2021-09-18

自分立ち位置を変えても見える世界は変わらない

 相対的貧困多浪自衛官医学生という経歴をもつ私(見る人が見れば特定できるだろうがあえて触れないでいただきたい)が最近思うことがある。それは自分所属する集団いかに変わろうとも自分が見えている世界は変わらないということである

 多浪時代に感じていたこと、自衛官の時に思っていたこと、そして今医学生として感じていること。これらは全て表現型を変えてはいものの残念ながら同じことなのだ。医学部進学をあきらめて180度違う世界に入っても、自衛官を辞して再び学問世界に入っても、自らが原始に望んでいた世界に入るために高齢ながら19,20の学友と轡を並べつつ予備校へ行き受験医学の道へ進んでも、私の価値観に対して大ナタを振るってくれるものなど在りはしなかった。

 ある程度歳を取り、貧困経験し、凝り固まってしまった人格というものは、多少の衝撃では矯正し得るものではないということを身をもって痛感させられた。

 逆説的に、若く平凡以上の、所謂ガチャなどと自分の生まれ揶揄できるほどの親に恵まれている諸兄にとってみれば、自分所属する集団の如何によって「目覚めた」であるとか「本当の自分人生を見付けた」であるとかといったことがいえるのではないかと思う。自分が固まっていない、価値観を固定されるほどの幼年時代をおくっていないものであればあるほど、頭を殴られるような経験はしておくべきなのだろう。

  • 集団によって「本当の」自分を見つける体験って、オウム真理教とかによくあった話

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん