はてなキーワード: 死にたいとは
自殺に関する増田がわさっと増えたので流行りに乗る、じゃないけど書き散らしておこうかなと。
自分は自殺を試みるとこまで行かなかったし、ふいに糸が切れたみたいに車道や線路に吸い寄せられたりしたこともない。
一言目にため息、二言目に死にたいって言い続けていたしスマホの履歴は全部死ぬ方法だった。スマホ触って死に方調べる元気はあったんだよな。フシギダネ
元々ポジティブの塊とかコミュ力お化けとか呼ばれるようなタイプの人間だったせいもあってあまりの変わりように知人に泣かれた。自殺してなくても泣いてくれる他人ているんだなーと超他人事で、申し訳ないとか嬉しいとかじゃなく、どうでもよかった。ぼんやりしてた。
薬はポチポチゲーと一緒。安定剤とか意味あったのかいまだにわからないけど一応毎日飲んでたからマシだった可能性はある。飲むのやめたりODしだすと吸い寄せられたりするのかもね。
そういうのが続いてたのがある日、「なんで死にたいって思ったんだろう」って急に、なんだろう、目が覚めた、みたいな。徐々に回復とかじゃなく、急に。やたら目覚めのいい日あるでしょ?あれ。
だから打開策なんかないんだと思う。よばれれば死ぬし、急に死ぬし、急にやめるし、急にはっとする。タイミングと運が全てだと思う。私は生きる方向に来ただけ。それが良かったかどうかは知らない。
命を落とさずに済んでよかった。
自分も以前、度々猛烈に死にたくなる日があるので数ヶ月にわたって記録をつけてみたところ、見事に生理の5日前ばかりだった。
すぐ産婦人科にいってPMS(PMDD)の治療として低用量ピルを処方してもらった。常にうっすら死にたいネガティブ思考は治ってないけどかなり楽になったし、幸い体質にも合っていたので飲み続けている。
あの希死念慮は本当に異常だよ。重石が乗ったように布団から起き上がれず、仕事も食事も排泄もできず、嫌な記憶がフラッシュバックし、想像上の両親の失望した顔と罵り声の妄想に苦しんで涙を流すことしかできない。でも1日寝て起きたらすっきりさっぱり、死にたいって何すか?という状態。スマホには心理学論文のPDFや、自殺の方法と名所を調べた履歴がどっさり残っている。
大したストレッサーがなくてもそんなだから、何かきっかけがあれば自分も増田みたいに行動に移していたかもしれない。
十代から二十代にかけて鬱々としていて随分辛かったけど、半分くらいは生理のせいだったんじゃないかと思う。女性の自殺(未遂)者の何割かは、PMDDに後押しされたのではないかとも。
自分もギリギリ死にきれなかった。あと50cmぐらい前に踏み出して、重力に身を任せていたら、今ごろ生きていなかった。
死にたいと思いながら、いざとなると死にたくないと怖じ気づいて、結局みっともなく生き続けている。
死にたくなる周期をチェックしたら生理前と重なってて気を付けられるようになった
あと30歳過ぎたらいつ死んでもOKだから30までは死んだらダメってルール作ったら30過ぎた頃から死にたいと思わなくなって今32
その代わり全員死ねと思うようになったけどいい傾向だと思ってる
失敗したというか、そもそも成功するかどうかわからない雑さだったので生きている。
それは本気で死ぬ気ではなかったのでは、と思われるだろうが、後にも先にもあんなに「死」に取り憑かれたことはないし、本当に病的に死ぬ気だったのだと自分ではわかる。
当時の自分は、社会人一年目で、新卒の人間も自分の他に一人しかおらず、あまり職場に馴染めず鬱々としていた。
こう書いてしまうとさもありなんと思われるだろうが、それ自体は別に死ぬほどのことではなかった。
仕事の代わりに趣味が充実していたし、楽しいこともいろいろあったし、明確なパワハラがあったわけでもない。
なんとなく職場のことは好きではないが、やってることはまあ嫌いでもなかった。
なかったのだが、色々なストレスが自覚もないまま積み上がっていたらしい。
食事の席で珍しく酒を飲み、少々酔い、気分良く話していたはずが、気がついたら父親と口論になっていた。
なんでそんなことになったのか、全く思い出せない。実際、ものすごく些細な話だったのだと思う。
不機嫌に別れて家に帰った。帰り着いて、風呂に入って、なんでかわからんがめちゃめちゃに泣いて、時間はすでに深夜だった。
あまりにも突然急に、あっ、死のう、と思った。
自分で言うのもなんだけど、正直昔からメンタルが強いほうではなかった。人生のうち半分以上を「死にてぇ〜」と思いながら生きていた。
