はてなキーワード: 危篤とは
常識の無い学生に常識を教えているのだから、教育機関として正しい仕事をしていると思うな。「人生かかってる」状況で、平気で10分遅れた上に逆切れするような人間、もう一年やり直して反省したほうがいい。
で、「パパ」と一緒に「直談判」か。やれやれ。学校の規定を守る責任者相手に何を話しに行くつもりやら。
一応言っておくが、あんたら親子がすべきことは「土下座して慈悲にすがる」「(相手が理由を聞いてくれたら)死ぬ気で『それはルールに優越する特殊事情だ』と相手が納得できるような言い訳を述べる」の一択だからな? 倒れてた妊婦を助けてたとか、父子家庭で父親が危篤で倒れたところで病院に連絡しようとしたら不良に絡まれたとか、交通事故にあったとか。
それ以外のことを口に出したり態度に出した瞬間、100%終わるよ。間違っても「融通効かせて」なんて言うなよ。教務主任と言うのは「融通効かせない」のが仕事の人なんだからな?
危篤だと聞いてその日の面接を辞退し、なんとか最期には立ち会うことが出来た。最期まで意識は戻らなくて、何も話せないまま逝ってしまった。
あまりに実感がなく、何の感情が湧いてこないままだった。葬儀と告別式に出るため、重なっていた日の選考も全て辞退した。火葬されて、二度と会えなくなるその瞬間まで母のそばに居たかったからだ。
後に残ったのは第一志望の面接だけで、絶対に逃すものかと精一杯頑張って挑んだ。でも駄目だった。今選考が残っている会社はない。選考時期が早い業界だから、これから受けようにももうほとんど残っていない。
選考を辞退すると連絡したとき、私のことを案じてくれた企業は一社だけで、おそらく残りの企業からは辞退する常套句だろうくらいに思われたのかもしれない。
私はどちらを選べば良かったんだろう。母に会う最後の機会を捨てて、企業の面接に行けば良かったのか。
うちも認知症になった婆さんをしばらく介護してから施設に入れた。
介護と言っても巷に溢れているような壮絶な話みたいなことはほとんどなかったが、それでもそれなりに精神的にはクるものがあった。
元々婆さんのことは好きでも嫌いでもなかったが、入所直前頃にはすっかり嫌いになっていて
施設に入れるときも寂しさどころか「ああスッキリした、ざまあみろ!」という気持ちだったし
その後数年して婆さんが肺炎で危篤になり、親族として延命不要の意思表明をした時も申し訳なさや迷いなどは何もなく
「やっと他人に面倒かけなくなってくれるのか」と思うくらいだった。
それからさらに何年も経って、今思い返してみると、望んで認知症になった訳でもないのにそんな風に思われる婆さんも気の毒だったなとは思う。
でも、婆さんに対する怒りとか憎しみがあったからこそ、施設入所や婆さんの死に対して必要以上のダメージを受けずに済んだようにも思う。
5月2日に母が亡くなった。
あまりに愛おしい母だった。死に物狂いで助かって欲しいと願ったけど、叶わなかった。
僕は自他認めるマザコン。というかマザコンに進んでなった。母は比較的高齢で僕を生んだ。小さい頃から他の友達の母と比較して歳なのに気付いてた。「大好きなこの人はいつか死ぬ」その恐怖が僕をマザコンにした。
大人になっても、デートと称して母と買い物したりしてた。根底には「この人が死ぬ時に後悔しないように」という恐怖があった。
「きっと、死ぬ時には、俺は”やりきった”はずだからそこまで悲しまないだろう。」と思ってた。全然そんなことなかった。
何度もゲロ吐くほど泣いた。泣きすぎたら頭痛と翌日体調崩すことを初めて知った。
夜、調べたり色んな人に聞いて、「もしかしたら良くなるかも」という希望は、昼に絶望。ほぼワンセット。目の前で徐々に弱っていく。それを見守るのは気が狂いそうに辛かった。
看病の終盤で、辛すぎて何度か自殺を考えた。死にたいんじゃない。明日が来ないと楽だなぁって。
調べてみると楽な方法が幾つかあった。眠るように死ねる。苦しくなければ大したことないよね。寝るのと同じ。
そうだ、死なんて寝るのと変わらないんだ。そう思うと母の死がすこし身近になった。死ぬなんて大したことないんだ。
それから少し楽になった。
とはいえ、諦めない。次のアクションを起こそうとしている時に突然危篤が訪れた。
