はてなキーワード: 自発的とは
ちなみに、
自発的:自発的は、他からの働きかけがなくても、自分から進んで行うさま。
あてがう:適当と思われるものを与える。 「新入社員向きの仕事を-・う」 「酒さえ-・っておけばおとなしい」
適当:ある性質・状態・要求などに、ちょうどよく合うこと。ふさわしいこと。
⇒女は、自分で適当(ちょうど良いと思える男)に他者から言われる前に、自ら進んで物色し求婚せよ。
カフェにて~
女A「ねー、そろそろ結婚とかしたくない?」
女B「そうだねー。彼氏も居ないしさぁ」
女B「そうだね、平均だもんね私たち」
女A「はぁー、カフェラテ美味し~~~!」
女B「……ねぇねぇ、さっきのカフェ通って行った男良くない?」
女B「行くか」
女A「よっしゃ!」
って途中まで考えたけど
「女は、自分で適当(ちょうど良いと思える男)に他者から言われる前に、自ら進んで物色し求婚せよ。」
今でもやってるよね。女向けの婚活もあるよね。
「自発的」には女に選ばれることがないという自己評価が根底にあるから、「あてがう」っていう外部の力に頼ってしまいたくなることが、文章からみてとれますねー。
うーん、エモい!
「自発的に」あてがってくれたらいいよ
男性の生きづらさを語る記事によくつくコメントで「その辛さの解決をどうして女性に求めるんだろう? 辛さを理解しあえる男同士で連帯したり癒しあったり慰めあったりした方がいいだろうし、女もそれなら反発しないのに」みたいなのがあるけど、大多数のシスヘテロの男は男が嫌いだから、男同士で慰めあっても心が救われないよ。
女だけじゃなく男も、男が嫌いだし醜いし暴力的だしキモいし仮想敵だと思ってる。
ミサンドリストが男を叩く言葉みたいだけど、ぶっちゃけアレって男から見ても大体同意できるよ。
口喧嘩テクとして「それは偏見で差別だ」って言えばポリコレ大義名分を武器にしやすいから反論するけど、実際ほぼ納得できる。
男性の特徴は危険な環境での兵隊としては優秀だけど、安全なリラックスできる環境で生活を共にし、協力しあう相手としては不適格。
それでも兵隊(現代では企業の同僚も含む)同士である程度は手を取り合わなきゃいけないから、ファックコミュニケーションやホモソという、互いの醜さ・暴力性・キモさなど欠点を強調して見せあうことで「俺等の欠点はそういう芸風だからむしろアリ」と誤魔化してなんとか受け入れあう手法を開発し、ギリギリ友情もどきを作っている。
でも結局のところ男は男が嫌いだから、その悩みや苦痛や精神不安定や孤独を男同士で埋め合うことは無理。
連帯ってのも、ターゲットを決めて一斉攻撃するみたいな破壊的運動ならできるけど、互いに慰め支え合うみたいなのはごく表面的にしかできない。
女が言う「結婚しない老後でも、心許せる女友達がいれば楽しく孤独じゃなく生きていける」みたいなの、男には無理。結婚相手かどうかはともかく、女性パートナーが必要。
なので男の生きづらさや寂しさを救うには女が寄り添うしかない。AIが慰めになる未来はまだまだだ遠く、動物はさすがに人の代わりにはならない。
男は男が嫌いだから、その心を救ってあげられるのは女しかいない。
女性の神秘視や、結局男は女に勝てない、本当に怖いのは女、どんな覇王も女が泣き所になりがち、みたいな思想が未だに広くあるのは、女を悪者にする目的だけではなくこの女の選択権を畏怖しているせいもあるかもしれない。
ただし男は肉体的な力(とそれで稼いだ他の力)でもって、選択権のある女に歪んだ選択をさせることができる。
十分な力を持たず、かといって女性の自発的選択では選んでもらえない男は、変質者行為をしたり鬱憤をネットでぶつけたりといった、女性に害は与えられるが自分を選ばせ救ってはもらうという本来の目的にはつながらない、益のない力の振るい方をすることになる。
追記:
身近な知り合いが男同士でも楽しそうで屈託なく遊んでるよ、という人。
その屈託なさそうに見えることこそが、「上手な男らしい強がり」である可能性を考えた方がいい。
男同士が遊ぶことに楽しさがないわけじゃない。
ただ安心して弱さを見せ合い、ベッタリともたれ合うことはできない。
いわばスポーツや対戦ゲームみたいなもんで、調子のいい時、面白いとき、人生が恵まれている時にお互いのいいところを出し合うぶんには男同士が楽しいが、具合が悪くて辛くて悲しくて貧しくてグズグズな時にそのグズグズを男同士で絡ませ合うのは気持ち悪くて大体の人には無理だ。
そんなろくでもない性である男を女が助けるデカい負担を考えてないって反応あるけど、いやいや、男を醜く暴力的でキモいとまで言い切ってるのにそれと付き合う負担を考えてないわけない。
……別にないんじゃない?
