はてなキーワード: 珍説とは
どこの検索エンジンでもいいから、"弱小サイト"ってキーワードで検索してみ。"弱小サイト"って言葉を"個人運営ブログその他個人サイト"って意味で使ってる奴、ほとんどいないから。それはお前の脳内定義だから。その上で
え?
いちいち説明しないとわかんないの?
って言われても、そりゃいちいち説明しないと分かりませんよ、としか言えないよ。
要するにあたしが言いたいのは、政治的権力を持つ巨大な組織や政治家でもないたんなる一個人という弱い存在を攻撃しててバカみたいってことなんだけど。
あ、それもいちいち説明頂かないと分からないです。
「馬鹿に馬鹿と言い続けるのはいじめと同じ、他人を変えるなんて思い上がりだし、虚構新聞が嫌いな人は老害化した古参なのかなって残念に思う、彼らが昔嫌っていたはずの自治厨になっちゃったのかなぁ」
って前後の理屈に何の繋がりもない、頭の中をただ吐き出しただけの珍説であって、そのどこに「一個人を集団攻撃するのは馬鹿だ」って主張があるのよ。
あなたは「古参ユーザに老害化してる奴が多いんじゃないの?」って、なんとなく思いついたことに共感して欲しかっただけでしょ?
ださいってそんなに批判されるべきことなの?
幼稚でなにがいけないの?
これっていじめとなにが違うんだろう。
自分に他人を変える力があるだなんて思い上がってる人もいるのかな。
この部分、完全にポエムですからね。生きづらいのあなただけですからね。思い上がってるのもあなただけですからね。
虚構新聞アンチには古参が多い感じがするけど、それこそ老害化しちゃったのかなあって残念に思う。
むかしはこういう俺様ルールの自治とか大嫌いなはずだったのに。
これは完全にあなたの思い込みですからね。好きでもないし読んでもないサイトのことについてここまで気に病んでるのは心の風邪ですからね。他人の老害化を残念に思う前に、ネットやめた方が良いですよ、あなた。どうせそんな古参ユーザとはクリティカルな接点を持たないんですから。
で、ネットで偉そうに「~が理解できない」って書く人は、そのほとんどは「~を理解する気がない」ですからね。あなた虚構新聞じゃないんですから、嘘書いちゃダメですよ。ちゃんと正直に「虚構新聞アンチの粘着っぷりが嫌い」って書きなさいね。でも、その"虚構新聞アンチ"とか"粘着っぷり"って言うのはあなたの想像上の存在に過ぎませんからね。ちゃんと病院行きましょうね。
増田で書き捨てた文章の、スターのついてるブコメに妬くなんて、あなたよっぽど疲れてますからね。好き勝手書いてこんだけの人に見てもらえたんだからもう気は済んだでしょう? 次はもっとマシな日本語が書けるようにちゃんとお勉強してきましょうね。大丈夫。増田に書くだけの行動力があるんだから、それを正しく使えば次はちゃんと分かってもらえますよ。ブコメでチヤホヤされる明日を目指しましょうね。
id:the-world-is-yoursが,キティちゃん腕時計(http://iei.jp/4408/])及び義祖母を盛大にDISる記事を書き,小規模炎上している。
義祖母(大正8年生)が先日通販で購入した39,000円の腕時計をご覧ください - 俺のメモ
id:the-world-is-yoursの失着の何割かは,彼が時計についての基本的な知識すら持ち合わせていないことに由来する。
祖母が「ああ、やっと届いた」とウキウキしながら小包を開けると出てきたのがこんな小箱。
(※画像)
えっ、キティさん……。
この時点で彼は,これが値段に不相応な商品であると考え,以後の行動や認識は,その価値判断に基づいて行われることとなる。
実際のところ最近のキティグッズのターゲット層はバブル女を含むもので,宝飾品も多く,4万円弱という価格はキティグッズでは驚くような価格ではない。
が,かれは「キティ=子供向け=安物」という誤った固定観念を抱いていたがゆえに,3万9000円の商品の箱からキティが出てきた時点で,この腕時計が「バッタな腕時計」であると,彼の中で決定されたのである。
ちなみに調べたら、キティさんの生誕35周年というのは2009年とのことなので、4年前ですね。来年は生誕40周年になってしまいます、どうしよう。
箱に「'76 '10 SANRIO」と書いてある。調べるまでもなく,この時計が2010年のモデルであることは明らかだ。
