はてなキーワード: 潤滑油とは
発端~一次沈静化までについては既に解説が多数あると思うので割愛。ややフランチェス子寄り。多分に推測を含む。
フランチェス子はソラノートプロデューサー梅本氏とのメールのやり取りを公表する。
当初放送の非を認めず、訴えたければ訴えればいいとまで言い放ったソラノートは、ネット上の猛バッシングを受けて態度を軟化させる。
合わせて社内で検討している処罰として、本案件総括後、私梅本の懲戒免職とそらのコト佐藤綾香の辞職となります。これらをもってフランチェス子さまの名誉回復の謝罪に代えさせていただければ考えております
この時点ではソラノートは放送によりフランチェス子の名誉を毀損したことを認めている。
両者の合意により、代理人を通して和解の方向で、水面下で話し合いが進められることになる。
東日本大震災が発生、フランチェス子は震災の影響を考慮し、3/13に予定していた代理人同士の協議を3/19に延期する。
自粛を宣言していたソラノートは3/14より業務用twitterアカウント@ksoranoにて積極的に活動を再開する。
この時点では和解に至っておらず、ケツダンポトフ公式サイト上でも自粛を宣言したままであり、協議を延期しておきながらなぜ活動を再開したのか真意は不明。
代理人による話し合いが行われる。この時点でのケツダンポトフ側の代理人はプロデューサー梅本氏である模様。
ソラノートはフランチェス子に和解の為の条件を求める。同日、フランチェス子は和解金を含む和解案をまとめソラノートに提示する。
この際、ソラノートは「視聴者に対する謝罪と、フランチェス子に対する和解は別のものとしたい」と確認を取る。フランチェス子は「当然である」と認める。
ケツダンポトフ公式サイトの更新し謝罪文を発表する。内容は「視聴者や関係者に迷惑を掛けて申し訳ない、社会への責任や意義を考え直し出直す」というもの。
ソラノートは視聴者への謝罪とフランチェス子との和解を切り分けることで、先行して視聴者に「一連の騒動への謝罪の意がある」ことをアピールし早期再開を狙ったものだと思われる。
対してフランチェス子は「被害者との和解が先にあり、それを踏まえた上で視聴者に謝罪するのが筋ではないか?」と抗議する。
ソラノート顧問弁護士である宮本督氏より「放送に法的問題はなかった、和解金を支払う道義はない。名誉毀損は撤回する」と通告。
確かにケツダンポトフの放送はフランチェス子に対する誹謗中傷を含むが、「francesco3」というハンドルネームの社会性を立証しない限り名誉毀損罪の成立は難しいと考えられる。
裁判になれば勝てるとみなし、03/06の「辞職を以って名誉回復の謝罪とする」発言を撤回、フランチェス子が求める「名誉毀損に対する謝罪/賠償」は行わない方針に切り替えたとみられる。
この時点で問題は「金額の多寡」ではなく「ソラノートがHNフランチェス子に対する誹謗中傷の責任を認めるかどうか」という話に切り替わっている。(ただしフランチェス子視線)
フランチェス子がブログにて「そらの的朝のニュースにおける個人への一方的な誹謗中傷、名誉毀損を風化させないために」として03/08以降の経緯をまとめる。
フランチェス子は協議を完全否定されたと認識し抗議しているが、そらのは「両者による協議中の段階のため答えられない」と発言し、食い違いを見せる。
ソラノートに対する批判の高まりを受けたのか、そらのは騒動に関する発言は控えるとしておきながら「誤解をされている」と発言。
それを目にしたフランチェス子は「協議を否定しておきながら協議中とはどういうことなのか?」「そらのの言う自粛、反省、謝罪、協議の意味とは何なのか?」と詰問する。
そらのは「協議中のため代理人を通せ」の一点張りで切り抜ける。誠意はミジンコほども感じない。
ケツダンポトフWebサイトのデザイナーのトミモトリエが、フランチェス子の日記に「和解金が高額のため、弁護士が和解案が不当と判断した」という趣旨のブックマークを付け、和解金の存在を暴露する。
なぜ外注のWebデザイナーが和解案の内容を認知しているのか不明。普通に考えれば第三者が私信である和解案の内容を暴露するのは常識がない。
トミモトリエはフランチェス子のやり方は一方的に有利な情報を出しネット世論を誘導するフェアではないやり方であり、フェアな議論のためには和解金の額を公開するべきだとする。
しかしフランチェス子の談が正しければ、この時点で既に問題は和解金の多寡ではなく、フランチェス子に対する名誉毀損を認めるか否かという話に変わっている。
ソラノートが和解金を支払う気がないのは金額の多寡ではなく、和解金を差し出したという事実が名誉毀損の法的責任を認めたことに繋がるからではないだろうか?
