はてなキーワード: ウエディングドレスとは
おばあちゃん、今私の近くに居るんでしょ。
分かるよ。なんかあったかいもん。
お見舞いにいけたし、今の彼氏と顔合わせも出来たから少し満足してるよ。
でも、ウエディングドレス姿見せれなかったことだけ後悔してる。
亡くなる2週間前、1週間前にお見舞いに行ったね。覚えてるかな。
呼吸すら辛そうにしていて、見ているこっちも辛かったよ。
手を握ったらいつも通りのおばあちゃんだった。柔らかさが増したように思った。
「増田ちゃんの手はやわらかいねぇ~!気持ち良い」って言って笑って欲しかったよ。
亡くなってお葬式のときでさえ、おばあちゃんが居ないことを実感できなかったよ。
最後のお水を飲ませたり、足袋履かせたり、手を握ってあげたりしたら異常に冷たくて
綺麗に化粧してもらって、お葬式のあと。
「お顔を拝見できるのは最後です」と言われて、おばあちゃんにお願いされていたことを実行した。
明るい声で「バイバイ!」って笑いながら言ったよ。
その後、母と目が合ってお互い泣きそうなのを見て、二人して笑いながら大泣きした。
何故か、泣くのを我慢してた。泣いたら本当におばあちゃんが居ないって証明したみたいで嫌だった。
父方の祖母だったけど、お母さんもおばあちゃんの事が大好きだったんだよ。
近所づきあいも、近所仲も良いし、誰かに何かしてもらったら「そんな良いのに」って思うほど御礼を言うし
おせっかいなことも一切言わない完璧な「可愛くて優しいおばあちゃん」だったよ。
本当に、おばあちゃん、尊敬しているよ。
歳を取ったらおばあちゃんみたいな人になりたいな。
よく賛否両論になる男性絵本作家のぶみ、おかあさんだからの歌詞も賛否両論だ。
ママのスマホになりたいという絵本では、元になった作文のパパとママのスマホになりたいからパパだけ消えて、ママに見てもらいたい息子の心情が語られる。
母子家庭で息子が「ママと結婚する」と言うので、散らかった自宅でドレスを着て母親と息子が結婚式をし、その後ママが死んでおばけになり息子の成長を見守る。
大人になった息子の結婚式で、お嫁さんはママのウエディングドレスを着て、昔のママとの結婚式の映像が流れお嫁さんと息子は感涙、息子は大好きなママに届け僕の声と号泣する。
その後産まれた娘がママにそっくりで、驚く息子は何故か三歳に戻っており、それからママのおばけは出なくなりハッピーエンド。
読んでいて母親としてもお嫁さんとしても、背筋が寒くなる程に母親が重かった。
パパが娘に結婚式をプレゼントして、立派な教会に牧師や招待客達を集めて綺麗なドレスを着てパパと結婚式をし、忙しいのに結婚式ありがとうと感謝する娘に感動して仕事から早く帰るようになったと言う粗筋。
娘がドレスアップしたりキスをする横で招待客の男の子が「俺も娘と結婚したかった〜」とずっと悔しがっているのがパパの欲望丸出しっぽかったが、ママに比べたら情念が薄い内容だった。
何故こんなに母親愛が重いのか不思議だったが、このインタビューを見て納得した。
『ママがおばけになっちゃった!』作者・のぶみが語る、32年越しの母との和解
https://wotopi.jp/archives/36431
友達いないのもあったけど。 醜い自分が綺麗な着物を着ているのはひどく自分の醜さが引き立って気持ち悪いのが想像に難くなかった。ブスはロリータを着たらモンスターだろ?馬子にも衣装なんてのは迷信。
