2015年06月22日の日記

2015-06-22

過去恋愛話はタブーじゃないの?

昔の彼氏との思い出なんか聞きたくない。

苦言呈したら逆に怒られた。

その彼がいなかったら今のあなたはいないかもしれない。それはわかる。

だけど、そのストーリーをいちいち教えないで欲しい。

嫉妬しすぎだろうか。心狭いだろうか。

http://anond.hatelabo.jp/20150621012848

いやだから求職者って求職先の企業に対しては消費者じゃないでしょ、って話なんだけど…

関係はともかく、少なくとも一緒に仕事をするかどうか互いに考えるという点においては対等なんだよ。どの程度身銭を切って心尽しをするか、企業によって差はあるが義務じゃねえよ。

金払ってサービスを受ける関係だったらもちろんクレームするわ

http://anond.hatelabo.jp/20150622231008

餓鬼道であってる。

今じゃなくて死んだ後飢える。餓鬼になる。

ファンサ嫌いがファンサ厨になるまで

私が好きなジャニーズアイドルが出演するコンサートには「ファンサ」という文化がある。

それは「ファンサービス」の略で、ステージ上のアイドルがファンに、例えば手を振ったり、指差したり、投げキスしたり等の"サービス"を行うことを言う。

(ちなみに、この「ファンサ」は特定の個人に向けられる仕草を指す言葉で、辺り一帯のファンに向けたお手振りなどは「空気ファンサ」「エアファンサ」などと呼ばれ、ありがたみが一段どころか十段くらい落ちたものとされている。)

ジャニーズコンサートと言ってもベテランから若手まで色々だけれど、このファンサ文化は色濃いものらしく、どのグループにも必ずと言っていいほどファンサをするための時間セットリストに組み込まれている。

それは大体アイドルトロッコに乗って会場のファンの座席近くを移動する曲のときで、トロッコに乗ったアイドルは目の前を流れるファンに、手を振ったり、指差したり、投げキスしたりする。

ツアー名に自分たちグループ名を冠したデビュー組は、会場全部のファンを楽しませなくてはいけない(という建前)に対し、先輩グループの後ろで踊るジャニーズJr.は、自分のファンを増やすきっかけの一つとして積極的にファンサを行う。

…と言うのが、本題に入る前の「ファンサ」のざっくりとした説明。

本題は、「アイドルにファンサを求めるファンを心底バカにしていた自分がファンサを求めるようになってしまう」までの心境の変化だ。

これまで私は、コンサートにファンサを求めるファン(いわゆる「ファンサ厨」)に対して、

構ってもらえれば誰でも良くて大してそのアイドルのこと好きじゃないんだろ、

他のJr.に手厚いファンサもらったらさっさとファン鞍替えするんだろ、

薄情なやつらめ、と思ってバカにしていた。

コンサートでファンサを第一に求めるなんて彼らのパフォーマンスの足引っ張ってるようなものじゃないか、なんて憎々しくも思っていた。

自分は、ファンサなんてもらえなくても良い、ステージで精一杯ダンスしてるアイドルを見ているだけで充分幸せだし、誰かにファンサ貰ったからってサクッとファン止めるとか絶対ない。自分こそが"正しい"ファンだと思っていた。

から、私はコンサートでもアイドル名前が書いてある団扇は持つけど、「○○して」という要望を書いた「ファンサ団扇」的なものは持たなかった。

自分こそが"正しい"ファンだと思っ(ry

そんな私が変わったのは今年の春。

好きなアイドルジャニヲタ的に言うと自分担当するアイドル自担、が出演するコンサートツアーが始まった。

今まではチケットが当たった席でコンサートを観ていたけれど、せっかくのコンサートツアーなんだから自担がよく見える席に座りたい!と決意を新たにして、ここぞと思う場所を選んでチケットを手に入れるようになった。(チケットを定価以上で買っている時点で一般社会を生きる人間として一線堕ちたとも言える。)