臨終の時。ありがとうや、愛してるや、また会おうね、を笑顔で伝えられた。たくさんキスした。
そして。
僕の命も大したことじゃない。もっとぞんざいに扱え。最後は寝るだけだよ。
痛くて治らない病なら酒とたくさんの酔い止めで自殺してしまおう。愛する恋人が死ぬ時に一緒に死ぬのも良いかもしれない。もうこういう見送りは無理だからね。
ああ、母さん、本当にありがとう。僕の最愛の人。本当の意味で世界でただ一人俺の味方の人。カッコ良い人でした。
色々言いたいこともあるけど、死んだ後また会えると思ってるから。その時にでも伝えるね。
俺が席を立とうとした、その時。
「じゃあ契約書見せて」
「え?」
「あるやろ。そんな高いもん売ってるんやから」
完全に騙されていると思っていたが、実は先輩は勘付いていたのか。
「いや~、ペアルックなんて気恥ずかしいけど、やってみると案外ええかもなあ」
……というわけでもないらしい。
持ち前の金の煩さと恋愛下手っぷりが作用しているだけのようだ。
「ほら、はよ契約書ちょうだい」
カン先輩の威風堂々とした立ち振る舞いは、カモがネギでしばいてくるような恐怖を感じさせたのだ。
「あ……ごめんなさい。親戚から母が危篤だってメールが来たみたい。だから今日はこれで……」
この場から体よく立ち去るため、ケータイから連絡がきたようなフリをしているようだ。
「え、お母さんは前に死んだって言ってなかった?」
「そ、その時に死んだのは、育ての親の方だから」
「血の繋がった方も、既に死んでいるって聞いたけど」
カン先輩の質問攻めに耐えられなくなり、相手は半ば逃げるようにその場を後にした。
「はあ~、いけると思ったんやけどなあ。ちょっと金に対してセコすぎたんかなあ~」
先輩はまたフラれたと思っているようだが、今回はそういう話じゃない。
だがカモられていたなんて真実を伝えても、何の慰めにもならないだろう。
「……いや、今回ばかりはもう相性が悪かったというか、元から脈がなかったというか。むしろフラれてよかったのでは」
「なんやそれ! じゃあワイはどうすればええねん」
どうにもならないということだってある。
恋愛含めて人間関係は、正解を一人で導き、たどり着けるようには出来ていない。
先輩が間違えても間違えなくても、成否に関係があるとは限らないのだ。
「別にいいじゃないですか。人生、恋愛が必須事項ってわけでもないですし。他にもやるべきことや、やりたいことはいくらでもありますって」
「んなことは分かっとるわい! 問題は、ワイは恋人が欲しいのに出来ない、出来ても上手くいかないという事実や!」
言葉が見つからないからといって、この慰め方は我ながら悪手だと思った。
恋愛を求めている人間に、「恋愛はそこまでいらない」なんて言うのはナンセンスだ。
それにつけても、先輩の落ち込みようは過去最大だ。
それとも、ことごとく上手くいかないフラストレーションが爆発したのか。
「あーあ、バレンタインも近いってのに。今年こそ恋人からのチョコを手に入れられると思ったんやけどなあ……」
バレンタインって。
まさか先輩の気がはやっていたのは、それが理由だったりしないよな。
「そもそも先輩は何でそんなに恋人が欲しいんです? そして、なぜ恋愛をしたいんですか」
「……ん?」
俺がそう疑問を投げかけると先輩は固まってしまった。
ごく個人的な漠然とした答えでもいいのに、何も出てこない様子だった。
「……何でやと思う?」
そんなことまで俺がアドバイスしても仕方ないだろう。
正月なので実家に帰省していたんだが、自分の両親が毒親である気がしないでもなく…
いや、両親には大学まで出させて貰ったから感謝はしているし、毒親だと思うこと自体申し訳なく思うのだが…
今まで本やネットで見聞きしてきた毒親に比べれば全然マシだから毒親じゃないと思ってたんだけど、軽度の毒親なのではないかな、と。
私:現在アラフォー間近。兄弟有り。独身。実家の遠方で独り暮らし。上場企業勤務。
父:アラ古希。元農協勤務。現在実家の農家を継いでいる。今は酒以外辞めてるが、かつてはヘビースモーカーでパチスロ通いばかり。
母:専業主婦。料理は得意だが片付けが苦手。親戚、他人、父、相手を問わず悪口ばかり出てくる人。
どうなんだろう…
