はてなキーワード: ネットDe真実とは
某4コマ漫画の作者もネトウヨらしいという噂を見た。たしかにあの漫画を読んだとき古き日本的な保守的な思想でなんか嫌だなとは感じた。とくに会社の上下関係などが気持ち悪かった。キャラクターはかわいいけど、どうにも滲み出る思想が気持ち悪くて1巻で挫折。まあ作品に思想は滲み出てくるものだよな。
ネトウヨ作品に共通してあるのは現状肯定、自己肯定と思われる。批判的な視点が存在しない。これは多くの日本人の習性でもある。戦争責任と向き合わず、日本スゲー、俺スゲーを言い続けてきた。だが日本はそうやって大きくなってきたのも事実で、だからこそ日本の戦後とは一種のカルトだったと思われる。
そしてもうそんな気の狂った夢も終わりの時期が来ているのかもしれないということ。目を覚まして現実と向き合うんだ。
日本に芸術が育たなかったのもこうしたカルトの影響もあるかもしれない。エンタメ作品はそのほとんどがネトウヨ的要素すなわち現状肯定、自己肯定を持っている。エンタメ作品に触れる客はそれを見て気持ち良くなるわけだ。自分を肯定してくれて元気がもらえる、感動できるというわけだ。これは甘っちょろい幻想にすぎない。しかし客はそういったものを欲していた。だから制作者はどんどん飴を与え続けて愛撫しつづけた。甘えてくる客に優しく親切にできるだけ彼らが気持ち良くなれるようなものを作ってきた。
甘ったるいエンタメで育った人間は自分を肯定してくれないものを受け入れられない。幼稚なまま大人になってしまう。自己批判せず、現実を受け入れず、ただ「俺らは間違っていない。正しい。正義だ。批判するやつは差別主義者だ」と唱えていればよいということになる。現状肯定がすべてで、これ以上の改善など必要ない。すべては完璧で、穏やかで整っていて、甘く心地よい世界だから、それを批判することなど許せないというわけだ。自分の完全な世界が少しでも動揺することを恐れている。だから批判は受け入れられない。現在ある完全な世界に浸かりきっていたいから。不完全な現実を指摘されるのは彼らには苦痛すぎるのだ。
たかがラノベが批判されたくらいで40代のおっさんたちが顔を真っ赤にしてぎゃーぎゃー喚く。これは一体なんなんだ? あまりにもグロテスクじゃないか。きみらはラノベに依存しすぎている。依存しすぎていてラノベ=俺になっているからこんなに必死なんだろう。自分のアイデンティティなんだろう。いい年したおっさんが中高生向けのエンタメ小説が少し批判されたくらいでブチ切れてしまう。完全にどうかしている。
はてなには目立つラノベオタクが30人程度はいるらしく、いつも固定メンバーが集まってブクマしている。彼らの中で批判精神を持つ者は存在しないから、いつもの固定メンバーが集まって、自己肯定しあっている。またやってるのかと呆れて観察させてもらっているが、ほとんどカルトのようだ。全員同じことを言っていて、自分の意思なんかないようだ。ネットの受け売りでしか語れず、自分の言葉を持たない人たち。
彼らを救うことなんてもう誰にもできない。40代にもなって中高生向けの陳腐なエンタメ作品の擁護でブチ切れしちゃう連中なんてどうやったって話が通じるわけないだろう。ネットde真実の層ともかぶるだろう。何が彼らをそうさせるのか。彼らの中でラノベとは一体なんなのか。「ラノベは定義できない」と言いつつ、ラノベ批判されるとキレるのはよくわからないことだ。結局自分の中でも「ラノベ」という単語の指示範囲がなんとなくあって、それが否定されたと思うからブチ切れてるわけだろう? そしてラノベが否定されるということは、自分自身が否定されたということとほとんど同じようなことなのだろう、彼らの中では。なんでそこまで依存してるんだ? そんなのラノベ依存症だろう。ラノベはきみらを救わない。きみらが50代60代になってもラノベを読み続けることは自由だ。しかしそのときにはラノベが否定されたくらいでブチ切れたりしないような精神的な成熟がほしい。まあむしろ60代になったらさらに厄介な人間になってそうなのがあれだが。
