はてなキーワード: アブノーマルとは
ネットのインタビューとかだと偏ってそうだからイマイチ分からねーんだけどよ―実際どういう割合なんだろうな?
フェラとかクンニとかAVや風俗じゃ日常的に行われてるけど、実際の恋愛ではアブノーマルなのか?
良くわかんね―んだよなー立ち位置がよー。
風俗の料金表とかのイメージだとよー本番に比べたらフェラは超格安ってイメージなんだけどよー。
でも実際の恋愛においてはフェラなんてわざわざする方が本番よりだるいんじゃねーかって気がするんだよな―。
でもそれって100人切りするような相手に引っかかる人間の母数の中だと思うんだよな―。
つうかよーフェラにしろクンニにしろこの相手のなら出来るけどコイツのは無理みたいのがあると思うわけよ―。
クンニ自体は兵器でもスソワキガのマンコなんてぜってー無理みてーなのがよー。
そうなるとよーもう個人じゃ答はでね―気がするんだよな―。
俺バカラだよー分かんね―んだよな―。
まだ同人界隈でNL(ノーマルラブ)という言葉は同性愛差別だからやめろだの何だの言ってるのか。
ノーマルの意味って、私は「正常」じゃなくて「通常」だと思うんだけど。
例えば高校の普通科と工業科や商業科があるとして、普通科というネーミングにはそっちが正しいとか上だとかいう意味はないじゃん?
それと同じだと思うんだけど。
そもそもアブノーマルという言葉にネガティブな意味は一切感じないんだよ…
異性愛ノーマル、同性愛がアブノーマルで何が悪いの?って思うし。
大学卒業後に就職するのがノーマルで、大学院に行くのはアブノーマルだって言われても、別に大学院生差別にはならないのと同じ。
しかも不思議なのは、こうやって「NLは差別だ」といって言論統制している人達に限って、もっと酷い差別語である「クィア」は平気で使ってる事が多いって点も。
園子温の作品は生産性のない本能に従ったセックス、暴力、また盗撮、恫喝恐喝等の犯罪、不倫等愚かなことに没頭させる。またはメンタルがイカれたものの本能に従った熱量をそのままにぶつけている。
結末がどうであれ、頭のイカれた人間の本能を見せつけ人をアブノーマルとは言い留められない思想をどこまでも煽らせる。
そこで肝心なのは、登場人物の女は男に従わずを得ない立場に追いやられながらも、女という武器で裏をかいてるという過剰な女としての自信だ。男はそれを「頭の弱い女」と呼ぶ。
この園子温の「頭の弱い女」…言葉は悪いが肉便器のような扱いを受ける女性は、女を自分の武器であると過剰な自信を見出す。特にセックスにおける相手を魅了しているという自信は「愛される」という言葉に変換させ、メンタルの死んだ女にとって麻薬のような作用をもたらしている。麻薬となってるのは行為であり、男ではない。だからこそ馬鹿なのだと。
……思えばバカみてーな作品だ。刺激だけ求めている内容だ。これこそが男女敵対の哲学のように映画で語りつつも、下衆を極めたゴミだ。しかしながら、「男女の友情は成立するか否か」といった無謀な問答が昔からある限り、創造性のない頭ゆるゆる性欲しかない人間が再生産されるだけだ。それらを認めるところから整備を始めなければいけないとこ、性欲のみに従いたいと惰性貪り努力せず「愛される」「愛されたい」などといった耳障りのいい言葉に挿げ替える。今度は若年層に「死」「サディズム」への意識とミックスして新たな創作に刺激的な味付けをし、植え付けようとする。
今度は性欲という本能を封殺し、死生観をメインにする。はたまた嫉妬恨み等負の感情を引き出させる。一体何が見えてくるのか。
ちなみに地獄でなぜ悪いとチェンソーマンの暴力狂気は似ている。いずれにしても破滅が好きだ。ファッション破滅。
ここまで書いてクソどうでも良くなった。どうせこんな文章書いたって二番煎じどころじゃねーわ。
あーーーー醜いきしょい俺もお前らも。
Xを眺めていたら、マガポケで連載が始まった「阿武ノーマル」なる漫画の宣伝ポストが目に留まった。
1話が全文読めるようになっていたので、なんとなく気になって読んでみた。マジギレした。
キレすぎてお気持ち長文を書かずにはいられない気持ちになったので、マガポケアプリに登録・課金して2話(最新話)も読んだ(良いお客さん)。
その結果、マジギレするのは第1話のみにとどめることにした。
ここからお気持ちを語っていきたいと思う。ネタバレしかないので、よかったらXなりなんなりで検索して第1話を読んでみてほしい(これが炎上マーケティングなのか?)
