はてなキーワード: 京極堂とは
俺の妹がこんなに可愛いわけがないのアニメを観て純粋に面白いと思った。
ブラコン・シスコンにはちょい引くが。
自分の中では1993年頃の富士見ファンタジア文庫とか1997年頃?の設立当初の電撃文庫で止まっているんだが、
今からでも読んで損はないライトノベルってなんだろう?
本屋に行ってみたが、表紙を見ただけで頭が痛くなるのが多くてw
どれも同じに見えたしw
そんな人間は手を出しちゃ駄目かしら、、、
バッカーノとかデュラララは面白そうな気がしたが、、、
【追記:2010/11/15 15:58】
あの厚さを見ただけで読む気が起きないし、かなり好き嫌い別れそうな内容なので手は出さない。
マルドゥック・スクランブル(これもライトノベル?)
杉井光の作品
が良さそうなので手を出してみようと思う。
しかし、今のライトノベルの現状を調べれば調べるほど小説との境界線がわからなくなる。
同じようなもんじゃないのか。
・・・「さくら荘のペットな彼女」もいいかもな・・・
ここ最近ミステリと言っていいのかよくわからないけど、推理小説みたいなのをいくつか読んだんだけど、多くの小説でいわゆる「天才」が描写してあるんだよね。基本的に自分は天才じゃないから、天才の描写って難しいと思ったんだけど、どう書けば天才らしく見えるものか考えた。
真賀田四季という天才の女性が出てくるんだけど、いくつもの人格を抱え、常人の思考の及ばない世界にイッちゃってる。「7は孤独な数字」とかパズルのような謎かけの好きなんだけど、思考パターンというか考えている事の世界があまりに違いすぎて、逆に天才ぶりが感じられないような気がした。
犀川創平も設定上は天才なんだと思うんだけど、真賀田四季がすごすぎるので彼女に振り回されている感じで、どうにも天才と言って良いのかわからない。西之園萌絵もさくさく暗算したりしてこれはこれで天才なのかもしれないけど、役回り上犀川より思慮が及んではいけない立ち位置なので、思慮が浅すぎるお嬢様像が前面に出ていて、かわいそうではある。すごい桁数の掛け算とか計算できるのは果たして天才なのかどうか良くわからなかった。天才を描写する際に計算はそんなにいらんかもと思った。比較による「天才」の表現というのはありだと思うのだが、誰をどこまで落すか、誰をどこまで上げるかは難しいとも思った。
本編では、京極堂が天才とは一言も書いてないような気がするけど、逆に「天才」を強く感じさせる京極堂。人の話を聞いただけで全てを見通す。凡人が見えないところが見えている。それを言葉で「天才」と言わずに筆力で感じさせられる。それが京極堂のすごいところだと思う。ただ、願わくばもう少し早く、気づいてる事を言って欲しい。もったいぶりすぎて死人が増えてる。
天才石神と天才湯川の会話で、「天才」を感じさせる手法かもと思う。かなり専門的な数学の話を二人の天才がするのだが、数学を知らない人にどう天才ぶりを伝えるのかは難しいと思った。逆に数学を知っている人にこの話が天才に見えているのか興味があるところ。すごいトリックを考える天才とそれを読み解く天才という構造は好敵手同士がお互いを高めあうと言う意味で、天才を描くのには良いのかもしれないと思った。警察がアホなのが必須な条件かも。
いわゆる西尾維新の「戯言シリーズ」。西尾維新の名前は知ってたけど、文庫本になっていたので初めて手を出してみた。最初の一冊では「戯言」というのが意味がよくわからない。五冊読んだ頃、ようやく「戯言」の雰囲気がつかめてきた。そういう自分は鈍いのかもしれないと思う。
シリーズを通して、どちらかと言うと「天才」が連呼されているがあまり嫌味が無い。
