女性が長命なのは日本だけなの?マジで?ソースは?と、聞きたくなる。
超常現象肯定派の闇のナビゲーターと、否定派の光のナビゲーターが議論するんだけど、闇が毎回一方的に論破されてかわいそう。
よく心が折れないなと思うくらい毎回議論をふっかけては論破されてるの。
たまには闇にも勝たせてあげてほしい。
超超超久しぶりのダイ・ハード
テレビでやってたのを録画して見た
野沢那智さんの声がなつかしすぎた
でもちょっと吹き替え演技がクドいなあと感じてしまったのは過去を美化しすぎなだけかな・・・
サイバーテロだからマクレーンの活躍シーンないんじゃ・・・と思ったら、なんか無理やり活躍シーン作ってる感じだった
印象的だったのはマクレーンがやたら義理堅くお礼を言うシーンが多かったところ
今回は自分のちからが全然及ばなくて、いろんなハッカーのちから借りてたって意識があったからだと思うけど、手伝ってもらってちゃんとありがとうって伝えてるところが妙に律儀でなんかおかしかった
これはあくまでも一つの可能性だし、私の勝手な憶測で書いていくが、あの事件は拡大自殺なのではないか。
植松容疑者が措置入院していたということは、精神障害なり精神病があったと医者から診断されたわけだ。そのとき彼は何を思っただろうか。
「障害者は死んだほうがいい」という思想を貫徹するためには、まず自分自身が死ななければならないのだ。彼は「それならば死刑になって死んでやる!」と考え、その自殺願望が犯行動機になったのかもしれない。
ところで、話はすこしズレてしまうが、政府の対策会議では再発防止策に「措置入院の見直し」が挙げられている。これは安倍首相がじきじきに提言していたし、読売新聞も社説でそのような主張をしていた。
私は見直しの是非について論じることはできないが、「措置入院をさせられたことこそが犯行動機だったのでは?」という可能性を思い浮かべてしまった。
措置入院は、確かにやむをえない処置ではあるかもしれない。けれども、犯罪をやりそうな者を予防拘禁するという部分もある。あれがまちがいなく人権制限であり、それを受ける側にとっては大きな負担だということを忘れてはならない。
昔の時代みたいに精神病院の環境が極めて劣悪だったり、患者への虐待が横行しているというようなことは、現代ではさすがに減ったと思う。しかし、監視カメラつきの病室に24時間施錠されて閉じ込められること、そして強制的に治療をされるということが当人にとっては苦痛以外の何物でもないであろう。そのような経験をした人が何を考えるかと言えば、それが原因となってかえって社会への絶望と憎しみを募らせることだってありえるのだ。
また、「措置入院」というのがスティグマになっている可能性もある。措置入院の過去がある人に対して社会は偏見を向けるが、植松容疑者もその偏見を信じこんで、「俺はどうせキチガイだし人間失格なんだ」という自暴自棄な気持ちになったかもしれない。(彼はもとから障害者差別をする傾向をもっていたのだから、それがめぐりめぐって自分自身に向くことも容易だったであろう)
今となっては結果論でしか語ることはできないが、もし措置入院ではなく、大麻所持、殺人予告などでさっさと逮捕し、それを刑事事件として粛々と処罰しておけばどうだったろうかと想像してみたい。
そしてそれと同時に、精神科やカウンセリングの受診の方はもうすこし本人の自由意思を尊重し、措置入院のような絶対強制とは違った形でやらせていたらどうだったろうか?