自担がよく見える席とは、すなわち自担の視界に入ることのできる席でもあるので、だいたい公演の度に自担が私の団扇を見つけると、「あ、気づいてくれてる」と私が実感することのできる反応が貰えた。もちろん、それは私個人を認識しているわけではなくて、自分名前団扇を持ったファンがいるな、という反応だけれども。

でもこれまでのコンサートでは、自担に気づいてもらうなんて発想はまったく無かったから、「こっち見てる!!!」って実感する衝撃はとても大きかった。

ファンサが手厚いアイドルお手振り差し投げキスに留まらず、エアハグとかエア壁ドンとかファンと2人で指でハート作ったりとかetc、もはやファンサ自体も一つの見せ場であるかのように張り切って色々見せてくれるので、そういうのに慣れている人から見れば私が喜んだ自担のファンサなんてファンサとも言えない仕草かもしれないけれど、でも喩えようのない嬉しさだった。

コンサート自担団扇を持ち、それに自担が気づいてくれる。

それは華やかなステージ上のパフォーマンスと同等か、それ以上の興奮で。

全国に何万人いるかからないファンの一人でしかない私だけど、自担に私が応援しているということを知ってもらえる嬉しさ、あなたのファンがここにいると分かってもらえる喜びは、自己満足だけど抜け出せない快感で。

そのおかげで、今春のコンサートツアー概要ほとんど覚えていない。

いつ自担が私の方を見てくれるか分からないから自担視線から目を離せない。○○くんがバク転したというレポートを読んでも、そのバク転が会場の視線を集めている内にもしかしたら自担はこっち見てるかもしれないなんて思ったらよそ見なんてできない。豪華なステージセットも、今話題Jr.活躍も、迫力ある大人数でのダンスも、全部観れてない。自担視線しか追ってない。

果たして、こんなんでツアーを楽しんでいると言えるのか?

これは"正しいファン"と言えるのか?と疑問が浮かぶようになった頃。

自担に干された。

「干され」とは、わざと自担にファンサしてもらえなかったの意で、私のように自担が私個人を認識していない状況ではわざとも何もないので、厳密に言えば「干され」と言うより、きっとただ単に気づいてもらえなかっただけなのだが、福岡横浜もほぼ同じ席入って反応くれていたことを踏まえるとショックだった。

そして、自担に反応貰えたかどうかがコンサート満足度に影響するようになったことを自覚した。

ただ平穏パフォーマンスを観て自担のかっこよさに感動していた今までの自分とは違ってしまっていた。

もう"正しいファン"ではなくなっていた。

自担も、コンサートに出演している皆も、一回一回の公演に全力で臨んでる。

その努力と熱意のステージを目の当たりにしてもなお、自担が私に気づいてくれなかっただけで、そのコンサートは色褪せてしまう。

自担の気まぐれとサービスである「ファンサ」を何よりも望んでしまう。

これは、自分が何より馬鹿にしていた「ファンサ厨」ではないのか。

「○○して」というファンサ団扇を持たないことで自分はファンサばかり求めるファンとは違うと自負していたが、心の中では誰よりも「自担こっち見て!気づいて!何かファンサして!」と念じて会場に突っ立っている自分は立派な「ファンサ厨」ではないのか。

アイドルグループとしてどんなステージを魅せてくれるのか」よりも「自担が私にどんな反応をくれるのか」なんていう些細でちっぽけなことが自分の中で重要になっていく。

アイドルヲタクなんて、アイドルの夢に乗っかってばかりの自己満足しかないけど、それにしても自己満足自己完結過ぎる。私のファンサ欲を満たした所で自担の道はどこにも繋がらない。自担の道はファンサとは別の場所にあるべきだ。でも、私はファンサが欲しい…。