成人式は逃げられたが大学の卒業式の袴は逃げられなかった。卒業式には出なきゃまずいし、でもスーツだと浮くから目立ちたくなかった。トイレで見た自分の姿がえらくブサイクだった。 式後の懇親会にも出ず(友達いないからね)、速攻着替えて電車で帰った。髪だけはセットされてる状態のままだったから、えらく奇妙な格好で帰った。
帰りの電車の中で彼氏から懇親会場にクルマで送ってやるというトンチキなナルシストメールが来たが、帰ったと言ったらキレられた。モラ男だったのだ。
もちろん結婚できてもウエディングドレスなんて着たくないと思っていた。
ここまで書いたのなら鋭い読者なら私が毒親育ちなのは想像つくだろう。ご明察の通りです。憎んでいる両親はお世辞にも美しいといえる容姿ではないし、その遺伝子を引き継いでいる自分が大嫌いなのだ。
しかし妹は母親譲りの頑固さとヒステリーを持っていたにも関わらず大変可愛らしい容姿で周囲から愛され、素敵な相手と結婚した。
30すぎた今、私は当然結婚もできず、ウエディングドレスの気配はない。悲惨さはない。むしろどんどん醜くなっていく容姿に安心すら覚える。
「今までお世話になった人たちへの感謝の気持ちを表す場だ」と言う人もいる。
その心持は偉いなぁと思うけど、別に式をあげるだけが恩返しじゃないよなぁと。
「親に晴れ姿を見せてあげたい」と言う人がいる。
自分も両親にやりなさい!とは言われたけど・・・・うーん・・・。
写真取って送るだけでいいかなぁ、、、、なんて、、、、思っているううちに籍入れてから数年が立ってしまった。
大勢の前で涙涙の親への感謝のメッセージを言うのがクソ恥ずかしいし、そもそも表舞台に立つよりも裏でひっそりとしていたいタイプなので、なるべくならやりたくないなぁ。
みんなどういうモチベーションでやってるんだろう。
彼氏→同級生専門職。母子家庭育ち→学生時代母親が恋人と蒸発した経験あり。
彼氏とは中学時代からの付き合いなのでもう人生の半分一緒にいる。
出会った頃から彼氏の家はハイパーごたごたしていてそれをネタに笑いをとるくらいだった。
付き合ってからも「俺は子供は作らない。変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」というのが彼の持論で
私は「そんなことないでしょ~」とたしなめるのがお決まりだった。
私は両親も揃っているしずっと普通の家庭に育っていると思っていた。
高校生の頃はゴタゴタと仲が悪かったし、大学生の時もなるべく家族と顔を合わせないように授業とバイトを調整してたし
一人暮らしを目指して就職したけれど、別に変ったことではないと思っていた。
しかし私の就職したそこそこの安定した会社でその認識は打ち砕かれた。
若い人は親元にめっちゃ帰るし、既婚子持ちは子供や配偶者の話めっちゃするし家族に優しいし、家族に対する愛が溢れていて驚いた。
せっかく就職して一人暮らしを始めた安住を犯され壊される感じがして、職場の人間が怪物に見えた。
ウエディングドレスにも奥様業にも子供にも興味はなかったが、社会で生き抜くための責務と義務だと思っていた。
と、同時に「どうにかこの役割から逃げれないかなぁ」ともぼんやり思っていた。
彼氏のことは心の底から好きだけど、結婚することで今の関係から「夫」と「妻」になり
更に子供をもうけることで「父」と「母」になることを考えると嫌悪感でいっぱいだった。
子供を捨てたり虐待する母親はクズ中のクズだから絶対になりたくないが、子供というだけで私を縛り付け、仕事や社会生活を不利にする存在を
心の底から望み喜んで誕生させ育てなければならないという事実は許せないと思っていた。
