はてなキーワード: タカタとは
keychronはまあこれ系の趣味入門にはちょうどいいメーカーだな、終点にはならないけど
ただ俺ならQシリーズの方を推すな、初期モデルだとちょっとmodしないとping(金属音)が響きやすい難点はあるがアルミケースなんで重厚感は多少あるし流行りのガスケットマウントも一応取り込まれてる
ちなみにVIAが使える機種なら、俺の場合はだけどCapsLockの位置にOSL(1)を置いて、次にキーが押されるまでレイヤー1に移動するFnキーのように設定することで
F1に始まり遠く離れたF12までブラインドで押せるようになった
よく使うFキーやコマンドがあればレイヤー1のホームポジション近くに置くこともできるしな
Fキー多用するゲームとかだと65%はキツイかもしれんが(その場合でも割当工夫したりゲーミングマウス併用したりやりようはあると思うが)慣れたら65%快適ぞ
ちなみに掃除とかのメンテナンス性を考えるならマイナーだけどGummy O-ringマウントのキーボードなんかものすごくシンプルな構造で面白いぞ
恒常販売されてるのはCanonkeysのBakenekoくらいかもしれんけど
これは音はclacky(高めカタカタ音)になりがちだな
プロゲーマーとかゲーム配信者とか、引きこもりの陰キャが強そうに思える世界だが、
FPSで勝つためには意思疎通が取れないと駄目だから、受け答えがバッチリて協調性もなきゃ話にならない。
勝つためにはコミュ力が大切ですって、就活かよやめてくれよってなる。
ゲーム配信は横のつながりがメチャクチャ大事だから、「配信界のゴルフ」と言われているAPEXは必須のスキルだ。
有名人とAPEXでコラボできる程度の社交性がなければ上には上がれない。
ゲーム配信で天下を取った釈迦も加藤純一も、いろんな界隈と交流できるコミュ強だしな。
ドラゴンボールのゲームでかめはめ波系の技がぶつかり合うと「ボタン連打で勝負だ!!!」という文字と共に巨大なボタンの画像とゲージが表示されて、連打数で負けた方がふっ飛ばされて一方的にダメージを受けるシステムがあるらしい。
前にデパートのゲーセンでオッサンがプレイしているのを後ろで見ていただけだが多分そういうシステムだ。
プレイしてたオッサンはそれはもう必死の形相で、ネットの噂に聞く『パチンコフランダースの犬でリーチがかかると「死ね死ね」叫びながらボタンを連打するババァ』を思い出す必死さでボタンをカタカタしていた。
世の中には議論とか話し合いをこの感覚で捉えている人が、「勢いよくボタン連打して最終的に勝ったほうが相手をふっ飛ばして全ての要求を通せるもの」だと思っていそうな人がちょくちょくいる。
ただ自分は彼ら本人じゃないので本当に彼らがそう思っているのか、ワンチャンそうなったらラッキーだからとりあえず最初はボタン連打でパワーゲームするのを戦略としているのかまでは分からない。
ただ彼らは得てして最初ボタン連打で相手を打ち負かそうとするし、「話し合いをするべき」「こっちの意見を理解しない相手が馬鹿」「アイツらがなかなか理解しないから仕事が遅れている」といった言葉もよく口にする。
私は「話し合い」なるものを「妥協点を探るためにお互いにカードを切りながら線を引いていき、ルール違反にならない形で自分に有利な陣取りが出来たほうが得をするゲーム」ぐらいに思っている。
これもやっていることが「ボタン連打」なのか「ボードゲームもどき」なのかの違いで、結局はパワーの比べ合いで得をしようとする浅ましい行為であろうことは一応自覚はしている。
だが私の考える「話し合い」と比べるにしたって「とにかくがなりたてていき相手が折れたら勝ち」は幼稚すぎるように感じる。
言いたい放題言って相手が要求を聞かなければ拗ねて文句を言い続けるのでは店の床に転がって玩具をねだる子供と同じじゃないか。
相手は結局その「話し合い」に同意しているのではなく、単に「もう相手にするのが面倒くさいからとりあえず話を次に進めたいだけ」だろうに。
ボタン連打ゲームの人達はそれを「相手がついに状況を理解して納得した」と解釈するらしい。
何も納得してないだろ。
ただこういう戦術を集団として積極的に使っている職業(?)は実際に存在していて、それはいわゆる反社と呼ばれる連中だ。
連中は妥協点の探り合いなんてせず自分たちの都合を一方的に押し付けながら嫌がらせを続け、相手が疲弊して要求を飲んだらそれを「説得の成果」と言い張ってしまう。
不良学生のカツアゲとなんら変わらないが、強いて言うならあとあと警察に通報された時への備えが上手いだけだ。
ただ反社の連中は得てしてそれが「無茶振り」もっと言えば「強奪」でしかないのを理解している。
逆にボタン連打で「話し合う」人達はそれが正当な主張のぶつけ合いだと思っている気配がある。
ポジショントークをぶつけあうだけの幼稚な紙相撲のようなものこそが「話し合い」「議論」「交渉」だと本気で思っているのだろうか?
普通免許は「左右いずれも0.3以上あり、なおかつ両眼の視力が0.7以上」が更新要件。
特になにも考えずに行って、視力検査したら、もう全然見えなかった。
検査員から別室に連れ込まれて、他の担当員がやってきて、何回もやらされても更新要件を満たすことができなかった。
ここ一番じゃないかってくらい、焦った。
だってこれ、自身の身体能力でどうにかする以外にどうすることもできないことじゃないか。
それが、できない。
勉強さえすれば受かる試験、努力さえすれば報われる仕事とは違って、身体能力が衰えてどうにもできないことは、どうにもできない。
だけど今回のことは心底身に染みた。
じゃあこれが、手足の自由が利かなくなったときには、一体どうすればいい?
「結婚することにメリットを感じない」とか「独身が気軽でいい」とか言えてるうちは、体が健康である内のボーナス期間。
やがてこのボーナスは、必ず終わる。
独身のおじさんだ。
タイトルの通りである。税金をうまく取ってくれ。俺のようなおじさんから。
税金を払うことが、俺の、自分が社会の歯車の一つであるという気持ちを肯定してくれるんだ。
俺は社会に貢献する仕事をしているつもりもない。ただエクセルとにらめっこしてカタカタするばかりである。誰も笑顔になどならない。
しかし俺が誰かを笑顔にせずとも、俺の払う税金は誰かの笑顔を作り、笑顔を守るだろう。
俺よりよっぽど価値のある人々や、これから産まれてくる子供のために、税金をうまく取ってくれ。
「社会の福祉にはタダ乗り」、心外だ! そう言うなら、そう言われないぐらいの税金を納めさせてくれ。
寄付とかでは実感が得られないのだ。俺の給与明細は渡された瞬間から何桁もの数字をむしり取られている、
それこそが「お前はこれだけ税を収めたな。ならばキモいけど生きていてもよいぞ」という実感だ。俺が生きていていい証だ。
だから取ってくれ。税を。キモ税でもおじ税でもいい。自動的にやってくれ。誰にでもわかるようにやってくれ。
キラキラした笑顔で堂々と社会に立っている人達のために税を使ってくれ。
俺が生きるだけで精一杯の人生しか歩めない俺には未来も何もない。
だからせめて、生きていて罪悪感を覚えないぐらいの税を取ってくれ。