はてなキーワード: 自律とは
自律してない人間に人権は保障しないが、自律してない人間に社会権は保障する
自律してない無能は殺処分するべきだが、自律してない人間は即殺処分とは言ってない
なぜ俺の言ってることがわからないんだ
読解力がないな
なんて、一生言ってるといい
人とコミュニケーションすらとれない、いわんや恋人なんてできないような無能
誰でも替えがきくような仕事すらできないような無能、そんな仕事しかできないような無能
一応、昔大学で使った憲法の教科書を引っ張り出して人権について調べてみたけど、人権というのは自律した(「自立」ではないので注意)個人に保障されるもの。と書いてある。そして自律した個人は理性的に討議する能力が備わっていることが前提とされているので、民主主義の担い手になりうるとのこと。
俺なりに自律した個人という概念を解釈すると、「自分の人生を自分の判断で切り開いていくことができる能力がある者」という定義になる。
ということは冒頭に挙げたような連中はこういう能力が備わっていないので人権が保障されなくても文句は言えないってことにならないか?
もちろん、現代の憲法ではアメリカを除いて名文か否かは問わず社会権が憲法上の権利として保障されているのが普通だから、こういう能力が備わっていない連中は「保護」「監督」の対象にはなるだろう。子どもだって定義に該当するような主体になりうるまでは保護や監督を受けるのは当然なんだから、大人になってもそういう能力が備わっていないなら引き続き保護や監督を受けられるべきだとは思う。
でも、保護や監督を受けていながら、自分の意思でその程度の能力しか身に付けられないような連中はもう手の施しようがないよね?
ネトウヨなんて多様な選択肢が提示されていたのに、自分の意思で読解力のない無能になったんでしょ?だったら人権を放棄したってことでいいんじゃないの?
そんな無能はいつまで経っても「自分の人生を自分の判断で切り開いていくことができる能力がある者」にはなれないんだから殺処分でよくない?
個人になれない「ヒト」は死んで、どうぞ。
ヨーグルトの種類と何にきくかを書いてるBLOGさんがあったんでメモ。
ヨーグルトは、乳酸菌の種類によって、何に効きやすいか違うようなので、インフルエンザの季節にはインフルエンザを予防するものを、花粉の季節には花粉症に効くと言われているものを・・・と、使い分けると良いと思います。これまた、イギリスでは乳酸菌の種類までは、ヨーグルトに書いていないから難しいえー
整腸作用
明治ブルガリアヨーグルト(LB81乳酸菌)、ナチュレ恵(ガセリ菌SP株&ビフィズス菌SP株)、だノンビオ(BE80菌)、森永ビヒダス(ビフィズス菌BB536)
花粉症
森永ビヒダス(ビフィズス菌BB536)、朝のYoo(フェカリス菌)、たっぷり生乳ヨーグルト(L-55乳酸菌)
他にも色々ヨーグルトはあると思うし、この菌はこっちにも効果あったのか!?と言うものもあると思いますが、調べ疲れたので、今日は終わりにしたいと思います。腸の調子が良いと、お肌やストレス、免疫力アップにもつながると言われていますから、面倒なら腸を整えておけばいいのかな・・・と言う気もします汗
朝最初に口にするものは、お水かお白湯。ヨーグルトに糖分が欲しかったら、乳酸菌を増やす効果があるオリゴ糖を含む、オリゴ糖か、ハチミツか、甜菜糖がお勧めです。オリゴ糖の安いものは精製されているので、高いけれど、甜菜オリゴ糖がもも子のお勧めです。精製されたお砂糖(白い)よりも、精製されていないお砂糖の方が、ミネラル分も多くて健康に良い上に、甜菜糖はサトウキビではなくて、北海道の寒い地方で育つ甜菜(さとう大根)で作られるため、身体を温める作用もあると言われています。
血行促進して自律神経を整え、ストレスに勝つというメカニズムから考えれば、生姜もお勧め。日本にいた頃は、生姜をスライスして、ハチミツに漬けておきました。ドリンクに入れたり、料理に使ったり。面倒だったら、生姜のチューブを使ったりもしています。
もも子が身体が弱ってるな~と感じた時は、飲む点滴と言われる、甘酒に生姜を入れて飲みます。甘酒の加糖していないタイプを、冬の間に大量購入しています。
もっとこうしんしてほしい