しかも仕事をしながら育てるとなると両実家の協力は不可欠で、またあの実家と密にかかわりを持つのかと思うだけで憂鬱だった。
とにかく「経済的身体的自立を手放したくない」「実家と触れ合いたくない」という気持ちが強く、それが崩れるとなると泣きそうなくらい恐怖を感じた。
そんなこんなで、速攻でメンタルクリニックのお世話になった。
カウンセリングを受ける中で、私の強迫的なまでの自立への執着と家族に対する嫌悪感は生育家庭に問題があるのだな、という結論が出た。
私の両親は「こうあってほしい娘」像がすごく強固な人で、そこから外れることを許さない人だった。
どういう娘像かというと「成績優秀・スポーツ万能のオールマイティ優等生で、清楚で可愛くて、家の家事は全てこなし、家族に尽くすことを喜びとする」といった感じ。
私は運痴で地味だったので勉強と家事でその穴埋めをして家に置いてもらわないといけなかった。
年々親の求める学業のレベルと自分の出来るレベルにギャップが出来てきて、勉強と家事以外のことをしていると責められた。
更に父親はナチュラルに女性蔑視をかます人で、思春期以降は毎日セクハラ的なイヤミを言われ、女だからと母親や兄弟のケアを負わされた。
母はまさしく「社会に承認されるために子供を産んだ」としか思えない人で、仕事に忙しく子供に時間を割くことを本当に嫌がっていた。
勝手に進路を変えられたり入る部活や課外活動を決められたリ、といった学生時代だった。
親に認められないと生きていけないと思い込んでいたから結婚と出産子育てをしないといけないと思っていたけど、
親と過ごす生活や自分が親になることが感覚的に耐えられないから結婚出産子育てに嫌悪を感じる。
これがわかった時、彼の「変な家庭で育った人間は家庭を持たないほうがいい」という言葉がスッと飲み込めた。
いわゆる変な家庭で育っても結婚出産をして立派な家庭を築いている人はいる。
いるけれども、現在の私はその段階ではない。
彼氏とはずっと一緒に居たいけど、世間の求める夫婦の型にははまりたくないし、子供も欲しくない。
それは関わった全員が不幸になることだから。
このまま自分の治療を進めて、結婚して子供を持ってもいいなと思えるようになったときに
もう子供を産めない身体になっていたとしても、それは仕方のないことだ。
そう決めて、彼氏にもそう告げて、家族全員の電話とメールを着信拒否した。
今は薬を飲みながら、子供の頃できなかった趣味に手を出したり、勝手に進路変えられたせいで就けなかった仕事に就くために勉強している。
とても心が穏やかです。幸せになるぞー!
こんなところに書くことじゃないかもしれないけど、独り言ならいいかな。
私は女なんだけど、彼女がいるんだ。好きになった人がたまたま同性でさ。世界でたった一人の愛しい人。20年とちょっとの人生だけどいろいろあったんだ。
けど、彼女に出会うために生きてきたんだって思えるくらい。まあそんな惚気話は聞いてて楽しい人もいないだろうし置いとく。あのさ、彼女と結婚するために、わたし、何ができるかなあ。
今の日本の憲法では結婚は「両性の合意」の元ですることに決まっている。つまり同性間では不可能、というのが解釈の主流。
普通に婚姻届けを出して、普通に家を借りて、普通にウエディングドレスを着て、普通に「妻」だと紹介し、法律の下で「家族になった2人」として生きていきたいって、思うんだ。
このまま生きていったとして、二人で暮らしていくこと自体は困難があってもできると思う。でも結婚することは、今のままじゃ不可能だ。
