はてなキーワード: 残穢とは
最近の若い人は知らないだろうけと、はてなにはむかし「はてな村」というのがあってね。
その村では論理的に間違っている人はボロかすに叩いていいという悪習があったんだよ。モヒカン族とか手斧の投げ合いとかいってね…いや細かい話はどうでもいいな。
その残滓というのかな、残穢というべきか。はてブにも論理的に間違っているやつはぼこぼこにしていいという風潮が残っているんだ。やっぱりそういう、コミュニティの文化、雰囲気みたいなものは残るんだと思うんだよね。
今のとその前の自民党政権は論理的に考えて穴がぼっこぼこの政権だったし首相も突っ込みどころ満載だから、はてブの人たちはもちろんぼこぼこにするよね。しょうがないことなんだと思うよ。
中韓は~とかの差別発言は論理的に正しくないから、そういうのには乗らないんだな、この人たちは。
もちろん誰かが論理的に間違っているからってその人を叩いていいことにはならない。でも相手が権力者だったり権力そのものだったらその限りではないからね。仕方がないね。
「女も男もそれ以外もオタクも非オタクも読んでいってくれないか」(anond:20200714091214)に答えますね。
男の子は小学校中学年にもなればエロに興味を持ち出すころかと思うが、男の子をお持ちの男性のみなさんは何歳くらいからどんな作風なら触れてもいいかなみたいな漠然とした指標があるのだろうか。とらぶるならいいよ、とか、どんな性的嗜好だろうがフィクションはフィクションって割り切れるから自由にさせとけとか。
自分の子供時代を考えてみると、小学校低学年のころに、うちに遊びにきた友達がどこぞで拾ったと思しき女の人の肌色が非常にカラフルなお雑誌を持ってきたことがあった。それは祖母に見つかり、後日学校で女教師に呼び出され「そういうのはいけないんだよ」という丁寧な説明を受けた。私は自分が何を見ているのかも何でお説教(いやすげえ優しい口調だったが)を受けているのかもわからずどちらの場でもポカンとしているほかなく、当然私の小さなちんちんは勃ってはいなかった。
それが中学生になるとエロ本の回し読みなんぞをしてシコシコするようになるわけだが、男どうしの会話とはいえあまりに露悪的な嗜好の持ち主だとなかなかそれを表には出しづらく、いろいろな作品が収録された短編集や雑誌のうち1本に陵辱ものが混ざっていれば欣喜雀躍、結局のところインターネットで陵辱ものが好きな同士にたくさん出会えて、同好の士がネット上にはたくさん存在していることに気づけて安堵したりするわけである。
だから元増田が挙げた、モブレやら体調不良やらでキャッキャウフフする若き腐女子たちには、素直に羨ましさを感じる。自分の好きなオカズを同年代の友達と共有する経験なんて私にはなかった。同好の士はいつもネット上の見知らぬ誰かで、彼らと会話を交わしたことなんてなかった。自力で探しだしたエロ画像はあっても友達と本当に好きなオカズの回し読みなんてできなかった。私には彼女たちがまぶしく見える。
「レイプされて虚ろな目になってる女の子いいよねー」みたいな会話をリアルの思春期男子のあいだでやったらドン引きされるだろうし、モブレでキャッキャウフフしている女子たちもおそらくリアル友人とのあいだでそんな会話はできないだろう。あくまでもネットで同じ趣味の相手を探して語り合うくらいは、男も女も別にいいじゃないか。私はそんなふうに語らったことはないので、語らえる子たちの気持ちはよくわからないのだが……
で、倫理についての話。
正直、あまり心配しないでいいと思う。というのは、陵辱もの好きな男として断言するが、私は自分がそういうものが好きな傾向があると自覚した幼き日から今日までそれを現実にやっていい行為と誤認したことはただの一度もない。当たり前だ。嫌がる女の子を拘束して猿轡噛ませて犯す、この過程がどうやれば合法で倫理に則っていると勘違いすることができるのか。現実にやったら犯罪であり、被害者を苦しめる外道な行為であることなど自覚している(いや苦しんでいるから興奮するんだけど)。だから漫画に頼るのだ。
ここで勘違いするようなやつは、はっきり言って元々倫理観がぶっ壊れているのでゾーニングがどうこうの話ではない。エロが綺麗にゾーニングされていたとしても別のやらかしを犯すに決まってる。
だからモブレだの殴られるだの飛び降りだの、露骨に倫理に反する表現はむしろ安牌に近いだろう。だって、推しが殴られているBLを読んで、そうか、男を殴ることは倫理に反してないんだ! って勘違いしちゃう小中学生なんている? いないでしょ。仮に勘違いしちゃう子がいるなら、それはもうBLの責任どうこうじゃなくて本人にマトモな倫理観が備わっていないことの表れでしかない。そういうやつはBLがなくても別のことをやる、絶対にだ。
危ないのは、むしろ一見して倫理に反しているとは思えない表現の方だろう。
男向けのエロ表現が「現実に影響する」として近年問題になっているのは、陵辱やロリペドではなく、むしろ和姦ものの表現だ。たとえば、ガシガシ手マンすれば女は喜ぶとか、感じたときには潮が吹き出す、とかそういう演出だ。AVを見て「そうか! こうすれば女は喜ぶのか!」と勘違いして彼女に同じことをやって性器に怪我をさせる男というのは一定数いて、こちらは性交の実務に携わる人たちの間では問題視されている。はっきり言って一部の頭でっかちなフェミ連中が陵辱ものやらロリペドやらで騒いでいるのは頭がどうかしているとしか思えない。そんなのが現実に影響するなんてのはごくごくレアケースであり(ないとは言わない)、本当に問題なのは、こういう善意による勘違いだ。
これをBLに当てはめて考えるとどうか。危ないのは、むしろ増田のような思考ではないか。増田は、「政治的な正しさ、ポリコレに照らし合わせて考えること」が重要であると主張している。しかし、本当にポリティカリーにコレクトなBLを目指すなら、女が創作していたり、作中のゲイたちが差別を受けずのびのびと暮らしているだけでポリコレ的な問題をはらむのだ(anond:20200712223432)。露悪的な嗜好の腐女子たちは自分たちが倫理に反していることなど百も承知だろうが、増田のように倫理を重んじる腐女子は、果たしてそのあたりに自覚的だっただろうか? 結局のところそれは「多数派の考える倫理」に過ぎず、勘違いした善意を性的少数者に押し付けているだけになってはいないだろうか?