トミモトリエの言うように本当に金額の多寡のみが問題で、名誉毀損についての法的責任を認めていたならば、金額交渉を行っていたはずである。
ソラノート顧問弁護士である宮本督氏より「法的責任は認めないので和解金は出さない。謝罪により円満に解決したい。これ以上騒ぐならば営業妨害とする」と通告。
その際フランチェス子側が出した質問状(内容は不明)に関しては一切答えなかった。理由は不明。
ケツダンポトフが利用していたUSTREAMのアカウント、ksoranoが停止される。
もともと問題は起こしていたものの、かつてはUSTREAM公式からオススメ番組に認定されたり、解説本の帯に解説を寄稿するなど癒着していたアカウントをこのタイミングで停止したことは騒動と連動していると考えられる。
恐らくはUSTREAMがケツダンポトフの該当放送内容を「誹謗中傷に当る規約違反行為」とみなし、「ソラノートは規約違反行為の名誉毀損の法的責任を認めず被害者と和解する気がない」と判断したため停止処置に至ったと思われる。
津田が参戦。「ケツダンポトフの影響力を考慮して、額面を調整するべきではないか?」とフランチェス子にアドバイスを送る。
しかし額面を調整するべきはソラノート側であり、額面を判断するのは司法であり、被害者が「額面が多すぎたのでもう少し金額を減らして和解しましょう」と提案するのはありえない話である。
被害者が額面が妥当、あるいは過少だと評価しているならば尚更である。
そもそも現時点で和解金の額面は公開されておらず、部外者であるトミモトリエの「額面が問題」という発言が一人歩きしている状態での津田のアドバイスは勇み足であるともいえる。
もっとも津田とソラノートが繋がっているという疑心暗鬼を抱き、円満解決に向けた救いの手を払いのけたフランチェス子にも非難の視線が集まる。
個人的には津田がメディアジャーナリストを自認してこの状況を打開したいと考えるならば、メディアであるそらの側に働きかけて、中傷報道を認め、謝罪させる方向に持っていくべきだったと考える。
切込隊長が他人事のように言及。口を噤み法廷で決着を付ければいいのにとの感想を述べた上で、本心ではこの騒動が延焼することを望んでいることを明かす。
切込隊長には1年前、ソラノートが企画し、津田が司会を行ったUSTREAM放送番組に出演した際、エイベックス社社長に「シャブ野郎」と暴言を吐き、名誉毀損罪で告訴された過去がある。
この事件では放送を企画したソラノートが罪を問われることはなく、そらのは「番組は大成功だった」と統括し、この経験が生かされることはなかった。
新興ネットメディアを持ち上げてきた津田ら著名人は苦言こそ呈しながら、「ダダ漏れ」の病巣に切り込むことはせず、放置され続けた。フランチェス子の事件は起きるべくして起きた事件だという指摘もある。
それにしても"当事者側"に近い人間であるトミモトリエや津田大介や切込隊長らが揃って"第三者"として事件に言及するのは面白い現象である。
これまでの炎上により既にソラノートは社会的信用を失い十分な罰を受け、フランチェス子の毀損された名誉も回復されているという見方もある。
しかし問題はあくまでそらのとフランチェス子当事者間で起きたものであり、当事者間で何らかの謝罪・賠償が行われる必要はある。
ただしこの問題が法廷にもつれ込まれた場合、ハンドルネームでしかないフランチェス子の名誉毀損が法的に認定される見込みは高くないものとみられる。
そもそもソラノートは名誉毀損の法的責任を認めず、謝罪も賠償も行うつもりはない。これはそらのもtwitterにて倫理的部分と法的部分は切り分けると発言していることから明らかである。
現時点での焦点は、和解金の多寡ではなく「そらのがフランチェス子に対する名誉毀損の法的責任を認めるのか?」である。
そらのとフランチェス子の相互理解が困難なのはこれまでのやりとりで自明である。
一連の行動をみてもそらの側の行為に誠意らしきものは全く感じられない。この状況下での謝罪は口先以上になりえず、金銭による和解が妥当だと思われる。
この見解は人により異なると思うが「謝罪で十分だ」というのは実質的に「そらのは何の責任も認めなくていい」「被害者は泣き寝入りしろ」というのと同義と思う。
騒動の初期段階でそらのが菓子折りを持ってフランチェス子邸に謝りに行けば終わった話だと思われる。
被害感情を解さず弁護士シールドを持ち出しこじれさせたそらのも、オープンな場で議論しながらお節介に対しても噛み付き出したフランチェス子もどちらもアホだと思う。
b:id:jtw 中傷された側もアホ呼ばわりして「どっちもどっち」と片付けるはてな村住民。自分が殴られないと理解しないことの証左か。
「どっちもどっち」ではなくそらのがフランチェス子を名誉毀損した責任を認め賠償するべきだという立場です。ソラノートが今後もネットメディアとしてやっていくならば、それは絶対必要条件だと考えます。
ただし法的な側面で言えば、ハンドルネームの社会性は認められにくく軽んじられる一方で、企業であるソラノートへの営業妨害は認められる非常に不利な状況にあり、フランチェス子の立ち回りが懸命とは思わないだけです。
b:id:toaruR 本質が金額の問題じゃないのなら、和解金をもらったところで、札束で叩かれたとしか思えないんじゃ。
相互理解が困難な状況において、札束で叩くより上等な解決手段があるならば、それを採用するべきでしょう。
スピード違反をした人間には罰金を課せられますが、罰金により違反行為に心から反省することはありません。罰金による解決は本質を突いてはいませんが、それによって交通事故が抑制され、社会の潤滑油として機能します。
b:id:sionsuzukaze他 ある一つの見方での経緯まとめ(最後は完全に私見)
客観的な事実のみに基づいた資料はb:id:fut573がソラノートとフランチェスコ氏めがねおう氏の件まとめにてまとめる予定のようなので、そちらを参照してください。私見を多く含むため「まとめ的な何か」としています。
b:id:fut573他 ハンドルネームに対する名誉毀損というか、放送でフランチェス子氏の顔写真が写っていてその上でのあれだったからなぁ。
この判断は弁護士でも解釈が変わるところだと思うので半可通では明言できません。
調べた限りではハンドルネームであっても個人が特定されば名誉毀損罪とみなされ、顔写真は個人を特定できる材料とみなされるようです。また顔写真の場合、肖像権の問題もあります。
b:id:wacking この流れでなんで「どちらもアホだと思う」という結論になるんだ
そもそもどちらが正しいという対立構造ですらなく、問題の本質は「そらのがフランチェス子に正しく罪を償うか?」という部分なのですが、フランチェス子の言動が息を潜めていた彼女のアンチを活発にさせています。
この点について私見では判断を見誤ったという感想を持ちました。フランチェス子は心身消耗を理由に自己正当化していますが、消耗している自覚があるなら尚更発言には慎重を期すべきだったと考えます。
勿論フランチェス子のアンチがブクマや増田で勢いづいたところで本質が揺らぐことはありませんが、法的側面で見たときは両者は五分程度だと考えているので、ギャラリーの世論も結果に影響を与える要素になりえると思っています。
妹視点でよくわからないが、意外と本人はこの仕事気に入ってるという可能性もある。
おばちゃんは技術面うんぬんというよりも、無骨なエンジニアたちの潤滑油的な役割をしてたのかもしれん。
おばちゃんたちがいなくなったことと、仕事が忙しくなったことで、彼の精神力が尽きてしまったとは考えられないだろうか?