というファンサ沼に腰まで浸かったところで、ファンサに溺れて初めて気づいた悩みの種がもう一つ。

コンサートツアーで今まで反応を貰えてたのに初めて干されたことで、「応援すれば自担は喜んでくれる」という今まで信じてきたことが揺らいでしまった。もしかしたら、毎公演の様に視界にねじまれる私の団扇自担にとって気持ち悪いものではないのか。自信を持って作り上げるコンサートは一人でも多くのファンに観てもらいたいのに、なんで同じ奴ばっかなんだよ!って憤っていないとも限らない…そう思うと、足がすくんだ。

もし次の公演でまた反応もらえれば「毎回同じような反応を求めるのは贅沢だし、スルーされる時もあるよね」と前向きに思えるけど、次も干されたら、「やっぱり私の応援は必要とされてないんだ!」って気持ちがメキメキ大きくなって、これまで通りに自担を応援できなくなってしまう。

コンサート披露されるパフォーマンスも、自担視線という局所的にしか楽しめなくなってしまうと同時に、自担に干されたら即ち自担は私の応援なんて必要としていないんだぁぁぁわぁぁぁん的な袋小路に突っ走ってしまう私は、きっとファンサなんて知らなかった頃より地雷が多いし、コンサートを楽しめてない。"正しいファン"が聞いて呆れる。

たった半年前までは、ファンサ厨は自分幸せしか考えてないからファンとしての質が低い、くらい思って見下していたのに、自分がファンサを貰ったらその魅力にあっさり堕ちた。

そんな自分をとても情けなく思うし、この先ファンサを貰えなければすぐ「自担にウザがられてるかも...」と疑心暗鬼になってしまうし、何より自担に気づいてもらえる席を買い続けるお金のことを考えると頭が痛い。ファンサ厨なんて自縄自縛の沼だ。

でも、もう戻れない。自分がいることを担当が気づかない席でコンサートなんか観たくない。

時間は不可逆で、自分がいることを気づいてもらえた瞬間の興奮を味わってしまったら、その瞬間が無いコンサートなんて気の抜けた炭酸だ。

こうしてファンサ厨が一人できあがりました。

雇用主の派遣会社じゃなくて派遣先になぜか文句を言う馬鹿ケン

http://anond.hatelabo.jp/20150622205638

  

これも2ちゃんねるでよく言われるけど

派遣実態として面談だの職場見学だの名目つけて

派遣先が人を取捨選別して採用可否決めたりしているしこの理屈は通用しないよな~

採用後の待遇契約更新可否もほとんど派遣先による影響が大きいし

実態として派遣社員を使っているのはどこですかと言う話

  

  

あと要求を通すときに、どこに意見言えば効果的かという話

2ちゃんねらテレビ番組ディスる時にテレビ局だけじゃなくてスポンサー企業にも突撃するのと同じ

  

ケースバイケースだけど派遣先も巻き込んで交渉した方が有利ならそうすべし

派遣ぎりとかも派遣先を巻き込んだから改善したんだから

  

  