バブル女がターゲットであるが故に,キティちゃん腕時計はちょくちょく限定モデルが発売されており,旧モデルの在庫が残っているのは珍しくない。だからといってサンリオが安値で売り切る必要もないから,値段が下がるわけでもない。
そして雑に貼られた「MADE IN CHINA」のシール。雑。
また,彼はむしろ中国製であることを攻撃材料にしたいがためにこの部分を持ちだしたのであるが,オメガやセイコーのようにブランドと国が結びついている商品であれば原産国も重要となるかもしれないが,キティのブランドはキティというキャラクターに付与されているから原産国も価値への影響は小さい。クォーツ時計なんざどこで作っても一緒だし。
などと,明らかな嘘を垂れ流したのであるが,これは要するに,この腕時計が安物であるという信念の正しさを証明するために,不十分な確認を行ったのである。シールの貼り方よりも自分の確認の雑さを顧みたらどうだろうか。
その後,調整のために近所の時計店に持ち込み,時計屋の反応を自説の強化に用いようとしている。しかし,この時計屋は信用出来ない。
腕時計が紹介されている。
実際のところ,女性向けの高級腕時計でセラミックは珍しくない。にも関わらずセラミックにケチをつけるこの時計屋は,少なくとも女性向け高級腕時計について勉強していない。
また,このような時計屋の発言を殊更に取り上げるということは,彼自身も,セラミックが高級時計の素材に使われることを知らないということも示す。
一般に,バタフライバックルは,より高級な時計に用いられる。この腕時計のそれが独自規格かどうかは知らないが,少なくとも,経費をかけた部分である。
39,000円である旨を伝えると、店主の奥さんらしき人が「ひえっ」と悲鳴を上げた。どういうことなのだろうか。なんで悲鳴が上がるのか、ボクニハ、ヨクワカラナイ。
時計屋ですら無くその細君の反応ではあるが,その時計屋は,よっぽど安物の時計ばかり触っていたのではなかろうか。ボクニハ,ヨクワカラナイ。
これはさんざんブクマで指摘されている。彼は,セラミックが高級時計にも使われるということすら知らない程度の時計知識で,速了にも,箱が出てきた時点でバッタモンを買ったと決めつけ,そのような顔で開封していったのである。それがいかに義祖母を傷付けるものであるか。
後はひたすら,義祖母を口汚く罵る文が続く。
誰も悪くないけれど、誰も幸せにならなかった買い物の記録。
お前が悪い。
関連記事:はてなブログで書いた記事が炎上すると「炎上=銭」の図式が強烈にすり込まれる - 俺のメモ
妙な極論や珍説をぶって、それなりにはてなブックマークがついて拡散して、上手く炎上でもしようもんなら、その日のアドセンスの数字が8,000円ぐらいになっちゃう。
http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20130120/1358686179
いくら年収2000万の人が20万円軽減されても、余裕資金662万円にプラスしただけで所詮はした金が少し増えた誤差の範囲にに過ぎない。ところが、もう既に生活資金に余裕がなくなっている年収200万円の人から見れば、2万円でもはした金ではない。軽減が年収1%に過ぎなくても、消費性向が90%とすると、余裕資金20万円プラス2万円で、余裕資金10%の目減りを防ぐことができる。
すごいなあ。
『「貧乏人のお前にとっちゃ2万円貰えて万々歳だろ?え?俺?20万円貰えたけど年収が2000万もあるから20万みたいな端金は大して嬉しくないって、マジで」
と金持ちが言う制度ってとっても素晴らしい』、と言うだけに飽きたらず、
「その制度って金持ちに有利になる分だけ低所得者対策に回せるお金が減るので良い制度じゃなくね?」
と当然の疑問を投げかけた人に対して『珍説!』『珍妙!』とか侮辱の言葉を投げつける・・・
本物のキチだなあ。
http://d.hatena.ne.jp/satohhide/20130118/1358471461
他人に珍説とか言えるような本物のバカが生まれるのだろう。
すっごい不思議。
・所得が年200万で食費が年50万の奴に1万円、
・所得が年500万で食費が年100万の奴に2万円、