頑張ってほしい。
ネットde真実くんって本当にいるんだ
彼らの事、嫌いじゃないよ。
初カキコ…ども…君も、カルミカミ君も、その他沢山の名コピペを生んでくれたどこかの誰かも。
中には胡散臭くて作り話臭い物もあるけど、個人が書いてるししゃーない。
文体はどうあがいても素人だが、出来事の真偽はどうあれ、これほど『物語』として見た時に素晴らしいものがあるだろうか。
まあ本人たちにとっては洒落にならん失敗話なのだが、その失敗談が良い意味か悪い意味かを問わず、誰かの笑いになるんだ。
稀に『ああこれ俺もやってたわ…』みたいなのがあって気分が下がることもあるが。
中二病は痛々しいが、この通り『笑い』を生んでくれている。
こう考えれば案外、中二病も悪いもんじゃないなと思えるし、現在進行形の中二病に対して生暖かく見守ってやるか、という気持ちにもさせられる。
あ…高二病は……、えっと……、
俺はネット始めた頃にこれを聞いてその後1年ぐらい現実世界で「韓国人やべぇ……」と言い続けた苦い過去がある。
今でも時折、同じような病にかかりたての人を見ることがある。
温かい目で見守りながら「そうだったんですか!」「へぇ~~」と若干賛同してるけどあまり本気にしすぎては居ない感のある解答をする事にしてやっている。
賛同されすぎても『ネットDE真実を知ったお前らより少し上の俺』という感覚が薄れそうで可愛そうだし、否定されても困るだろうし、下手に質問されてネットで仕入れた知識の外に出てこられても困るだろうと考えて、この当たり障りのない解答をすることにしたのだ。
そんな日々を乗り越えているうちに、最初にネット新自慢に羅患してから結構な年月が経ったわけだ。
そして今あらためて思うのは、日本にいる外国人の立場を考えれば、ヤバい人間の割合が日本人より多くなるのは当然なのではないかということだ。
日本にいる外国人の多くは、普通の枠組みから外れた立場に立たされている。
その足場は不安定であり、いつセーフティーネットの向こう側に転げ落ちていくとも分からない。
そんな人間たちの中から犯罪を犯す人間が現れやすくなるのは当然だ。
犯罪は基本的にコスパが悪いので豊かでありさえすれば犯罪なんかに手を染めない人間が多数派であろう(豊かであっても犯罪をやる人間や、豊かゆえに犯罪のコスパがよくなってしまっている人種もいるが、それは流石に少数派だと信じたい)。
立場の弱い人間に居場所を作るには国全体に余裕がいる(モラルもだが)。
この国にはそこまでの余裕はない(モラルもだ)。
だから居場所をなくした人間たちは、真っ当な方法では手に入らない居場所を手に入れるために非合法の手段を使う。
両親は70手前。母は専業主婦、父も数年前にリタイアし、2人で田舎に移住して悠々自適の老後ライフを送っている。
親子関係はまずまず良好といえる。
だが一つ問題がある。
テレビでそれ絡みのニュースが流れると、口癖のように「(チィ!)また朝鮮/中国だろう!」と宣う。
産経新聞は全てにおいて正しくて、曽野綾子氏は素晴らしい人で、安倍首相はもちろんヒーローである。LGBTの権利など言語道断である。それから日本製品の品質は未だに世界最高である。就職祝いに買ってくれた本が、某明治天皇の玄孫が書いたやつだったのには閉口したな…(すぐ売った)
常日頃から喚いていたりするわけではなく、ネットに入り浸ってヘイトを撒き散らしたりはしていないのが救いではあるが…
これは今に始まったことではなく、20年くらい前、俺が小学生だった頃に確立したスタイルだ。
学生運動を小馬鹿にしつつもビートルズやフォークミュージックに傾倒した父母はしばらく平均的な「ややリベラル」だったのだが、あるとき産経新聞に出会って「真実」を知り「開眼」したらしい。近年の「ネットde真実」に比べれば年季の入った御仁である。