たかが十数年、されど十数年である。十数年というのは、他人を強姦してはいけないとか、他人を殴ってはいけないとか、そういう規範を育むには十分な時間だと思うし、十数年も生きていれば支部のゾーニングをかいくぐる技術くらい身につけるものである。
積極的に子供たちにセンシティヴな創作を見せびらかしていくべきとは思わないが、小さな人たちが自分でセンシティヴ表現に積極的に触れようと思ったら、表現者の側でそれを阻むことなんてできない。だからまあ「うるせえ自由に創作させろ」でいいんじゃないでしょうか。男向けのゾーニングはそういう発想で動いているように思う。子供の前にわざわざ出したりしないけど、子供が自力でたどり着いた分にはニヤリと笑って不問に付す、的な。あれだ、一種の通過儀礼だな。
あれ、「オタクだけど」と名乗った割にオタクとは関係ない話になっちゃった。だからオタクと関係ある話を最後にしておくと、ワイ好きな作品のエロ同人ってほとんど買わんのよね。好きな作家さんがエロを出したら買うけど、基本的には全年齢向けのプラトニックな恋愛ものとかギャグものとか日常ものを買って読んでる。だっていちゃラブじゃいくらガッツリ性交を描写されても私は勃たないし、私が勃つようなひどいプレイを好きなキャラ相手にするのなんてひどすぎてかわいそうで見ていられないし、ということでエロはオリジナルに限りますね。思い入れのない架空人物ならいくらでもかわいそうな目に遭わせられて最高。だから好きな作品のエロ同人買ってNTR掴まされてキレてるオタクの気持ちはよくわかんない。エロ同人を買わなければNTRを掴まされることもないのでは……? なぜ好きなキャラのエロを読みたがる……? というか和姦ものを買う以上一定数NTR掴まされることは覚悟しておくべきじゃない? ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開を日常的に掴まされているんだぞ! 安易なレイプファンタジーを蔓延させやがって! NTRくらい甘受しろや! あ、これただの八つ当たりだわ、すまん。
ゆにちゃん様は好きだけどひまりちゃんはそこまで好きじゃないんだ、すまんな(単に興味がないだけで嫌いというわけではない)
"ガチの陵辱スキーは途中で女が喜びだしだり犯してきた相手のことを好きになるとかいうクソ萎え展開" わかりみしかない。少し理屈をこねると、加害行為を被害者から肯定される展開は二重に正しくないだろって思う。
いやそういう理屈は割かしどうでもよくて、心底嫌がっているのを無理やり……というのが良いのになんで途中から愛が生まれてるの? は? って感じで萎えてしまうんや。萎えの機序としてはメガネっ娘がメガネを取るアレに近い、というかコスプレAVの衣装を脱がすな問題と同じ。
この増田があげてる「陵辱で相手が受け入れちゃうケース」はよろしくないと思う(ただ現在のゾーニング対象になっているとも思う)。
なんか勘違いしてるかもだけど「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開に特化したゾーニングはないよ?
ゾーニングといっても色々あるわけだけど、たとえばpixivでは、性行為や乳首・性器の直接的な描写の有無でR-18かそうでないかが決まり、その中でグロやスカの描写があればR-18Gになる、という感じなので、いちゃラブ和姦でもモロに性器やら何やらが描かれてればR-18で、陵辱してきた相手を好きになる展開でも描写が朝チュンなら一般向け。
「陵辱されて気持ちよくなる/陵辱してきた相手を好きになる」展開、個人的には別ジャンルということにしてほしいんだけど全部ひとまとめに「陵辱」扱いされてるのが現状だねえ。いずれおねショタとおねガキみたいにジャンル分化する日が来るんだろうか(でもこれは物語のオチを明かすに等しい区分だから無理だろうなぁ)。
で、勘違いされると困るので言っとくと、私がそういう展開を嫌いなのは性暴力を正当化しているからとかそういうどうでもいい理由ではなくて、単純に萎えるからです。嫌がってるのを無理やり陵辱する展開が性的な意味で好きなのに途中で受け入れられるとドッチラケなわけ。
でも、それは私のちんこに反しているというだけで、そういう展開が正しくないってことじゃないからね。そういう展開が好きな人には私の好きな展開は刺さらないんだろうし、好みの問題であるものを正邪の話にしないでほしい。
増田は「表現による心的ストレス」という影響を軽視してるな。ホラーを見てトイレに行けなくなるのは皆通る道だ。フェミやNTR嫌いの根幹はそこだし、オタクも住み分けには賛同する。自由の代償は他人が支払ってるよ。
アホらし。ホラー見ておトイレ行けなくなるのもNTR掴まされてショック受けるのも自己責任でしょ(もちろん私が嫌いな展開の陵辱ものを掴まされるのも)。私もうっかり寝る前に『ゴーストハント』読み返しておトイレ行くの怖くなるときがあるけど、それはそんなのをそのタイミングで読んだ私の責任。支部や即売会でエロ同人を漁るならNTRが一定数混じっていることを覚悟すべきで、展開に怒るなら好きなだけ怒ればいいけど(作品をdisるのは読者の表現の自由に属するので)そのストレスの責任は自分で負うべき。
自由に表現して自由に手に取って自己責任で怒ったり傷ついたり笑ったり泣いたりすりゃいいんですよ。
みんながまともなら問題ないけど、こういう極端な設定の作品は「これは現実ではない」注意喚起や一般には簡単に見えないよう棲み分けが必須 澁澤龍彦とか