それってすごく、なんというかすごく、いい言葉が見つからないんだけど、2浪してたときの気持ちにちょっと似てる。ええと、将来に対する不安っていうのかな。絶望っていうのかな。上手く表現できたらいいんだけど。
だったら私が、覚悟を決めて打ち壊すしかないのかもしれない。誰かが、立ち上がらなくちゃいけないのなら。変えたいと思うのなら。
長く腐女子をやってると、タイトルみたいなことをいう腐女子をたまに見かける。異性愛規範が憎いし、恋愛至上主義も憎い、と。でも彼女たちが作ったり愛するBLはゴリゴリの異性愛規範だし、ガチガチの恋愛至上主義であることが多い。BLなのに異性愛規範とは?と思う人も多いだろうけど、チンコを入れる方を男役、入れられる方を女役として固定し、男役には逞しさ、経済力などを描写し、女役には小ささ、母性、弱さなどをデフォルメ強調して描写するBLのことである。宝塚歌劇団の男版とも言うべきか。異性愛規範が嫌なのに、BL結婚式ではチンコを入れられる方だけが何故かウエディングドレスを着ている。特に女装やドレスが好きという意図はない。チンコを入れられる方は女役だから作者はドレスを着せる、それだけ。強烈な異性愛規範だと思う。憎んでいるとまで言っているが実は誰より愛しているのかもしれないと思う
女が犠牲にならない、女が消費者として強者になれるBLの世界はウーマンリブ的であり、私を救った〜BLは「一歩先を進んだ」表現なんだ、っていう腐女子が結構いる。私はそういうオタクが大嫌いだ。BLの最も大きなマーケットである二次創作界隈において、「受け」と呼ばれるチンコ突っ込まれる方の男に、かつて女がやられてきたことを押し付けているから。別にトランスジェンダーでも、そういったファッション携行もないのに、BLの結婚イラストで「受け」がウエディングドレスを着せられる率といったら。そういう女らしさの押し付けに反対じゃなかったっけ?って私は思う。受けはやたら家事が得意だったり、泣き虫だったり、妊娠できるというSF設定では必ず妊娠するのは受けだしさ。
やりたかったこと
女の子と仲良くしても茶化される心配をしないで済む性別で居たかった
シルバニアファミリーのセットが欲しかった
髪をのばして人に結ってもらいたかった
身長伸びたくなかった
お母さんになりたかった
人を好きになりたかった
男だったらこうするって考えて行動にフィルターを掛けないで普通にしていたかった
こういうこと考えてる自分が気持ち悪いって思わないで済むように居たかった
こういうの全部大人になったら気にならなくなって男として生きるのだと思ってたのに、全然全く収まらないし
明確な好きって感情が無いのに性欲だけ女性の方を向いてて、変態的で異常っぽくて、やれるなら相手は誰でもいいって言ってる気持ち悪い男と同じに見えて自分が気持ち悪いし
ずっとどんなに思っても男として扱われ続けてたのに服装変えて髪型変えただけで扱いが変わるとは思えなくて
髪型変えて脂肪がついて鏡で見て女に見える瞬間が多くなって、それは嬉しいのに自分の顔見て嬉しいって事が普通じゃなくて気持ち悪くて、もし普通の人は鏡を見る度に嬉しいって思ってるとしたらずるくて
今月の誕生日で全部終わりにする
先日大好きな友達が結婚した。結婚式にも呼んでもらった。真っ白いウエディングドレスを着て、新郎と微笑み合う彼女はとてもきれいだった。その光景を見て私は涙がとまらなかった。
中高一貫のキリスト教の女子校で、地域で一番偏差値が高いということもあり、個性的な生徒が多かった。