と言いつつ痛いのも苦しいのも辛いのも嫌なので自傷行為などノーサンキューだった。
生きていたけれども、「死にたい」じゃなくて「死のう」となったのはその時だけだ。
WEBで今できる死に方を検索した。できるだけ苦しみが少ない方法。それらしいのを見つけた。これだと思った。
親しくしてもらっている大家さんに迷惑がかかるとか、今まさに近くに来ている両親のこととかも考えた。
胸が痛むような気持ちを遥かに上回って「死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」と思った。
誰かが困っても、泣いても、死んだ後だからどうでもいい。
そのころ私は趣味のWEBサイトを運営していて、そこそこ閲覧もされていた。
親しくなった友人も、慕ってくれる閲覧者もいた。
当時はまだ個人サイトを作る人間も多く、そしてなんらかの理由で更新が止まってしまったところも多かった。
いつかまた更新されるかも、という期待の残る跡地は切ないので、自分がサイトを閉じる日が来たら、ちゃんとその旨を掲示して、これまで見てくれた人への丁寧な感謝の文章を書こうと、ずっと前から決めていた。
お知らせのための新規ページを準備して、文章を2行くらい書いたところで思った。
「これもやっぱり死んじゃうんだからどうでもいいじゃん」
この瞬間の確信は、今思うだに異常だった。
周りが聞いたら些細なことかもしれないけれど、当時の自分の一番の矜持とかこだわりみたいなものが、バツンと切られて散ってしまった。
スイッチが入る、という表現が一番近い。切るのではなく、入るのだ。「死のう」という方向に入ってしまう。
恨んだ人間も、お礼を言いたい人間もそこそこいたけれど、それも全部どうでもよくなってしまった。だから遺書も書こうとしてやめた。
面倒くささのほうが圧倒的に上回っていた。
詳しい方法は書かないが、死に損なって障害が残るのは絶対に避けたかったので、そうなる確率が低い方法をとった。
実行する直前で、就活中に軽い不眠になった時期があり、一時的に処方されていた睡眠導入剤のあまりがあった(このときかかっていたのは普通の内科だった)のを思い出した。
全部飲んでしまおうかと思ったが、胃洗浄などになったら死ぬより辛いという話を聞いていたので、普通より効果が出るだろう、くらいの量だけ口にして首を吊った。
死にたいけれど苦しみたくはない自分が本当におかしかった。けれど、死んでしまえたらもうそういうことも考えないんで済むんだな、と思った。
頭がぼんやりしてきて、手と足の感覚がなくなったとき、ものすごい解放感だった。
死ぬとわかっただけでこんなに楽になるのなら、もっと早く思いついておけばよかったと思った。そのあたりで意識が途切れた。
目が覚めたら翌日の朝で、床にすごい体勢で倒れており、身体中がばきばきに痛くて、首には紐の跡が残っていた。
要は紐の結び方が甘くて、主に薬の効果で意識が飛んだあとに自重で解けて、そのまま床で寝ていたらしいのだけれども、起きたら「死のう」の気持ちは吹っ飛んでいた。
びっくりした。死にたくなくなったことではなく、あんなにも盲目的に死のうとしていた自分のことが、まったくもってわからなかった。
魔がさすとか、憑き物とかいうけど、ほんとそんな感じだった。あまりにも明確に「どうかしていた」。
自分のしでかしたことが怖すぎて、トイレで吐いた。ついでにめちゃくちゃ腹が痛くなって困惑していたら、普段の周期より1週間も早く生理が来ており愕然とした。
(一部の女性には、ホルモン作用により生理前の時期に鬱に近い状態になってしまうPMDDという症例があるのだが、このとき生理周期が狂ったことも含め、なんらかのホルモンバランスの不調が原因で、それだった可能性がなくはない)(ただ、一因ではあるかもしれないがそれだけではないし、それが理由とも限らない)
首を吊った紐は捨てた。気に入っていたワンピースのベルトリボンだった。悲しくて怖くて服も捨てた。もう一度泣いた。
仕事は休んで心療内科に行って、薬をもらった。首の残った紐のあとは、夜には消えていた。翌日は普通に仕事に行った。次の日も、その次の日も普通に行った。
で、それでなにが言いたいかというと、人はあまりに突然死に取り憑かれて、急に死んでしまうことがあるだろうということである。
ミステリとかで「あの人は近々こういう予定があって楽しみにしていたから自殺なんてありえない」みたいなシーンを良く見かけるが、結論として全然ありうる。