もちろん、激務の疲れもあるだろうが、今の彼に足りないのは「おつかれさま」の一言かもしれない。
こういう状況では、人肌がすごく聴くんだ。後ろから抱きしめるというのは、かなりありだと思う。フィギュアなんぞより、よっぽどいい。悪いことは言わん、フィギュアはやめとけ。
ここを乗り越えると、自身もつくだろうし、兄はいい意味で変われるかもしれん。12個入りのチョコを一粒くらいなら、わけてくれる兄になるかもしれん。
マジ妹がんがれ。
【原文】
Q,学生時代がんばったことは何ですか?(400字以内)
1.異文化に触れることで多角的視点を獲得し、自分を更に成長させたいとの想いで、カリフォルニア大学アーバイン校のビジネススクールへ留学した。
2.周りは世界各国の社会人で、私は専門知識と英語力が足りず、うまく意思疎通を図れずにグループワークで足を引っ張ることもあった。日本では多方面でリーダーとして活躍してきた私にとって、人間関係上の大きな挫折だった。
3.そんな折、現地モルガンスタンレーでのインターンを経験した。他国のインターン生との合同株式リサーチプロジェクトでは、互いの自己主張が激しく議論が収束しなかった。
4.しかし、私は異文化の相手の性格や考え方を考慮し、相手の立場で物事を考える視点で潤滑油の役割を果たし、議論の方向性を示唆し続けた。
6.この経験で更に成長した相手の見地で物事を考える姿勢と、自発的に成長機会を創る努力を、これからも継続していきたい。
【俺ならこうなる】
Q,学生時代がんばったことは何ですか?(400字以内)
1.異文化に触れることで多角的視点を獲得し、自分を更に成長させたいとの想いで、東京都千代田区にあるアキハバラ学園へと留学した。
2.周りは様々な立場の学生がいた。私はそれらに対する専門的な知識・語彙が不足し、意志疎通を図れずグループワークで目当ての商品にたどり着かないこともあった。以前は多方面で神と呼ばれていただけに、大きな挫折を味わった。
3.そんな折、瑞穂坂学園へのインターンを経験した。魔法使いとの合同プロジェクトでは、互いの思念や抱えるものが大きく、議論に至らないことも多かった。
4.しかし、恐れずにふれあいを重ね、眠っていた強大な力を発揮することによって、プロジェクトを成功へと導いた。
5.その結果、アキハバラ学園長よりfigure魔改造の命を頂き、多方面への変化の可能性を秘めた部品の抽出に成功した。
6.この経験で得た様々な見地から物事を捉え理解を示す姿勢と、自発的に創作活動に励む努力を、今後も継続していく。(399字)
よし。どこの企業に出そうか。
しかし、俺たちは感謝が全くないときにでもそれをひねりだなければならないのか。
全く感謝など感じていないときに、形式的にうわべだけで感謝することは、社交の潤滑油としてはともかく、真の感謝にとっては害悪なんじゃないか。
・言葉遣いというものが、暗示的にまたは明示的に人に作用することは知っている。その点で感謝の言葉を述べることはポジティブな影響を自他に与えうる。
・俺は自分の感覚・感情を偽ること、自己欺瞞をおそれる。欺瞞やごまかしはネガティブな影響を自他に与える。
・思ってもいないことを言うのを良しとしない。
・今はよくわからない感情や機微も、形式と言う土壌を与えることであとあと芽吹く可能性がある。体験的にもそう。
・形式的な振る舞いが中身を引き出すことがある。
・わからない、感じないからと言って形式上でも行為しないと、さらにそれをわかる可能性が減る。芽吹くはずのものも芽吹かない。
・
・観察するところ、無理やりな感謝は必ずほかの何か大切なことを隠蔽、無視、軽視している。
後で考える。
大学生だった頃、ぼくはかなりとんがったやつだったと思う。
とんがるといってもとても格好いいとはいえないとんがりかたで、世界を敵にまわしているような、一人で戦争をしているような、敵意を剥き出しにして斜に構えるような、そんな生意気ながきだった。
自分の好きなものだけに触れて、世の中間違っていると言い張った。
作り出される自分のアイデアが、とても素晴らしいもののように思えて、それだけに夢中になってあれこれと作った。
ハードボイルドの主人公のように両肩で風を切って、ギャングのように何か面白いものはないかと物色しているような、そんなたぶん二十歳ぐらいの自分を思い出すとなにか冷や汗が出るような気がし、その一方で、なかなかに冴えていたなとも思う。一切を閉ざしてしまって、自分だけの世界に閉じこもって、世の中のものをせっせと自分の世界に取り込んでいたような気がする。
ほとんど誰とも話さずに過ごし、たぶん話していてもかなり機械的な反応しかできなかったと思う。その頃のメールの下書きのテキストが残っていて、それを読むと、官僚的というかガチガチな隙のない文章を書いていて、なんだこいつはサイボーグみたいな文章を書くやつだと、なつかしくなって笑ってしまう。
その文章の中にいる二十歳のぼくはいつも完全武装なのだ。
そんなことになってしまったのは大学一年の頃に起こった事故のせいで、ある事件をきっかけにぼくは人間というものが信じられなくなり、社会を敵にまわすようになった。数ヶ月は立ち直れず、それでも本を読んでいるうちにだいぶ立ち直っていき、読書欲に駆られながら読みふけるうちに、復帰していた。
好んで読んだのはハードボイルド。
チャンドラーとか、ジャック・ヒンギスとか、ギャビン・ライアルとか。
ハードボイルドを読む人なら、この手の小説が汚れきった社会を渡り歩く勇気(社会に絶望していたのでそういう勇気を必要としていた)をもたらしたこともわかりやすいと思う。ぼくはあろう事か、ギャングや、探偵や、元軍人や、スパイに社会との渡り合いかたを教わってしまい、いつも鞄のなかには拳銃が入っているようなそんな心地で、復帰していったのだ。
それは今からしてみれば、常時戦場にいるような緊張感で、そんな状態でまともな会話など出来るはずもないし、たぶんしても鋭すぎる態度で、相手を居心地悪くさせてしまっただろううと思う。それでもギャングだが、探偵だか、スパイだか、元軍人気取りのぼくは、そんな完全武装であちこちを歩き回り、あれこれと色々作って、仲間に見せたりしていた。
それは今から見ても、あの頃に作ったものはすごかったと思うほどで、錯覚ではあるのだけど、本当にたったひとりで世界を相手に戦っていたのだと思うし、シャープで甘えがなく、手を切りそうなほどの切れ味あるものたちを作っていたのだと思う。
だから、こう言いたい。
完全武装の時代もそんなに悪い時代じゃなかったって。
その当時にどのように世の中と接していたかと言われて、ふと思い出した言葉がある。