彼女は、その中でもひときわ冗談を言うのが得意で、愛嬌があって、私はたちまち彼女の虜になった。彼女と同じ部活に入って、いつも彼女と一緒にいたがった。彼女はカースト上位のキラキラ女子、というわけではないが、おもしろくてチャーミングだったので、みんなに好かれていたので、隣をキープするのに必死だった。放課後、マクドナルドで駄弁ったり、休日に買い物に行ったり、好きなバンドのライブに行ったり、お互いの家に遊びに行ったりした。
高校に上がってからも、仲の良い友達だった。親友だったと言っていいと思う。私から見て、彼女はとても素晴らしい女の子だったが、彼女はたくさんのコンプレックスを抱えるようになっていた。成績が良くない、だとか彼氏ができないだとか、思春期特有のものが多かったと思う。
彼氏ほしい、と冗談めかしていう彼女をみて、悔しいな、と思ったことを覚えている。
世界で一番だよ、と言って抱きしめることができたのに。
私では彼女の恋人にはなれない。女の私が何を言っても意味ないんだろうな、ということはなんとなくわかっていた。
その時の私は「私も欲しい〜!大学入ったら絶対作ろうね!」と言うしかなかった。できたら一番に教えてね、と言いあった。
大学進学のため、私が地元を離れてからは年に数回しか会うことができなかったが、帰省の際は必ず会うようにしていたし、何度か旅行にも行った。
彼女は大学で彼氏を作った。惚気も愚痴もたくさん聞いた。一通り自分のことを話すと、「彼氏できた?」と私のことを聞いてくれた。
まず、ブスでコミュニケーションが苦手、と言うのがあったが、誰と喋っても「彼女といたほうが楽しい」と思ってしまっていた。
私に彼氏ができないまま、彼女は旦那さんと出会い、結婚にいたった。結婚前の彼女の話を聞いていると、旦那さんは素晴らしい彼女にはふさわしくないように思えた。何度そんな男やめなって、まだ若いんだからもっといい男がいるよ!と言ったかわからない。
しかし、結婚式の彼女は幸せそうだった。旦那さんも誠実そうな、いい人に見えた。親族と友人たちに祝福されている彼女を見て、涙が溢れて止まらなかった。
高校生のとき、コンプレックスで泣いていた彼女はもうそこにはいなかったし、彼女を幸せにできるのはやっぱり私ではなかったのだと、身に染みた。私は10年以上彼女のことを知っているけれど、まだ知り合って2年もたたない旦那さんには一生勝てないのだ。
そんな異性愛者の感情論が通るなら「愛する人と一緒に居たい」っていう同性愛者の感情論も通して下さい。
愛する人と一緒に居たい、のほうが美しいし良くね?
なんでそんなに結婚したいワケ?とかよく聞かれるけど、異性婚禁止になったら異性愛者はつらいでしょ。
何がつらいんですか?って言われたらたくさん理由が出てくるでしょ。
同性婚が認められれば、国に認められているという強い後押しで、「キモい」という見方もだんだんとなくなるんじゃないかなあ。
ハッテン場とか言って、同性愛者は性にルーズだと言われるけど、同性婚ができれば同性愛においても不倫が成立するので、そのへんも厳しくなるんじゃないかな。
異性愛者でも、「不倫」というものがこの世になかったら、きっと男女ともに性にルーズになっていくと思うよ。
同性愛者をロリペドといっしょくたにする人いるけど、それは片方に迷惑が掛かってるからダメなわけで、同性婚はお互いに合意してる大人なんだから同列に語るのはおかしいよ。
偽装結婚なんて男女でもありえるし。
うーん。何がだめなんだ?
