はてなキーワード: 強者とは
冷遇されてるのはゴミブサイクの低賃金労働者の女だから。顔面強者スタイル抜群でモデル並の容姿の高級住宅地のマダムみたいな奴じゃない。そんなことも分からないということは四則演算も怪しいな。
ちょうどW杯でもそんな話があったから、例として適切でないかもしれないけどこんな風に感じている。
これまで、法律がゴールラインで、弁護士は入った・入ってないを議論しているもの、と思っていた。
けれど、今はやりの件とか見ていると、ゴールラインはあんまりはっきりしていなくて(あるいははっきりしているが)、弁護士は「解釈」でゴールラインを動かして、セーフだ、無罪だ、とやっているのでは、と思うようになってきた。
個人情報の流用の件では多くのツイッタラ弁護士の方々がセーフだなんだといっていて、でも確定的なことは言わなくて、あー、解釈か。いかに自分に都合の良い解釈ができるかなのか、と感じた。
まぁ、でもそれはそうか。普段の仕事が(みんなが刑事ばっかりじゃないだろうけど)世の中ほとんどの人がこいつ悪人で有罪だ、というような案件であっても弁護側にたったら少しでも罪を軽くすべく弁護しなきゃいけないんだから、ここをこう解釈すれば、この法律ではだめでもこっちの法律に絡めれば、って少しでも有利な解釈を使って弁護するわけだから。
ついでに言えば、これも当然かもしれないけど、白か黒か、という判断をしてくれるものかと思ったら、黒でなければセーフ、っていう持ってき方、法的にアウトでなければセーフ、グレーはセーフっていう考え方なのかなってのもすごく感じた。
それらが、いわゆる弁護の際にはそれでいいんだろうけど、そうじゃないステージで使われると、すごい傲慢な印象を受けてしまう。
言い方が悪いけど、自分たちに都合の良いように解釈して、ゴールラインを動かして、それが当然のようにふるまう。
裁判ではそうしなければいけないからそうするんだろうけど、そういうのが弁護士の人たちの認知のゆがみになってたりしないだろうか、と感じてしまう。
もちろん、ネットに表出する弁護士なんて全体の極一部で、かつどちらかというとちょっと押しの強い特殊な例で、ほとんどの弁護士の方々は真面目に弁護士の使命を果たしていらっしゃるだろうと思うのだけれども、今回のもろもろを見ていると、裁判なりなんなりまでいかないと法律にのっとった判断にならず、民事的なものって本当に守られるのか、強者しか勝たん、なのかと思ってしまう。
ちなみに、弁護士の使命は
(弁護士の使命)
だそうです。(https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324AC1000000205)
社会正義の定義しだいだよね。これも。本来は、社会正義・社会ってのはみんなに共通なものを前提にこの言葉は使われたんだろうけど、最近、この社会ってのが、分断というか、自分に都合の良い社会、っていう風になってきている気がする。上流だったり底辺だったりオタクだったりフェミだったりアンフェミだったり右だったり左だったり、社会正義が一つじゃない、弁護士それぞれにとっても社会正義が違うってなったら、この使命って大丈夫なのかな、信じていいのかなって思ってしまうね。
右派、左派なんて、ケインズ主義(右)VSマルクス主義(左)の冷戦終わって、ケインズ主義にケチが付いて、新自由主義が起きた以上分類としては全く無意味だぞ。今から頭のいいやつが古びた分類の「右派」なんかになろうとなんて考えないだろ。
未だにマスコミの認識は宮崎勤の時代から大して変わって無いし、何かあればすぐ犯罪者扱いされる。
それでも社会に対し一定の働きかけが出来る様になったのは、LGBTと同様、マイノリティにも市民権が与えられる様になった時代の賜物だろう。
一方で女性はその数で言えば圧倒的なマジョリティである。フェミニストもまたマジョリティを自認している。
父が入院することになった。期間は数か月に及ぶかもしれないってくらいの長期らしい。
その間、健康に自信のない母は一人では不安があるらしく、家族の中の誰かが引き受けなくてはって事になった。
これは流石の家族間の仲は悪くない我が家でも少しは揉めるかと思ったら、母の「どこかでしばらく置いてもらえない?」との問いに
長兄の「じゃあ、うちにおいでよ。久しぶりに母さんと一緒に暮らせるのは嬉しいよ」で一決。
両親の金婚式に贈り物をしたり、海外旅行に連れて行ったり、家族思いの兄は兄妹が揉めてるところすら父母に見せたくなかったんだろう。
それで収まらないのが兄嫁。
同居は嫌だ、と父母が出かけたタイミングでのたまう。
「たった数か月じゃないか、生涯ずっととは言ってない。親孝行させてくれよ。」