どんな予定があっても、約束があっても、「死のう」は突然やってくる。
あと、死ぬ前に思い悩んでいたことがあったのではとか、誰かに相談はできなかったのか、みたいな話も出てくる。
もちろん誰かに相談したくて、それができなくて思い詰めて、確固たる意志で自死を選んでしまった人も多いと思う。
でも、自分が悩んでいる自覚もなく、ある日突然「死のう」が顔を出すこともある。
このときよりも「死にたい」出来事なんていくらでもあったのに、それが現れたのは、本当になんでもないはずの夜だった。
人は準備がなくても、杜撰でも、衝動的でも、一瞬の気の迷いでも、タイミングが重なれば、死ぬときは死んでしまうのだ。
たとえそれが自死であろうが、突然の事故と同じくらいに、本人だってわけもわからず、死んでしまうことは、たぶんある。
だから、他人の死に対し、できればあまり物語を見ようとしないでほしい。
もちろん、なんらかの明確な理由で追い詰められた際に、その解明が必要とされる場面もあるだろうけれども、本人や周囲の意思が示されていない限りは。
そしてもし、そんな事故みたいな「死のう」が来たときに、この文章を思い出して、「ああ、今自分はそういう状態で、本当に一過性のものかもしれない」と思えることがあればいいなとも思う。それは私のエゴだけれども。
どちらにしても夜は深いこと考えないで寝たほうがいい。
【追記】
この出来事の前後でなにか変わったことは特になく、びっくりするほど普通の日常が続いているけれども、その何年か後にバンジージャンプやったときにはこのときの何百倍も生まれ変わった清々しい気持ちになったので、最近人生くさくさしてるなと思う人で健康上の問題がなければやるといいと思います。コロナ明けたらスカイダイビングもやりたいんだよな。
どうして、どうして…まだ若いのに。そんなコメントを沢山見た。
自殺願望があったり、希死念慮を持っていた人側として意見を書こうと思う。
1年前仕事のストレスでうつになり、毎日毎日死にたいと思っていた。
化粧をしても涙で崩れてしまうから、通勤途中の駅のトイレで化粧を直して何とか出勤する日々が続いた。
段々と泣く時間が長くなりノーメイクで会社に行くようになった。
席についても涙が止まらずバレないようにひっそり泣いた。
涙声のまま電話に出ると取引先に心配されそうで、涙が引くのを待ったが電話に出ろと上司に何度か注意された。
会社ではなるべく普通に振る舞うように心がけたが、昨年の12月にとうとう会社に行けなくなった。
消えて無くなりたい、どうやって死のうかそんなことばかり考えていた。
マンションから飛び降りるにも高さが足りないし、事故物件になったら不動産会社の人に申し訳ない。
電車に飛び込もうかとも通勤時に何度も思ったが、電車を止めてしまうのは迷惑がかかるし線路に飛び散った自分の内蔵を処理してもらうのは申し訳ない。
自分が死んだら悲しむ人が居るからというより、マンションの後処理や電車を止めて人様に迷惑かけるのは申し訳ないという思いからギリギリ踏みとどまっていた。
自殺をしようと思ったのはこれが初めてではない。10年前学校でいじめに遭い先生に相談するも取り合ってもらえず2度自殺を図ったが死ねなかった。
睡眠薬を大量摂取して死のうとしたが、家になかったので喘息の薬で代用したら死ねなかった。遺書が母に見つかり怒られた。
高校生になったら、大学生になったら、社会人になったら人生楽しくなるんじゃないか。淡い期待を抱きながらずっと生きてきたが、そんなことはなかった。
表面上は楽しそうに見えても自分は異質な存在だという思いが消えなかった。友達と仲良くしようにもどこか一歩引いてしまうし、全然満たされなかった。
環境が変わっても結局のところ自分が変わらなければ何も変わらないのだ。大人になっても消えて無くなりたいという希死念慮はなくならない。
ロックスター27で死すじゃないけどずっと、27ぐらいで死にたいなと思っていた。
自殺願望や希死念慮がある人たちはこんな辛い世の中を生きていくくらいなら死んで楽になりたいと思っているのではないだろうか。
生きていれば必ずいい事がある、あなたが死んだら悲しいとかアドバイスされても渦中にいる人にとっては暖簾に腕押しである。
安全な場所から綺麗事言って一度も死にたいと思ったこと無いくせに。私には私の地獄があるなんて言うが、人生丸ごと変わっても同じこと言えるか?