私は別に結婚式を挙げたいとは思わないし派手なイベントに参加したいとも思わない。
・・・でも彼女のウエディングドレス姿は見たいな。絶対可愛いだろうな。え、自分も着てみたいかも。
話がずれた。
とにかく、異性愛者と同じように一緒に暮らしたり、変に隠さず部屋を借りたり、社会的な手当をもらったり、
親にも「この人と結婚します!」ってふつうに紹介したりしたい。
残念なことに子供は作れないから、養子をもらって大切に育てられたらなと思っている。
うーん、養子を貰う人も増えるし、海外で暮らす人も減るし、色々良いところもあると思うんだけどな。
私も、元ノンケだから偏見がわからないわけじゃないけど、認めない理由って具体的なものじゃなきゃダメだと思うんだよね。
その具体的な理由ってなんなんだろうか。
わかるよ。
「結婚式するなら結婚しない」じゃなくて、「結婚式しない前提の結婚生活」を選んだってことでしょ?でも本心には純白のウエディングドレスをまとい、幸せな笑顔にカメラを向けられ、自分が一番の主役になる日を迎えたかった。そういうことだと思う。
女性はみんな1度くらい着てみたいと思ってると思う。私も着てみたかった。でも結婚式はいらなかった。だから結婚式じゃなくて、飲食店を貸し切った飲み会を開き、ドレスを着たよ。レンタルするよりセミオーダーが安くて便利。ネットで探してみて(案外、素材は悪くなかった)。みんなで飲み会だったから私も旦那さんも飲み代支払った。主催だけど持ち出しアリ(ドレス代)。ちょいマイナスね。
旦那さんのしたくない理由を聞いてみたことはあるのかな。感情的にならず、冷静に淡々と、できれば第三者がいるような・・・ファミレスとか居酒屋、カフェとかで聞いてみたら素直に話してくれたりしないだろうか。
結婚式やドレスが全てではないけれど、このハードルを越えないと一生付きまとってしまうのならば、なんらかの形で実現したほうがいい。自分ならそう思う。元増田が幸せな瞬間を迎えられますように。
27女です。
誰も興味ないかもしれないけど、思うところを書いてみる。
自分となるといろんなことが茶番に感じて抵抗あったし同棲期間も長くて、今更結婚式するのなんて面倒!と夢のない事考えてた。
遠方の親戚に挨拶に回るのが面倒だから結婚式したほうが一度に親戚に挨拶出来て楽って話はよく聞くけど、
考えるうちに、どこかで親に対しての一区切りというか感謝を伝えたいという気持ちが芽生えてしまって地味にでも何かしたいなって思った。
家で手紙読んで花束渡すのもアリだしお金もかからないけど、今更と照れくさい。
■フォトウエディング
フォトスタジオや街でドレスや和装で写真をとって記念にするパターン。
訳あり婚(?)とかおめでた婚の人も多そう。
ただカメラマンの指示で見つめ合ったり手でハート型つくったり、
出来た写真を家に飾るのも、誰かに見せるのにはとっても抵抗が・・・
the結婚式っていう白無垢の古風な写真を残しておきたい気持ちは多少ある。
■二人だけでの挙式
もしくはハワイとかビーチリゾートでハネムーン兼ねてってのもコスパがよさそう。
でも二人で式ってところがまずピンとこない。贅沢な旅行という感じ。
■身内だけで海外挙式
まぁ楽しそうだけど、父母が若くないので海外挙式なんて想像がつかないし合わないというか。
費用的にも旅費を一部~全部負担したりご祝儀を遠慮したりあるだろうし
親戚を呼ぶなら仲の良い友達を呼びたいから、どっちもとなるとハードル高め。
■家族で挙式&お食事会
これは結構本気で考えた。最近多いらしいいわゆる地味婚。神前式もいいな。
でも親戚が遠方だと、時間をかけてわざわざ来てくれるんだから良いお料理で、お色直しもしたほうが良いだろうし、間を持たないから司会者もプロにお願い・・・
となると普通の披露宴と同じような金額になっていきそうな予感もしたし、
なにより旦那になる人が『友達呼びたい』と言ったのが親族だけっていう式が選択肢から消えた理由。
費用を惜しまずに親戚だけで料亭なんかで挙げたらアットホームで良い式になるだろうけど。
挙式に呼ばなかった親戚や上司を招待するならあるていどフォーマルにしないと失礼そうだし、
逆にフォーマルにしていくとどんどん披露宴のようになっていく。
会費、立食or着席、遠方からのゲストへのお車代、お色直しの有無、引出物の有無・・・
