はてなキーワード: いでとは
本当になんかバカ(モラルの意味でも、そんなことしたら非難受けることすら分からないっていう知能の意味でも)が多いよね
これは増えてるのか、ネットのせいで可視化されて増えたように見えるだけなのか、どっちなんだろう
もし増えてるなら凄く嫌だ
震災から3日目の夜だというのに、まだまだ死亡してしまう人、行方不明者は絶えない
こうやっている瞬間に、今もどこかで死んでいく人がいる
車の中で瓦礫に埋もれ、恋人と救助が来るのを待ち続け、
目の前で愛する人が死んで行くのを見てしまった人がいるかもしれない
手をつないだまま死んで行った親子がいるかもしれない
目の前で子供や親がなくなっていくのを見ている人がどこかにいるかも知れない
どうか1人でも生き延びてくれ
死なないでくれ
<未だ書き途中です>
<アイデアがあったら教えて!>
どうも。私です。
輪番停電の間、日常生活をどうやって今と変わらないようにしていけるかについてメモっていこうと思います。
あくまで自分用のメモなので、他に見聞きしたアイデアで良いモノがあれば順次メモって行こうかなと思ってます。
電池を使うものは電池が切れてないか確認を。
この機会にリユース式の乾電池に変えて充電しながら使用すると、ゴミも少なくて良いと思う。
ソーラーライトは先ほど自分も買ってきましたが、どれくらいの明るさか未だわかりません。
ちょっとした気休め程度でも、あるのとないのでは大違いかなと思います。
ロウソクも一番に思い浮かびますが、ちょっと扱いを間違うと火災につながるので使用には十分の注意を。
火災を起こして、保険会社にこれ以上負担掛けさせないで下さい。
使用時は絶対万全の状態&目を離さないこと!
オール電化のお家で、停電中に調理が必要な場合はカセットコンロで食事の準備を。
カセットコンロは、テーブルの広いところにおいて下さい。
周囲に飛び火しないように気をつけて下さい。
~・停電中の調理・~
ガスを使ったお米の炊き方 http://cookpad.com/recipe/1268706/
野菜の霙煮 http://cookpad.com/recipe/1222961
常温で常備できる食べ物
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/3815713.html
長いも
ごぼう (泥付きのまま)
かぼちゃ (丸ごとなら1ヶ月。)
キャベツ→ しめらせた新聞にくるんで温度が余り上がらない部屋や日陰へ。
うど → 光に当てると固くなるので、新聞紙にくるみ、冷暗所で保存。
そのほか詳しくはこちら。
http://www.eiyoukeisan.com/calorie/article/food_hozon.html
基本はスーパーに行って、その日と次の日の内に食べるものだけ買うように。
冷凍庫が働いていないときは、冷凍物同士はくっつけておいた方が保冷効果アリ。
その際、ストックとストックの間にアルミホイルを巻きつけたり保冷剤を挟んだりとより保冷効果が持続します。
また冷凍庫のドアのゴムパッキンを綺麗にしておくことも冷気を逃がさないためのコツ!
高層階にお住まいの方はなるべく停電時間内は昇降しなくて済むように用事は済ませておきましょう。
停電時間内は階段を昇降する事になりますが、重い荷物が毎日になるときついです。無理は禁物。
基地局は停電用の予備バッテリーを備えているという噂もありますが、実際に停電中は使用できるかどうかは不明です。
大幅に運転本数が減少
本数を減らして下記間を運行
運行本数は半分に
午前9時~午後1時半 & 午後6時~午後10時
の運転を取りやめ
また、停電期間中は信号も停電になります。大体の時間帯はわかっていても、正確な停電時間は知らされていないはずです。
だから、個人で不急の使用の場合は出来るだけ控えて下さい。自転車だって結構いいもんですよ。
日没~深夜の停電だと、明かりないので床のモノに引っかかったりしないように、
日中から家の中の動線にモノを置かないで、動きやすくしておきましょう。
止めない。仙台や宮城や福島や岩手の人たちの、復興が助けられるように。
みんなで頑張っていこうぜ!