ばっかじゃないの。ガッツリ性行為のシーンがある陵辱ものは当たり前だけどとっくにR-18で~す。R-18といっても広い世界なので、わざわざ「陵辱」とか「レイプ」とか「(自重)」とか「(自主検閲)」とか「(禁則事項)」とかそういう検索ワードを入れないと出てきませ~ん。あのさ俺が理想の陵辱ものを探すためにどれだけ検索ワードを工夫してきたと思ってんの?(血涙)
全然関係ないけど今テキトーに「R-18」で画像検索したらむっちゃBL出てきて草。R-18で検索したら男向け作品が出てくるという先入観はある意味ジェンダーバイアスだよなぁ。
だるま、欠損好きの友人と比べたらセーフかと思ったけどそれはそれで感覚狂ってるな。ところでなるほどなあと読んでたらいきなりゴーストハントが出てきてビックリした
だるま、作中で切断される場合だと「その傷が塞がるまで何日かかるんだ?」みたいなことが気になってしまうんだよな(いや、包帯巻いてる場合が多いだろうけど)
『ゴーストハント』は家人が寝静まって暗くなった家でうっかり読むとマジで怖いから困る。コソリが来るよ……『残穢』はおトイレ以前に家そのものが怖くなるからダメ(好き)。うっかり寝る前に『残穢』を読んでしまい家を焼き払いたい衝動に駆られたときは『営繕かるかや怪奇譚』で中和するのがいいと思います(そもそも寝る前に『残穢』を読むな)
中高生くらいの男の子に「正しい性癖とは何か」を教えられるのは同年代のホモソーシャルしか無い。ホモソを悪としか捉えられないフェミには都合の悪い話だろうがな。
「堂々と公言できる性癖」や「合法的に実行できる性癖」はあっても「正しい性癖」はなく、「公言するとドン引きされる性癖」や「実行に移すと犯罪になる性癖」はあっても「間違った性癖」なんてこの世にないんだよなあ。
同時に、こんなことが現実にありえるだろうか、と思う。こんなこととは、贖罪をテーマとして、複数人の人生の因果を一つの物語にまとめることができるのだろうか、ということだ。
もちろん、小説であり、サスペンスなのだから現実にはありえないのは当然だ。
もし、自らの人生を振り返って、小説のように物語として人生を捉える、説明することが可能であるとしたら、それは不都合な記憶を省略して、因果を無理矢理に成立させているだけである。
湊かなえの小説をわざわざ持ち出して書くことでもないのだが、久しぶりにこの手の作品を見たので、きっかけに思いつきを書いてみる。
また、この文章の発想の材料としてtwitterで流れてきた、脳科学に関するつぶやきである。tweetは見失ったが、内容は、脳のような複雑系はブラックボックスとして扱うしかないのではないか、というものだった。
脳が複雑系であるゆえに、私たちのあらゆる認知活動も複雑系の一部である。とすれば、小説という営みは虚しい。なぜなら言葉で説明ができない対象を言葉にしているということはそれはただの虚構だからである。もちろん、大抵の小説がフィクションであることは、承知している。が、人は小説で感動し、自分の人生を重ね合わせたり、小説に人生の一つの真理を見出すわけである。ちなみに、逃げの一文を加えると、ドストエフスキーとか立派な文学ではなく、私が対象としたいのは大衆向けのエンタメ小説である。
小説が複雑系を表現することが不可能である以上は、その存在意義を上記のような、自分の人生を重ね合わせたり、小説に人生の一つの真理を見出すこととすることはできない。私の考えでは、小説の存在意義は、まさにそのような錯覚を発生させること自体である、思いつきだけど。人は、自らの人生の意味不明さ、理解不能さを紛らわせる為に、小説にすがるのではないか。
また、小説という文化自体は複雑性が高いものであって、数多の小説を読み漁ってその相互の比較をすることは、一つの小説を読んでそこから何らかの意図を汲み取ろうとする行為より格段上の行為であると思う。
追記、今またnetflixで残穢、というホラー映画を見ていて、その途中に書いているのだが、怪談も説明のできないものを説明しようとした結果のバグのようなものであると思った。
私が見ておもしろかったのは
アンフレンデッドダークウェブ
パソコン画面だけでずっと話が進む実験的試みが面白かった、緊張感が長時間続くのも凄い。話が胸糞悪い系なのがちょっと好みじゃない。
シャークネード
有名なだけあって流石に笑える。予想を超えた展開が続いておもしろくて爽快だった。
鬼談百景
いろんなタイプがあるのでどれか好きなのがあると思う。
かやこさん生きてる時から怖い。
話が通じない人が怨霊になったらそりゃ普通の人より怖いよねと当たり前の事に気がついた。
全然ホラーではないんだけど、映画が怖くて泣いたのは幼児期以来だった。
古い映画だけど役者達が全員熱演で色々古びていない魅力がある。
ジェーンドウの解剖
美しい死体を解剖していく過程でどんどん奇妙な事が判明していき、死体と解剖している親子だけの空間で恐ろしい事が起こりはじめる。
タッカーとデイル
気のいいモテない男二人を殺人鬼と勘違いしたリア充学生達が二人の周りで自爆してどんどん死んでいく。
笑えるけど二人が気の毒。
数年前に貴志祐介『新世界より』に衝撃を受けて以来、同じような恐怖と爽快感を味わわせてくれる作品を探している。
おそらく主人公サイドの(というか読み手の私が)信じていた仲間・信念・世界の構造・出自・打倒すべき敵みたいなものが、全部ひっくりかえる作品が読みたいんだと思う。「猿の惑星」みたいな。
求めているものがミステリともホラーともSFとも少しづつずれてるので、ドンピシャでこれというのを探せていないんだよね…。(うっかりggろうものならネタバレ踏みそう)
意識して探したり、あと過去読んだもので近い感覚を得られたかな?と思ったものは以下の通り。
・レイ・ブラッドベリ『10月はたそがれの国』収録「大鎌」
映画好きの女子大生を主人公にした、安田剛助先生の『私と彼女のお泊り映画』という漫画があります。僕の大好きな作品です。