女には、我が身を犠牲にして飢えてる男を助けるか、男を見殺しにするかの選択権が与えられている。
まあ、選択権があることを認めたらその選択の責任を問うやつも出るだろうし、それを避けるために「幸不幸を女に委ねるな、男だけでor個人だけで幸せになる手段もある」と主張することで、男の生殺与奪権もその責任も女にないとする意見の方がメジャーだろうけど。
でも俺は人は個人では幸せになれないし、男は男だけじゃ幸せになれないと思ってるよ。
それはつまり、万人が最低限幸せに生きるべきだっていう正義への接近は、衣食住についてはもうちょい近づけるかもだが、孤独に苦しむ人間についてはもう行き詰まりだねという絶望でもある。
この匿名な上にこんだけ批判されてる記事に「わかる」と本音の弱音を語った奴ら、お前らはマジで偉い。
敬意を表する。
①キモいと言わない(思うのもアウト)
「あてがう」は頓珍漢な発想やで
(当然社会の再生産は合意がいるけど、選択の可能性を持てる環境をつくるのが大事)
④5000兆円あげる
まとめたで。他なんかある?
憂鬱な午後の授業。
やろうと思えば途中で抜け出すも出来たが、タイミングを逃してしまう。
「こういった授業をするのは久しぶり」みたいなことを言っていた。
集中力の切れていた俺や一部の生徒たちは、授業中にも関わらず遊び始める。
俺はクラスの賑やかし役と会話を交わすが、そいつの絡みが徐々にウザくなってくる。
イライラしてきて、俺はそいつの座っている椅子ごとひっくり返した。
しかし、起き上がり小法師みたいに、椅子もろとも何度も起き上がってくる。
俺はその度にひっくり返すが、そいつが自発的にひっくり返りだしたところでウンザリしてやめた。
教室から出ようとすると、それを静止しようとする教師の声が聞こえる。
さすがに不服だったようで、賑やかし役は怒り出して組み付いてくる。
俺はそれを笑いながら受け止める。
その笑い声に反応して、周りの生徒は沸き立つ。
走っている途中、担任と副担任が、途中でフケて大丈夫なのかと話し合う。
何か意味深なことを言いつつ、アレを使うから大丈夫だと担任は言っていた。
たぶん超能力かなにかだと思う。
昔からずっと変わらない考え方で、休まず通うべきというのがある。
皆勤賞に代表されるように、1日も休まず通い続けられるのを美徳とする所がある。
確かにそれ自体やろうとすると意外と難しい事なんだけど、そのせいで休みってとても取りにくいものになってしまってる。
そもそもは学校には休まず通うべきというとこから始まってるのだ。
一日休んだだけで取り残されてるような気分になったのをよく覚えてる。
そしてそれを過ぎるともはや取り返しがつかないかの如く学校に行きたくなくなる。
まあ義務教育課程では自発的に休むのはなかなか難しいだろうけど、何故か大学になった途端みんな自由になり過ぎて単位を平気で落とすようになったりもするのは不思議だ。
どうしても休みたい人は仮病を使って「申し訳ない…」とか言いながら休む。
最初の半年から一年消化しなければあとは有給で月一休みの予定を入れるくらい楽勝になる。
考えてみるべきだ。毎月一回は三日間休める日が出来る事を。週一しか休みが取れないなら2日休める日を設ける。
これはとてつもない可能性を持っている。3日休みがあればめちゃくちゃ色んな事ができる。
たまにためこんだ有給を連休にぶつけて長い休みに数珠つなぎにする人もいるが、そういうのはかなり計画的に進めないといけないのでイベント感が強すぎる。
誰もが来月の三連休はいつにしよう、という考え方を持ってもいいはずだ。
特に予定もないしテンポも悪いから有給はなんかあったときのために取っておく。
古い会社。建前では男女平等を謳って色々やるけど実情は男社会だ。女性ではマネージャー(課長級)より上の人を見たことが無い。
数年前のある日、一息ついてちょっと暇になった時期に、社員のお茶会をまとめてくれている女の子が「ここ1年ぐらい収支が赤字で貯金が尽きそうなんです。」と相談してきた。せっかくなんで会費値上げのお願いを一緒にして回ったのだが、そもそもなんでこの子がたった一人でお茶会まとめてるのか?という疑問がわき、暇だった勢いで何を血迷ったか女子にやらせていた雑用(お茶以外にも色々ある)を男子もやるようにしましょうと偉い人に進言してしまった。
建前上は男女平等で働きやすい職場を標榜しているわが社の偉い人がそれを拒否できるわけもなく、すべては私のほうで取り仕切りますからということで「職場改革」の大義名分を得た俺は早速状況調査にかかった。