思考が狭くなって生きるか死ぬかの2択しかなくなっているのだ。
また、SNSで病んでる投稿したり、自傷行為してる人達に対してかまってちゃん乙的な事をいう人がいるが、SOSを出せるだけまだいい。
(ただしファッションメンヘラは滅しろ!!周りの奴もメンヘラ投稿見たくないならミュートしろ!!)
SOSを出せない人は普段普通に振舞って、ある日プツンと張り詰めていた糸が切れてしまった瞬間いなくなってしまうのだ。
とりあえず休んで。あなたは心身ともに疲れてると思います。今のご時世熱出たと言えば大変なことになるので、頭痛とか腹痛とか適当に嘘ついて会社休みましょう。
あなた一人いなくても会社は回ります。それでも回らない会社はブラックなのでこちらからお別れしましょう。傷病手当金とか失業保険で食いつなげます。
心療内科に行くハードルが高いかもしれませんが、夜寝られないとか言えばうつで診断書書いてくれます。会社辞める勇気ない人はもらった診断書会社に郵送して休職しましょう。
ちょっとお金はかかりますがカウンセリングに行くのもいいです。友達に「死にたい」とか言っても綺麗事言われる可能性がありますが、カウンセラーさんなら寄り添ってくれます。
守秘義務によりお話した内容は口外されません。「死にたい」の根っこの部分にアプローチしてもらえます。
対面でカウンセリングいくのはちょっとな…って場合はZoomとかメールなどのテキストで悩みを聞いてもらえるサービスもあるようです。
人に頼ると申し訳ないな…と思うかもしれませんが、頼られるのが嬉しいという人もいるはずです。
正論はぶつけないであげてください。普段なら受け止められてもメンタルが弱っているときに正論言われるとつらいです。
何かできることある?話聞くよでもいいです。その人のことを気にかけてあげてください。
病院に行きたい、カウンセリングに行きたい。予約してほしい、病院に付き添ってほしいと言われた場合は手伝ってあげてください。
また、当事者の人と一緒にいるとあなた自身が傷ついたり疲れることもあるでしょう。その時は相談できる人を見つけたり、うまくリフレッシュしてくださいね。
長々と書いてきたけどお前はどうなんだ?と思う人もいるだろう。
Wi-Fi乗り換えてキャッシュバックの申請できるっていうから書類急いで速達で申し込んだ後に条件が24か月(自動更新)継続ってのに気が付いたけど、こういう条件を自主的に途中で解約する/解約せざるを得なくなる状況になった場合どうなるんだろう…?
違約金出てもやっぱり他社の乗り換えキャンペーンによる違約金キャッシュバックで対応したほうが安くてはやくなったりしないかな?
喧嘩になった時に、普段の雑談の中で話している自分の弱みや苦手な人、嫌いな仕事をあげて「あなたは論理的思考がない、細かい仕事ができない、人との調整ができない、人よりも社会人として劣っている」と言われることがあってとてもつらいんだけど、直接それを夫に言っても「つらいのは当たり前。できていないから直さないといけない。だからこれからも言う」と言われる。指摘されることの中には自分の性格や性質として直せないところがあって、自分でもできないなと思っているから普段の雑談の中で夫に笑い話・失敗話として話している。それを喧嘩中に「こんなこと言ってたよね」とできない部分として出されると本当につらい。つらいと言うこともやめてということも許されないのがつらい。こういうとき死にたくなる。でも、死にたいなんて言ったらますます甘えるなって言われそう。死にたい。つらいからここに書く