まだ二十代そこそこなのだが、年を取ったと感じる。思春期の僕なら地震など他人事ではしゃいで楽しんでいただろう。今回の地震ではわりと下種な僕も被災地のことを思ってなんだか胸がざわついた。ちょっと泣きそうになった。まあ、東京で西日本在住の人たちよりも当事者意識はまだ高くて当然なんだけど。水とか買っちゃったしさ。
んで感じたのは、ありきたりなんだけど、命が当たり前ではなく不条理に奪われることがあるということ。その最たる原因の一つとして、急に発生する災害があるということ。今回経験して初めてその怖さがわかったし、災害対策の重要さが分かった。自身の命を意識したからだと思う。日本って平和だしそんな機会なかなかないしさ。
そんでそこから連想して、急に命を奪う可能性のあるものとして、戦争というものが思い浮かんだ。急にミサイル撃たれて死ぬとか、ほぼ自然災害みたいなもので予期できない死の一種でしょ。今の日本で大丈夫なのかなーと。急に外国の軍隊が攻めてきたら死んでしまうじゃないかと。初めて軍隊というか戦争の抑止力なら何でもいいけどそういうものの大切さが身に染みたわけなんですよ。
こういう風に死を初めて身近に感じた人多いのではないか。確証ないけど、どうですか。もし多くの人が同じように感じたなら、今こそ、軍備というか安全保障とか、はたまた原発やら、また頼りにならない政治など(個人的には立候補も投票も免許制にすべきだと思う)を考え直すべきなのではないか。考え直すことが出来る時期なのではないか。
今回の地震、思ってたよりヤバイんだな。
てっきり、死者1000人くらいで終わるのかと思ってたよ。このままだと数万人いくかも?やばすぎるよ・・
もともと日本海側に住んでて、しかも来月からニート決まって太平洋側のマンション一人暮らし生活から実家に戻ってきてて、しかも偶然地震の時間帯にほぼ全員が居間にいた。あまりに幸運すぎて自分の運の良さが怖くなってくる。
テレビ局が終日地震特番やり続けていることにちょっぴり「やりすぎじゃ・・」と思い始めてたが、全然やりすぎじゃなかったんだな。
原子炉の冷却作業にあたっていた東電職員2名と作業員2名が爆発で負傷し、
二次災害に巻き込まれる危険を冒しながら被災地で活動をしている。
家族も心配しているだろう。本当に頭が下がる。
働いて死ぬ人がいる。
炭鉱で働き、肺が粉塵にまみれて早死にする人がいる。
彼らの両親が大富豪で、一生働かずに暮らせる生まれだったとしたら、
もしくは教育費をかけられて、代替の難しい知的技能を身につけていたとしたら、
好き好んでそんな職には就かなかっただろう。
食っていくため、家族を養うために、命を削って働いている。
生まれつきの運が良く、資産や教育や家庭環境に恵まれた人々は、
そういった人々が命を削って生み出したものを享受して、そこに依存して、便利な生活を送っている。
職務のために死ぬ人々はあまりにもおろかにうつることだろうと思う。
仕事ごときのために死ぬ。収入ごときのために自由を犠牲にする。
私もそういった、危険な仕事に就かなくてもとりあえずは生きていける。
生きる死ぬどころか、どうにも気に入らないことがある、それぐらいで今の仕事をやめる可能性もある。
はてな界隈で「仕事はクソ」と言っている人々からすれば、それは正しい働き方なのかもしれない。
自分を犠牲にして働く人をおろかだという人は、"自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている"のだ。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20110306
ニートや、私のように働いても働かなくてもいい状態で気楽に働いている人間が、
自分を犠牲にして働いている人を笑うのは、みにくく、おろかなことだ。
私たちはみな、職務のために死ぬ人々に依存して生きている。
私から言わせれば、特に下に関したものはすべて信用ならない発言であり、しかもそれを国籍差別に結びつける輩も多く(というか、そういう人が発言しているように見える)とてもではないが付き合いきれない。
http://anond.hatelabo.jp/20110313160627
http://anond.hatelabo.jp/20110313163702