を補助するのが軽減税率。エンゲル係数とか持ち出してきたところで、低所得者への優遇にはほとんどなっていない事実は変わらない。
これを、
・所得が年200万(で食費が年50万)の奴に3万円、
・所得が年500万(で食費が年100万)の奴に0万円、
とする方が低所得者への優遇としてはよほどいい。これが給付付き税額控除。
以上を踏まえれば、
・「日本ではお金持ちでも(低所得者と)同じように食費におカネをかけているので軽減税率を採用しても意味がない」
・「金額ベースでは、高額所得者の方が軽減税率の恩恵をより多く受けることになる」
という飯田・河野両氏の意見の方が真っ当で、エンゲル係数を持ちだして何かを言った気になっているid:satohhideがひけらかしているものこそが珍説。
前知識として陰核は発生学的には男性の陰茎にあたる。ただし男性とは異なり半分以上は体内に埋没しておる(内性器)。俗に言う「クリ」は陰核の先端数ミリの組織であるに過ぎぬ。
これは男性で言えば亀頭なんです。「クリトリスと小陰唇~ 神経の数は同じ~ つまり女の子のあそこは~ おちんとん2つと同じ♪♬♫」という歌がありますが「同じ」だなんて
乱暴な言い方は言語道断である。発生学的には小陰唇は陰茎にあたるからクリトリスと小陰唇の力を合わせて初めておちんとんにかなうのだ。しかもおちんとんには尿道がある。
女性器と男性器を安易に比較するのは危険であるという好例だ。現代性社会にはびこる誤った珍説に喝!ちなみに陰核は男性と同様に朝立ちと世間では呼ばれる現象を引き起こす。
勃起のメカニズムは男性と基本的に同じであるが性的興奮が無くとも容易に勃起し性的興奮が高まっていても容易に萎える点が異なる。性的興奮なんざ陰核勃起メカニズムの
http://www.yamdas.org/column/technique/hatenablog.html
なお、タイトルに PART I とあるが、このネーミングはメル・ブルックスの『珍説世界史 PART I』にちなんだもので、PART II 以降は存在しない。つまり、あなた(ソフトウェア企業)が絶対すべきでないことは、Joel Spolsky にとってこの文章に書かれることだけなのだ。それは何か?
まぁ、そんなわけないんだけどね。
「最近のはてなの体たらくへの失望感に名前を付けたい」というだけの文章にマジレスするのも我ながらどうかと思うし、気持ちは分からなくもないんだが、最近は「はてブ」以外全く使ってない俺でも、長年お世話になってきたはてなに対してそれなりに愛着というものがあるわけで、ディスられるばかりの流れに少しばかり反抗を試みたい。これは、それだけのエントリだ。
というわけで、以下に書くのは、技術の話でも倫理の話でもない。どうか気軽に読んでほしい。
実例を挙げる。
今やワールドワイドな影響力を持つ勝ち組ソーシャルサービスのTwitterだが、彼らは、ここ数年でバックエンドの大半をスクラッチから完全に書き換えた。しかも、RubyからJavaへと、使用言語すら変更してしまった。
http://d.hatena.ne.jp/teppei-studio/20110709/1310168002
もう一つ。Tumblrも、LAMPアーキテクチャからJVMベースへ切り替えた。その過程で、Twitterがオープンソース化した技術を取り入れたりもしている。
http://blog.kyanny.me/entry/2012/02/19/002256
『「古いコードはクズだ」というのは錯覚だ』というJoelの意見は、一面では正しいが、他の面では間違っている。なぜなら、あるソフトウェアに求められていること(要件)は、時間と共にどんどん変化するからだ。
書き直そうが、書き直すまいが、一番ダメなソフトウェアとは「ユーザの要求に応えられないソフトウェア」だ。規模や環境の変化によって古い技術の技術的限界に直面したり、ビジネス環境の変化に追随する必要が出てきたのなら、「スクラッチから書き直す」のは立派に一つの選択肢だ。
はてなダイアリーの最初のバージョンがどういうものかは俺もよく知らないが、おそらく「LAMP」がエッジなキーワードとして持て囃されていた頃に書かれたプロダクトなんじゃないかな(間違ってたら突っ込みを)。それから時代は下り、Ruby on Railsに代表されるCoCなフレームワークの登場を経て、今や大規模分散や非同期を前提としたアーキテクチャが当たり前の時代。当然改修はしているだろうけど、MySQLを職人芸で負荷分散していた時代からは大分遠いところに来たのは間違いない。