人を長期間働かせておいて、文句は一切言われたくない。

雇用責任は全て派遣会社に押しつけたいなんてムシがよすぎる話

デモをしてるやつって暇なやつだよね、絶対

霞ヶ関で働いてるんだけど、経済産業省前で毎週ドンドンドンドン太鼓叩いている人を見る。

経産省とか財務省は下手したら終電後まで働いているのに、よくもまぁ毎週遊びにこれるよなぁと。

彼らを見ているから、僕の中ではデモをする人=暇な人 という認識

生活保護もらってそうな外見の人も多くいる。

知り合いでデモ参加趣味の人もいるけどやっぱり低収入

一度でいいから、激務なポジションについている活動家を見てみたい。

タコって呼ばれて怒る人っているんだろうか。

ていうかタコってどういう意味で言ってるんだろう。

おれはイカよりタコ派だし、別に悪い気はしないけどなあ。

イカ呼ばわりされたらそりゃイカるけど。

気づいてほしい

プライベートには踏み込まず、皆適度に距離を保って淡々としている職場に、新しく入社してきた人。

結婚しているのとかどこの保育園に通っているのだとか、プライベートなことを

躊躇なく聞いてきて、戸惑っている。

そういう話したくないんだけど、と言ってしまうと角が立ちそうで、

でも必要以上にコミュニケーション取りたくないと思っている自分がいる。

ここの職場では誰もそういう話をしていないのだから、気づいてもらえないものだろうか。

察してちゃんな自分が残念だ。どうしていいか分からない。

割り箸に爪楊枝は付けないでほしい

コンビニ弁当カップ麺買う時にくれる割り箸ね。

いや、必要な人もいるかもしれないけど、せめて爪楊枝無しの割り箸を選べるようにしてほしい。

理由は怪我をするから。捨てるとき、そのまま捨てても折って捨てても、紙袋ビニール袋を圧縮するとき破って飛び出てきて、自分が怪我をするかもしれないし、清掃員や子供が怪我をするかもしれない。

製造現場でも爪楊枝を入れる工程を無くせばもっと効率的になるし。

なんで爪楊枝入ってるのが基本なの?

第一、あれ、何に使うの?歯茎が痩せてスキッパになったオジンやオバンがカスを取ってる汚いイメージしかないし。

意味わからんわ。

知らない人からTwitterめっちゃフォローされて怖い

大したこと書いてない俺のTwitterが、ここ3カ月ほどで15人くらいにぼつぼフォローされてる

今まで妹しかフォローしてくれなかったのに

誰に監視されて陥れられようとしているのかこわい

http://anond.hatelabo.jp/20150622221341

まあそこからスタートして、持つ者は持つことによる限界を、持たざる者は持たざることによる限界を、智恵と努力で克服しようとする姿勢と営みが人間本質だよね。

人間とか言ったって所詮動物の端くれで、原始的な力の支配下にあるんだから、神のような崇高な精神の中にあるのが人間、みたいな思考は、人間だと勘違いしてる飼い犬のように滑稽で愚かしいわ。

でもまあ、だからこそ愚かな人間は愛くるしいんだけども。愚かな犬コロのように。

不満と嫌悪と怒りの中にこそ、嗜癖することを耐え難い刺激が存在することに、気付かずとも本能が反応するからこそ、犬コロ達は引き寄せられるように憤懣と戯れる。

6月21日京都デモに思うこと。

昨日、とある映画を見に街中へと出掛けた際デモに遭遇した。

恐らくいつも通り円山公園から出発して四条を通り河原町を上がっていくのだろう。

ゴールは三条大橋下かあるいは市役所前広場辺りか。子供の頃から見慣れた光景だ。

彼らの主張する内容もまた聞き慣れたもので、戦争反対安倍辞めろ、その他諸々、駅前毎日共産党が叫んでいることと大して変わらない。

変わることと言えばやたらポップな雰囲気を醸し出していることといつにも増して大人数であることくらいで、四条河原町を封鎖して市民の足であるバスの往来が出来なくなるのも、外国人観光客が興味深げに写真を撮るのも普段と同じである

その点だけ抜き出せば祇園祭とそう変わりはなく、この形態があと1100年ぐらい続けば時の京都市伝統無形文化遺産として指定するかもしれない。

それはそうとして。

実際、彼らが主張すること自体に対しては何の不満もない。

そもそも言論の自由は何人にも保証されており、彼らの口を封じようとする勢力とは断固として戦わねばならない。

僕個人としても立憲主義プロセス無視しようとする現政権に対する不信感は非常に強いし、安倍晋三という政治屋ボンボン三代目がまともな政治家であるとも思わない。

しかし。

しかし、である

果たしてこの現代版踊り念仏政治指向を持たない人々の心に響くかどうかは怪しいと言わざるを得ない。

理由は簡単だ。

迷惑」と「聞き飽きた」。

京都市民の足はバス(と自転車)である

ただでさえ混雑していた四条行政の手で更に渋滞するよう作り替えられたのは記憶に新しいが、それに加えてデモによる道路封鎖が起こると四条だけでなく烏丸川端、果ては堀川辺りまで波及する。

