はてなキーワード: ラブドールとは
たぶんだけどこの増田は若手アイドルが自殺したら「貴重なマンコが」「どうせ死ぬならその前に俺とヤってからにしてほしかった」と考えているかもしくはそういう書き込みがされる界隈に身を置いていて
じゃあ女は若手俳優が死んだら「どうせ死ぬならアタシとヤってからにしてほしかったわ!」的なことを思うに違いないと一度考えたあといやいやそれはないかと思い直したのでは
アイドルが死んだ時の「どうせ死ぬならその前に……」は死んだ目のマグロ女を高級ラブドールとして一発使ったあとにじゃあ死んでくださいみたいなイメージだけど
男の方は向こうが動いてもらわないといけないし勃起もしてもらわないといけないから「あなたはマグロでいいから私とヤった後に死んで!」ってわけにもいかないし
それに女はそこまで男のチンポに価値を感じていない
じゃあ「どうせ死ぬならその前に俺とヤってからにしてほしかった」の対は「どうせ死ぬならその前にアタシと結婚してからにして!」だろう!と考えたのだろう
でももうすぐ死ぬ死んだ目の男と籍だけ入れたって「イケメンにちやほやされて周りから羨望されるマダム」ができるわけではないし
遺族として財産を分けて欲しいだけなら若手俳優じゃなくて志村けんでもいいし何なら岡江久美子でもいいわけで
若手俳優が自殺したら9割の女は「どうせ死ぬならそのステータスをアタシによこしなさい」「その財産をアタシによこしなさい」と考えるに違いないというのはだいぶ無理があるかな
悪い感情を抱くとしたら「死ぬなんて責任放棄(イケメンとして性的消費される義務を放棄した許せない!)」とかそんな感じではないだろうか
コメントをすれば多くのスターを集めるはてな有識者の皆様においてすら、タイトル通りのコメントをする人々がいるわけだが、全く頭どうかしてるんじゃないかと思う。
例えば、青識亜論とかいう人がポスター改竄したことに対して「こんなことしてるから規制されて当然」とかいうブコメが星を集めているけど、青識と規制にどういう関係があるのか本気で教えてほしい。
俺はロリコンだからはっきり言わせてもらうけど、所謂表現の自由戦士は表現の自由を標榜して政治ごっこしている連中ばかりで実際に表現の自由を守ろうとしている人なんてほとんどいないわけ。あんな奴らオタク代表でもロリコン代表でもドールフェチ代表でもなんでもないわけだよ。
ロリコンの俺からすればもう放っておいてくれと思ってるし、SNSで性癖垂れ流す馬鹿はくたばれとしか思わんし、馬鹿な言説垂れ流して火種を増やして回ってる表現の自由戦士はもはや敵でしかないから消えてほしい。山田太郎やら赤松健やらいう詐欺師に懐柔されてからあの界隈は終わった。
で、そんな無関係の屑共の言動で規制に賛成するとか正気の沙汰とは思えないね。
こういうこというと界隈で自浄作用を示せとかいうんだろうけど、じゃあ例えば左派ならきっこに代表面させてもいいんですか?
「セックス依存症」の事を指して言ってんの?
判断基準はなんなの?
不倫じゃなくて嫁さんとお盛んな範囲で済んでたら依存症じゃなくてセーフなの?
医者でも専門家でも無いのに勝手に他人を「病気(=依存症)」と決めつけるのは
最近話題になってた、ラブドールを規制しろって言ってるツイフェミのお気持ちと地続きだと思うんだけど、みんなその認識はないの?
(追記)
バレた時の事まで考えが及んでいないからっていうトラバがあるけど、違和感を覚える
例えばフランスみたいに政治家とかの不倫に寛容な社会であったら、バレたところでそんなダメージは受けない
仕事を終えて家に帰ると待っていてくれる存在がいてくれるのは幸せなことだ。彼女と食卓をともにし、一緒に眠る。満たされた日々だ。
彼女を迎えてから、就寝前と起床後に彼女を着替させ、髪を梳かすという習慣ができた。そうなると自分の身なりも整えようという気分になる。生活も規則正しくなり酒量も減った。健康診断の数字も改善しつつある。
そんな生活をしている自分からすると、「幼女型ラブドールの所有者はやがて実際の幼女を手にかけるようになる」などという主張は、何の根拠もない戯言に過ぎない。
ほぼ完璧な美意識のもとに作られた理想的な美少女が自分のもとにいるのに、なぜ汚い上に泣きわめく現実の幼女などに手を出す必要がある?