こういうのは、主催するカップルのリア充具合(人脈や雰囲気、プロデュース力)があって初めて楽しめる感じ。
『会費』というところで逆に失礼にあたったり?料理と金額のバランスも悩みそう。
遠方で呼ばれた人も困るだろうし。
北海道だと会費制が普通っていうけど1.5次会がもっと全国的に当たり前になればいいのに。
なんて事をぐだぐだ思いつつ、式場見学に行ったらあれよあれと一般的な挙式と結婚式の組み合わせに落ち着いてしまった。
しかもドレス試着したら意外にもテンションがあがってウエディングハイになりかけてる。
アメブロでもやろうかな。
感情がない、何も感じない、それを出せない。
ヒントを一応文章という形で羅列します。しかし、ヒントの羅列と捉えてもらえるとありがたいです。
自分が必要だと思う部分を掻い摘んで読んでみてください。直訳したような文章になってしまいました、悪しからず。
●『好き・嫌いの嗜好すらそもそもない人』
次に、例えば、モノの好き嫌い。
それは何かを感じるからです。で、こいつはこうだから好き、こいつはこうだから嫌い。
自分の意見も出ます。この感受性を高めて下さい。そのためにはもっと「触れる」「知る」ことです。
で、ここで言いたいこと。その肝心の「感情」とは、「喜怒哀楽」。
何か物事が起こった時、それに対して「感じる」力が弱いのです。
自分の意見が言えない人は特に、「怒り」の感情が弱いと思います。
自己肯定感が低い、自己否定感が強い人は、何かあった時にそれを全て自分に帰属しやすいです。
それはあいつが悪いんだろ、って普通思う局面で、僕が●●だから悪いんだ。
これはいじめとか虐待とかされてた人、周りから否定されてきた人に強いと思います。
理不尽な否定に対して、認知的不協和が起こるために、自己否定感を持ってしまう。
これを止めるコツ。それはべき思考を消し、自分の感情を素直に受け止め、それを一旦出すこと。
怒っちゃいけない、怒りの感情がある時は、それを一旦出す(自分の内にはそれを認めること)。
たとえ、自分が一方的に悪いことでも、怒られればムカつくし、情けなくもなります。
それは逆ギレという形で出せ!というのではありませんが、怒りの感情を抱いたことは事実でそれは認めてあげることです。
その上で、冷静に考える。これをちゃんと出来て初めて、「感情のコントロール」が出来るようになるのです。
怒りを抑圧すれば、いずれ爆発します。感情を抑えれば爆発するか、何も感じなくなります。(失感情症=アレキシサイミア)
酒飲んで暴れる人間とかはこの典型です。
しかし、これも有効に活用出来ます。酒を飲んで吐き出したくなる感情が普段抑圧しがちな感情です。
・心揺さぶられる(擬似)体験をする・心揺さぶられるものに触れること。映画、音楽、TV、スポーツ。なんでもいいです。
自分が好き!!と言えるものを探して下さい。泣いて下さい。笑って下さい。笑いが出たらわざと大げさに笑い、涙が出たらもっと泣こうとして下さい。
・その時に出来れば、感情豊かな人の真似をして下さい。
「芸能人、DQN、幸せそうな人、失恋した人、外国人。それらの真似をすることで感情が出やすくなります。」
芸能人のようにわざとらしく泣き、笑い、DQNのように怒り狂い、ウエディングドレスを来た新婦(新郎)のように幸せに身を委ね、失恋した人のように悲しみにくれ、外国人のようにオーバーリアクションをしてみてください。感情は感情ありきでないというか、笑顔になるから楽しい、眉間にしわを寄せるからムカつく、と表情に牽引されて出るものでもあります。
※わざとDQNと書きました。
自分が嫌いなもの、苦手なもの、こうなりたくないというもの、をイメージして下さい。
それは、そうなれないもの、では無いですか?? それが自分のコンプレックスを刺激するものでは無いですか?ある意味羨望。
だとしたら、一旦それを真似して下さい。地面につばを吐いて、店員に悪態をついて、街を肩で風をきるように、歩いてみて下さい。
自分がなりたいイメージがある、変わりたい場合、あえて真逆を言ってバランスを取るのも手段の1つです。
アサーティブとは、自分も相手も台頭ということです。(詳しくは、「アサーション」等でググって下さい。)
自分が何者であるか、そのバックグラウンドがあまり関係ない場です。ネットとかもそうですよね。
●『恋愛をしてください』
…ここまで書けば、何をすればいいか分かりますね??