この事を「迷惑」と感じる京都人は実際多い。

『主張しはんのは勝手やけどせっかくの休みやのに他人負担掛けてまでやらんといて』と。

その時点で彼らの耳に主張は届かなくなるのだ。

これが良いことであるとは僕には到底思えない。

重要なのは政権批判のものではなく、政権批判を行う仲間をいかに増やすか、であるはずだ。

左派には民主主義国民主権叫びながら国民主権があることを忘れて政権のものと戦おうとする人が多く、その点ではいわゆるネトウヨの方がむしろ主権者たる国民に向けて語っているのではないかとさえ思う。

『○○人はこんな悪事を働いてる!』というのは政権ではなく民衆に向けられた言葉だ。

この違いこそ日本リベラルと呼ばれる勢力が弱い理由だと僕は考える。

だがこれはやり方次第で解決できる問題であるとも言える。

より深刻なのは「聞き飽きた」ということだ。

ご存じの通り京都共産党が強固な地盤を持っている。

彼らは先述のようによく政権批判演説を行っているがこれがむしろデモの主張を陳腐化させているように思える。

またこの手の奴か、と。

普段から聞き慣れた言説に『多くの人が集まっているから』という理由だけで耳を貸す人間がどれだけいるだろうか。

これが大人しい田舎なら話は別だ。

ただ大規模なデモを行えばそれだけである程度衆目を集められるだろう。

しかしここは京都である。1200年の都である

そんなピュア人間殆ど存在しない。

その解決策は僕にも分からないが、飽きられているのは確かだと思う。

こんな風に書くと「典型的スノッブ京都人」扱いされるのかもしれないが、今回敢えて書かせていただいた。

重ねて言うが、僕は彼らの主張にもその内容にも文句はない。

と言うより京都は一種のアジールでなければいけないし、地方サムライマチズモに由来し明治以来続く国内外に対する植民地主義に対抗する存在でなければならない、と強く思っているので、こういった主張はどんどんしてほしい。