この漫画の最新話の一部が2ちゃんねるに抜粋掲載されて、そのスレッドがまとめブログにまとめられたことでちょっとした話題になりました。
映画通の男「邦画はクソ。黒澤映画だけは認める」 女さん「はぁー(クソデカイため息) 論破してやるわ」
【映画】なんだよこの漫画www【注意】 : 2chコピペ保存道場
よくいる「ちょっとオタク入ってるめんどくさい大学生」がここまで見事に再現されるとはwwwww : 無題のドキュメント
この男子大学生が登場する回は実は僕もあまり好きではなくて、というのも、彼のキャラクターが如何にもな“ステレオタイプの自称映画通”すぎるからです。
主人公・小春の最後のセリフ「あなたが好きなのは『映画』じゃなくって『映画が好きな自分』じゃない??」を言わせるためにでっち上げられたキャラクターで、所謂邦画ファンの仮想敵でしかありません。
そういうのを言い負かす啓蒙的な作風はこの漫画に求めるところではありませんでしたし、そもそもこんな事言う自称映画通なんて今どき存在しないだろうと思っていたのですが……
というか、少し引きました。
8名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:36:48.05 ID:M9GbgbRG0
言う女に同意できるわけ無いだろう
別に男が悪いとは思えないのだが
69名前:名無しさん 2017/04/26(水) 21:56:57.52 ID:nt7/WWjT0
265 名前:/名無しさん[1-30].jpg[sage] 投稿日:2017/04/26(水) 22:34:42.86 ID:naDWyRswp
言ってることは間違ってないな
クソみたいな映画を絶賛するアホ女多すぎ
もちろん、邦画に対して肯定的な意見も多くあるのですが、ネット上とはいえこんなアホみたいな大学生に同調する人間が多くいることに驚きました。
そしてここからが本題です。
思えば確かに、ここ最近のネット上での邦画叩きは目に余るものがあるなと感じていました。
個人的に、その流れは三池崇史監督の『テラフォーマーズ』が公開されてから加速していったように感じられます。
漫画原作の映画が増えてきている昨今、『テラフォーマーズ』の出来が芳しくなかったという風説を受けたオタク達が挙って“漫画原作の映画は叩いていいモノ”、そこから派生して“邦画は叩いていいモノ”という風潮を作りあげているのではないでしょうか。
漫画作品が映画化されるという報せが届く度に、2ちゃんねるやTwitterのようなSNS上で、まるで親の敵に出会ったかのごとく、批判の嵐が巻き起こります。続いてビジュアル、予告編が公開されると、その勢いは更に加速していきます。やれ再現度が低いだの、コスプレ大会だの、ダサいだの安っぽいだの。
批判有りきのバイアスを掛けて見れば、正当な評価などできようはずはありません。公開前の作品に対してそこまで否定的なことを書き続けるのは最早ネガティブキャンペーンの一種でしょう。しかもそこから「だから邦画は糞だ」みたいな論調に持っていくのだからもう目も当てられません。
そんな差別主義者、邦画レイシスト達に、僕はモノ申したい。観もしない映画を批判するんじゃないと。邦画は、あなた達の批判オナニーのおかずじゃあ無いんだと。
はじめにことわっておくと、僕自身は別にそれほど邦画が好きというわけでもありません。映画はよく観ますが、圧倒的に洋画のほうが多いです。
こんな記事を書いておいて何を言うのかと思うかもしれませんが、重要なのは映画そのものが好きだということです。日本に住んでいる以上、邦画も映画興行の一角です。邦画の衰退は、日本映画興行全体の衰退につながります。
邦画レイシスト達を批判するのは、邦画を擁護したいというよりは、日本の映画を取り巻く環境に対する悪影響を危惧してのことです。
さて、ネット上で同意の声が聞かれる、「お泊り映画」の大学生の主張ですが、彼が邦画をショボいとする根拠として
の二点をあげています。明らかに、ろくに邦画を見ていない人間らしい的外れな批判ですが、彼はこれが真理だと言っています。
先に言ったように、このキャラクターは小春の最後のセリフを引き出すために設定された馬鹿な仮想敵で、そもそも発言に正当性なんてあるはずはありません。しかし、一部の邦画レイシストは彼同様これが真理だと思っているようです。
わざわざ間違った発言をあえてしているキャラクターの間違いを指摘するのは野暮というものですが、こちらもあえて、彼が如何に的外れは批判をしているのか示しましょう。
まずは、ケータイ小説ばかりのイメージ。といっても、『世界の中心で、愛をさけぶ』がケータイ小説原作でないのは言わずもがな、今日日ケータイ小説なんて名前も聞かなくなった死語同然のワードで、恋空がブームになったのももう随分前です。病気で殺しとけばいいと思っているような邦画といえば、最近だと『バースデーカード』や『四月は君の嘘』、あとは事故死ですが『Orange』あたりもそのイメージでしょうか。なんにせよ、ここ最近ではそれ程多くないように感じられます。
なので、男のイメージを前時代的と断ずることは容易です。ただ、安直なコンセプトという意味では確かに現状邦画の一角を占める存在が有ります。
現在公開中の『PとJK』や『ひるなかの流星』をはじめ、少し遡るだけでも『今日のキラくん』や『オオカミ少女と黒王子』や『溺れるナイフ』や『ヒロイン失格』など、枚挙に暇がありません。加えて、『ハルチカ』や『リライフ』や『君と100回目の恋』など、本来少女漫画が原作ではない映画も、そのイメージに取り込まれています。