その頃幼かった俺も、一緒に暮らしていればそれなりに染まってくる。高校生くらいが一番ひどかった。ゴー宣の布教をした、と言えば察してもらえるだろうか…思い出したくないのでこれ以上は書かない。
俺は大学進学とともに親元を離れ(過干渉から逃れるため)色々な人と交流し、徐々に毒が抜けていった。ネトウヨ化することはなかった。幸いなことに、染まり切る素質がもともとなかったのだ。しかしそんな中でも父はブレず、今に至るという感じだ。
先述の通り、きっかけがなければそういう話にはならない。だが、サンフランシスコの慰安婦像問題がタイムリーに噴出してしまった。食事中にNHKのニュースで流れたり…するだろうな…。
そんな家に帰る。妻と息子を連れて。
息子はまだ人語を解さない年齢だが、あと数年もすれば…じいじの言ったことを素直に受け入れてしまうかもしれない。あるいは先生やお父さん(俺)の言ってることと違う!となり、話がこじれやしないか…
今まで、俺は強く反論することはなかった。反応せず適当にやり過ごしたり、一部同意/一部反対といった軽い意思表示のみ。今まではこれでしのいでいたが、いまは子供がいる。
俺は父親として何ができるだろうか。今さら宗旨替えなどできないだろ、怒らせたくない、言いたいこと言わせといてやろう、と向き合ってこなかったツケがいま回ってきている。
・既存のマスコミは恣意的で印象操作をするし時には捏造する ←わかる
・SNS等の普及でマスコミに対するチェックが入りそれが拡散されるようになった。もはやマスコミは自分の都合のいいように好き勝手できない ←わかる
という意識を持っている人が、ネットの恣意的なアカウントやまとめサイトに対しては途端に意識が低くなってデマに軽々と乗せられちゃうの、あれはなんなんだろう?
==
追記 かき捨ての愚痴のつもりで書いたんですがコメントありがとう
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170720195834
https://anond.hatelabo.jp/20170720200234
https://anond.hatelabo.jp/20170720202837
https://anond.hatelabo.jp/20170720221250
ネットの個々人の書き込みがマスコミに対するチェック機能を果たしているというのを実感すると同時に、なんか既存のマスコミの悪い部分がネットにも浸透しているなあという違和感がある
私は平成2年生まれで、日常的にまとめサイトを見るようになったのは高校生の頃。
そのころハム速はまだVIPのクソスレや釣りスレを纏めてた牧歌的なサイトだったけど、痛いニュースとか、保守速報的なネトウヨまとめが台頭してきたころでもあった。
たぶんこのころ、2008年くらいが「2chまとめが市民権を得つつあって」、「同時に韓国や中国へのヘイトが高まり始めたころ」だと思う。「売国」の民主党への政権交代がこの翌年。
私は日韓W杯の八百長とか韓国起源説(笑)とか在日特権を「糾弾」するまとめサイトを見て韓国ヘイターなネトウヨになり、思春期をネットDE真実に捧げて暗い青春を送った。
大学生になって、自制的内省的な年齢になったとたん、ネトウヨとしての暗い情熱(というか洗脳)は掻き消えたんだけど、もう少し若い時分にネトウヨにかぶれてしまっていたら、今でも私は変わってない気がする。
何歳の時にネトウヨ文化に触れるかってその後ネトウヨを卒業する年齢に大きく関係していると思っていて、Facebookでいまだに年甲斐もなく韓国ヘイトしているおっさんは、自分の価値観が変容しない、凝り固まった歳でネットDE真実を見つけてしまったから今でもそれを続けているんだと思うし、あのころ何歳だったかでネトウヨとの距離がある程度決まる気がする。