著名なSF小説「ニューロマンサー」の続編「モナリザ・オーバードライブ」の解説にその言葉はあって、それらの作品を評して「鏡に覆われた(ミラーシャーデッド)表層」と言っている。
この感覚。
ガラス越しという言葉があるのだけど、それよりもシャープな感じで、こちらの表情が見えないようにスモークガラスで覆っている感覚。そして、社会もスモークガラスに覆われていて、お互いが冷たく冷淡で、それが日々すれ違っているのだけど、完全に別け隔てられている。
あちこちのバイトを短期でまわって、世の中のいろいろな風景をスパイしながら(そういうつもりだった)、いろいろに世の中の仕組みを知っていくようになった。会話をしなければならないところでは当たり障りのない、そしておそらくかなり素っ気ない会話を交わし、とても冷淡にその体験だけを盗んでいくスパイのように働いていた。
もちろん、その短期バイトをあちこち回ったことが、のちのちまともに社会に出て、効率的な現場のまわしかたみたいなところでとても大きく効いてくることになったのだけれども、誰もが短期なだけにコミュニケーションらしいものは皆無で、煙草を吸いにいってせっかく話す機会があっても、他の誰かがはなしているのを聞いているだけという、なんという非コミュ。
あの当時のぼくはとてもプライドが高く、口を開くにしてもなにか高級な事を言わなければと思っていたように思う。例えばハードボイルドの主人公のようなセリフなど、いま思えば、現場にまったく必要のない言葉以外話したくなかったのであるが、結局の所それは自分の我が儘で、自分の価値観以外のコミュニケーションを仕事場でさえしたくない、もしくはそれをしなくて良いようアンドロイドのように、時間貸しのロボットのように、ただ効率的に現場をまわすにはどう動けばいいか、だけを考えていたように思えてくる。
ボトルネックを事前に発見して、誰も気づかないうちにそれを埋めていく、それで今日の作業は30%ぐらい効率化できたと悦にいる。そんな毎日。それはリアルシュミレーションゲームのように思えていたし、コミュニケーションなどなくとも、出来る遊びではあった(そしてこの経験はのちのち凄まじい威力を誇った)。
しかし、その当時のぼくはやはりゲーム感覚で、いつでもスイッチを切ってさよならできる現場でしかなく、ミラーシャーデッドどころか、液晶パネルの中の駒でしかなかったのかもしれないと思ってしまう。
そんな事をしているうちに、交通誘導の仕事をやってみることにした。
これは簡単に言えば、工事現場に立っている警備員で、たぶんやってみないとわからないが世の中の潤滑油的な仕事である。仮設の信号機でいいのではないかと言われれば、まあ、そうかもなのだけど、ぼくはその辺の議論はどうでもいいし、もう交通誘導をするはずもないので、あんまり関係がない。
で、いきなりやってくるのは、研修。
法定で4日だったかの研修が義務づけられているとかで、ひたすらに、交通誘導がどんな仕事かをたたき込まれる。そこで言われるのは、ひたすらに危機対応、そして、顧客である工事現場の人たちを守るか。酔っぱらい運転で工事現場につっこんでくる車から顧客を守るのが、交通誘導の第一の責務だとか何とか。まあ、ねえ、顧客だからねえ。
そうやって始めてみるしょっぱなに言われた。
「あれさ、お互い遠くに立ってるじゃない。互いに孤独で。8時間とか、12時間とか。そうするとね、話せないから、上手くいかないと不満がたまってどんどん上手くいかなくなるんだ。そうするとたいへんだよ。向こうはぷりぷり怒ってさ」
これはチームワークなのだと、コミュニケーションなのだと、ぼくはあなたのことを信頼していますと伝える事が重要なのだ。あなたが怒らないように、要らぬ誤解を抱かないように、あなたがぼくが心配ないというシグナリングをしなければならないんだって、あの赤く光る棒を振りながら、ずっと伝えなければならないんだと、それはプレッシャーだったのではあるのだけど、それまでの自分とは違うことが価値があるのだということを、思い知らされた事ではある。
交通誘導に業務効率化する要素などなく、どうやってチームワークをよくしていくか以外に改善点はない。そういう意味では完全コミュな仕事であり、ぼくはあんまり自信がなかった。
それが初めての集合で、煙草を吸っていて結構くせがありそうな人に言われた。
ぼくは、どれだけハードボイルドな世界でショートピースが標準か語りたかった。
「香りがいいんです。それでくせになっちゃって」
「どれ、吸わせてよ。うわ、きつ、なにこれ」
その人は笑う。
「缶で吸ってたときもあるんです。あのときは肺に穴が開いたのがわかりました」
ぼくはきっと「ショートピース野郎」と記憶されたことだろう。それでもその瞬間に、ミラーシャーデッドが融けたのを感じた。ぼくの世界に入ってくる人がいた。確かにさりげないのだけれども、それで勇気づけられたのは確かだ。
そういう感じ。
その瞬間に、一緒に仕事をする人々の世界観もわからないとと思って、一瞬にしてぼくのミラーグラスは破壊された。
同じ人と同じ現場になって、その頃はきつい両切り(ショートピース)はやめていて、もうすこし穏健なロングピースになっていたけれども、その人は、仕事が終わってヘルメットを長時間かぶっていたせいで髪型がめちゃくちゃになっていたけれども帽子をかぶって、自転車に乗る。
そういって、現場から明るくたちさる。
あの職場で、いろいろな人々と、その職場を暖かくする事にどれだけ尽くしただろうか。誰もがその底辺で生活しているわけだし、いつの間にか、それは自分の片足だけつっこんだ居場所になりかけていた。世界がガラス越しではなくなったのこの職場だったし、それはなにか守らなければならない暖かいチームワークの場所だった。
底辺などというべからず。
その後の十年近いキャリアを通しても、素晴らしいチームワークだったと断言できるし、この1/5000ぐらいの荒涼とした、無生産な現場は大量に見てるし、基本的に言えるのは底辺ほど効率的で、上層ほど無能であるということだ。のぼるほど無能になっていく。
機能不全とすべての罪は上層にあるのだけど、わかっているか。
ちょっと言い過ぎた。
ぼくが言いたいのは、底辺を経験してすばらしく暖かく機能的で、ここは問題がまったくない、ということなのだ。ここには何の問題もない。すばらしい経験だった。ぼくの非コミュも解けた。
貴族趣味なぼくは結局ほぐされて、そして紹介で別の職場に入ることになる。
本格的な就職に近い形で、人事のトップに笑われる。
「いや、こんな真っ白な履歴書を見るのは初めて」
その履歴書は真っ白だろうか?