しかも、このたぐいの映画はヒロインとその相手役に現在売り出し中の俳優/女優を起用して話題作りをしているので、二点目のアイドル性重視のキャスティングにも引っかかってきます。つまりこの一角は、彼の批判を真向から受けるゾーンということになります。
正直に言うと僕自身、この辺りに対しては公開される度に「またか」という気持ちにもなりますし、違いもよくわかっていません。だって観てないから。
確かに、この一角は邦画の一側面では有りますが、無論これが全体を体現しているわけではありません。マーケティングが大々的だからそのように感じてしまうだけです。
逆に言うと、観ていないからこそそれらの映画がショボいのかどうか判断はできません。
例えば『ひるなかの流星』はレビューサイト「KINENOTE」で67人の平均点73.4点との評価がくだされています。鑑賞人数は少ないですが、キネ旬が運営するサイトなのでそれなりの映画ボンクラ達が集まっているはずなので、この評価はなかなかのものだと思われます。どれも同じように見えても中身が違うのは当然で、玉石混交する中にはちゃんと面白い映画があってもおかしくはないのです。
つまり、コンセプトの安直さがそのまま映画のショボさに繋がるかというとそんなことはないということです。
この程、マイケル・ベイ監督が『トランスフォーマー』シリーズの量産体制に入り、既に14本分もの脚本が仕上がっているという報道がありました。14本って、相当な量ですよ。『トランスフォーマー』は作れば売れるが約束されているからここまで攻撃的な体制が取れるのです。これこそコンセプトの安直さの極みでは無いでしょうか。そして、『トランスフォーマー』シリーズ一本一本がショボい映画ではないことは皆さんご存知のはず。
あとは、マーベルスタジオも自社のコミック原作の映画をどんどん量産していますよね。2020年までの上映計画が既に確立されている。これも当然、作れば売れるが約束されているからです。そして、こちらのクオリティに関しても周知の通り。
少女漫画原作の邦画群もまた作れば売れるが約束されているコンセプトだから量産されているわけですが、それを以って製作が手抜きだと断ずるのは浅はかにも程が有ります。
実際に観てみると、本当にどれも同じような映画に観えるのかもしれません。しかし観てない以上、その一点で批判するには感情に寄りすぎているのではないでしょうか。
それに何より、そういった映画群が対象にしているのは女子中高生です。それが邦画全体であろうはずはありません。安直なコンセプトもアイドル性重視のキャスティングも、それが対象にするのが女子中高生だから効果的なのです。邦画を批判して悦に入ってるような、オタクや中年男性なんて端から対象にしていません。
なのにそれを論ってショボいだの言ってるのは大人げないの一言につきます。
ケータイ小説のような、今で言うなら少女漫画原作のような映画だけが邦画じゃあありません。そんなことを言っている人は、マスメディアの宣伝にしかアンテナを張っていないと自白しているようなものです。映画に対する関心が薄い、芸能ニュースだけをみて映画情報を仕入れている気になっている人間に、邦画全体を批判する権利なんてありません。恥を知ってください。
先程も言ったとおり、僕自身はそれほど邦画を観るわけではありません。昨今よく漫画の実写化失敗例として挙げられる『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も観ていません。なぜなら興味が無いから。
両作品とも、アニメは観ていました。特に巨人は、現在放送中の第二期も毎週楽しみにしています。大好きな作品です。しかし映画は、特に興味がわきませんでした。
そもそも映画は、テレビ番組や雑誌掲載の漫画とは違い、観るかどうかの判断の多くは観る側に委ねられます。だって、わざわざ映画館に足を運んで、1800円のチケットを買わないと観れないのだから。
ザッピングしていて目にとまることも、とりあえずで録画することも、買っている雑誌をパラ見して視界に入ることもないのです。テレビなんか比じゃないほどに「嫌なら見るな」が成立するコンテンツなんです。
漫画が原作の映画が公開されて、それがひどい出来だったか原作ファンが憤る。これは理解できます。その作品が好きで、その作品の新たな一面が見られるのだと期待に胸を膨らまして劇場に足を運び、目にしたものが原作を踏みにじるような駄作だったなら、それは批判してしかるべきでしょう。また、はじめからバイアスをかけて劇場に臨み、批判箇所をピックアップしながら鑑賞し、帰ってネットにそれを書き連ねる。僕自身はあまり理解できない楽しみ方ですが、それも正当なことでしょう。なぜなら能動的に足を運んでお金を払って鑑賞しているのですから。
しかし、そうでない人間はなんなのか。ビジュアルや予告編が、それどころか実写化の報せが出ただけでクソ認定してメタクソに叩き、果ては邦画の体制までもバッシングする邦画レイシストはなんなのか。原作のファンで、実写化した姿など見たくないというのなら、見なければいい。最初から期待が持てないのなら、無視すればいい。原作が好きだからというペラッペラの免罪符を掲げても、その実やりたいことは何かを批判して快感を得ることでしかないのではないでしょうか。確かに上映期間中はテレビでもCMが流れたり芸能ニュースを席捲することもあるでしょう。でもそんなのは、上映期間中のほんの一ヶ月程度と、それ以前の宣伝期間の、正味二ヶ月程度のものです。それさえすぎれば、余程のものでもない限り、もう目にすることはなくなります。
例えば『銀の匙』や『男子高校生の日常』や『ひぐらしのなく頃に』が実写映画化されたことを覚えている人が果たしてどれくらい居るでしょう。どれもアニメ化もされた大人気作品ばかりですが、映画の方はまず話題に上がりません。その程度のものなのです。
