はてなキーワード: カップラーメンとは
父は少食でジャンクフードや炒め物、イタリアン、鍋が好きで濃い味付けを好み、母は食欲旺盛で煮物や和食が好きで薄い味付けを好む。
普段は母が料理を作るのだが、味も量も父の口には合わなすぎて「はぁ~(溜息)、いつもいつも味薄いんだよな~」と言って自分で買ってきためんつゆをかけて食べたり、時には「こんなに沢山食えるわけないだろ!」と怒鳴ったりする。
父に食事がまずいとか下手だとか言われるため、母はものすごく手間をかけ食事を作る。日本産の高級椎茸や貝柱などを買い、前日からから出汁を取る。これは私が小さい頃から20年近く、毎日のように行われてきた。母が化学調味料を使っているところを見たことがない。
しかし、どんなに努力して食事を作っても、それは父の好みではないためまたまずいと言われる。
母も非常に強情で、体にいい食事しか作りたがらないため油でいっぱいの炒めものとか、炭水化物ばかりの食事なんてものは絶対に認めない。使う材料と言えば無農薬野菜や発芽玄米で、野菜とタンパク質のバランスが取れた食事しか作らない。
私は記憶にないが、狂牛病問題があったとき、ゼラチンやカレールウを意地でも使わず粉からカレーを作っていたと聞く。
日曜は父が料理当番である。父が食事を作ると母は「味が濃すぎるのよね、高血圧になっちゃうわ」と言ってツユを捨てお湯で薄める。味が薄められない炒め物の場合は水で洗う。
父と母は鏡像のようだ。
父は高齢になりアルコールに弱くなった。以前と同じ量飲んでもフラフラになって、マンションのロビーで血を流して倒れてたり背広を破いたりメガネを粉々にして帰ってきたりするので、禁酒日を増やそう増やそうとするが父にはそれもストレスであるようだ。
父は手間暇かけなくていいからカップラーメンが食べたいと思っているような人間だ。好きな食事を殆ど出てこない父が可哀想ではある。ただ父の健康を一番に考えてバランスのいい食事を丹誠込めて作っているのに詰られる母も救われない。
お互いに相手の言い分を気かず、適切な話し合いもせず不満をぶつけ合うだけで埒があかなかった結果、両親は熟年別居に至ってしまった。
人は些細なことで悩み、エネルギーを消費する。その選択が何かを大きく変えることなどないのに、無駄に悩む。この意思決定に、最近疲れてしまった。全ての意思決定に疲れてしまった。もしこれを全部とは行かずとも一部を誰かに委ねられたら、と近頃考えるようになった。
人のアドバイスはいつだって参考になる。俺の自由意志(と思い込んでいる神経の発火現象)とは無関係なものほど、参考になる。この誰かとは、誰か。友人か、家族だろうか。思い当たる人は居る。だけど、彼らは機械ではないし、忙しい。今日の晩飯はカップラーメンとソース焼きそば、どっちがいいかなんて、いちいち聞くのはなんだか悪いし、互いに面倒だ。
常にその判断を手伝ってくれる誰かとは、誰だろう。そもそもそんな人は居ないだろう。そう思ったとき、机の6面サイコロに目が止まった。最近TRPGをして、サイコロをよく振ったからかもしれない。俺の意思とは無関係にジャッジしてくれる誰かとは、このサイコロなのではないかと思い始めてきた。
それで気がつくと、サイコロとの対話が可能か、サイコロを眺めながら考えていた。
以下の文章は、その思考のパンくずをちりとりでかき集めた、そんなものである。
何かを人同様に接して、会話をする。これを考えたとき、イマジナリーフレンドが思い浮かんだ。しかし、イマジナリーフレンドには実体が伴わないらしい。なら、違うか。さらに、イマジナリーフレンドは自分の意思で発言し、自由に動き回るらしい。これも違う。サイコロはそもそも人語を話さないし、自分の意思で転がりもしない。理想はこちらが問いかけたら、1から6の数字で返答する。それだけだ。やっぱり、サイコロはイマジナリーフレンドではない。脳内にサイコロの人格を作ることは、容易ではないし、それは現実のサイコロとは一致しない。そもそもサイコロの目はただの乱数である。それは分かってて、そこに人格らしきものを装飾して会話のようなものをしたいだけなのだ。