と優しく頼む長兄。しかし、兄嫁は首を縦に振らない。
しばらくは優しく頼み込む兄に対して
「私と義母さん、どちらが大事なの?」と兄嫁が言った瞬間に、兄の顔が憤怒のそれになったのが、わたしには分かった。
兄が怒ることなんて滅多にある事じゃない、ただし、一度怒らせると父ですら手が付けられないほど頑固になるので、この先の展開が予想出来て肝が冷えた。
案の定、数年前に晩婚で見合い結婚した長兄には子供もいないのが災いしたのか「分かった、なら別れよう」と。
「お前の代わりになる人は見つかるかもしれないが、両親の代わりはない。お前が、どちらかを選べというなら、俺に悩む理由は全くない。
別れよう。そんな残酷な選択肢を突きつけるお前には、用はない。」
この一言には、兄嫁も衝撃を受けたようだ。
事前に相談ってコメントがあったけど、出来るはずない。だって帰省するまで、そんな話一切なかったしね。
「じゃあ話し合って決めます」って言うよりも「うちに来い」って言えちゃうのが、何でも先陣切って行動する兄らしさだと思ったくらい。
さて、その後。
怒った兄は全く手に負えない。勝手に怒りが収まるのを待つしかないが、母と既に故人となった前の兄嫁だけは、その怒りを治められる。
「兄嫁子さんは、1月中に家を出てください。結婚前のご自身の資産と、結婚後1年強で二人で蓄えた500万ほどは、全額をお持ちください。
引っ越し費用と引っ越し後半年の家賃は私のほうで出しましょう。結婚後に購入したもので必要なものがあれば、全て持って行ってください。
車から洗濯機に至るまで、全て差し上げます。」敬語とか、完全に切り捨てモードはいってるなぁと戦慄している私たち妹。
おそらくだけど兄は結婚前に作った相当な資産と、前の結婚時に購入した持ち家がある。
成人した親族に祝いでバイクを買ってあげるくらいには経済的な余裕もある強者だ。
その立場から一方的に追い込んでくる兄の怒りを、故人なら宥めることが出来たと思うけど、兄嫁はオロオロするばかり。
「謝ったほうがいいですよ・・・」って、わたしは言ったが、固まってしまって手もない様だった。
そうこうしてる内に親戚へのあいさつ回りから戻ってきた母が、兄が何かに怒ってるらしいことに気づく。
「正月早々に、どうしたの?」と尋ねる母、「何もないよ」と空とぼける兄。
「まさか、私のことで兄妹喧嘩でもしたんじゃないでしょうね?」、「まさか。それで喧嘩になんてなるはずがない」と兄。
「「わたしたち」は、喧嘩してないけど」せめてもの援護である。
「じゃあ夫婦喧嘩でしょう」と言うと、「喧嘩じゃないよ」と逃げる兄。
そこで感づいて「兄嫁子さん、何があったの?」と母。
事情が明らかになり、逆に怒る父母に「あんな酷薄なことを言える女と夫婦で居られるか」と、怒りが収まらない兄だが
「そんな冷たい人の世話になりたくなんかないよ」と母に言われて、明らかに萎んでいく。
そんな感じで家族に対しては兄の怒りは長くは持続しないしから、兄嫁さんはまだそこまでの関係でもないのだろう。
そうした顛末を経て、兄嫁と母の間でも話がもたれ、改めて兄の家に母が厄介になることで落ち着いた。
最初に断っておくとこれはどちらの陣営を揶揄・批判・擁護するものではありません。
例の団体に限らず左派は裁判やら記者会見やらネット工作(笑)やらでブルージャパンしてキャンセルカルチャーを批判対象に対して行っていた。
実際にそれは有効で、近年でも左派・フェミ界隈に対し批判的な言説を行っていた人物がお手紙でその地位から引きずり降ろされ
社会的地位と収入を奪われ弱者男性へと転落していった事は記憶に新しい。
実際に必殺・キャンセルカルチャーを繰り出す前にも、お得意のネトウヨ差別者レッテル貼りの連呼で
批判者を「こいつは社会正義に反しているからこいつの言動には価値が無い」という流れに持っていき、黙らせていた例は枚挙に暇がない。
もちろん一企業などの「そもそも反撃出来ない、し辛い」対象を選んで攻撃、悪く言えば殴りやすい相手を選んで殴っていたのが、今までの左派リベラルのやり方だ。
勿論批判者である左派は「正義の人」なので、キャンセルカルチャーに対する批判はアンチの悪質な嫌がらせとして一蹴していた。
そのやり方を多方面にし続け、ヘイトと恨みを青田買いした結果の先に、暇空という「キャンセルされる社会的地位も名誉も無いが資金力(戦闘力)がある」
本来であれば左派にいそうな無敵の人(社会的に)を産んでしまった。
彼は元より左派が自称している「正義の人、存在」でも無いので、彼をいくら悪魔化した所であまり効果が無く、逆に批判する言動の汚さが中立的な立場からも嫌厭される始末だ。