まず結論から言うと、「主人公・阿武を明確に発達障害者(自閉症スペクトラム障害・ASDの特性を持った人物)として設定した上で、彼女を不気味で不可解な『アブノーマル』のように描く作劇に、発達障害者として気分を害した」ということである。
作中で「普通」代表のように描かれる阿武の先輩・相田は、学生時代の阿武を次のように表現する。
「阿武英子は単純構造だ/ぶっきらぼう/思った事をすぐ口に出す/人の事を全く考えない/要するに阿武英子は空っぽ人間だ」
ひどいdisられようである。まあdisの内容はASDあるあるだから置いておくとしても、「要するに」の後が全く要せてない気がする。
上記のdisの内容は端的に言えば「コミュニケーション力に欠ける」という点に集約されるのだが、つまり「コミュ障は空っぽ人間」ということになる。
本当にそうだろうか? 私にはそうは思えない。コミュニケーションが取れずに相手に何も伝わらなければ空っぽも同じという意味なのだろうか?
同様に、大人になった阿武が相田に就職先の斡旋を頼むシーンでは、相田は阿武のASD的な行動パターン(感情を無視して問題解決のみを意識する、情緒的な交流ができない)を「思想がない」と指摘する。
これも解せない。相田にとって「思想」とは、なんらかの理念や行動原理を意味する単語ではなく「感情を伴う対人交流によって育まれるコンテクスト」程度の意味合いのワードなのだろうか? だとすれば私の考える「思想」との乖離がかなり大きい。
(もっとも、第2話を読んだ後は、相田のこのような価値観もまた一つの「アブノーマル」として相対化される可能性はあるのかもしれない、と感じている。もしかしたら今作は、色々な登場人物の「アブノーマルさ」を戯画化しつつ「普通」という概念を相対化していく、いわば「普通じゃないは普通だよ」的な方向に進むのかもしれない。とはいえ、無料で読める第1話だけが拡散されていく可能性は高いと思うので、本稿では1話のみに絞ってマジギレしていく)。
そして、セリフでの表現以上に腹立たしかったのが、阿武の「偽物訓練」に端を発した「普通」になるための行動の描かれ方(演出)だ。
「書き物の殺人鬼」のような笑顔しか作れなかった阿武は、「普通のOL」を演じるために、同僚の榊原と相田の会話を録音して分析し、コミュニケーションのパターンを学習しようとしている。また、「変わってる」と言われたことで「何がどう変わっているのか」を確認するため榊原に矢継ぎ早に質問する(はたから見れば詰問だったが)。
これらは漫画的に誇張された行動ではあるが、私を含めたASD者は大なり小なり阿武と同じような方法で「普通」になろうとしている。
他者の会話を聞いてパターンを覚え、それを真似することで「当たり障りのないコミュニケーション」のストックを増やそうとすることも、曖昧な指摘が分からず詳しく具体的に説明してもらおうとする(そうして欲しいなと思う)ことも、私からしてみれば「当たり前の生存戦略」であり、決して「サイコな行動」ではないのだ。
にもかかわらず、上記のシーンは非常にホラー的な演出でもって描かれている。阿武の「アブノーマルさ」を浮き彫りにしようとする意図が感じられ、ASD者としては自分が必死にやっていることを「あなたたちの行動はこんなにホラーなんですよw」と茶化されている気分になってしまった。
(ちなみに、これらの行動が、作中冒頭の「死んだ金魚を食べてみる」描写と同列に扱われているのも極めて遺憾だ。一方で、後から読み返すと「どんなに『普通』を演じても、どうしても定型発達者とは異なる発想になってしまう」という悲哀が感じられるシーンでもあるような気もする)
そして、私が本編以上にキレているのが、この作品の「売り出し方」というかパッケージングの仕方?である。
「阿武英子、29歳、独身、彼氏なし。ものごとの価値基準は「普通」か否か。「普通」に固執するあまり、彼女を取り巻く人間関係が綻び始める。「普通」とは何か、「異常」とは何か、人の倫理を問う戦慄&衝撃の新感覚サイコ・サスペンス、開幕!!」
とある。
先述の通り、第2話、第3話以降の展開によっては、これは単にさまざまな「アブノーマル」なキャラクターによる群像劇ですよ、くらいの意味合いの表現なのかもしれないが、1話時点だと「阿武がいかにサイコな人間か」が焦点になっていると読まれても仕方ない書きぶりだと思う。阿武のような発達障害(の特性を持つ)人間が「普通」になる≒社会に適応するために散々努力していることを「サイコ・サスペンス」扱いされてはたまったものではない。
また、「「普通」に固執する」ということに関しても一言言いたい。これはASDの特性の一つ「こだわりの強さ」で説明できる部分ではあると思うが、私はそれ以上の意味を見出してしまった。あえてクソデカ主語で言うが、発達障害者にとって「普通」という概念は「喉から手が出るほど欲しいけど、決して手に入らないもの」だからだ。
転職する(≒社会に適応する)ために、相田から「普通」に溶け込む方法を学び始めた時から、阿武にとって「普通」になることは至上命題になっている。「普通」でなければ社会には適応できない、というメッセージを、現代日本社会に生きる私たちは物心つく前から嫌というほど浴び続けている。だが、発達障害のそもそもの定義が「脳の発達の偏り方が非定型的(=普通じゃない)」である以上、発達障害者は「普通ではない」。だから社会に適応するのが難しい。頑張って「普通」を演じることができても、素の自分は決して「普通」にはなれないし、少し気を抜いただけで「アブノーマル」な本性が漏れてしまう。
