はてなキーワード: 鯉のぼりとは
最初経済とかでやったら、すごくつまらないニュース作ったので、嘘伝統記事書かせたら良かった。
ニュース風の馬鹿真面目な言い回しが、ちゃんと面白くなってるのは評価高い。そもそも虚構新聞のフォーマットの完成度が高いってものがあるんだけどな。
ちなみにこれを出力される直前には、好きな虚構新聞の記事を質問して、虚構新聞の記事についての文脈をわからせています。
嘘の伝統行事を作って嘘ニュースを書くというのは面白いアイデアですね。では、以下のような文章はいかがでしょうか?
「鯉のぼり」に鯉を吊るす\u3000「鯉の日」に合わせて全国で行われる伝統行事
5月5日は「鯉の日」とされ、全国各地で「鯉のぼり」に鯉を吊るすという伝統行事が行われた。この行事は、江戸時代に始まったとされるが、その起源や意味は不明である。一説によると、当時の将軍が鯉料理が好きだったため、その供給を確保するために鯉を大量に捕獲し、見せしめとして吊るしたという。
現在では、鯉のぼりに鯉を吊るすことは子供たちの健康や成長を願う風習とされている。しかし、動物愛護団体や環境保護団体からは「残酷で無意味な行為」と批判されており、近年では代わりに布製や紙製の鯉を使う家庭も増えている。
しかし、一部の地域では伝統を重んじて本物の鯉を使い続けており、その数は年々増加しているという。特に北海道では、「冬場に凍った池から解放された鯉が空中で喜ぶ姿は感動的だ」として、「氷解祭」と呼ばれる盛大な祭りが開催されている。
「これは嘘ニュースです」
「鯉のぼり」ってそもそも大陸の少数民族の伝承が由来でしょ。鯉が大きくなったら龍になるっていう。農耕と一緒に伝わって来たんだから侵略生物の強さ云々関係なくて日本人のルーツにも関わってくるものだよ。
逆に、「日本在来種」であることが確定している「ノゴイ」が、今や琵琶湖など限定的な数か所にしか生息できておらず、
コイ(マゴイ)は全国至る所に溢れ返っている時点で、その侵略性がいかに高く危険かがわかると思うんだが。
そういう部分は省くのね。
「昔からいたから外来種じゃない」と言ってるけど、「国内外来種」という問題は普通にある。
「国内種であろうと他の生態系を脅かす生物」は危険視されて当然だとは思わないのだろうか。
あのバスと比較しても、コイは異様に汚水に強い、低温に強い、寿命が長い、個体が大きい、交雑可能、卵を食べる、水草へも影響を与えるなど、侵略性が多岐にわたる生物だ。
「中流域以上に放流するなら場合によっては問題があるが、馬瀬川は下流域」(だから問題ない)というのも、暴論に近い。
というか、生態系を壊す可能性がある行為を、素人が専門家の意見も聞かずにノスタルジーで行っても批判するなという理屈なのだろうか?
ちなみにコイが特定外来生物に指定されていない理由は、どうせ金とか政治の話。
金持ち連中に愛好家も大勢いて、「日本の原風景」だとか言い出す人が多く、「鯉のぼり」等のシンボルにもなっている。
(結局は鯉のぼりも侵略的生物ならではの「異様な生命力」の象徴でしかないんだが)
また、特定外来生物に指定されると個人での「飼育自体が禁止」になる。
コイが指定されたら当然ニシキゴイも指定されるわけで、「そうなったら困るひと」が大勢いる。
多分将来も指定されることはない。
「コイを放流する事」がなぜかいいことかのように扱われてるのも、やたらと擁護されるのも、それで得をする人がいるってことなんだろう。
これはかなり恐怖を感じた出来事で、今でも鮮明に覚えています。
ちなみに今現在20代後半なので、今から23〜4年前の話です。
私の通っていた幼稚園は、毎年5月頃になると大きな公園に遠足に行く行事がありました。
この公園は芝生エリアに小さな丘が沢山あり、その丘の上で昼食をとりました。
また、各丘には鉄柱が建てられていて、別の丘の鉄柱とロープで繋がれていました。
そのロープから、鯉のぼりが数匹ずつぶら下がっているという構図でした。
イメージは以下の図のような感じです。
○ーーーーーーーーーーーーー○
| | | | |
| | | | |
| | | | |←鉄柱
| 鯉 鯉 鯉 |
| の の の |
ーーー ぼ ぼ ぼ ーーー
/ 丘 \ り り り / 丘 \
_/ \_______/ \__