(恐らく氏の発信力が失墜するには、ここでは書けないレベルの「痛い腹」や所謂下のスキャンダルが無いといけないが、今の所は見えて来ていない)
目的はともかく手段は正しい彼の手法は、言ってしまえば今まで左派リベラルがやっていた「合法的な嫌がらせ」をパターナリズムして模倣している様にも思える。
虚実ないまぜの問題をぶちあげ世間へアジテーターしていく様は、一昔前の「ヘイトスピーチへのカウンター」活動を見ているかの様だった。
しかし暇空は左派リベラル的には「男でオタク」という倒すべき悪であり、世間からも同情されにくい属性を持っている。
対する左派リベラルは「女性」を押し出し、女性の弱者性を盾にして少々の批判や矛盾をさばいてきた。
「これは女性差別です!」というヤツだ。実質社会的強者である女性が使える最強の盾である。
恐らくColabo側には女性の盾がある限り、世間からの同情も買いやすく完全勝利とは到底いかないだろう。
だがしかし、左派に批判的な者が左派の手法を模倣して暇空という無敵の人を排出した様に、今後はアンチ左派・フェミ界隈に対するカウンターとしての存在が生まれる日も遠くないであろう。
即ち、左派やフェミニズム言論に否定的で、キャンセルされる社会的立場も無く、拡散力が高く自前で資金を調達出来る能力のある「若い女性」である。
(個人的にはV界隈に候補者がいるのでは無いかと思う、何故なら彼女らの収入と社会的地位は所謂オタク文化の興亡と直結するからだ)
勿論彼女らのバックには「男」がいるのだが、女性を全面に押し出し最強の女性の盾を使うというのは左派の常套手段である。
左派アンチも馬鹿では無いので、この手法を模倣する日は遠くない。
https://note.com/kirik/n/n6ae065db9a2f colabo方面と生活保護のメモ
これを読んだ感想。大筋同意だし弱者救済のために知恵を絞る方々には本当に頭が上がらない。しかし自分は弱者救済はそもそも不可能であるという悲観論者だ。
厳密には、「すぐに弱者救済まで手を回すことはできない」。
絶対強者が一人勝ちする状況を変えて、そこそこの強者に力が与えられる状況にするところから始めなければならない。
そこそこの強者は、より大勢の弱者から見たらじゅうぶん強者だから、批判も出るだろうが、何事にも順序というものがある。
地方振興でも同じことだ。東京一極集中を嫌っていきなり限界集落を支援するのはあまりにも筋が悪い。
まずは大阪名古屋、政令指定都市、県庁所在地と順を追って元気にしていかなければ決して上手くいくことはない。
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そもそもの話、一箇所に力が集まるのは個人が望んだ結果でもあるんだよね。田舎を離れて東京に住むのは「合理的だから」でしかない。
人を自由にさせてるといつの間にか一極集中が起こるわけだから、これをどう分解するか。
そこの手段は、まあ、誰か考えてくれ。
Colaboに助けられた人達がこの流れに乗じてColabo叩く側に回ってもてはやされている
これに、「支援された人達にまでそんなこと言われるってColaboどんだけヤバいんだ」と言われている
違うんだよ
弱者は、自分を一切救わない他人よりも、なんなら加害者よりも、支援してくれた人を恨むの
それで、「児相は拉致組織だ!子供返せ!」とか言ってる無自覚毒親どもと共闘したりしてる
確かに劣悪な児相はあるんだろうし、不自由など問題もあるんだろうけど
いじめられっ子を助けたら、そのせいで自分がいじめのターゲットになり、あろうことが助けられたいじめられっ子がいじめる側に回る
「鬼」とかいう話題の漫画でもあったよな。よくある話だよ。弱者は強者におもねる。本来敵であるはずの奴の味方をする
いじめられっ子を助けたら、後日教師にいじめた奴の名前を問われたいじめられっ子が、あろうことが助けてくれた子の名前を出す
これもよくある話らしい。いじめた奴の名前を出したら報復が怖いんだと
男のいじめられっ子を女が助けたら惚れられ、振ったら逆ギレされて恨まれる
これもよくある話
いじめられて自殺した弟の日記を見たら、「偶然出会った美女に優しくされて嬉しかった」エピソードが書いてあったが、その後「あの美女を探してももう現れない。俺を弄んだのか。許せない。○してやる」と書いてあったという話を読んだことがある
男は自分に冷たい嫌な女より、自分にヤらせてくれない優しい女を恨む
弱者男性に手を差し伸べたら惚れられ、振ったらキレられる。これもよくある話
弱者男性のためのセックスボランティアを名乗っていたアンフェ姫アカウントも、しまいには弱者男性にめちゃくちゃ叩かれてたなー