少なくとも私にとっては、「普通」になりたいと願うのは至極当たり前のことだし、そのために自分なりに努力している阿武に共感こそすれ「サイコw w w w」などと嗤うことは絶対できない。できないし、そういう感想を見ると少し悲しくなってしまう(これは私が勝手に悲しくなってるだけなのでそういう感想を書くなという話ではないです)。
以上、本当に長々とお気持ちを表明してしまった。こういうことをしてしまう時点で私が「アブノーマル」なのは証明されていると思うが、それでも書かずにはいられなかった。対戦ありがとうございました。
もちろん私も感染させられた。喉と陰部に。
喉はめちゃくちゃ辛かった。なんか喉全体が真っ白に腫れてた。ツバを飲み込むのすら激痛。何日かして治まったからその時受診はしなかった。
そこで喉が痛んだのか、それ以降声が少ししわがれたまま戻らない。陰部は無症状だった。
ちなみに、週3〜4でセックスしていた。彼からの誘いを断ったことは一度もなかった。アブノーマルなプレイも極力応えた。
将来の話もしていた。
男はそんなもん、それくらい普通って言う人が多いかも知れない。
様々な感染症のリスクが多い。現に彼はうつされた。そして何の罪もない私にまで。
怪しいと思った時、彼を問いただした。
「行ってないよ」
もし信じていたら私は陰部の感染に気付かず、体内で菌が広がって、もっと酷いことになっていたかも知れない。不妊になっていた可能性も十分にある。そんな目に遭わされる謂れはない。
不特定多数と性行為をする人たちとの危険な性行為は、そういうリスクが高いのは当たり前のはず。
「それくらい普通」「男なら仕方ない」のだろうか。女は、男と付き合う限りは不妊にさせられるリスクやあらゆる感染症に感染させられるリスクも受け入れなきゃいけないのかな。
でも、パートナーがいるなら話は違う。勝手な個人の好奇心や性欲で、人様の身体を危険に晒すなんて、男がどうこう以前に人として異常だと思う。
今日検体を出して結果が出るまでに感染していたら、次の検査日まで感染させ放題。
そういえば彼は抗生剤だかなんだかを個人輸入して通っていた。リスク回避したつもりだったのだろうか。あらゆる病気・何もかもをそのお薬で完璧に防げたつもりだったのだろうか。本気でそう思っていたら頭が悪すぎる。抗生剤は予防薬ではないし。頭が悪い。
まぁつまり、何も考えていなかったのだろうね。
不特定多数の女性とセックスがしたい男性の気持ちがあることは仕方ない。
というか私だって、もっとセックスが上手な人とした方が肉体的な満足度は高いし、性欲を存分に満たすことだけを考えたら彼じゃない。でもしない。しなかった。性欲を満たすことだけを考えて生きていないし、自分の危険はもちろん、彼を裏切りたくないし、普通良くないとされてることをやってしまえる倫理観は無いから。性別の問題じゃなくて品性の問題な気がする。
「もし逆の立場で、君が他の男とセックスしていたり、過去に風俗嬢だったって分かったら俺なら耐えられなくて別れてるから、今の君のツラさは理解できない」と言われた。ちょっとよく分からなかった。過去も許さないお前が今何してくれてんの。まず謝れ。
じゃあ感情的な方。
「俺だったら耐えられない」
だって。
もし「風俗は浮気じゃない。行くことが悪いとは全く思わない」という価値観の彼だったら、納得した。「あぁそっち側の人なのね」と。
でも「俺だったら耐えられない」んだって。
だって昔からの男友達や同期とご飯行ったり連絡取ることすら嫌がってたもんね。男友達との関わりは控えた。
それからしばらくは無だった。「一切許していない」とは伝えていた。
私を裏切った彼の手を触る気にならず手も繋げなくて、キスもできなかった。
「最近そっちから手を繋いでくれない!キスしてくれない!何で?!」とふくれた彼を見た時の感情はうまく表現できない。
畑をぐちゃぐちゃに荒らしておいて、「傷のない健康で良い野菜を食わせろ」と言ってるようなもんだよなぁと思った。まず、犯人のあなたが率先して畑の復興作業を手伝って下さい。膨大すぎて1人じゃ無理です。
別れたくないと言う彼に、「私が仕事中にそういうことをされていたから、仕事中は不安。なるべく連絡するようにしてほしい」と言ったら「それは無理」なんだって。
彼に、「君から好かれていると思えない」と言われた。
こっちのセリフだよ〜
気が合うし見た目もタイプだし我ながら付き合えることになったのは奇跡的だったと今でも思う。
それは彼女は非常に性欲が強かったのだ。
毎日2回以上はオナニーしていたぐらい性欲がありヤりたい盛りだった俺は当然のようにヤりまくった。
あれから10年以上経ちさすがに自分の性欲が減退してきた。セックスレスにはなってないがさすがに回数が減ってきた。
彼女は今では嫁となったが性欲は衰えることなく今でも非常に強いままである。
お互いが許容できるアブノーマルなプレイも一通り行ったし新たにやるようなこともない。
嫁はオナニーグッズを購入し時おり1人で致して性欲を解消しているのだが、