シリーズを通して「ぼく」の戯言を越えて真実を語る哀川潤に強く「天才」を感じた。哀川潤と比較され、完膚なきまでに毎回「ぼく」は貶められる。その貶めぶりは見ていて清清しいくらいで、気持ちよく哀川潤の「天才」ぶりが引き立つ。だが、哀川潤の煽りは基本的に「天才」では無くて「請負人」。
むしろ「天才」と言われる久渚友の天才ぶりは最初の一冊ではあまり伝わってこない。サイコロジカルで死体を見て、不気味な笑みを浮かべる久渚に「天才」を感じた。凡人の自分は読み返してやっと言える事だが、この時点で久渚は全てを見通していたんだなとようやくわかる。この「全てを見通した感」が、小説においては一番「天才」を感じさせられるんじゃないかと思った。暗算で多くの桁の計算ができたり、チェスが強かったりするよりもそれは効果的だと思った。
本屋に我が物顔でどすんとふんぞり返る京極本。
その文庫本のあまりの厚さの無茶ぶりに、最初に見た時は我が目を疑った。サイコロかよ、と。いつも気になっていたけど、ついに最近手を出してしまった。
京極堂という神主であり本屋の主の主人公がいろんな人に憑いた憑き物を落すんだけど、理詰めで落すというかなんというか。私には到底表現できない。すごい薀蓄の嵐だ。
最初は「文庫版 姑獲鳥の夏」最初の幽霊とか意識の話がかったるく、なかなか読み進む気がしないでしばし、放置。
だけど再度手に取ってそこを乗り越えて榎木津が出る辺りから俄然面白くなり、もう止まらなくなる。厚いけど、読みやすい。慣れると癖になる文体でずるずると引き込まれる。
「文庫版 魍魎の匣」は一日で読めるくらいはまった。途中で止めるとか途中で寝るとか出来なかった。
「文庫版 狂骨の夢」も面白かったが、三つ読んだ中では「文庫版 魍魎の匣」が一番好きだった。
ただどれもちょっとグロい表現があるので、そういうのが苦手な人には向かないかも。
で、何がいいたいかと言うと京極本をとりあえず読んどいて良かったと思った。
僕の考えた京極堂『小女子の報』 - 脳髄にアイスピック
あー、すげえ、笑った。いいなあ、こんなのがすらすらっと書ける人は。
はじめてえがちゃんに感謝した。えがちゃんの話題を追っていなければ、こんな面白い文章を理解する事が出来なかった。
でもこれを読んで思ったなあ。現実には京極堂に落せない憑き物は多いんだなと。
渾身の憑き物落しの応酬が毎日のように繰り広げられ、お互いブクマでざっくりコメントして切捨て合う。
そして、誰一人として落されない。
「ぼく、将来大きくなったら、力仕事を全くしない人間になるんだ!」
そんな生活に常々不満を持っていた小さい頃の自分。
その気になれば一年中全く運動しなくても生きていける大人達がキラキラと輝いて見えた。
頭しか使わない仕事について、重いものを持たされる肉体的疲労やチームプレイスポーツの精神的苦痛とは無縁になりたい――
運動能力の平均値と一般的イメージによって無条件に力仕事を免除される女の人がうらやましく、唇を噛み締めることも数多くあった。
天気がよければ外で運動、雨が降っても体育館で運動、と、どちらに転んでも絶望的な結果しか生まない体育の恐ろしさに何度も打ちひしがれた。
そんなとき励まされたのが、力仕事はしないと14歳の時点で誓った、という京極堂の台詞。
フィクションながらも、自分と同じ信念を持ち、それを実現している姿勢に大きく心を打たれた。
その後、夢の実現にもっとも大きく近づいた一歩。
それはちょうど20才の頃、生涯最後の体育の授業が終わった瞬間だった。
これで二度と強制的に運動させられる機会はなくなる…!