確かに指摘されている増田のように、無政府状態的な場所、事態ではソースにならない(平時ですらそうなのだから)という見解もありますが、、、。
ただ、勘違いしてほしくないのは「なかった」ソースが欲しいわけではないのです。あったかもしれないし、なかったかもしれない。じゃあ注意を呼びかけるとしてそのたとえ、ないしその主張は正当化されるのか?という話です
もう少し直訳すると
「暴力をふるったり、他人のものを盗んだりすることは、文化として是認・支持されない」
かな。あとで直します。
Twitterでも呼びかけたし、ブログにも書いたんだけどまだ足りない。できるだけ多くのTwitterユーザに読んで欲しいです。(別にぼくが情報学を学んでるからどうだって話なんだけどね。)
情報学を学ぶ学生から、Twitterの利用についてのお願いです。
普段は情報拡散をしていない人たちが拡散postをしています、ありがとうございます。留意点をあげさせていただきます。
情報を得る手段はTwitterだけではありません、TV・ラジオなども有効活用してください。
この記事に誤りがあとで発見される場合があります。匿名ダイアリーは編集できない[すみませんできました]ので、最新版はこちら→http://d.hatena.ne.jp/siritori/20110312/1299896316
Twitterでも呼びかけたし、ブログにも書いたんだけどまだ足りない。できるだけ多くのTwitterユーザに読んで欲しいです。(別にぼくが情報学を学んでるからどうだって話なんだけどね。)
情報学を学ぶ学生から、Twitterの利用についてのお願いです。
普段は情報拡散をしていない人たちが拡散postをしています、ありがとうございます。留意点をあげさせていただきます。
情報を得る手段はTwitterだけではありません、TV・ラジオなども有効活用してください。
この記事に誤りがあとで発見される場合があります。匿名ダイアリーは編集できないので、最新版はこちら→http://d.hatena.ne.jp/siritori/20110312/1299896316
「チェーンメールでトラフィックが圧迫されています」ってそれ自体がデマだろw
ツイッターからどんどんリンクされてるが、リンクした後に誤情報に書き換えられる可能性だってある。
俺は大筋としては反対しないけど、
・専門性のない学生ボランティアが役に立てるのは、もう少し経った「復興支援」みたいな段階になってから
・そういう「邪魔なボランティア」になってしまうと、結果的に、アピールとしてもマイナス
という点は指摘しておきたい
なんでそうやって物事を大きいままに受け止めようとするかなあ。
もっと「個人的な気遣い」に落とし込めばいいんだよ。
震災に遭った知らない人の気持ちを慮るんじゃなくて、その「気になってた男の子」の気持ちを慮ればいい。
「あの人は震災のせいで傷ついているんだな、だったらあの人がこれ以上傷つくような言動はやめようかな」ってさ。
そうすりゃ別に距離的にも心理的にも遠い話ではないだろう?
気遣っているのは目の前の大事な人なんだから。
テレビで報道特別番組をどこのチャンネルでもやっているくらいで、
いつもと変わらない日常。
被災地の現状を観る度に、今の日常に対する感覚がふわっふわっしたものになる。
原発で放射能漏れの事態が起きていれば、東京にいてもこんなこと行ってられないんだろうな。
「紹介状送付が遅れます」
2012年ではなく2011年が世界の終りだったのかと思ったがどうやらそれほどでもないようだ。
津波に流された民家を見る限り木造だし、流されていない病院とかもあることを考えると、単純に「防災に対する意識」が足りなかったんだろう。
都市で生きるなら防災システムの不備に憤っても当然だが、「津波さんどうぞ壊してください」って家が壊されたんだから、当たり前のことが当たり前のように起こっただけだ。
都市に住む人類は「津波で家が壊れてもしょうがない」とは考えない。津波で壊れない家、地震で壊れない家を創ろうと考える。今まで自然に抗う術をほとんど持たなかった過去の人々でさえ、やはり脅威を軽減しようと努力していた。