無視していればそのうち過ぎ去っていくのをわざわざ叩くのは、原作愛でもなんでもありません。批判して快感を得たいだけのただのオナニーです。漫画原作映画は、邦画は、邦画レイシストのおかずでは決してありません。
『テラフォーマーズ』も『進撃の巨人』も僕は観ていません。なので両作品に対して言及することは出来ません。便乗している人間はともかく、観た上で批判している人たちの意見は正当なんだろうなと思います。
しかし僕も、漫画実写化の中でも悪名高いあの作品は観ました。そうです、『デビルマン』と『キャシャーン』です。
『デビルマン』は、今でも漫画実写化の際に名前を挙げて「だから実写化は糞だ」という批判につなげる格好の材料となっています。2004年の公開にも関わらず未だに話題性を持続している、ある種伝説的な作品です。
これ一作で邦画批判につなげるのは短絡的に過ぎますが、実際この映画がそびえ立つ糞なのは事実です。僕自身観た作品なので遠慮なく言います。本当に酷いです。苦行かと思えるほどに。評判の悪い映画はあまり積極的に観ようとしない質なので、自分の中ではクソ映画の極北として君臨している作品です。
しかし『デビルマン』は本当に極端な例です。漫画実写化が全てこのレベルなら邦画批判も已む無しと思いますが、このレベルのクソはなかなかひり出せるものではありません。納豆が臭いからという理由で日本料理全体を批判するのはお門違いというものです。というのも、『デビルマン』と同年に公開され、クソ実写化の双璧と並び称される『キャシャーン』が、蓋を開けてみると実はそれほど酷いものでもないからです。
確かに手放しで褒められる作品ではないのですが、少なくとも『デビルマン』に比べると兆倍面白いですし、見応えがあります。PV畑出身の紀里谷和明らしく映像面のこだわりは強く、サイバーパンク的意匠が凝らされたディストピア風美術を日本で展開する舞台は一見の価値が有ります。アニメ原作であることを意識して、アニメーションを取り入れた演出がなされていたのも斬新でした。実写用にブラッシュアップされたキャシャーンのデザインもかっこ良く、今のアメコミ映画の隆盛に先駆けていたとすら思えます。クライマックスで明かされるダークヒーロー然としたキャシャーンの背景も、賛否は別れる気はしますがテーマに重みが出て興味深いです。主演の伊勢谷友介や悪役のブライキング・ボスを演じる唐沢寿明の怪演を始め、キャスト陣も申し分ありません。冗長な展開や説明的且つ啓蒙的すぎるセリフ回しが鼻につくことはあっても、『キャシャーン』は『デビルマン』と並んで語られるような作品では断じてありません。そもそも『キャシャーン』への批判は、設定改変によってキャシャーンのヒーロー像を歪められたことに対するファンの憤りからくるもので、映画そのもののクオリティとは別の由来です。
しかし、漫画実写化の際に『デビルマン』と『キャシャーン』の名前を挙げて批判している人間が居ます。彼らはまず間違いなく『キャシャーン』を観ていません。邦画レイシスト達の共通理解として“『キャシャーン』は叩いていいモノ”があるからの現状なのです。このことからも、邦画レイシストが如何に短絡的で、感覚的に邦画を批判しているかがわかります。彼らは邦画を観ていません。イメージと伝聞でしかものを語れないのです。
近年、僕が観た邦画の中で面白かったと感じた作品をいくつかあげます。(一応、アニメは除きます)
・『ちはやふる 上の句・下の句』
・『アイアムアヒーロー』
・『寄生獣』
・『シンゴジラ』
・『残穢』
・『日本で一番悪い奴ら』
・『SCOOP!』
・『クリーピー』
どれも大々的に宣伝された大作映画ばかりで、映画通が好むミニシアター系とかじゃありません。更に上の三つは漫画原作です。どれも実に面白い邦画でした。これらよりつまらない洋画をいくつも挙げることが出来ます。
映画が好きな人間であれば、意図的に避けようとしない限り邦画を観ることもあると思います。そのどれもが全く琴線に触れない人間など本当に居るのでしょうか。漫画を原作にしていても面白い作品はたくさんあります。邦画全体となれば尚更です。
本当に観ていれば、やたらと批判なんて出来ないはずです。それは、自分の感性も批判することになるのですから。実際、邦画それ自体が肌に合わないという人もなかにはいるのでしょう。しかし、SNSで邦画叩きをしている人間が皆そうなのでしょうか。おそらくそんなことはないでしょう。多くは叩きたいから叩く、邦画は叩いていいモノだから叩く、と思考停止している人間なのではないでしょうか。
自分はモノを見ないで感情的に対象を批判する、欠片の理性も持ち合わせないような人間ですと自白して、恥ずかしくはないのでしょうか。
僕もまたこうして、邦画レイシストなんてアホなネーミングの仮想敵を作って、一方的に批判を飛ばして悦に入っているだけの人間です。さっきも言ったとおり、邦画そのものに対して特別な思い入れはありません。
しかし、こうして文章にして発信することで、仮想敵だと思われた邦画レイシストが食らいついて、話題になってくれることを密かに望んでいます。
映画は好きです。邦画にも好きな作品がいっぱいあります。『銀魂』や『トーキョーグール』や『鋼の錬金術』等、観に行こうと思っている漫画原作の映画もあります。自分の好きなモノを理由もなく批判する人間は当然不愉快です。何よりも僕の映画ライフのために、そんな不快な人間が一人でも考えを改めてくれることを願っています。
>ハートフルでハートウォーミングなのがいいんでしょ?みんな頑張ってるのが見たいんでしょ?もたいまさこがいいんでしょ?