何より、はてなダイアリーといえば「はてな記法」とカスタマイズの自由度の高さがウリだったわけだが、これらの存在が、今や機能追加や改良の妨げになっているとしても不思議じゃない。
はてなブログ開発の動機として「今どきの技術で、最初からやり直す」というのがあるのは間違いないが、それは「スクラッチからの書き直し」だから悪手なのだろうか。結局のところ、レガシーコードのメンテナンスを続ける場合と比べてどちらがより低コストか、という話の結論によるとしか言えない。
はてダのソーシャル要素といえば「トラックバック」と「idコール」と「キーワードリンク」だったわけだが、全部Twitter(とTogetter)に持っていかれたよね、という話。
だから、「はてダver.2」や「ブログ2.0」を望む声が大きいのは理解できるけど、ぶっちゃけ、そんなもんに開発リソースを突っ込んでも勝ち目なんか無い。んで、それに代わるアイディアを持ってる奴はどこにもいないと。だから、既存コードの改良ではなくスクラッチから書き直し、スモールスタートでフィードバックを受けながら方向性を考えていく、という方向性はそんなに間違っていないと思う。
ただ、現状を放置すると「それTumblrでできるよ」という話にしかならん、というのはその通りで。それ以外だと、もしgithubがblogサービスを始めたりすると、かなり客を持っていかれるのではないかという予感はする。いっそのこと、Tumblrのデッドコピーから始めるのが一番早いのかもしらんね。
少し別の話を。
これは、Twitterのgithubレポジトリだ。上でも書いた通り、Twitterはサービスをスクラッチから書き換えた。で、その過程で開発した内部向けのフレームワークを、どんどんオープンソース化している。彼らが、内部の技術をきちんと体系化して再利用可能にしていることの証左と言える。
一方、はてなのgithubレポジトリ。正直、サンプルとかプラグインばかりですね、と。
色々と理由はあるんだと思うが、一つ思うのは職人芸頼りで自分たちの技術を体系化するという部分が弱いんじゃないか、ということ(はてな発のオープンソースで広く使われてるのって何かあったっけ?)。
先ほどから散々「書き直していい」と主張しているが、誰かが言っていた通り、技術の本質を捕まえきっていない状態でフルスクラッチをやっても、失敗する可能性は高い。はてなブログがどちらなのかは、中の人にしか分からないことだけど。
はてなが経営的にあまり状況がよろしくない、という推測はおそらく当たっているのではないかと思う。
タイムラインで、誰かが「まっとうな方法で収益化する方法を真面目に考えるべきだった」と言っていたのを見た。それをしていれば、今回のような事態を招くことは無かったのだろうか。
だが、「まっとうなビジネスモデル」とは何だろう。実際問題として、ここ最近成功しているネットサービスのビジネスモデルで「ターゲティング広告」と「マスなユーザベースから抽出したビッグデータを解析して売る」以外で何か有力なものはあっただろうか。FacebookにせよTwitterにせよ、収益化の原動力はユーザ行動解析だったりするわけだ(彼らがオープンソース化に積極的なのは、インフラ技術が差別化の源ではない、という面もある)。
まぁ、あとはガチャだが、どちらにせよ現状では高木先生の逆鱗に触れるようなものしかないよね。
そんなわけで、それらに代わる第四のマネタイズモデルを思いついた人は、ぜひ近藤さんに教えてあげると良いんじゃないかな。あればだけど。
今後はてながどうなるかは分からないけど、一つ希望したいことがあるとすれば、故伊藤計劃氏のダイアリーがこの先も保全されることを望みたい。
それは、エントリを全て魚拓しろ、という話ではもちろんない。彼の生前に書かれたエントリは、当時の「はてな」という生態系を構成する一部でもあるわけで、そこから切り離して文章だけをアーカイブしてもあまり意味がない。
著作権法に関する裁判や行政の判断は、珍説・珍解釈が出てきやすい鬼門であるが、最高裁がやらかした。