ただの乱数を装飾して、会話にする。これには乱数で出てきた数字に意味をもたせることから始めるべきだろう。
人が人語を話せないとき、どうやって意思表明をするかを考える。それは手を使ったジェスチャーかもしれないし、頷きや首振りといった動作かもしれない。これらは、離散的な「YES」「NO」などの表明に使うことが出来ている。これは…そのまま、サイコロの意思表示(と捉えること)にも使える気がする。サイコロの目は1から6。数が多いほど「YES」または「肯定」という表明と捉えたら、サイコロと会話した気分になれるかもしれない。
例えば…
「1」(NO)
「4」(迷うけどラーメン)
「そうなんだ・・・」
これはなんだか、会話してるように見える。
…サイコロの目は乱数なのは知っている。でも会話らしく見える。それが大事なのだ。完全に個人の意見だが、ただの乱数値に選択を委ねるより、人の形をした何かにそれを委ねるほうが、受け入れやすい気がする。だから、会話っぽいロールプレイが必要だと考えている次第だ。
ここまで書いて、この対話の欠点が見つかる。それは、サイコロの人格が支離滅裂になるということだ。同じ質問に対し、全く違う顔をする。当然だ。だって乱数なのだから。これを解消するには、同じ質問をしないようにするか、支離滅裂な人格として愛するか、のどちらかだろう。どちらもハードルは高い。
・・・やっぱり、サイコロと人同様に会話するのは、難しいのかもしれない。
しかし、それでもサイコロの「全てを決めてくれる」力には魅力を感じる。選択を委ねられる存在は、喉から手が出るほど欲しくなる。人の形をしたサイコロが欲しい。信頼できそうな人の形をして、説得力のある顔をして、答え(ただの乱数)をくれる、そんなサイコロが欲しい。欲しい!欲しい!…
この試みはどうかしている。だが同時に、これを考えていると心が穏やかになった。サイコロの「彼」と心を通わせることができた暁には、どんな意思決定にも前向きになれることだろう。それがどんな結果を招こうとも、「彼」との信頼は崩れないし、むしろ強固になるだろう。そこに悩みはなく、あるのは迅速な意思決定だけなのだから。
高卒バイトリーダー「へっ プロ棋士様がレジ打ちできるのか しかもこれからは通勤客とか一番混む時間だぞ 出来るもんならやってみろよ」
藤井「今来たサラリーマン おーいお茶とシーチキンおにぎり、缶コーヒーで計389円の買い物をされますよ」
藤井「次の土方風の人、牛カルビ弁当と烏龍茶、スープ代わりにカップラーメンを買って店頭でお湯を注いでいきます」
高卒バイトリーダー「まさかっ うちの来店客全て覚えているのか」
藤井「店長にお願いして防犯ビデオ過去1年分見てすべての客の動向特徴インプット済ですので」
ワイはカップラーメン食ったりするやで
正直他人の家族なんてどうでもいいから、不幸な身の上話をされても、ああ自分の親が同じようになったら嫌だなあ、とすぐ自分と置き換える。そこに相手を気遣うような、思いやるような気持ちは浮かんでこない。
自分の家族が何よりも大切なのに、なんだがどうしようも無くなってしまった。
父親は、自分が絶対で正しいと思っている人で、自己中心的だった。朝食を食べるか食べないかは気分で、食べたく無い時は用意されていようが平気で食べない。はたまた朝に喫茶店通いが続くと思いきや、突然自分の分の朝食が用意されていないと拗ねることもある。朝食を食べるか食べないかは口に出さない。つまり、察して欲しいらしい。そういった自分自身の言動をおかしいと思わないらしく、母や私からの指摘も聞く耳持たず、結局最後にはへそを曲げるだけだった。