>たぶん例に挙がった監督って、だいたい現状を肯定する話だったり、ゆるかったり、なんか切ないねみたいな日本人特有のワビサビを感じさせるのばっかでしょ。役者とか舞台は違うけど結局同じテーマしか扱ってない。まあ安心して観れるんだろうけど、完全マンネリで、テレビの2時間ドラマででもやってたらいい。
よしじゃあいっちょ、監督、代表作にあがってる「残穢」と「アヒルと鴨のコインロッカー」と「そこのみにて光輝く」「きみはいい子」でも見てこようぜ!
邦画はクソだと思ってるやつ、映画は監督で見ろよ。配給で見るな!
ネット社会でアレはダメだったから邦画がダメになった、みたいに言ってるやつは見てる映画が悪い!
大体、「みんな」が見る東宝映画は金かかってるぶん、スポンサーに気を遣ってCMを入れる民放ドラマみたいになってる状態で(NHKは視聴者と国に気を遣いまくってる)
邦画漫画実写はダメだとかいうヤツもいるけど、じゃあ漫画映画一切見んなっつーの!と言いたい(「みんな」見るから売れる、だからやる。摂理)
あと批評家の宣伝方法がどうのとか言っても、今更批評家で興行は決まらないし……(インターネット時代になって批評家時代は終わったのだ)
この時代の日本にもしっかりした作品を作る映画監督が居ることを、ハッキリと言っていたい。
オリジナルで良作連発。漫画実写だけどミニシアター系でよくできてるのもたくさんだ。
そういうのが認められるようになったら、邦画はまともなものが売れるようになるんだ。
わりと認められてる漫画実写の「ピンポン」や「青い春」だって今みたいに大規模公開の分類ではなかったんだぞ。小規模の名作だ(ていうか、どっちも松本大洋だった)
商業監督の三池や堤を見てこいつらダメになった……って言うのは勝手だけど、あれは金稼ぎの中で十作に1作くらい好きな風に作ってる監督なわけだよ。
その1作が良作か駄作かで、その監督の価値が業界で決まってるわけ。
でもそんなの映画好きしか当たり引けないって。そんなに映画見ない人は、駄作見たくなきゃ避けるべき監督だ。
海外映画祭をとるような園子温は、とてもじゃないがおすすめできない。サブカルで奇抜なのが好きで、邦画に見飽きたくらいで見る監督だ。
(間違ってもクドカン監督作品は見るなとか言いたいけど、最新作は見に行く予定だ。大友監督は、ちょっとまともなのとってくれないと分かりません)
だから、最近のおすすめの映画監督をここに書く。我々「みんな」は良作を作る監督を学び広めるべきなんだ。
邦画ファンならみんな知ってる名前だろうけど、興行を支えているのが邦画ファン以外の東宝やワーナーファン(宣伝ブランド力)というのが虚しいではないか。
電通・マスコミによる印象操作で映画を語っているのは、悔しいと思わないか?
条件として。
傑作を作る監督も居る。だけど、そんなの邦画全体を見て年に1作2作あるか無いかなんだから、手っ取り早く傑作を求めても仕方がない。
「約9割の確率で駄作を作らない監督。マイナー過ぎず、佳作、良作を量産できている監督」を以下に書くので是非「ジャケ買い」ではなく「監督買い」してくれ。
代表作に「アヒルと鴨のコインロッカー」「ゴールデンスランバー」「ちょんまげぷりん」「残穢-住んではいけない部屋-」など
ミニシアター系でロングランになったアヒルと鴨の監督。どんどん規模の大きい映画を多く撮るようになった。
ただ、まだ三池や堤のように適当に撮ってないし、商業監督に寄っては無い。邦画ファンも認める『佳作』を『量産』してくれる。
知れ渡る知名度と合わせて、見た目がくまさんみたいに大きくなっているのが気になっている。
代表作に「舟を編む」「川の底からこんにちは」「ぼくたちの家族」
満島ひかりの旦那。嫉妬をするな、彼女は才能に惚れたのだ。日本の映画界を背負って立つ予定の監督。
堅実で丁寧で突っ込みどころがない、かつユーモアあふれる作風が特徴。若干32歳で舟を編む。賞をとりまくった。
淡々とした演出がTHE邦画といったところか。これからメジャーに寄っていくのか分からないが「舟を編む」だけは見ておくんだ。いいな、わかったか。絶対だ。
正直推していいのか迷ったけど、代表作に「モテキ」と「バクマン。」漫画実写で二つそろったとこだし、駄作を作らないという観点からラインナップ。
ポップでメジャーでサブカルでミュージック。ドラマ監督ならではの作風。ただ一つ、原作ファンには手厳しい(まほろ番外地だって、原作ファン的にどうなのか)。
しかし原作通り映画にするってどうなの?議論を使うと、彼の実写方針は正しいのだと思う。
映画そこまで好きじゃなーい邦画くらーいってヤツを連れて行くなら、大根監督一本だ。(エロには気をつけろ!)