それこそが日本の都としての使命であり矜持であってほしい。

しかし、主張する人間が自ら居場所を減らしているのではないか? と感じるのである

報道によるとこのデモ若者主催したもので、この日は2000人を超える人が集ったと言う。

彼らの心意気に敬意を表すると共に、彼らの心意気が無駄にならないことを祈る。


あぁそうそう、コラボセットは真姫ちゃんでした。やったぜ。

一年ぶりの再会

胸に液状の鉛が溜まった感覚と、吐息スピリチュアルものが混じってる感覚理解するが鬱が来た。

毎年記憶する限りでは7月くらいに来るけども、今年は体内時計が狂っているのか暑くもないのに鬱が来た。

しかった趣味も今は視界に入れたくないし、ゲームも初めて10分持たない。

歩いてるといつでもその場にしゃがみこみたくなる。

そもそもこの文章すら完結させる自信がない。

平日は仕事から帰ったらベッドの上から動けないし、休日もベッドから動けない。

理屈で割り切れるものより感情が追いつかないもの割合が増えた。

しかし今年の鬱はいつもと違うのだ。

これまでは単位とか研究とか仕事とか人間関係とか、具体的に自分を押しつぶすものがあったのに今年はそれらが全てない。

全てないとどうなるかというと、理由もないくせこれまでどおり心が苦しい。

お前どうしたいの?って自分の心に問い詰めたいけど、そんな辛く当たったら心がしょげるのでどうしようもない。

どうせ一月待っとけば躁がくるから、これまでどおりただ漫然と時間がすぎるのを待つことにしてやろう。

尿管結石と一緒だこんなもん。

http://anond.hatelabo.jp/20150620172736

最終的に主人公側が勝つ展開もお腹いっぱい

「どうせ勝つんだろ」と思ったらネタバレした状態でミステリ読んでるような気分になる

水戸黄門とかアンパンマンが根強い人気あるからそういう物語のほうがなんだかんだいって面白いんだろうけど

最終的に主人公側が負ける結末になるので面白いものってなんかないんだろうか

anond.hatelabo.jp/20150622224122

元増田リンク先にバブル前後でもそんな風潮はなかった

リクルートとかが無理やり盛り上げたものって書いてあるやん

撫でるより金

男だけど某スマホゲーのCMを見てると、女の子愛玩動物みたいに扱っているように見える。

あのゲーム世界では、女の子危険な目に合わせて、その報酬が頭を撫でるだけ。

これって割に合わなくないか?というかブラック企業と同じことしてなくないか?

自分なら「これで好きなもの買いな!」とお金を渡すかな。

そうした方が二次元の娘を人間として扱える気がする。

http://anond.hatelabo.jp/20150622224232

戦争ならなんでもいいってわけじゃない。

格差が解消できる戦争って総力戦だろ。

今やろうとしてる戦争底辺コマに使って上層部けが潤う戦争

格差解消どころか拡大する。

http://anond.hatelabo.jp/20150621205011

とっくにお役御免になってるのに「先生」「先生」呼ばれた日々が忘れられないんだよ。可哀想職種さ。教師やめると、違う分野で1から生徒として生きるか、元教師いつまでも引きずって生きるかの二つになる。

初めての家電量販店かあ。

記憶に残ってるのは、親と一緒に行って、ドラクエフラッピーを買うかで

すごい混雑した店内で迷って、結局フラッピーを買ったことだなあ。

一人で初めて行ったのはFFII買うためだったか

土曜日発売で授業終わってすぐに買いに行ったが売り切れてたんだよな。

なんか前日から売ってたって噂を聞いた記憶がある。

んで結局近所のデパートおもちゃ売り場で定価で買ったんだったな。

FFIIIも手に入らないだろうと思って近所のおもちゃ屋で予約して定価で買ったが、

たくさん作ったからかふつう量販店でも手に入ったと聞いた気がする。

メガドラ持ってなかったけどいつかファンタシースターIIはやりたいと思ってたときに、

雑誌に一回乗り換えないと行けない量販店に2,000円くらいで売ってるって情報が載ってて買に行ったけど、

売ってなかったんだよな。東口とか西口とかの店舗が違ってたんだろうか。

結局ヴァーミリオンを2,000円くらいで買って帰った。

ピケティだって戦争格差が縮小するって言ってたやん?

戦争法案だ!という批判がアホくさいのは、戦争=悪という前提で発言しているからだ。

しかし、戦争はそもそも悪なのか?戦争が悪でなければ戦争法案というレッテル張り批判足りえない。

ここで思い出されるのはピケティ資本主義の歪みが外的要因=戦争で解消されるという論である

現代日本において格差はもはや行き着くところまで来ており、この社会崩壊寸前だ。

格差によって未来を奪われた底辺層が日々絶望し、憎しみを募らせて暮らしている。

底辺層を救い、日本にかつてのような活力を取り戻させるには格差の解消=戦争しかない。

まり戦争は悪どころか、日本を救うための銀の弾丸でり、善である

もし、安倍ちゃんがやろうとしていることが憲法違反であり、戦争法案の作成であるなら、

日本人はそのことを歓迎し喜ぶべきだ。戦争けが日本を救うのだから

いやしかし、これを書いてて思ったけど、

丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター希望は、戦争

2007年に書いた赤木智弘の慧眼ぷりは半端ねえな。

当時赤木智弘を叩いてた連中はピケティに完全論破されていまどんな気持ちなんだろ。

http://anond.hatelabo.jp/20150622205638

バブルの残光があった90年代前半くらいじゃないのか。

元増田10歳くらい上の奴に聞いてみろよ。

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