自分は中学のときクラスの女子たちに嫌われ、様々な嫌がらせを受けていた。理由は「背が小さいから」。それだけだ。
事あるごとにチビだ短足だと罵られ、すれ違いざまに足をひっかけられる。ドールはそんなことはしない。
満員電車の中で臭い香水をプンプンさせながら、蛾の鱗粉のようなファンデーションと血を吸った直後に潰した蚊のような口紅を人の服にべったりとなすりつけ、挙句にこいつは痴漢だ被害者は自分だこれはその証拠だと鬼瓦のような顔で喚き散らしたりしない。周囲の人が弁護してくれなかったら慰謝料をむしり取られていただろう。無理だとわかるとそいつは金切り声を挙げ、人に唾を吐きかけて逃げていった。
それに比べたらドールはただ何もせず一緒にいてくれる。「自分の思うようになる」からではない。自分に対して敵意を持たない存在というものが、どれだけ温かく感じられることか。
自分の同期は結婚から数年で妻の有責で離婚し、それでいながら娘の養育費をせっせと送金している。月に一度の面会日はドタキャンが多く、思うように息子と会えていない。
上司は中学生になった娘からキモい臭い近寄るなと罵られる毎日だそうだ(飲み会で酔って愚痴っていた)。それでも家族のためにと少ない小遣いで頑張っている。
要するに女が男に性的に搾取されているというのは嘘っぱちで、むしろ女こそが男を蔑みながら搾取しようとどす黒い陰謀を巡らせているのである。世の女性がラブドールを目の敵にしてゴチャゴチャ喚き散らすのは、男の理想を体現した人形が現れれば当然男はそちらに夢中になるため、搾取できなくなるからに違いない。つまり実利の上で脅威を覚え、排除しようとしているのだ。
まあ嘘っぱちというのは言いすぎかもしれない。しかし女を性的に搾取しようとする男に群がる女がいるのも否定できないのではないか。さだまさしの「関白宣言」を女性差別だと叩いておきながら、グループ魂の「君にジュースを買ってあげる」で歌われてるような男に夢中になるような女が。
理想的な美女として作られた人造人間・ハダリーと貴族との恋を描く「未来のイヴ」を著したヴィリエ・ド・リラダンも、「砂男」で美少女人形のオリンピア(オペラではコッペリア)に身の破滅を招くほど恋い焦がれる男を描いたエルンスト・ホフマンも、人形にフランシーヌと名付けて娘のように愛した哲学者のデカルトも、現実の女性に幻滅していたのではないかという気すらする。
レイチェルみたいなレプリカントが目の前に現れたらデッカードならずとも駆け落ちしたくなる。
ラブドールで満足できず現実の女児に手を出そうとする不届き者は間違いなく社会に害を為す変態だからさっさと逮捕し宮刑にでもすればよろしい。
そんなんだから彼女居ないんだよ。童貞か素人童貞なんだよ。結婚してないだろ?
まずどんな美人もブスも閉経までは生理がある。生理前から生理終了まで2週間くらいは機嫌が悪い。当たり前だが生理中はセックス出来ない
月の1/4は生殺しだし、月の半分は機嫌悪いんだ。体調悪くなる人も居る。美人でもブスでもだ
そんなの一緒に居るだけで幸せとか言うカップルは良いけど、そうじゃないカップルは男性が欲求不満になる
そんな時に機嫌の良いエロい身体した女が来たらどうする?ヤラなくても仲良くはするよね。もちろんその女にも生理はあるけどその時はお互い合わなきゃ良いだけだし、付き合って無ければ基本女性は生理中のイライラを男性にはブツケない
結婚した男性、もっと言えば付き合っている男性ほぼ全てに起きることなんだよ。我慢できるわけがない。悪いけど女性に生理があるように男性には性欲がある。オナニーダサい、ラブドールは変態、風俗NGじゃどうすれば良いんだよ。血が出てナプキン装着すれば良い話じゃないんだよ。ほんとマジで
anond:20200609071250 はそのように書くべきだ。
何故なら、彼が(彼女が?)「子供を性的にみる内心の自由はない」と主張するための根拠として示される以下の事柄は、「子供を性的にみる」かどうかに拘わらず、すべての内心の自由に該当する事柄だからだ。
憲法19条で保障されている内心の自由は、国家が内心に干渉することを禁じる規定で、私人間では適用されない(三菱樹脂事件最高裁判決)
従って、「内心の自由は私人間では適用されない」事が或る内心の自由(子供を性的にみる内心の自由)が無い事の根拠になるならば、
「内心の自由は私人間では適用されない」事はこの世のありとあらゆる内心の自由が無い事の根拠にならなければならない。
これがいくら可笑しな主張に見えても、論理的に考えればそうなる。
では何故そうなるのか?選択肢は2つ。「直観と反していても「あらゆる内心の自由は無い」は真である」か、「前提が偽である(背理法)」か、どちらかだ。
その後の文は数値は出るものの結局は抽象論に終始していて余り意味が無い(ついでに言えば、増田に付いたブコメも同様)、そもそもあなた達は、具体的にどうしたいのだろうか?
児童性愛者であることが判明した人物は直ちに強制的な”治療”と”隔離”を受ける社会へと現在の社会を変えたいのか(「子供を性的にみる内心の自由はない」という強い表現が有意味である為には、その位しなければ成り立たない=そこまでしないなら「子供を性的にみる内心の自由はない」を成立させられない、と思うのだが)
あるいは児童型のラブドールの製造を規制したいのか、それとも児童性愛者に罵声を浴びせても正義である社会にしたいのか、イラストや虚構も含めて児童の性を思わせる表現(直接的でない場合も含めて)を規制したいのだろうか?