曰く、"契約は業者との関係を問わず結ばれており、利用者は不特定の『公衆』に当たる"らしい。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110118164443.pdf
個人情報を明らかにし、課金が行われる契約をしていて、ペアになっている機械同士の間にしか有意の通信が行われない機械のペア相手を保有している相手であっても、特定可能な個人ではなく、著作権法上の不特定の公衆にされてしまうという事である。著作権法における"公開"の定義を捻じ曲げた影響が、こんな所にまで及んでいるのである。
現行著作権法は、公衆への公開をもって公表とするという定義における"公開"を、物理媒体や規制媒体や劇場のような、観衆数に限界のある媒体しかなかった時代背景に適合させる為に、特定少数向けの期間が限定された興行等であっても公開されたと見なすと捻じ曲げている。この為に、特定少数にしか見せていなくても公開したと言い張る事が可能になっていた。
著作権の権利を成立させる為に、物理的な限界があるメディアしかなかったので、やむを得ないとされていた擬制であるが、今回、この擬制の再拡張版として、特定少数であってもそれを見た人々を公衆とするという、公衆の再定義が出てきたのであった。
公開の定義を捻じ曲げた時点で、公衆の定義に感染する可能性はあったが、本当に公衆の定義を捻じ曲げるとは思っていなかった。それも、よりによって最高裁がである。
特定少数にしか見せていないのに公表したとする擬制は、立法の段階で是正すべき問題である。公表によって権利侵害に対抗できる要件が発生するのであれば、公表した範囲でなければ権利主張の要件は成立しない。無制限無条件の公表であって、はじめて、無制限無条件に権利を主張できるようになるのである。出荷制限や品切れや電波未到達といった理由で未公表の地域や対象があるのであれば、そこに対して権利を主張するのは、義務を果たしていないのに権利を主張する増上慢であり、国家権力を私する法匪である。無制限無条件の公表から製作コストを回収できるように知恵を働かせず、増上慢を正当化する為に圧力団体と化しているのでは、努力の方向性が間違っている。
これは、著作権法の改正の根本なのだが、物理媒体や規制媒体の業界から自称識者を集めて審議会を作っている限り、この根本問題には触れられないであろう。公衆への公開を以って公表とするというのは、典型的な霞ヶ関文学であり、単に公表によってとだけ書けばよいのに、わざわざ公衆や公開といった厳密そうに見えながら解釈可能な文言を連ねる事で、そこに解釈の幅を持たせているのであるが、理想と現実の間を埋める為の方便としてではなく、このように法匪の道具とされるのであれば、解釈不能な文言へと修正せざるをえないであろう。
雨漏りをしている場所は下から見ればすぐにわかるが、屋根の上からいくら見てもわからないのである。雨漏り個所を探すのに屋根の上から見ているだけという無能な大工は解雇するしかない。自民党を政権から解雇したように、近々、民主党も政権から解雇しなければならないであろう。
マスコミに民主党政権を好意的に報道させる為に、法務大臣が最高裁に圧力を加えたという噂もある。
最近の著作権法の改正によると、公衆に提示された場合において公表されたものとみなすとあり、公衆には、特定かつ多数の者を含むものとするとある。不特定多数だけでなく特定可能であっても多数であれば公衆と見なすという定義であり、この定義に従えば、多数であれば公衆とみなせる。問題は、多数の定義であるが、1よりも大きければ多数であるという解釈も不可能ではないが、たった二人の意見でも多数意見ですと、法廷で裁判員の主張を取り上げるわけが無い以上、この解釈はしないであろう。
つまり、原判決では、契約者が国民の大部分や大半ではない以上、それは、多数の定義を満たしていない、つまり、公衆ではないとなる。
公衆の要求を満たすことができる相当程度の部数という表現もあるが、海賊版が出てくるのは、公衆の要求を満たせていないからである以上、公表の条件を満たしていない事業者の権利を国家や社会が擁護しなければならない理由は、どこにも無いとなるのであった。
珍説が査読に通らなかっただけじゃね
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。