幼稚園の頃、夜中に高熱を出した私を抱えた父がかかりつけの病院に駆け込んでくれたりしたので愛されてないことはないと思うんだが…
2017 11/27
朝から機嫌が悪い。
多分急に仕事が増えて忙しくなったか奥さんと喧嘩したか。(クソくだらない)
これまでの業務で普通に通じてた話が突然通じなくなった。(よくあることだが)
「そんなやり方で俺は仕事できない。お前がやれよ」
たぶんこの件で今後質問してもキレられるだろう。面倒くさい。
たぶん私に仕事の仕方を教えようとしてると思われる。
しかし絶望的に人に教えるのが下手な上、機嫌に左右されている。
同日夕方
朝「大叔母が危篤なのでどこかで参列すると思う。(仕事を早引けするかもしれないので)よろしくお願いします」
キレながら「看病するんなら、仕事のリスクを計算して全て教えろ」と言ってきた。
間違ってはいない。が、看病するとは言ってない。
職場と自宅の間に駅がある
午前零時過ぎの仕事帰り、いつものように駅前の交差点で信号待ちしてたら、横断歩道も渡ろうとせず挙動不審な女性が目にとまる
運転席から「おい、○○じゃないか、どうしたんだ」と声を掛けると、なんと彼女は俺に気付くなりその場で立ちすくんだまま泣き始めてしまった
何か異常な事が起きている事を察した俺はすぐ近くの路地に車を停めて彼女に駆け寄り、何があったのかと尋ねた
彼女曰く、ほんの少し前に父親が危篤状態に陥ったと親族から連絡があり、慌てて実家に行こうと駅に向かうも終電にギリギリ間に合わず、また近くにタクシーも見当たらずパニックに陥っていた所で俺が声を掛けてきて、どうすればいいか分からず泣いてしまったのだという
彼女の切羽詰まった状況を見かねた俺は彼女を車に押し込み、そのまま高速道路に入って彼女の父親が搬送された病院へと直行した
幸いなことに父親は一命を取り留め、退院に若干の時間はかかるものの日常生活を問題なく送れる程度には回復する症状で済んだらしい
とはいえ一時はかなり危ない状態だったらしく、病院には近隣に住む父親の親族が何人も集まっていた
状況を聞いた彼女は緊張が解けた事もあってか、親族らと俺の前で再び泣き出してしまった
そしてここで大問題が起きた
「あたし、○○(俺)くんと結婚する…」
その後俺がどういう状況に陥ったのかは想像に任せる
N=1という批判は受ける。
先日自分の両親が熟年離婚の危機にあるということをほかのきょうだいから聞いた。
父母はそれほどベタベタのカップルではなかったが、私達きょうだいが実家で生活をしていたときには目の前で激しい喧嘩をするわけでもなく、それなりに仲の良い夫婦と思ってきた。
だが、話によると母親が父親の定年退職の日を待ち構えて離婚を切り出したらしい。
又聞きではあるが、母は昔から父親の横暴なところが嫌いで、過去に勝手に自分の貯金を借金の穴埋めに使ったり、近所への見栄でくだらない出費をしたりといったことを憎く思ってきたのだという。
何より離婚の決定打となったのは、長年患っていた母親の実母が危篤になったと連絡が入って今にも出かけようとしていたときに、父が「夕飯の支度はしてけよ」と言い放ったことらしい。
そんなこともあって定年の日を狙って母親が父親に離婚を切り出したのだが、その時もネチネチと「そんなことするとお前はこの土地に戻ってこれなくなるぞ」「恥をかくのはお前だぞ」と言ったそうで、母は結局そのまま友人を頼って家を出て現在は別のところに居を構えている。
そこまで拒絶をされたのだからさぞ父親は落ち込んでいるだろうと実家を久しぶりに尋ねてみたところ、ちょうど行政書士の人が来ていてどうも遺産相続の時に母親に一円も残さずに済む…どころか借金を押し付ける方法はないかといったことを相談しているようだった。
既に自分にも家庭はあるのであまりよそのことに口は挟めないが、この年になって父親の人間としての小ささを知ったような気がしてがっかりしている。
というか、男が女に別れさせないようにする手段て経済的に相手を困窮させるしかないんだなと思ってそのことの方がむしろ落ち込む理由になっている。
うがった見方なのかもしれないが、日本が世界でもシングルマザーに冷たい国であることは、女性に経済力をもたせると男が簡単に捨てられるからという男側の論理でやっていることなのだろうと思ってしまう。