だからこそ、一層都市化をすすめるべきなのだ。今手にしている技術こそが、人類を自然から切り離すための大きなツールなのだから、これを大いに活用しなければならない。
木造の家や過去人(老人)は津波にのみこまれてしかるべきだ。地震や津波は自然の側が「こっちへおいで」と言っているようなものなのだから。自然と共に生きると決意した人間ならば当然あっさりと死ぬべきだし、死ぬことが本望だろう。
厄介なのは、自然と共に生きるようなフリをしながら、実際は心の隅々まで「都会化」してしまっている人々だ。彼らの歪んだ身体はテレビとネットによって作り出されたものだろう。暮らしは自然に接していても心はテレビやネットなどが映し出す「都市」と接続されている。彼らは不幸な人々だ。そのような捻じ曲げられた精神は、津波によって流されてしまったほうが良かった。これからどうしたらいいのかと泣く姿はあまりにも哀れだ。彼らは肉体を自然に持って行かれたが、心だけが残ってしまった。彼らには「都市の肉体」が必要だろう。の大災害によって少しでも「歪んだ身体」が浄化され、あるいは正常な形に戻ることを願う。
いや、むしろ、西日本は、普通にしていてくれたほうが何よりも全員のためだろ。
関東も本社機能が集中してるから、止められないから、ふつうにみんな、軽減するとしても仕事するだろ。
なによりも、大変なのは、今は、火急時で、力が集中しているけど
むしろ、ここから、の方が大変で長丁場。それを支えるのは、関東・関西の主要都市からの義援金・寄付金・支援物資になるだろうからね。
それにしても、此処から先、建築資材の不足による復興の遅れ、関東圏の建物の補修の遅れ・最悪補修できずにビルが使えないとか
救援するにしても長期的な救援物資の不足 仮住まいの長期化によるストレス・治安の悪化
はてなという会社が存続し続ける限りはこの匿名ダイアリーの記事も残るはずで、あるいは、はてながつぶれてももしかしたら匿名ダイアリーのログは残り続けるかもしれないから、後世のためにこの二日間、京都に住む普通の大学生(若干だめな感じだけど)が何を感じたのかを書こうと思う。原発の放射能漏れがほぼないと分かり安心したのもつかの間(犠牲となった方がいたのはショックだったが)、3/12、22時ごろに南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載った今の心境は、はっきり言って最悪だ。
注意:当時の心情をありのままに晒そう(それでも抑えているつもりですが)と思っているため、かなり配慮に欠けた表現とうつる言葉づかいをしていると思います。もし、このダイアリーを見てくださった方でお気を悪くされた方がいたら本当にごめんなさい。けれども、書き残す必要があると思って書いています。
今回の地震において、僕はちょうど図書館の地下に行っており、揺れを感じることがなかった。というより、その場に居合わせた人間5,6人も揺れを感じたそぶりを見せることもなく、僕がこの大地震が起こったことを知るのはこの3時間後、18:00頃だった。
16:00頃
近くのユニクロでヴィンテージクラシックノータックチノを買いに行こうとする。恐らく本田圭佑が履いていたそれは品切れを起こしていたらしく入手することは出来なかった。ちょっと客が少ないし、従業員もそわそわしているかなとは感じたが、気のせいレベルのはずだった。
18:00頃
サークル棟に入ると、出会った知人に開口一番、地震すごかったねと言われた。「いや、何のことだよ(笑)?」と返したら、普通にどんびかれた。「揺れ感じなかったの?京都もすごかったんだよ。」と返されて、まず、しらねーと思ったし、後、「も」というのが気になった。そして、何やら東北で大地震が起きたことを知った(今のところ自分の周りで京都において揺れを感じなかった人間はいない)。けど、東北で大地震なんかよくあることだし、ま、今回もその異常耐震・免震っぷりが発揮されるのだろうと思っていた。ただ、死亡者がこの時点で30人を超えていたと聞き、普通の東北の大地震(通常はその規模に関わらず殆ど犠牲者が出ないので)ではないとは分かった。
19:00頃
ネットから遮断された状態の僕は、むしろ東北がいかに耐震大国であるか布教する宣教師となっていた。部室に来る人間には、東北がいかに凄まじい耐震・免震ぷりを発揮するかを力説し、死亡者が3ケタ行ったらとんでもないことだと今となっては糞虫のような推察を披露していた。