丘も沢山あることから、当日公園に飾られていた鯉のぼりの数も沢山ありました。
また、鯉のぼりのサイズも大小あり、一部の特大サイズの鯉のぼりは地面についていました。
昼食は仲の良い友達グループで、食事を楽しみながら親は親同士、子供は子供同士で会話をしていました。
私は食事中からずっと特大サイズの鯉のぼりが気になっていたので、食べ終えるやいなや一目散に丘を駆け下りました。
最初は目の前に座り、この鯉のぼりが浮いては地面に落ち、浮いては地面に落ち、と繰り替えすのをただただ眺めていました。
少し時間が経ったくらいで、この光景にも飽きてきたんだと思います。
私はこの特大サイズの鯉のぼりが地面に落ちてきたタイミングを見計らい、捕獲をすることに成功しました。
ちょうど風のないタイミングだったので、特に苦労せずに捕まえることができました。
その後何を思ったのかは忘れましたが、この鯉のぼりの尻尾を縄状に細め、どちらかの足の足首にキツく縛りつけました。
するとその直後丘一帯に強風が吹き、私の小さな体は鯉のぼりもろとも、空中に吹き上げられました。
私は恐怖で声が出ませんでした。また、体を動かすと足の結んだ鯉のぼりも解けてしまいそうで、体を動かすことも出来ませんでした。
空中にいた時間は数秒だったかもしれませんが、その状態はとてつもなく長く感じました。
幸い、鯉のぼりがパラシュート代わり?のような形になり、フワフワとした様子で着地しました。
が、着地後にどれだけ頑張っても足首の鯉のぼりが全く解けません。
次にいつ強風が来るか分からない中、恐怖で焦り、必死になって解こうとしましたが無理でした。
二回目の強風を予感を察知した私は、鯉のぼりを解くことを諦め、飛ばされまいと体勢を低くし、芝生に必死になってしがみつきました。
ただし、自然の前ではか弱い力での抵抗は無力でした。私は再度空中に吹き上げられてしまいました。
再度空中にいる私は、ジタバタして落下をすることを恐れ、微動だにせずに風に体を預けていました。
その後パラシュート状態で無事着地した私は、恐怖で泣き出していました。
泣きながら必死に鯉のぼりを解こうとしましたが、やはり解けません。
すると、その姿を遠目に発見してくれたカメラマン(遠足に同行して写真を撮ってくれていた方)が走って近づいてきてくれて、
私の足に絡みつく鯉のぼりを解いてくれました。
恐怖から解放された私は、お礼も言えずに泣きじゃくりながら丘を駆け上がり、親の元へと帰っていきました。
あのまま鯉のぼりと絡まり続けていたら、いずれ落下していた可能性もあるので、このカメラマンさんは命の恩人です。
直接お礼は言えませんでしたが、本当にありがとうございました。
丘を上がったあとのことはあまり覚えていません。
ただ、危険なことをしていたことがバレると叱られるので、何か適当な嘘をついていたと思います。
このエピソードは高校生?くらいの時に初めて家族に伝えました。
が、未だにも誰も信じてくれていません。
無事に助かってよかったです。
正月・ハッピーニューイヤーソングはそれなりにあるが、ポップスのテーマとしてはダサいのであまり出てこない印象
いちばん冬っぽいので冬ソングの舞台にはなってそうなのだが、わざわざ二月であることに言及しないので結果的には雑魚ということになってしまう
年度末ということで卒業とかそういう転機が多いのでかなり良く歌われる 3月9日もそうだし、卒業ソング系は全部三月の傘下 屈指の強さと言ってよかろう
新生活の始まる月だし春の代表なのでかなり強い 大量の桜ソングは全部四月所属と思うと最強候補の一角か
いい季節だが、特徴に乏しいので微妙
イベントも鯉のぼりとかでダサいので振るわない 五月雨は字面的には五月だが実際指してるのは六月なので難しいところ
嫌な季節だが梅雨ソングは意外なことにかなりある かなり詩情のある花であるあじさいを味方につけているのも大きく、結構な実力者といえよう
とはいえ夏休みという分かりやすさがない分八月には一歩及ばずか
夏休みソングがかなりあるし、純粋な夏ソングもこの辺を意識して書かれてることが多い印象 八月というだけでエモくなるので歌詞の中で言及されることも多く、もしかすると最強の月かもしれない
いい季節だし夏の終わりという一大テーマを持っているものの、なみいる列強にはさすがに及ばない印象 しかしいぶし銀!