色々聞いて回ったが、一番の古株に聞いても「前からそうだったので・・・」という回答しか得られなかった。
そしてそんなルールが明記された発行文書も無い。(何十年も前にあるかもしれないが、少なくとも閲覧できる履歴の中には無かった。)
こうした結果を踏まえ、雑用を女子だけがやっている正当な理由はありませんとアナウンスしたところ、誰からも反論が無かったので具体的な作業分担を行うこととした。まぁ、表立っての反対ではないものの、特に50代のリストラ対象者に限って「なんでワシがそんなことせにゃならんのか?」という意味の非常に遠まわしなメールが帰って来てはいたが。
まずは、定期的に発生する作業。これは当番制で全員がローテーションに入る事とした。どうしてもやりたくない人は支援金として毎月1,000円支払えば免除することとし、宴会・慶弔の口座に入れることとした。これにより、事実上課長級以上に毎月1,000円課税できることなり、親睦の促進が期待された。
次に、随時発生する作業。これは原則発生させた奴が行うこととした。これも支援する人を何人か予め決めておき、丸投げしたい人は課税することとした。これによりさらに親睦が深まるのは間違いなかった。
これらのことは、すべて公開議論にして決定した。内心文句垂れ垂れのリストラ対象おやじ共も最終的には承諾したし、雑用から開放される女子からも大歓迎された。
2週間程度の周知・移行期間を経て、いよいよ運用が開始された。
とたんに男子がボロ見せ始めた。普段やり慣れてないせいでミスを連発した。すっぽかす奴も居たが、それでも、それなりにお互いフォローをしつつなんとか軌道に乗り始めた3ヶ月後・・・
お茶会の女の子と、一番喜んでたはずのAちゃんが二人で俺のところにやってきてもごもご話し始めた。
なんだか的を得ないので、会議室に行ったところ、「やっぱり元に戻しましょう!」「あなたたちには任せてられない!」と言い出した。
それ以外にも「業務が滞りがちで・・・」とか理由をつけていたが、根掘り葉掘りと突っ込むと・・・
ということだった。
「いやいや、そんなことは無いでしょ。そんな雑用よりせっかく浮いた時間で利益につながる本来の業務を手伝えばいいだけじゃないの?Xさん忙しいからそっちフォローしてあげるとか。 評価も上がって一石二鳥。」
といったが、どうやらそれは困るらしい。
とにもかくにもそれから1ヶ月ぐらいは、実運用を踏まえて制度の再検討ということで女子と話し合いを持ったのだが、いや、全員ではなく女子と話し合うということがすでにおかしいのだが。結局2ヵ月後には女子の強い申し出により制度開始半年も経たずに元に戻ってしまった。
女子が雑用をやっていた本当の理由は、実のところ、言い方は悪いが、社内生活保護的な意味合いによるものであった。
大した仕事したくない人が時間をつぶすために簡単で苦労も無く、時間もかからずすぐに終わる雑用を引き受けることで、くびにならない程度の存在感を維持する口実になっていたというのが実態だったのだ。いつしか、何十年もかかって、それが女子社員の中で既得権化して雑用したくない男子社員とも利害が一致し、お互いにまったく無意識のうちにそういう風に制度化されていたというのが本当のところだったのだ。
これを悪く言うつもりは全く無い。実際問題、雑用係はありがたい。会社として雑用係という役職が無い以上、誰かが自発的に引き受ける必要があるからだ。
だから、女子でも仕事バリバリやっている人なんかは、最初はなんとなく女子だからという理由で同じようにやらされるが、だんだんとそっち側の人のほうに雑用が引き取られていくらしい。
そうであるならば、同じ考えの男子がいてもそのポジションに入れずに、成果主義から逃れマッタリとしたサラリーマン生活を送るすべを持たないというのは逆差別なんじゃないかなと思う今日この頃。
「男性のつらさ構造」かあ。私独自に解釈させてもらえば「男は社会的強者であらねばならず、それを実現するために男性のみに課せられる有形無形の社会的圧力」、ということになるのかな。
現在で言えば男らしさの強要、男性だけに女性以上の経済力や学歴、甲斐性が求められる問題。
戦前であれば納税と徴兵の義務と普通選挙権は男性のみに課せられたことか。
ここから本題だけど、強者男性(マチズモと言い換えても)も「男性であることのつらさ」から自発的に下りることは不可能だと思う。