「西山」とかおざなりの超てきとうな小字ばかりであった。さすがは人もろくに住まず雑木林のままの村はずれだ。
だが鉄道がどんどん集まってきて人口も増えるとそんなてきとう地名は「池袋」で消されて無くなってしまった。
そもそも下上って何なのか?
葛飾区と足立区の区界を見ると綾瀬駅の付近で絡まったコードのようにやたらグネグネしている。これは古隅田川の流路で、中世では住田河と呼ばれていた。
荒川放水路が出来るまでは堀切駅の付近で今の隅田川に合流していたので、その上流までが荒川、その下が隅田川と呼ばれていた。
一方、江戸時代に水墨画が流行すると、「墨」という字とそれを「ボク」と読むのが粋でブランド的価値を持つようになった。
隅田川がカーブしながら先述の古墨田川と合流する場所の外側にあるのが隅田村で、洪水が頻発するので幕府は隅田堤という陸の堤防を築造、桜を植えた。桜を植えるのは花見客が大挙して訪れて踏み固められるからである。今も川べりに桜が植樹されるのはこの幕府の知恵に由来する。
するといい景色なので山水画や浮世絵が多く作られたが、何しろ「隅」より「墨/ボク」の方がカッコいいもんで、隅田堤じゃなくて「墨堤/ボクテイ」と題されたりした。
その他にも隅田村/隅田川関連のものが「墨田」と呼称されたので、隅田村→隅田町となっていたが住んでる人らは勝手に隅っこよりもイキな方がいいと「墨田町」と書くのが流行し、本所区と向嶋区が合併した際には墨田区となった。
隅田町が町名変更できるようになるとこれもやはり墨田となった。
中仙道の板橋宿は超巨大宿場町で、JR板橋駅から都営地下鉄板橋本町駅の2.5kmくらいもあり、北から上宿、中宿、下宿(下板橋宿/平尾宿)と分かれていた。
鉄道道路の時代になると宿場町の記憶は無くなって何が中なんだという事で、仲宿と改称された。
下谷はいかにも下に見られてるみたいなので、台地の東、と台頭を兼ねた造語を区名にした。
吉原遊郭とか上野周辺とか山野とか実際にスラムが幾つかあったのが余計にコンプレックスを刺激した。
十条と呼ばれる地区には北側に上十条村、南側に下十条村という二つの村があった。尚、この当時の上、下というのは京都に近い方が上である。江戸北側には中仙道があるので京都に近い方の北が上であって、東海道周辺なら西が上になる。
両村を縦貫する形で日光御成道(別名 岩槻街道)があり、下十条宿という幕府非公認の小さな宿場町があった。今の東十条駅から坂上がったあたりの塾や郵便局があるあたりである。
明治になりその十条の西の方に現赤羽線(埼京線。開通当時は日本鉄道品川線)の十条駅が出来た。
次に東北本線(京浜東北線)にも駅が出来る事になったが、当然、一番栄えている下十条宿に近い場所に設置された。また駅に来れる道もある。だから当然駅名も下十条駅だった。
ところが昭和に住居表示で町名が変えられるという事になると、下十条が「今は東京駅に近い方が上だからこっちが上十条だ」とか言い出す。
それで町名を押し出された元の上十条は、下はヤダってことで中十条となってしまう。何でだ。
こうして下十条が無くなったのに駅だけ下十条を名乗ってる状態になったので、十条の東だし、東十条に隣接してるってことで改称されて東十条駅になった。
そりゃ下扱いは誰でもイヤなもんだが、下剋上的というか身勝手というか。
ここを東急電鉄の後藤慶太のデベロッパが買い上げ高級住宅地「田園調布」の分譲を開始、鉄道も開通し、調布駅が設置され、直ぐに田園調布駅に改称される。
「田園」の文字の由来は、ロンドンに視察に行った後藤が田舎に住んで都会に鉄道で通勤するというゆとりがある生活スタイルに触れて感銘を受けたため。当時のロンドンは児童含む超絶ブラック搾取労働や、一晩で数百人が死ぬほどの超絶大気汚染、ゴミや糞便に混じって死体も流れるテームズ川の超絶河川汚染、多発するスリ強盗殺人林立する売春婦など、文字通りに死ぬほど環境が悪かったために富裕層にこのような生活スタイルが流行した。
昭和3年に人口が増えて町制施行されることになったが、調布町とすると京王線沿線の調布と被ってしまうので「東調布町」と呼称。
だがその僅か五年後には荏原郡自体が東京市に編入されて東調布町も消滅。短い命であった。
初めは東急(の子会社デベ)が開発した駅前の高級宅地だけが田園調布だったが、住居表記施行で町名変更が可能になると、元の田園調布の周りの○○沼とかの町も「沼とかヤダ田園調布にしたい」という事になって、全域が田園調布となった。
ここ最近のジャニーズの件を追いかけて、改めて思い知らされたよね。
なんでアニメとか漫画とかゲームがここまで人気が出るようになったのか。
結局のところ日本のマスメディア(特にテレビ)の権力構造にからめとられた業界はまったく海外で活躍できなくなって落ちぶれていくしかない。
もちろんアニメも完全にジャニーズと関わりがないわけじゃない。ジブリはキムタクを起用したし、すずめの戸締まりもジャニーズを声優に使ってるし。
でも色んなところでオタクカルチャーが雁字搦めになったテレビ局の権力構造から自由なのがかいま見えてる。
例えば声優の事務所移動や独立が頻繁にあるのは声優が組合に入ってるからだって、指摘されてたり
のんが改名した後に最初に主演として抜擢したのがアニメ映画の"この世界の片隅に"だったりする。
今なんかも、のんはポケモンのアニメ(ポケモンコンシェルジュ)の主演声優として起用されてる。
明らかにアニメ業界は既存のテレビ局の権力構造から外れている。そしてそれが他の日本の映像系のエンタメと違って海外に進出するための重要な要素になってる。
あまり言いたくないけど、おたくカルチャーがテレビ局からおもちゃの様に扱われたのって、結局この権力構造から外れた存在だったからじゃないのかな。
彼等にとってアニメも漫画もゲームも目障りで仕方なかったんでしょうね。
テレビ局様に付き合って、うまい汁を吸おうとし、ジャニーズを積極的に起用した邦画やドラマ組の人達は
自分たちの身内を守ってオタクカルチャーを除け者にした結果、そのおたくカルチャーがどんどん成長していってついには押しつぶされそうになってる。