中国人留学生が本国の友達から心配されると話してくれて、同じく、東北の耐震免震大国っぷりを話していた自分がいた。ベルセルクとブリーチを読みながら、やっぱ蝕すげーとか思っていた。そして、帰宅。シャワー浴びて、ご飯を食べて、翌日河原町に行こうと思っていたので、ネットで靴みたり、雑誌とか読んでたら、あっという間に24:00になっていた。
事態がただ事じゃないことが分かったのは、23:57に、15:23に送信された母からの自分の安否を気遣うメールが届いてから。なんで今頃?届くの?と思った。そして、yahooニュースの見出し(見出し自体は帰ってからちらっとはみたもののあまり衝撃的な見出しではなかったので流していた)を開いてみると、まず仙台空港が水没していた。ちょっと半狂乱になって、いろいろ見ていたらtelegraphに津波が家を飲み、田んぼを飲み、猛烈な勢いで海岸線を超えて陸地を飲み込もうとしている動画があり戦慄した。後は、3:00まで、いろいろな2chのまとめ記事を真剣に見るだけ(3か月くらいテレビ壊れたまま)。これは日本でおこっているのか?と思った。そして、この時点で死亡者の数が4桁を超えることがほぼ確実となっており、未曾有の大災害であることを認識した。知り合いで被災地の近くの人間は特におらず、不義理なことをしていないことも含めて少し安心した。
朝起きて、yahooニュースを確認したら、実家(群馬)の近くでも地震が起きていることが判明し、慌てて母に電話した(メールでの返信は前日済み)。どうやら実家の周りでは被害がないらしく、一安心したが、改めて死亡者がこの段階で1000人を超えることが確実な中、今度はこの地震がいかにとんでもない規模の災害であるか、耐震・免震大国である東北でこれだけの被害が出ており、津波がどれほど想定外で、規格外であったかを伝えなければならないと思い、部室へ向かった。
13:00頃
まず、話した全ての人に身の回りの人が無事かどうか聞き(幸い不幸なことは聞かなかった)、ショックを受けていることを伝えた。そして、これがいかにとんでもないことか伝えた。そして、今度は原子力発電所が危ないことを聞かされた。けど、このときもまた、馬鹿を露呈することになり、チェルノブイリみたいな原子力発電所事故は起こる可能性がかなり低いだろうこと、中越の時のような場合と違い、原子力発電所が天災によって問題になることはそうそうあることじゃないことを力説した。
16:00
メルトダウンと聞いた時も、ま、そうでもないと思っていた。(図書館にて勉強中)
帰宅して直後、原子力発電所が爆発と見て唖然とした。これは悪夢としか言いようがないと思った。本が頭に入らない。後は、ぼんやりと事態をyahooニュースとしょぼんあんてなで確認するのみ。そして、犠牲になった従業員の方がいるというニュースを聞き最悪があるのかと脳裏をよぎり、22時手前位で最悪は防げそうと聞き安心したのもつかの間、南三陸町で1万人の安否不明という見出しがヤフーJapanのニュースのトップに載っていた。
もう何も起こってほしくない。
おそらく明日以降、死傷者の数は増える一方だろう。
身近な人間の安否がはっきりした人以外は、あまり地震のニュースばかり見ないほうがいい。
目にしてしまうかも知れないが、そういうときは外に出てほしい(安全なら)。あと節電(関東なら)。
それだけで十分だ。不必要な不幸を抱えることなんてないんだよ。
なんだかなあ。
仙台に知り合い居るけど無事なのは確認出来たし。心配なのは心配だけど。
結局、何百人死のうが何千人死のうが、そんなのどうでもいいんだよ。知ってる人だけが死なないで欲しい、無事でいて欲しい。
本当は皆そうなんじゃないの。たとえ100万人が死んでも、知り合いが一人も死ななかったら、良かったね。
たとえ死んだのが一人だけでも、その人が大切な人ならとても悲しい。
それじゃ駄目なのか。誰だってそうなんじゃないのか。
被害の無かった所では、こっちだって生活がある。
ずっと前から計画してた旅行だって自分にとっては重要なことなのに、その準備をしていても避難するような目で見られる。
楽しんじゃ駄目なのか。
どこかで不幸なことがあれば、日本中が喪に服さなきゃならないのか。