ずっと欲しがっていたものにも関わらず、小学校入学以来ずっと続いてきたその苦しみの突然の終わりに実感が沸かず、そのときはまだ半分宙に浮かされたような気分だった。
それでも後から思い返す度、体育がなくなったということは自分にとってやはり非常に大きな変化だった。
なにしろあれほど一分一秒が長く感じられる時間は他になかったし、「ペアを作って練習しろ」と言われ暗澹たる気分になることも、
息が切れているのに意に反して走らされることも、飛んでくるボールに神経をすり減らすことも今はもうない。怪我をすることも少なくなった。
でももちろん、夢はそう簡単には叶わなかった。
イベントでのテント設営の手伝い、引越しや長旅で避けて通れない重い荷物の運搬、工場での製造実習――。
力仕事が発生してしまう機会は日常のあちこちに潜んでいて、常に注意深く意識を巡らせていないと、すぐにその魔の手に絡みとられてしまう。
それでも今現在、おおよそ体力仕事とは縁のない職場で働くことが出来るようになっている。
今後望まない体力仕事をすることは、もはや一度もない…という確証は持てない。
けれど、子供の頃の自分に胸を張れるほど、運動をせずに住む環境にいる。
もし今、同じような夢を抱えている子がいるのなら、ぜひ将来への希望を持って今を耐えて欲しい。
きっと将来、その夢を叶えることはできるのだから。
友達と三人で、旅行に行くことになった。男女比は1:2。
私以外の人間は姉弟だから、身内旅行に便乗させてもらう形になる。
私の恋人も旅行を快諾し、予約も済ませ、後は荷物のパッキングをすればよいだけ、という段になった。
ところが、今になって横槍が入った。横槍の主はBさん。ちなみに、誰かの恋人でも家族でもない。
ただの「全員にとって友達or知り合い」というだけ。その人が、私に向かって文句を言い始めた。
彼の主張をまとめるとこうなる。
恋人がいるのに他の異性と旅行に行くのはおかしい。したがって○○は淫乱だ。
また、○○の恋人には○○を信用しても○○の友達を信用する理由がない。
○○は私の名前。
正直、こいつの言い分がまるで理解できない。サークル合宿ですら認めないらしい。
なんだそりゃ。社員旅行もアウトとか、たかが恋愛ごときで何社会生活に支障きたしてるんだ。
そして私は、私の判断すら信用できないダメ男なんざ選んじゃいない。
私の恋人は私にNOが言えないような男ではない。そんなんだったら7年も付き合っちゃいない。
と、いう趣旨のことを言った。
男はみんなそうなんだって、嫌われたくなくてNOの言えない男なんかいっぱいいるって。
だから何でお前がいつの間に男代表になってるんだよ。
あたしの恋人は他人にNOがいえないほど嫌われたくない人でもないし、
Bさんの前で「気晴らしになるととってもうれしいです」とか言ってるし、なんなら本人に言質とれよ。
マジ意味がわかんないよBさん。
異性と旅行にいけたからって浮気するのは少なくともあんただけだよBさん。
信用している人間の判断が信用できないのは信用って言わないんだよBさん。
http://anond.hatelabo.jp/20070302151601
読み手を想定していない文章などこの世に存在しないのだと京極堂はいうけれど、想定しない読み手というのは往々にして存在して、ネット上ではそれが発生しやすいのじゃないかと思っている。
俺も最近の若者なので、mixiたらいうところにアカウントを持っているのだけれど、もともと別の場所で日記を書いていたこともあって、別口の日記を書く気にはなれず、外部日記(?)というシステムで既存の日記に飛ばすようにしている。彼女(三人称代名詞)がmixiをはじめたというのを男友達から聞いて、そこの間はすでにマイミク(←関係ないけど、俺はこのマイミクという表現がすごく気に障る)になっていて、mixiをしていることを知っているはずの俺のところには、まったくそういう話が来ないことに少し煩悶とするけれど、それは置いておこう。そういうわけで、ネット上では彼女とは2Hopsの関係になっている。今のところ、彼女が僕のところにきた形跡はないのだけれど(あしあととはなんといやらしいシステムなのだろう、と思わなくもない)、何かの拍子で来ないとも限らない。というか、昨日俺が彼女のところにあしあとをつけたことで、その確率はすごく高くなったのかもしれない。普段から日常のことはあまり書かないたちなので大丈夫なのだけれど、それでも、迂闊なことは書けなくなったなと、少し息苦しさを感じている。