つわりがひどくて食えない飲めない頭痛い寝れない体力落ちる内臓傷む→食えないのコンボを決め続け
痛み止めを処方してもらうまでひたすら薄暗い部屋で辛さに耐えるだけの地獄を見た。
自律神経も死んでてしばらくディスプレイや文字を見たり音を聴くとめまいがしてたので気晴らしも一切できず。
今は頭痛い以降のコンボは止まったので少しずつ回復しつつあるけど
油断すると吐くわ薬切れると頭痛いわ好きなものは食べられないわは続いてる。
辛すぎて諦めそうになる瞬間もあるけど
https://anond.hatelabo.jp/20210213230410
こちら、2児の父であり育児に全ステ振っている感じの父です。老増田心ながら、いろいろ伝えたい。
あなたと同じようなことがたくさんあった。ぱっと思い出すことを書いておく。今はこのようなことはない。過去の話だ。
保育園の送り迎えをしたくらいで褒められる。
雨の日、電動の子どものせ自転車に子ども2人を乗せて帰るときに、保育園の先生に「パパすごいわね」と声をかけられた。たしかに、これはかなりきつい。冬場は特にきつい。でもね、その発言がなされたとき、俺の隣にも雨の中で自転車に2人の子どもを乗せている別のママがいたわけ。そのママも同じだけすごくない?遅くまで残業している男女がいたときに、「ママすごいね」と言うのと同じ構図。褒めているようで侮っている。ちなみにその時は言いましたとも。「こちらのママ様も同様にすごいですよ」と。そしたら「あ」という顔をしていた。年配の保育士さんだったが、大悟したはず。
保育園の年配の先生の二人称複数形が「ママたち」「お母さんたち」
保育園の保護者会の役員をやったとき、自分一人だけが男性で、それでも「(ほぼ)ママたち」というくくりで呼ばれることがたびたびあった。「俺、ここにいるよ!」と毎回心の中で叫んでいた。
子どもを迎えに行ったら、「今日、トイレで汚してしまったんです。ママに伝えてください」と言われたこともある。
ん?俺が今、しかと聞いたぞ?
つまり、父親が育児における二級市民に序せられているという事実に、いろいろなところでチクチクされる。
しかし!以下の点から、そんな杞憂の8割くらいはなくなると思う。これを伝えたい。
第一に、そこまで育児ワークを多くこなしていれば、日常的に見ている人からの侮りやズレた褒めは減ってくる。
第二に、自分自身が慣れて気にならなくなってくる。
第三に、相手の言動がある程度予測できるようになってくるので、「事前に予測が立つ」 <- これポイント
ちょうど先日、近所にある学習塾が何周年記念とかで営業の人が家にピンポンきた。ノートをくれるというので、ひょいひょいとドアを開けた(ちなみに増田はコロナ前からずっと在宅勤務)。軽く前口上を聞いた後、営業さんは「お母様がいる時間にもう一度来る」と言う。そう来ると思っていた。マンション営業で夫がターゲットになるが予測できるのと同じで、学習塾・習い事系では母親がターゲット=意思決定者という前提になる。
「我が家の場合、これ系の窓口は私なんです。どうぞ私に話してください」などと伝えて、話してもらい、丁重にお断りしたらすんなり帰っていった。
一瞬、相手が「え?」という顔をするが、別に気にならない。そんな場面はたくさん見てきた。
保育園の入園説明会、保護者会、学校行事などなど、母親が来ることが想定されていて、父親がオマケ扱いされることが事前にわかっていれば、どのように切り返してそこに居座り、メインキャラクターであることを認識させるかを考えておくのがよい。
こんな感じで、切れることなく、男女平等だとかそういう高尚な話をすることもなく、ただ偶然、「うちの場合はこう」ということを伝えれば、角も立たずに丸く収まること請け合い。
父母のどっちか1人が担当になりそうな場面では、父が担当者になるよう事前に取り決めておくのもよいと思う。元増田の入園説明の場面を考えると、「あー、では妻が娘の相手をしますので、私がお話を聞きますね」などと言えば良い。その場で妻に向かって、「それでもいい?」と優しく付け加えるところを見せたりすれば、園長先生は誰か保育士を1人よこして娘の相手をし、父母の2人に話をしてくれるんではないかと思う。そして、園長先生には「俺はオマケじゃねー」というメッセージをしっかりと伝えることができる。希望的観測だが、その後は一級市民として扱ってくれるかもしれない。