それなりのテーマの広さを持つ月だが、わざわざ言及されることは少ないこともあって印象は薄い
最弱候補 秋でも冬でもない半端さとイベントのなさが相まって歌にされる要素がゼロ はっぴいえんどに救われている
年末とクリスマスを併せ持つ最強月候補 12月24日はおそらく最もポップスで名指しされることが多い一日であり、それを持っている時点でその実力は計り知れない
多分この手の話をしだすと、行きつく先はすべての伝統的儀式ムダじゃんという展開になるんだが
古代に遡ると日本に限らず王侯貴族は宗教的儀式ばっかりやってて、教会だのモスクだのに寄付するのが立派な王様や貴族みたいに思われてた
で、日本という国は、他国がもうやめた古い伝統(元号と改元も)を残していることを自慢している国で
それを言い出すと近代以前の大部分の伝統に合理性などなく、合理性などない物をあえてありがたがるのが伝統を大事にするという行為
皇室が昔ながらの儀式を全部やめるべきというなら、同じように、五月に鯉のぼりを飾るのも合理性ゼロで馬鹿馬鹿しいし
1990年年代に入ってから関西のローカル風習をわざわざ全国区にした恵方巻きなんてもっと馬鹿馬鹿しい、ハロウィンもクリスマスも、夏に浴衣を着るのもみんな然り
となってしまう
(これらに宮内庁は関わってないけど、自治体で税金つっこんでそういうのを盛り上げてる地方もあるし)
が、そーいう合理性ゼロの伝統風習が現代でも残ってる理由のひとつは、それで商売してる人がいて、経済効果とやらがあるからなんだろう
皇室の儀式に使われるお金も、使ったら消えて無くなるわけでなく
十二単をつくる業者だの、儀式の道具を作る業者だのの懐に入って、その業者がまた飲食したりして日本経済の一部になるのだろう
そう考えれば無駄な儀式も日本経済の何かになってるのかも知れん
まあ、俺も心情的には同じ税金なら震災復興や困窮児童に回せよ、とは思うけど
逆に言うと、普段その手の福祉目的みたいな税金の使用を渋る経済国益第一優先の新自由主義連中が、宮内庁の内廷費にけちを付けないのは不思議でならない
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「命の恩人のいうことは聞くもんやで」
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どうやってウリ坊はおっこの命を救ったのか?
ウリ坊は物理的・ニュートン力学的作用を、現実に存在する物体に及ぼすことはできない。
鯉のぼりを操ったり雑巾がけをしたりトカゲを石の落下から守ったりできる美陽(白ワンピース)とは違う。
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可能性A
もっともらしい説明は「その時不思議なことが起こったから」であろう。生と死の境目に位置したものについては干渉することができるとか何とか。
実際、ノベライズではそんな感じのようだ。
小説版はおっこ一人称であり、ウリ坊がそう説明した、ということだ。
だが、我々は「信用できない語り手」という概念を知っている。
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可能性B
・ウリ坊はおっこを救っていない
主人公や主人公の相手が実はとっくに死んでいた、幽霊だった、というのは「(ネタバレ)」「(ネタバレ)」などいくつか先行作品がある。
マンション引き払い、転校手続きなどを小学生一人で実行できたとは思えないことから、これには一定の説明力がある。
ただし、大女将、春の屋スタッフ、宿泊客「だけ」に見える幽霊というのはあり得ても、学校の先生、同級生全員、秋好旅館のモブスタッフあたりにまで全員見える幽霊というのはさすがに無理がある。
B-2
・おっこは偶然助かった。
スーパーナチュラルな要素なく、偶然助かった。ループものでいえば100000000000000000000回に1回助かった、みたいな。
B-2-1
・おっこが助かったのは偶然であり、ウリ坊は自分が命の恩人であると騙しておっこに旅館の若女将役を務めさせようとした。
だが、ウリ坊が嘘をついたと決めつけてよいのだとすると、何でもありではないか? スマートではない。
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そもそも「命の恩人のいうことは聞くもんやで」の謎について考えていた。
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「(おっこの)命の恩人(であるワイ)のいうことは聞くもんやで」
との解釈が間違っていたとすれば?
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「(Xの)命の恩人(であるY)のいうことは聞くもんやで」
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C
「(大女将の)命の恩人(であるウリ坊)のいうことは聞くもんやで」
たしかに自分がおっこの命の恩人であるとは言っていない。物理的にも不可能だ。あらためて述べるが、プリンも食べられない幽霊であるウリ坊にトラックにはねられた人体を動かす力があるわけではない。
だが、幽霊になる前、たしかにウリ坊は若き日の大女将を救っている。
とはいうものの、大女将の命の恩人だとして、なぜ?という問いが
D
「(おっこの)命の恩人(である祖母)のいうことは聞くもんやで」
たしかに 一龍斎春水の声で「織子ヨ春の屋の女将になっておくれ」との台詞はない。
だが、幽霊であるウリ坊にとって、声帯を用いて発せられた明示的な言葉と、内心の声の区別がつかないという可能性もあるのではないだろうか。
ウリ坊が大女将の内心の声を「いうこと」と表現したとすれば・・・
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ウリ坊単独でおっこを救ったのではないとしても、勝手に自然に偶然に助かったのではなく、ウリ坊が何らかの存在の助けを借りておっこを救ったとしたら、
ウリ坊がおっこを救ったとも言えなくもない。
それは両親や大女将(の生霊。美陽タイプのニュートン力学干渉能を持つ)かもしれないし、春の湯(概念)かもしれない。
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続く