なんというか、具体的に何をやるのかを伏せて、「子供を性的にみる内心の自由はない」などと曖昧な事を主張して印象を上へ下へ動かしてみたところで、実際的には何も言っている事には成らないのではないかと思うのだが、どうなのだろう?
何故かラブドール擁護オタクはしょうもないはてなブクマカの「内心ならOK、表出したらNG」とかいう一見自由を認めてやってるようで実は一切意味のない防衛ラインを一緒になって守ってるけど、
このラインで合意してしまったら「ラブドールが存在してる時点で表出してるやん→規制」に速攻でなるよ
例えば同好の士の間でのみ、そのように配慮された場所でのみなら表出してよい(つまりゾーニング)というのが本来守るべきライン
ラブドールの代わりにセックスを禁止すればいいだけなのに何をグダグダといつまでも議論()してんの?
「セックスを禁止するな!」と言ってる人どこにもいないし、フェミも反フェミもみんな賛同してくれるはずでしょ?
みんな仲良くしようぜ。
記事中で斎藤氏が言っている「児童ポルノ(A)」はラブドールを含んでない。
今、君が言ってる「児童ポルノ(B)」はラブドールを含めるようにさっき再定義した概念。
君はそこをすり替えてる。
「飲酒運転と違って、ラブドールと犯罪の因果関係については合意がないから、そのたとえでの規制は無理筋」
「そもそも児童を守りたいなら、まず問題にすべきは明らかに児童の『身内』であって、『通りすがりの児童性愛者』などという不確かな存在ではない」
「これを直視できない人は本当の意味での児童の味方などではなく、偏見で誰かをぶっ叩いて気持ちよくなってるだけだよ」
(以下、元の書き込み)
……なるほど、「飲酒運転」だって、それ自体犯罪ではない二つの行為を組み合わせて、予防的に権利を制限する形で成立する犯罪、というわけだ。
でも、「飲酒運転」が犯罪であるのは、「飲酒」は「判断力低下」と確実に結びつき、そして「判断力低下」と「事故」の因果関係は十分高いと言えるからだよね。だから予防的に権利が制限されることに妥当性があるということになる。
ならば、ラブドールを規制する際にも、同様に、「ラブドール」が「実在児童への欲望を高める」ことが確実であり(A)、そして「実在児童への欲望を高める」ことと「実在児童に性的虐待をする」因果関係が十分高いと言える(B)場合、と考えるのがよいということになるよね。
しかし、あなたの貼ったリンク先の「専門家」は、Aについては「研究がない」「100人を見た経験から~(むしろ助長させていると)感じる」としか言ってないし、臨床の精神分析医であり、犯罪や行動分析の専門家ではないため、Bについては確定的には何も言えてないよね。つまり、ラブドールについては、現状で上のA&Bは全く実証されていない。
だとしたら、このケースで予防的に権利を制限するだけの証拠はないと思うんだけど、どうしてそこを強行できるという意見なのだろう。単にあなたの個人的な見解でA&Bが成立している「かのように」思い込んでいるだけなのではないだろうか。
では、実際のところBに関してどうだろうか。ラブドールが規制されていない現在、彼らの多くが犯罪に走る傾向にあると立証できるのだろうか?
ここで、警視庁のデータを見てみよう。(https://www.npa.go.jp/publications/statistics/safetylife/syonen.html)
検挙された人数2024人、うち、「見知らぬ児童性愛者」はどのくらいの割合か。調べてみれば分かるが、57人。残りは「実父(母)、養父(母)、継父(母)、内縁の夫(妻)」等である。つまり、「見知らぬ(キモい)児童性愛者」の犯罪は全体の3%以下だ。しかも、それは一体ラブドールを買ってる人の何パーセントなのか、データはあるのだろうか? そもそも規制派は、ラブドールを規制していたら、この3%に含まれる人のうち何人が減っていたと考えて規制を主張しているのだろう。さらに言えば、でもそれは残り97%の犯罪には何の関係もないのだ。憲法に違反するのではないか、という疑いさえ抱かれる政策を強行しようと言うのに、現実のデータの裏付けはなく、専門家の意見すら十分ではなく、そして97%の犯罪には何の訳にも立たない。どうしてこれに同意が得られると思うのだろう。
こんな不確かなことに血道をあげるより、残り97%からの現実的な危険に晒されている児童をどう救うべきだったかを考えた方がよいのは自明だ。にもかかわらず自分の意見に固執してしまいそうなら、そもそも自分が一体何から目をそらしているのか、もう一度胸に手を当てて考えるべきだと思う。おそらくそれは何かの代償行為であって、決して正義ではない。あなたは本当の問題から目をそらし、目に付いたたたきやすい(殴り返してこない)誰かを腹いせにたたいているだけなのだ。