数こと話すと人事の最高責任者は頷く。
じゃあ、採用するけど、明日からちゃんときてね。
配属されたのは実務の最精鋭部隊が集まっている部署で、そこで、笑い合いながら、冗談を言いながら、学びながら、いろいろ効率的なオペレーションを学んだ気がする。それで、特別なプロジェクトが立ち上がって、それにたったひとりで派遣されて、その現場監督(ただし、実権はまったくなし。不安にさせるな)で、まったく見知らぬコミュニティーにぶち込まれる。
「山崎まさよしさんに似てますよね、雰囲気だけ」
「あー、そう言われたのは初めてで」
(ブルースは好きなんだけどねえ…)
そうやって、あ、これで大丈夫なんだ、これで上手くいくのだと、そう安心した。
全然愛情も何もない相手とただ「それ」だけをするために一緒にいることから、つくづくそう思った。
で、なんで子供を作るわけでもなく、
性器同士を結合させるなんて無意味なことをするのか、
まるで理由が分からないね。
でも、男と女がいたら「それ」をするんだよね。
愛なんてのは人間が高度な知能と文化を身につける中で紡ぎだした物語で、
本質はこの性器を結合させることに帰結するんだろうね。
神様の命令なんだろうなあ。
「それ」だけはしたいから、男と女は他に何も価値がなくても一緒にいるメリットがある。
という点でセックスと言うのは、男と女をつなぎ社会を維持するための潤滑油だし便利な楔だと思う。
しかし心のないセックスと言うのは
いうなればベルトコンベアで回ってきたモノに同一の作業を施すような、
不毛で非生産的で、創造性も建設性も自己実現性もなく、人間をモノ化する悲しい作業。
「人間らしい」セックスとは、お互いの価値の承認、存在価値の確認を伴う。
http://anond.hatelabo.jp/20091011163012
私はよく子供が車道に出そうになったり、線路に落ちそうになったりしているのを止めると(目につくから反応が早い)、なんか回りの人からお礼言われるけど「私は子供のミンチなんか、絶対に見たくないんですっ」と力いれて説明すると連れ立っていた友人から「わがままー」と苦笑されたりする。そう、客観的に見て「良いこと」でも、本人にとってはただ我を張ってるだけってことあるよね。
仕事手伝ったりしたときの「ありがとう」は潤滑油っていうより「何かしてもらったらありがとう」で躾けられてるだけで、単なる習慣だ。相手もさほどありがたがってるわけじゃない。今度、元増田が困ってたら積極的に手伝ってくれるかも知れないが、その程度のこと。
こちらの気持ちを汲んでくれない行動は、たとえ感謝の言葉でも殺意が湧くって気持ちはわかるけど、そんなに大真面目にとらえる必要はないよ。「ありがとう」って言われたら「どういたしまして」って言っておけばいいだけのこと。出かけるときに「どちらまで?」と聞かれたら「ちょっとそこまで」と答える程度のことだよ。「どういたしまして」が言いにくかったら「自分、勝手にやっただけですから」とぶっきらぼうに言っておけばいい。そんで、どんな評判になろうと、そこまで元増田の知ったこっちゃないじゃん。気楽に気楽に。
たまにこういう書き込みを見るんだが、わけわからん。
このとき相手がどうすれば満足なのか?
無言で無視してほしいのか?
「余計なことするな!」って罵倒されたいのか?
以前にも同じような書き込みが気になって、
それは、
清算後、お客がレジから立ち去り際に『ありがとう』と言うのを聞くと、
『こいつは何様のつもりなんだ』って思う」
という趣旨のもの。
この人も無言で無視すれば満足なんだろうか?
これも、わけわからん。
単に、人付き合いの潤滑油としての「ありがとう」と解釈しておけば良いんじゃね?
なにか、
周りの人間との距離感/遠近感がつかめてないんと思うんだけど。
あるいは、自意識過剰かと。
こういう人、増えているのかなぁ。
力技だけど。
この手の挫折しまくっちゃった人、というのは挫折することに慣れていて、たとえ成功したとしてもどーせいつか失敗するにきまってる、だから失望する前に成功をけなしとこう、という不幸な思考ルーチンができあがっている。
と、どっかの漫画のせりふにあったが、まさにそれ。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度もいやっっってほど挫折してると、もう、幸せになるなんて事態が信用できない。絶対に裏がある、と疑ってしまう。今手にいれた幸せは本当のもんじゃない。それは誰かに奪われたもので、絶対に帰ってこない。そう考えていれば成功を失っても傷つかなくて済むし、永遠に誰かを憎んでいられる。
本当はその幸せが欲しかったんじゃない。その幸せを奪われたことが憎かっただけ。奪った相手は誰だかわからないけれど、自分が不幸だったとき幸せだった人がいる。そのことだけで憎い。
ところが、日本人の精神構造的に「敵討ち」という考え方はなじまない。たいていは「憎んだ相手より幸せになれ」という、しょーもないアドバイスを戴くだけである。だから逆に物語としてのあだ討ち物ははやってたのだ。物語の中で、主人公に仇を討ってもらうことでカタルシスを得ていた。
今となるとあだ討ちものははやらないし、許してやれとかいう博愛精神がまかり通っている。本音と建前を知らない人は憎しみを昇華できない。
で、ネットの片隅でうさ晴らしをしている。それでもその程度じゃ収まらない。いらいらは永遠に続いていく。
こういう人を更正させるにはそれこそ百万倍ほど成功体験がいる。もう世界中でその人の記念日を毎日作って、道を歩けば感謝され、世界中の異性にもてまくり、ってくらいのレベルの成功体験がいる。
トーマの心臓では傷ついたユーリを助けるのにトーマの命が必要だった。傷ついた心を癒すには人の命くらい捧げないと癒されないのかもしれない。
で、そんな大変なことできないので、手っ取り早く精神科に言って薬もらってきたほうが早い。
単にストレスで脳の回路がショートしてるだけなんだから、潤滑油を入れるのと代わりがない。
もちろん、薬の処方をしすぎない、いい医者を選ぶのが当然の前提ではあるけれど。
http://anond.hatelabo.jp/20090408135620
横増田だが。
糖尿病患者には隠れて肉などを食べたり酒を飲んで、あげく逆切れする人が多い、というのは親戚の医者と看護士に聞いた愚痴だから訂正は無理。
そういった「愚痴」を他人に話をするときの根拠にするべきではないと思う。でないと以下の二点で人格を疑われる。
愚痴とは、議論をするときと違って、自分の気持ちを吐露し、相手に共感してもらうということでストレスを解消しようという行動だ。その場合、自分に不利になりそうな話は出さない。そうだね、それはひどい、と言った風に共感してもらうためのものだ。少なくとも、聞いている側が「これは愚痴だ」と認識できるほど明確であるならば、これは事実である。さらには、自分は悪くないとか、自分がいかに大変か、と言うことを誇張する傾向がある。それはそうだ。より共感してもらうためにあるのだから。