休日の朝から、私と姉と母のいるリビングでアニメを何時間一人だけで見ていようが、昼になり母の作った昼食を体に悪いからと食べずカップラーメンを作りはじめようが、夕食前のリビングの机にパソコンを広げ何時間も麻雀していようが、本人はこれと言って何もおかしいと思っていない。指摘しても、無駄だった。
母と父は仲が悪い。母は父に聞こえるように舌打ちをしたり、悪態を吐く。それでも、父の言ったことには従った。家の掃除も家事も洗濯も全てほぼ母が行なっている。父が入院した時も、毎日通うように病院に足を運んだ。いつ何時呼び出されても、すぐに父の元へ向かった。母はいつでも、自分より私たちや父のことを優先する人だった。
だが、憎みきれないのが自分の父親だった。一人暮らしをする私の帰りをいつも楽しみにしていてくれたり、私と二人で食事に行くと、それはそれは喜んでくれた。父の嬉しそうな楽しそうな様子を見ると、私も嬉しかった。その度あれほど鬱陶しい、母を気疲れさせる父が恨めしいと思うのに、そう思ったことを悔やむ。父ももう歳だから、きっとこの先性格が直ることもない、私が我慢すればいいんだ。母も可愛そうだけれど、その分私にできることがあれば率先してやろう。いつもそう考える。その通りに行動する。その繰り返しだった。
でも、さすがに耐えがたいことがあった。家族を家族と扱っていないような、自分ためだけに、私たちに向かって声を荒げた。聞いたこともないようなもう二度と聞きたくもないような声だった。暴力だとか、なにか法に触れることだとか、そんな大きなことではない。しかし、あの時だけは自分と父親を切り離して、なんの関係もない全くの他人になりたかった。
父は私に謝罪と感謝を伝えてきた。私はそれに、うん、とだけ答えた。こみ上げる言葉を塞き止めるのに必死で、それしか言えなかった。
それから、父を放り出したいなあと思った。掃除をするのに疲れて、部屋に散らばるものを全部まとめて捨ててしまった時のように。
私が我慢すればいいだけの我慢は、いつまで続くのだろう。我慢しなくたって、父と笑い合える、家族みんなで心から団欒を過ごせる日は来るのだろうか。
それとも、私が父を放り出してしまうのが先だろうか。
あれ自分もやりたいなと思いつつ、なんだか恥ずかしいのでできず、機を逃した。なのでここに書き捨てさせてもらおうと思う。
早いね。
当時まだ10代で、高校を中退して、塾通いさせてもらいつつも半分引きこもりのような、甘ったれた生活をしてた。
当時の自分にとっては死にたくなるくらい辛かったはずなのだが。
やめたって別にスッキリしなくて、むしろ罪悪感でぐるぐる巻きになって身動きができなかった。
そのあと奇跡的に大学受験はなんとかなり、なんだかんだで実家から離れた大学に進学させてもらったけど、大学も行ったり行かなかったりで単位を落としまくり、虫の湧くような汚部屋でかろうじて息をして、カップラーメンだけ食べるような、昼は引きこもり、夜中になってから少しだけ外に出るような、そんな生活だった。
バイトは多少したし、サークルなどにも入ったし、たまには授業も行ったが、部屋の中で漫画を読みあさって現実逃避する時間が1番長かった。
一番仲のよかった友達に、ゴミ部屋から引きずり出してもらってギリギリ4年で大学を卒業した。
働き始めてからその友達と同棲し、そこから5年ほど経って、こないだ結婚した。
学生時代の一人暮らしでは全く身につかなかった家事も身につき、部屋は清潔な状態が保たれるようになった。料理も毎日食べるものに困らない程度にはするようになった。
趣味もいくつかある。ゲームや、(今は新型コロナが流行っているから行けないが)好きなアーティストのライブに行ったり、バイクに乗って出かけたり。
そうでなければ回復できなかった。
腐っていた時期が長かったからか、大人になってからの方が断然人生楽しい。
ただただ人に恵まれ、運がよかったんだと思う。
ここから先仮に落ちていくだけだとしても、仕方ないし、そうなったらきっと苦しんだり何かを呪ったりするだろう。
少なくとも今は、そう思う。