堤化しないことを祈る。
代表作「リンダ リンダ リンダ」「天然コケッコー」「もらとりあむタマ子」「味園ユニバース」
邦画ファンなら必須チェック監督になっている気がする。自らの作風をつかみ始めたのか、近年、油が乗ってきたように思う。
画が良い。キャラが良い。2時間、監督のノスタルジックでファンタジーな世界に浸れたら幸せ。
代表作「純喫茶磯辺」「さんかく」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」
「銀の匙 Silver Spoon」という人気原作で華麗に滑った印象があるのだけれど、あんなもんで消えてたまるか!映画自体は良作なんだ!
いきなり任されたってのは、映画業界の期待の現れでもあったはず。
人間のどうしようもないところをポップに描く監督の映画活動が途切れないことを祈ってます。才能は消えない。
飯テロ映画「南極料理人」が好きな人は多いかもしれない。キツツキや横道を経て、最新作モヒカンを見て確信した。この人は天才。
単調なのが味わいでもあるが、作品によってはストーリーも効いているし、王道を嫌っているのか泣かしにこないでコメディに走るので気楽に見てほしい。
今まで長編映画は6作あるが、全部良作なので、いつでも安心して見てくれ。
安定してる人ってそんなに居ないので、これくらいは覚えられるはず。
何人か漏れている気がしないでもないが、他にもおすすめの監督が居る。ただ、良作率が6割程度に下がる他、発表間隔が長かったり、まだ出始めの新人監督なども居るので、そのへんは容赦してほしい。
まぁ他にもいろいろ居るんだけど、好きな監督は自分で「宣伝」してください。
SNS時代なんだから、今更企業宣伝に踊らされてる時代でもないでしょう。
追記・ブコメ返信:
内田けんじ追加命令が多いので追加します。新作撮る気はないんでしょうか?あと入江悠、大森立嗣、いいですね。好みではないけど良いです。あとは規模と宣伝ができるバックがついた監督も多いので、その辺はスルーしてます。矢口さん滝田さんとか、テレビ局がついてるので監督買いする人も一定数居るでしょう。とくに好みではないですが、悪くない監督だと思ってます。え、岩井俊二はもうみんな知ってるでしょう?堤さんや三池さんの映画にも好きなものはあります。堤さんは、最近丁寧になってきました。見てますよ。ただたまに許せない時があるだけです。橋口亮輔監督はいいけど、量産してくれるんだろうか?今後の監督として薦めにくいんすよ~過去作のレンタルおすすめ。30分も映画見てられないとか義務教育でつまらない授業45分からやりなおすべき。あともうなんか、ここに入ってないから気に食わないとか言われてもね。そんなに好きなら、あとは自分で宣伝してください。それがすべてと言っているでしょう。そういうお話をしたかったんです。邦画好きはもっとオシャベリになるべき。
そうそう、これ入門編なのです。人それぞれだなって思うような監督は、このリストではおすすめしにくいんで。別のときに別の方法で勝手に宣伝します。リストは好みの監督なんだなって思われるかもしれませんが、もうちょっとカオスなのも結構好きです。好みとか抜きにして良いのは良い、でまとめてます。どうせ、このリストから見るのなんて1人の監督から1作くらいでしょ?カオス作に当たったら責任とれない><個人的に大好きな映画は映画通に批判されるだろうから入れてないですよ三池監督…自分だけの宝物にしたい気持ちわかりますよね。
映画批評家(死語)や映画好きの漫画家(じゃあ貶してないで自分でフォロワーに宣伝すれば)に守ってるとか言われても知りません。一増田になにを求めるの?増田はテラフォをdisってないよ。
あと洋画見ないのかって言われたけど、こんだけ書いてて洋画見てない増田に見えますか?映画館でやる洋画なんて絶対面白いんだから、日本公開されない洋画を見てから洋画ファンは洋画ファンと名乗ってくださいね。邦画が楽しくてそこまで手を伸ばしてる余裕ないので、増田は邦画好きと名乗ります。邦画と似た洋画名作もたっくさんあるんだけどなぁ?洋画イコールドンパチCGって認識もどうなの?洋画にたいする侮辱じゃない?
アニメはあんまり詳しくないです。ごめんなさいね。言われてる監督は一通り見てるけど、アニヲタ様からしましたら色々あると思うのでなにも言いません。ただ日本のアニメは作風がとても邦画寄りですよね。D映画より好みに合います。
あと、あともなにも追記がうざいな。ブログ教えろって言われたけど、絶対嫌です。もうちょっと丁寧にインテリジェンスに、文章見なおしながら普通に書いて楽しんでます。そもそも感想文が上手くないんで、もっぱらツイッターだけど。これは思ってること一気に書いたので、読みにくいという指摘は「だよね」って思ってますよ。すごい共感した。
この映画監督リストが気に食わない人は自分で好きな映画宣伝してくださいよー邦画も洋画もどっちも日本じゃ下火なんだから、こういうところでどうでもいい議論して、じゃあいっちょ見るかくらいの熱が欲しいんですよ。駄作を批判した分、同じ熱度で良作紹介するのは映画ファンのマナーとしてきっと必要ですからね。今は批判したらしっぱなしだから…。