その場合、上述のような問題は発生しないから、植松容疑者があのような凶行に及ぶことを抑制できたかもしれない。
支持してる人(投票に行くだけ)という立場からコメントするけど
今後災害が起きたら自衛隊を活用するということは両立すると思ってる。
両立しないことにしたい人も多いけどね。
ていうか世界書き換えって一生物のなせることなのですかみたいな感じ。
これって全人類の記憶だけが書き換えられてるのかな、それとも歴史ごと書き換えられてるのかな。
記憶だけが書き換えられてるんだったら、レムの部屋にものがないことの説明がつかないし、
歴史ごと書き換えられてるんだろうか。
スバルのオットーさんに対する印象がたぶん最悪な感じになってそうだけど、
これ次のループとかで協力したりもうしないのかな。
それともあえて協力して、スバルの精神的成長を見せる要素として使われるのだろうか。
「なんでそんな苦しそうに泣いてるの」と言うエミリアさんが……。
これはまさしく彼女の言うとおり、信じようとしている、理解しようとしているというそれによってなされたものだと感じる。
単に優しいとか寛容だとかそれだけでは、こんなことは到底できないだろうと思える。
ベアトリスさんは何か知っているのだろうか。気になる。
来週明らかになってくるんだろうけど。
来週も楽しみ。
そうかぁ? 別に仕事や働いてる人を馬鹿にしたようなのはそんなに目につかないし、相手にする必要ないと思うけどな。
それはさておき、物価は安くなってても時給1000円が高いと思えないのは事実だよ。世代にもよるだろうけど家賃が高いしね。
寧ろ俺は年収4桁万とかの「頑張りが足らないから」みたいのの方が嫌だな。
不動産持って不労所得もあってコネ使って仕事独占して、人を使う立場の連中が労働者の時給は上げないワケじゃん? 安いって言わないとダメでしょ。
これ言うと税金が高いとか福祉医療費が高いとか言い返されるんだけどさ、「日本でタックスヘイブンしてる企業や金持ちなんかいない」って言ってたよね?
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/262165
リンク踏む人って少ないらしいけど、これはぜひ目を通して欲しいなぁ。
……おかしいでしょ? どう考えても。
親以外には素直に感謝できるよ。さすがに最近は誕生日パーティーするような歳じゃなくなってきたけど、昔は友達の誕生日を祝ったりするのも好きだったし。親にも感謝がゼロって訳じゃないんだけど感謝以外のいろんなな感情もあるせいで素直に感謝、とはいかないんだよね
本作も庵野作品らしく、元ネタからテーマを考えると分かりやすい。以下、元ネタと目される作品・事件との比較から本作のテーマを考える。
http://anond.hatelabo.jp/20160731121447
『シン・ゴジラ』は『日本のいちばん長い日』から多大な影響を受けている。激しいカット割りは岡本喜八作品の特徴そのものであるし、日本が重大な危機に直面した際に、どう対応するのかということを題材としている点でも同一である。
しかし、そこで描かれるテーマは異なる。『日本のいちばん長い日』はポツダム宣言受諾を目前に、原爆を2発落とされておきながら、なお利権争いを続ける官僚・政治家の醜悪さが描かれる。そこでは官僚・政治家が一丸となって事態に対処するという姿勢は見られず、最終的な解決は天皇が”ただ独りで”下した「御聖断」によってつけられる。
他方、『シン・ゴジラ』では、責任逃れのために策謀を凝らす政治家・官僚が現れたりはするものの、官僚・政治家・科学者(+ドイツ・中国・米軍)が”一丸となって”ゴジラの問題に対処する。そこには、どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる、というポジティブなメッセージがある。
『シン・ゴジラ』のストーリー展開は『エヴァ/ヱヴァ』におけるラミエル戦とそっくりである。すなわち、『エヴァ/ヱヴァ』においては使徒ラミエルを倒すために全国の発電所および送電車が動員され、日本国が一丸となって協力する姿が描かれる。『シン・ゴジラ』においてはゴジラを倒すために全国のプラントおよび化学工場が動員される。
『エヴァ/ヱヴァ』においては、こうした戦いを通じて主人公シンジ君が生きる意味を見出す過程が描かれる。父に捨てられた経験から生きる意味を見失っていたシンジ君は、エヴァに乗って世界を救うことが自分の使命であると自覚していくのだ。