瞬時のレスポンスを早くしようとするあまり、鼻息が荒くなってはいけない。大事なのは想定問答を用意しておくことだ。それにはある程度の失敗体験も必要。今回はそんな失敗体験の1つだ。
私は自由恋愛教を信奉する非モテなので、イマイチ理屈がわからんのだが……
学生の意思に反して交際を迫ることが言語道断であることは当然のこと、両者の自由意志のように見えても、異性の学生との交際の進展を積極的に拒否しない場合は、教員が権力勾配のアドバンテージを利用したとみなされるようになってきている。
これは本当に意味がわからない。単位を与えないなどの脅しを与えた場合はそりゃ論外だが、教員がすべての学生にフラットに接している中で、偶々学生から好意を持たれたなら、それは別に権力を利用したわけではないから構わないだろう。セクハラパワハラは論外でも部下が公平な上司に勝手に恋して上司がそれを受け入れる分には特に問題はないのと同じ。
完全にフラットな立場での自由恋愛なんてものはなく、多くの場合は「顔」「体格」「収入」「学歴」「家事能力」など様々な面で競争相手と差別化してパートナーを勝ち取っている。同じような性格と炊事洗濯スキルの持ち主なら年収が高くて学歴が良い方を選ぶ、という人は多いだろう。それは不当に学力や職によって優位を得ているからけしからんのか。そんなことはない。
#MeTooで糾弾されたような事例がけしからんのは、ハーヴェイ・ワインスタインのように地位を利用して嫌がる相手に関係を迫ったから、つまり相手の性的自由を侵害したからだ。だが、特に脅しや利益供与の約束もないのに勝手に権力者に恋心を抱くのは、それ自体が性的自由の行使であって、自由恋愛を重んじる立場からはそもそも非難される謂れがない。それに応じるのも好きにすればいい。
もちろん教員には学生を公平に扱うべきという義務はある。だから、仮に自分の恋人を不当に優遇して単位を与えたとか論文を高評価したとか、そういう事例は厳格に処分されるべきだ。だがそれは、自分の子供や甥姪だって同じことだ。自分の子供の成績が芳しくなかったときに不可をつけることと家庭で子供を慈しむこととを混同しなければそれでいいように、公平に扱ってさえいるのなら、別に教員と学生で恋愛したっていいだろう。
私は自由恋愛イデオロギーの支持者なので、というより根本的に自由主義者なので、自由への制約はなるべく小さい方がよいと思う。特にそれが、個々人の性的自律に関するものである場合には。それは個人の尊厳の中核にあるものであって、最大限の自由が認められるべき領域だ。そこで余計な制約を増やそうという昨今の流れには賛同できない。人びとはもっと自由に振る舞ってよいし、それこそが進歩というものではないのか。弱者保護の名目で立ち現れる保守主義には警戒したい。
学生時代の友達で、今でも仲良くしているので、出かけたりするときのこと(映画館とか長距離移動とか)の都合で、私含む数人のグループに打ち明けてくれた。でも学生時代と違って毎日顔を合わせられるわけではないので、直接その症状に接することはなかった。彼女自身から詳しく話をしてくることもなかった。
後悔しているのは少し前のことで、
彼女が、数年前のそのときは電車に乗っても一駅ごとに降りてまた乗って本当に辛かった、という話をぽろりとしてくれた。(話の流れとしては、仕事の話かなんかしていて、私が実は前精神的にちょっと追い詰められて自律神経いかれてた、みたいなことを笑って話した。だから激務とか無理すぎ〜みたいな。)私が話したことに対して彼女は本当に優しくそれはしんどかったねって言ってくれたのに、それに応じて彼女がした話に私は寄り添えなかった。彼女のその苦しみを思ったらなんかうまいこと言えなくて、むしろへらへらして流してしまった。
私は彼女のことが本当に大好きで、もっともっと彼女のことを全部知りたいけれど、彼女の性格的になんでもかんでも話す感じでもないのかな、って思っていた。
でももしかして私はいつも自分のことばかり話して聞いてもらって、彼女の話には寄り添えなくて、そんなの本当にクズだなと思った。どうしたら正しく人の気持ちに寄り添えるんだろうな。