そういった話であるのだから、話す方も誰にでも言うわけではない。あ、この人ならば大丈夫だな、と言うのを無意識にかぎ分ける。そこには必ず信頼があるわけだ。ましてや看護師や医師といった、法的にも秘密を守るための義務がある事を承知している人々である。いくら特定の人を出さないとはいえ、そういった配慮は無意識にしていると考えるのが自然だ。
これは全く悪いことではない。むしろ、こういった仕組みを持っているからこそ人間というのは正常でいられる。潤滑油のようなものだ。また、自己肯定するためには必要不可欠なものだ。少なくとも何もかも自分が悪いとふさぎ込んでしまうよりはよほど健全である。だから聞く方は、これが愚痴であることをきちっと認識しているのならば、その場だけの話にしておくべきなのだ。
しかしながら、こうしたある意味生理的な、精神のバランスを取る上で出てくるような性質の話を根拠として言いふらす。はたしてこれがいいことなのだろうか。少なくとも、元増田にその愚痴を話した医師、看護師はこのように自らが無意識の上でも誇張した愚痴の話を、言いふらすことは本意なのだろうか。極端なたとえをするならば、あなただから見せるというセックスの場の性癖を、公に話しているようなものだ。
そして、話の出所が万が一割れてしまえば、その話をした人との信頼関係どころか、その人間にも被害を及ぼすことにもなりかねない。
そのような性質の話をほいほいとしてしまう。私はそれが信じられない。ましてや、今回のことはそれを言いふらすことで他人に被害が及ぶ話である。そういった話は、もう少し慎重にすべきである。せめて、愚痴であることと、言われたシチュエーション、そのニュアンス等々を明記すべきだ。それは読んだ人がその情報の価値を見極める上で非常に重要な資料となる。
極端なことを言えば、これだけでは
の区別がつかない。しかもどの段階の話かによって全く確度が違うのがわかるだろう。
インターネットは誰でも誰からでも見ることができる。そのことを自覚していただきたい。
http://www.chosunonline.com/news/20090217000035
KTX欠陥工事:欠陥品の枕木フックボルトは韓国製
韓国高速鉄道(KTX)の第2期工事区間である大邱-釜山間のレール敷設工事で発覚した枕木の亀裂は、専門性のないメーカーとずさんな現場監理による「共同作品」だった。軌道分野での経験者が一人もいない会社が不良品を生産し、現場監理業者は外国の技術を盲信するだけで十分な役割を果たせなかった。
枕木を製造した慶尚北道尚州市化西面の「チョノン・レールワン」社は 2006年12月、コンクリート製品メーカーの「チョノン工業」社と、ドイツの「レールワン」社の合弁で設立された。事実上、KTXの第2期工事のために設立された会社で、軌道分野での施工実績はまったくなかった。
現在、約60人の社員が在籍しているが、軌道分野での経験を持つ社員は一人もいない。品質管理を担当する6-7人の管理職でさえ、建設現場でコンクリートやセメントを取り扱った経験はなかった、と会社側は話している。イ・ハンセ工場長は「社名を明かすことはできないが、全羅道のある業者が製造したフックボルト(枕木を固定する部材)の納品を受け、これを使って枕木を製造し、施工会社に納品しただけだ。亀裂が見つかっていなければ、今も(設計図に示された)防水材が使われているのか、吸収材が使われているのか分からなかっただろう」と釈明した。
一方、工事現場の監理を担当した韓国鉄道技術公社は「枕木を製造した会社にはドイツの技術者たちが常駐しているため、製品の品質を疑うことはなかった」と語った。部材の監理を担当したチン・ヒョンムン課長(51)は「枕木の製造工程だけを監督していたため、枕木に使われるフックボルトに問題があるなどとは考えもしなかった。亀裂が見つかるまで、フックボルトはドイツで製造され、枕木に取り付けられたものとばかり思っていた」と述べた。
これに対し、軌道関連の会社は「外国の技術にばかり依存し、専門性に欠けていたためにこうした事態になった」と指摘した。防水材として使われる半固形状の圧縮用潤滑油(50ミリリットル当たり250ウォン=約16円)は、吸収材に使われるスポンジ(1個当たり50ウォン=約3円未満)より5倍ほど高いが、単価が非常に安いことから、コスト削減のために不良品を生産したという可能性は低いという。軌道関連会社のある関係者は「この業者が、大邱から蔚山までの131キロ(上下線の合計)の区間(第4工区)で、枕木に吸収材を使うことによって節約できる金額は約4100万ウォン(約260万円)=差益 200ウォン(約13円)×20万6514本=にすぎない。コスト削減よりも、経験不足がゆえに起こったトラブルだ」と話している。
一方、監督官庁である国土海洋部は、枕木に亀裂が入っているのが見つかってから1カ月以上も報告を受けていなかった。同部とKTXを運行する韓国鉄道公社は「手抜き工事の実態について、専門家との合同調査団を派遣して調査を行っていく予定だ」と語った。
これ、もしそのまま開通してたらとんでもない事になってたんじゃないのか。最高速度で走行中にボルトがはじけ飛んだりしたら…
リラックスすることが必要と言ってリラックスできたら今頃こんなことで悩んでたりしないだろうから
まず濡れにくいor濡れないならローション使いましょう
薬局で売ってるし、口に入れても問題のないものなので怖くないです
押し広げられたり、膜が切れることの痛みは無理ですが出入りする際の痛みはやわらぐと思います
次に指を入れられることに慣れてきたらですが指を入れたらゆっくり入り口を広げるように円を描いてもらいます
物が入る感覚と押し広げられることに慣れるまでしばらく続けてください
最後にそのときの心理状態によりますがどうしても無理でないならご自身が上になって自ら招きいれてください
女性が上になるのは恥ずかしいかと思いますが痛みや恐怖に対するコントロールが出来ます
大丈夫なところまで入れてそこで休むなり、恐怖が収まるまで動かなければいいです
それで安心できるか分からないですが、だんなさんに起きてもらい座位の格好で抱きしめてもらうのもいいです
上になるのがダメならポリネシアンセックスの要領でやはりご自身が落ち着くまで入れた状態で動かずにいてもらうとか
それとはじめてが終わってもしばらくは痛いです
切れた傷口だったり、旦那さんのサイズに広がろうとすることに対する抵抗による痛みなので潤滑油と回数を重ねることでだんだんと痛くなくなります
書いてて自分でも気持ち悪いなこれとか思ったのですが
そういう風にしてあげられなかった旦那が結局浮気をし離婚に至った彼女に状況が似てたので同じような事にならないようにと思ったので
でも実際のところ、表層には出ないレベルで影響は与えているんじゃないかとは思ってる。
人間の性格がたった4種類に分類できるわけねーだろとか、科学的な手法で立証されていないこととかとは全く関係なく
考えてみてほしい、
あなたが酒の席で「君って神経質だよね」とか「Aさんて変わり者だよね」と言われてよい気分になるだろうか?