しかし、シンジ君はその後、使徒レリエルとの戦いの過程で、自分が乗っているエヴァがとんでもない化け物であることに気付きはじめ、続くバルディエル戦で親友トウジに重傷を負わせる(漫画版では殺害)に至って、生きる意味を完全に見失う。
そこで描かれるのは「みんなで協力して事態に対処したところでそれらは全く無意味である」というかなりニヒリスティックな結論である。
他方、『シン・ゴジラ』においてはこうしたひねくれたストーリー展開はないため、「みんなが一丸となって協力すれば危機を乗り切れる」というポジティブな結論になっている。
『シン・ゴジラ』においては初代ゴジラをリスペクトすることが明言され、ゴジラのデザインやストーリーに初代ゴジラの影響があることがしばしばインタビューなどで語られている。
『ゴジラ』のテーマの1つは、当時問題となっていた第五福竜丸事件を背景とする、反核兵器の思想である。ゴジラは水爆実験の影響で出現し、東京でゴジラがまき散らした放射線は罪のない児童にまで及んだという描写からこれがうかがえる。
他方、『シン・ゴジラ』でも核及び原子力問題がテーマとされている。ゴジラは海中に投棄された核廃棄物を喰らったことで東京に出現し、原子力エネルギーによって動いている。
しかし、『シン・ゴジラ』ではこの問題に対する姿勢はもう少し複雑なものとなっている。
まず、①原子力で動くゴジラの破壊力はすさまじく、東京は一瞬で火の海にされてしまう。他方、②ゴジラがまき散らす放射線による被害は小さいとされ、③ゴジラのエネルギー源の研究を進めれば現行の原子力発電よりもより安全でクリーンなエネルギーを調達することができることも示唆される。作中ではこのゴジラの2面性を評して「ゴジラは神の化身にして、人類に福音をもたらすもの」とも言われる。
しかし他方で、④国連安保理による核兵器投下はきわめて否定的に描かれる。
ここには、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」というメッセージがうかがえる。
以上の検討から、『シン・ゴジラ』のテーマは、「どんな重大な危機でも、みんなが一丸となって理性を行使すれば必ず解決できる」ということと、「核兵器の使用には断固として反対するが、原子力の活用については現実的に考えなくてはならない」という点にある。
◇「私は好きにした。君らも好きにしろ。」は岡本喜八監督から庵野監督へのメッセージ(牧吾郎の写真に岡本喜八監督の写真を採用したのはこのせい)。「この国で好きを通すのは難しい」はこれに対する庵野監督の回答。現代における作品作りの難しさを言っている。
これを踏まえてラストの「そろそろ好きにしたらどうでしょうか」を聞くと趣深い。すなわち、『シン・ゴジラ』は、色々な制約(予算やオールドファンの批判)で自分の好きに映画を作れない監督が、それでも俺は好きな映画を作るんだ!という映画である。結局、TV版の『新世紀エヴァンゲリオン』のラストと同様、フェリーニの『8 1/2』と同じ結論になる。
◇ラスト、血液凝固剤を流し込むシーンは、一見バカバカしいと思ってしまうが、福島第一原発にコンクリートを流し込むという形で実際にやったこと。
◇ラスト、ゴジラは死には至らず、凍結されるにとどまるが、これは同じく凍結状態にある福島第一原発を模している。今後も対処を続けないと、とんでもないことになるよ、という暗喩か。
(1) 孤独な男(シンジ・牧吾郎)が、強大な力(13号機・ゴジラ)を手にして事件を引き起こす。
(2) 危機に対応するのが現実主義的な集団(ゴジラ討滅のために核の使用も辞さない人類・エヴァ殲滅のために初号機を主機として使用するヴィレ)である。
すなわち、両者ともに、危機に対する現実主義的な対応を描いている。トーンの明暗を分けたのは、視点を孤独な男(シンジ)サイドに置くか、現実主義的な集団(日本政府)に置くか、の違い。
妻を放射線で亡くしたことで反原発思想になった結果、日本の学界を追放されてアメリカへ。
国民の生活や命よりカネを優先して原発開発を続ける日本に報復するために、核エネルギーで動くゴジラを出現させた。
その結果、①多数の東京都民が疎開により生活拠点を奪われ、②いつ復活して再び惨禍をもたらすか分からない凍結ゴジラが都のど真ん中に鎮座してしまった。