そう、『恋愛』をして下さい。
アサーティブな関係で、自分の絶対的な「好き・嫌い」、「喜怒哀楽」を出すことの許される関係です。
そして、自分を忘れ、恋に走り、歓び・傷ついて下さい。理性を忘れ、自分の思うがままに相手を求め、SEXして下さい。
『恋愛』…ああ、言いたいことはそういうことね。俺には無理だわ。クソ記事乙ww
こういう自己否定的、斜に構えて物事を見るのを止めて下さい。こういう人はYESマンになって下さい。
物事をそれをする前から、自分には向いてる/向いてない、意味がある/ない、出来る/出来ないで判断しないで下さい。
そんな「効率」や「要領」なら捨てて構わないです。それを誇って生きられるのは、ネットの世界だけですから。
コストパフォーマンス・仕事の効率化…熱量を失った人間ばかりです。それは死に物狂いで何かをして、何かを得た人間がやればいいことです。
あなたは、ネットで難しい言葉で相手を言いくるめ、論破し、罵倒し、勝ち誇った気持ちになれるかもしれません。
自己を肥大化させて万能感でもって、愉しく生きているのかもしれません。
だからこの記事の中にも、批判しやすいように「餌」を何個か用意しました。それを叩いてくれてもかまいません。
しかし、実態は「感情」を持った、人間なのです。感情を失ったら機械です。理性を失ったら動物です。
人間が素晴らしいのは、感情も思考能力(理性)も持っているからなのです。しかし、ベースは感情です。
感情があるから物事を考えることが出来るのです。感情、それは「あなた唯一無二のもの」です。
我思う故に我有り。思うのは、考えられるのは、感じることができるからなのです。
客観性・妥当性だけで生きていたら、平凡な人間にしかなれません。
その平凡さを否定するために、人を蹴落として自分の価値を高めるつまらない人間にしかなれません。
ホームドラマみたいな家庭になんとなく憧れて
女性と恋愛して、結婚して、子どもが欲しいとずっと思ってたけど
たぶん無理なんだろうなと最近思う。
好きという気持ちがよくわからず、女の子から告白されても適当にはぐらかしてきた。
彼女いない歴=年齢はまずいと思って、自分から告白し、付き合ってみたことはあったものの
自分ではゲイだと思ってないけど、性の対象が男だから、もうゲイって言った方が早いわな。
性嗜好はグラデーションのようなもので、仮にヘテロの男性でも〜〜云々
みたいな文章は何度も読んだが、女性に恋愛感情は芽生えても、性的興奮へは至らないのが自分では不思議だ。
でも、かわいい彼女といっしょに映画を観たり、食事をしたり、服を選んでもらったりしたいんだ。
子どもが初めてパパってしゃべる瞬間を聞きたい。
めちゃくちゃかわいがっても、年頃になったらうっとおしがられて、、
男の子だったら反抗して殴り掛かってくるかもしれない、女の子だったらヘンな男と遊んでないか不安になったりして……
妄想は膨らんでも性的興奮はどうしても男。ガチムチの兄貴たまんないッス!
でも一歩が踏み出せないで、結局まだ誰のものでもありません。
そのテの方のコミュニティに入って、お仲間を作りたいとも思わない。
仕事は大変だけどやりがいがあるし、休日に遊ぶ仲間もいて恵まれてると思うけど。
週末は友だちの結婚式がある。お盆は親戚の子どもと遊ぶ予定だ。
こんなイベントがあると、一生できないであろう結婚へのbr願望や
ゲイになりきれない自分の妙な自意識をまざまざと見せつけられるようで、
何とも言えない気持ちになる。
セクシャルマイノリティって疲れるなぁ。