日本人の気質は「誰がそう判断したか」の責任を持ちたがらないから、
「いや、俺が言ったんじゃないよ!血液型占いに書いてあったんだ」と責任転嫁をする。
星座占いくらいになると、さすがに根拠として薄弱すぎるけれど、
血液型なら「どちらともいえない」程度に思っている人が多いのではないだろうか。
そしてそんな状態では大した反論ができない状況を悪用しているのである。
しかし気をつけたほうがいい。
B:「A君があなた(C)のことを間抜けだって言っていたよ」という会話は
CにとってAもBも自分のことを間抜けだと言っているのだと普通に解釈する。
BはAの告げ口をして自分を売り込んでいるように見えるが実際は自分の株も落としているのだ。
この程度もわからない連中が
そういうのは大抵接触不良
具体的に言うと、ハンダのクラックの可能性が高い
電源を切ったり入れたりすると、温度変化が生じて、ハンダが劣化する
んで、割れて、電気が通らなくなる(今でもたまにあるよ、そういうのはたたけば一時的に動くこともある
後は、潤滑油の劣化で粘度が高くなりすぎて初動が出来ない場合
物を引きずるときいったん動き始めたら大して力がいらないようなもん
初期さえ動けば後は何とかなる、これも今でもある、HDDとかね
衝撃を与えたら直ったりする
HDDの場合、電源入れた状態で行うこと、まぁ、とどめをさすだけかもだけど
普通の人が個人用で使ってるHDDなんか業者に出して復旧なんてまず無理な値段だし
モーターが動いてない雰囲気なら、これで結構動くよ
ただし、すぐバックアップしてもう使わない方がいいと思うけどね
ただまぁ、昔と比べて、減った理由は複数箇所が同時に壊れたり組付けをきっちりしてるから
叩いても大して部品が動かないんで効果がなかったり
叩いてどうにかならない部分が壊れてたり
結果、成功体験が減って叩くことをしなくなったため、叩いても直らなくなったような印象を受けるんだと思う
でも、叩いて動いたからって直ったわけではなくて、どっちかというと悪化させてる点だけは注意
ついに書いてしまう。もう半年以上、私は職場のある男性に恋慕している。
いまでもきっと好きだ。断言できないほどに切なく。
こうやって言葉にすると、あの人のよさはどんどんと逃げてしまう。
肝心なところで淡白だし、他人に興味のない感じがする。
なにより私に冷たい。わざと冷たい言葉を吐いていじめて楽しむ。
私は心の中で喜んだり、本気で拗ねたりする。私はいつもせわしない。
しかし、これは断言できるのだが、彼以上に面白い人物に私はもう一生
出会わないであろうし、また人に接する時の柔らかい物腰や、
どうしようもなく美しい声や、どこにいても目を引く立ち振る舞いが、
私に焦燥と憧憬を巻き起こして、こっそりいつも目で追ってしまう。
見た目は普通。少し地味な気がする。
最初の頃は、何も分からず、しかし彼ほどの人を好きにならない人が
いるわけはないと思い、女性の影がちらほらするたびに怯えていた。
しかし、なにぶん多忙であり長らく独りでいることがわかるようになると、
少し安心できるようになった。
人のためになにかをすることが全く苦痛でなくなった。
でも、目線を感じると途端に私自身の存在が恥ずかしくなった。
私は今まで付き合った人はあれど、こんなにも激しく恋をしたことがなかった。
告白はされこそすれ、したことはないし、振られたこともない。
他人に興味を持ち、そしてそれが手に入らないことで苦しむ日が来るなんて想像してなかった。
しかし、彼は2人きりになっても別段何をしてくるでもないし、
大抵は酔っていて、冗談にからめて驚くような事(好きだから、結婚しようかな等)を
口にすることもあるので嫌われてはいないようなのだが、
かといえども好かれているということは絶対的になく、また狭い職場であるため
私も踏ん切りがつかない。(多分彼のことが好きな人があと2人はいそうな気がする)
きっともうどこにも行き着かないのであろう、と諦めつつある。
そういうわけで、しばらくはその人のことを考えなくても平気であるような気がして、
何日間も話さず離れていられるのだが、やはりなにかスイッチが入ってしまうと、
どこにいて、誰と何を話しているのか、気になって仕様がない。
昔のように他の女性の影に怯えることは少なくなったが、やはり結婚などされたら同じ職場にはいられないだろう。
彼はまるで潤滑油のようで、彼のことを嫌いな人というのはおよそ想像できないし、
その割に私には妙に嫌味を言ってよく笑っていて、昔はそれで勘違いしそうになった。
好き嫌いが激しく神経質な私とは正反対である。その憧れが、憧れのままでいられなかった。
恋をすると、手を握ってほしいというよりなんというか、匂いを嗅ぎたい、顔を舐めたいとか思う。
街を歩いてどうでもいい話をしたい。
なのに話をしたあとは緊張でお腹が痛い。トイレに行きたい。ロマンチックとは正反対だ。
いつも何かに怯えて、一挙一動に振り回されて、すぐ泣くし、死にたくなるし、動悸がして、絶望的になる。
まさか自分がそんな風になるとは思っていなかった。
「見ているだけで幸せ」なんて思わない。
でも、決して実ることがない、そんな気がする。
傷つく前に、早く、彼のことを好きでなくなりたい。彼に「あなたのことが好きではないので安心してください」というサインを見せたい。
そんな気持ちから、どうでもいい男とつきあいたい、街でナンパされないかと思うようになる。
実習の担当とかしてたんで、少しだけ書くよ。
今すぐでなくても、「教師になる可能性」の芽を育てよう、というスタンスで受け入れてくれよ、と思う。
言いたいことはすごく良く分かる。で、どうしてこんなことになってるかを説明すると、その背景から説明しなきゃならないんだけどいいかい。
まず「教育実習」というのは制度上「大学の授業」である。これはOK?当たり前だ。「実習」という名のもとに単位認定すんのは明らかに大学なんだから。だから本来、免許の取得に「教育実習」が必要である以上、実習のための学校は大学が用意すべきもの。たとえば系列の小中学校なんかがあれば、そこで。教育大学なんかはそれがあるから自分のところで教育実習できるし、する。
けどそうでない大学もある。そこで実習生が、母校に、ただ母校であるというだけの理由で、大学の仕事の肩代わりを頼みに行く。これがいわゆる「教育実習」なわけ。母校にはそれを受け入れる《義務》は全くない。当たり前だ。本来何の関係も無い話なんだから。でも、理由がない限り基本的にはたいていの学校はそれを断らない。まあ推薦のこともあるかもしれないしなー、とか、あるいはこんな生徒を受け入れて貰ったし製造物責任みたいなもんだし、生徒気の毒だし……みたいな話だ。ちなみに実習生の担当をする教員は(大学にもよるが)日誌のチェック、授業づくりの相談、指導、見学への挨拶やお礼の指導から始まって細々と実習生の面倒を見なくちゃならん。もちろん自分の通常仕事の合間に。実習生の面倒みるから授業や校務が減る……ということは基本的に無い。まあ、みんな「大変ですねー」くらいは言ってくれるけれども。
で、昔はもちょっと大らかだった。いわゆる「実習謝金」の制度があった頃ね。「ご迷惑おかけしますねー」的な意味合いで、実習生本人から、または大学からお金が出てて、それが備品費や教材費の足しになるということもあった。でもそういう不透明なお金の流れに対してクレームがつきはじめ、それも無くなった。そういう潤滑油的なものを無くすと、色々軋んでくるわけで。だから、不透明な流れが悪いなら素直に透明な金にして(制度化及び予算化して)受け入れ校に支払いなさいよと思うわけだけど、多くの学校はその方法を取らなかった。それは、多分支払う大学と支払われる母校側の両方の制度を同時に透明化しなきゃいけなくて、でもその両者は制度上の扱いが全然違って統一して号令をかける所が無かったからだと思う。
で、最初の話に戻るけど結論として
それはそうなんだよ。少なくとも現行の制度である限りは、受け入れ校に取って実習生はお荷物でしかない。これは実習生が悪いんでなく制度が悪いんだと思って欲しい。
で、「謝金も無いのに受け入れるなら…」ということで、受け入れ側の学校としては、それを受け入れるための正当な理由を聞かざるを得ない。そこで「間もなく自分たちの仲間になる人間のためということであれば、無下に断るわけにはいかないしな」という大義名分を求めるわけだよ、学生に。もしそこで学生に「いや教師になる積もりは無いんすけどね」とか正直なこと言われたら、言った学生は正直に言えて気持ちいいかもしれないけど、面倒見る教師からは「じゃ、なんでこいつらの面倒見なきゃいけないんすか。制度上見る義務もなくメリットもないならもう断りましょうよ。」という不満が爆発するわけ。「謝金とか不透明なことやめます」という正論を大学が振りかざしてる現状で、もし受け入れ校側が「じゃあ義務でもないわけですから受け入れやめます」とか、そうなったら制度崩壊なわけ。そこを辛うじてつないでるのが、
「教師になります」
「教師になるんじゃしょうがないな」
という芝居なわけです。
重ねて言うけど、これは制度設計がなってないというだけの問題。それをいままで潤滑油注ぎ込むことで凌いでたけど、潤滑油注ぐ手が使えなくなって制度上の歪みが顕わになったということなのさ。本当のところ、教師になる人もならない人も、教育現場を体験して貰うことにはそれなりのメリットがあると思ってます。だから教育実習が制度として継続されることをすごく望んでるよ。できればより透明な形で制度化されると良いんだけど、みんな正論を言うのだけは好きなんだけど、正論を踏まえてきちんと制度化するという現場の泥をかぶることをしないから、結局現場ではいつまでたっても猿芝居を続けるしかない。このままじゃいつか制度崩壊するよ、ほんと。
折角納得した後になんだが、その言い方は正しくない。
まず、金ってのは株(投資)じゃ増えもしないし減りもしないんだ。
(中略)
投資で金が増える、なんてのはまやかしに過ぎず、結局はどこかで誰かがモノを売り買いして始めてお金が生じる。勿論、効率よい投資の分配のためには株式市場などの投資市場は必要なのだけれどね。投資市場というのは経済の潤滑油なんだ。エンジンオイルをいいものにすれば燃費は良くなるし、エンジンオイルなしじゃ燃費が悪くてやってられないけれど、エンジンオイルだけでは車は走らない。
金は労働力や情報(技術)と同様に、モノを売買するための要素だよ。この要素のどれが欠けてもビジネスをすることは出来ない。潤滑油の喩えは、金のある側面を表現しているが、同時に金自身が商売の必須の要素であることを省いている。おそらく意図的に。虚業/実業なんて言いたがりな日本人気質に関係するかもしれない。
その必須の要素をどう調達するかって手段に株式ってのがあって、この株式ってもんがどう動くかは他増田のエントリの通り。金の持ち主にとっては、利子は相手任せで(でも過去の利子は分かる)金を貸してるようなもんで、これまで儲かってたと聞いたから自分も便乗しようと金を貸したら、急に失敗しやがって、というようなことだ。
金を貸して儲かるための権利である株式自体が一種の商品になってて、価格がついてて、毎日競りにかけられて価格が変わる。そんな世界。