はてなキーワード: 沈黙とは
もしよければ俺のチラ裏を読んで欲しい
30超えて彼女がいなかったら本格的に婚活しようと決めていたから
20代後半から2回だけ街コンに行って合計5人ほどとLINE交換したが全員2回やりとりして既読無視された
顔を晒すタイプの結婚相談所は多分お断りされまくると思ったのでプロフィールだけ見てお見合い相手を決めるタイプの相談所に入った
マッチングアプリは普段から女性と接しない俺では多分勝てないと判断した
顔見えてない状況でこれは地方基準でも弱者男性に分類される・・・のか?
あと何故か同じ歳の人にお見合いを申し込むと高い確率でごめんなさいされる
何故だ
森○中の大○似
俺もデブなのでちょっと体格が大きめなのは全然良いし森○中でも余裕でTNTN立つし良い
だが髪の毛ボサボサノーメイクってどういうことだというのが第一印象
(マジメに相手探す気あるのか?)
以下の方針で事を進めた
そのまま形勢逆転できず終了 二度目のお誘いはごめんなさいされた
愛○様にそっくり
ファッションも乃○坂が着てそうなお嬢様って感じの服で上品なオーラが漂っている
ナチュラルメイクで髪の毛もそれなりにキレイにしていた(SAOのアスナみたいな ハーフアップって言うのか?)
ただどこか地味な印象
以下の方針で事を進めた
もう第一印象からあまりしゃべらなそうな感じがしたのでこちらから積極的に喋ることに
第一印象は当たっておりこちらから話を振っても端的に返すだけで全然話を繋げられない
相手から知れた情報は見た目に反して倖○來未が好きということだけ
退席の際逃げるように素早く帰っていったのが印象的だった
当然二度目のお誘いはごめんなさいされた
髪の毛を明るく染めていてピアスなどもしていて前二人よりレベルが数段上の華やかさ
2人目のときがめちゃくちゃ受けが悪かったので1人目のときの方針に戻して事を進めたが
した
見た目の印象が悪くなかったのか元々そういう性格なのか相手から積極的に話しかけてくる
こんなことは街コンも含めて初めてなので若干キョドる
向こうからアニメの話を振られてそれなりに盛り上がる(結構男が見るようなアニメをよく見ていた)
かなり気が合うというか家庭環境が似ていると感じ結婚しても円満にやっていけそうな期待を抱く
良い雰囲気(だと思った)のまま終了
今回は2回目行けるんちゃうか!?と期待していたが2度目はごめんなさいされた
期待していただけにかなりショック・・・
正直かなり気持ちが後ろ向きだ
街コンの二の舞になりそうな予感がしてならない
ていうかまた街コンも頑張ろうかな
連絡先が交換できるだけまだ成果が得られるし
お見合いの予定が2人、申し込み中が1人
ショックで一気に書き上げたのが今更恥ずかしくなって消しにきたら結構アドバイスや煽りを貰えててうれしい
ので消さないことにした
全部読ませてもらって参考にします
とりあえずは数こなして女性慣れしないとなって思ってる
ブコメでちゃんと会話できてそうって言ってもらえてるけど、レポに書いてなかっただけで実際は俺結構喋るの下手くそなんだよね
具体的には斜め下を見ながらしゃべってしまったり早口すぎて噛みまくったりする
自分から発言できないわけではないし、仕事のときはこれで同僚とかと意思疎通できてるから会話するのには問題ないと思うけどやっぱ印象は良くないよね
めちゃめちゃ語られてるし、めちゃめちゃ内部対立している。
理論的整合性重視のアカデミ系フェミは、MTFトランスジェンダーに対して基本的に理解が深い。というか「MTFトランスジェンダー」という概念自体、そうしたアカデミ系フェミと諸セクマイとの相互作用の中で練り上げられてきた経緯がある。ノンバイナリーも同様。
それに対して、「女性の感覚」の根幹に生得的女性性を置く在野のフェミの多くは、MTFトランスジェンダーに対して基本的に敵対的で、MTFトランスジェンダーやノンバイナリーについては沈黙しがち。
FTMトランスジェンダーについては、「女性自認から離脱した存在」で女性表象をめぐる闘争との直接の関わりが薄くなるため、どちらの陣営からもMTFトランスジェンダーほどには言及されない。あえて言えば、アカデミ系フェミの方が理論的にそれを位置づけようとする意欲が強く、彼らの主張の中にはちゃんとFTMトランスジェンダーの居場所がある。
一方で「女性トイレはシス女性のみがアクセスできる空間にすべきだ」と主張するタイプの反トランス寄りの在野フェミは、FTMトランスジェンダーの扱いについては基本的に無関心か、意図的に言及を避ける傾向がある。「FTMトランスジェンダーは男性トイレを使うべきだ」と言うことも「FTMトランスジェンダーは女性トイレを使ってよい」と言うことも、彼らのMTFトランスジェンダー排斥の主張との間で矛盾や摩擦を生むため。
もう少し具体的に言うと、「FTMトランスジェンダーは男性トイレを使うべきだ」と主張することは、彼らの立場で言う『生物学的女性』をシス男性限定の空間に放り込み、男性による性被害のリスクに無理矢理直面させることになる。一方で「FTMトランスジェンダーは女性トイレを使ってもよい」という主張は、「男性的外見を持ち、女性を性的対象とするトランスヘテロFTMがシス女性限定の空間にアクセスすることは(彼らの立場ではトランスヘテロFTMも『生物学的女性』であるにも関わらず)シス女性にとって性的脅威になりうる」という自明の現実と矛盾する。だから反MTFトランス派は、FTMについては明確な立場を示しにくい。
一般的に反MTFトランス派の論理は、FTMトランスジェンダーに対してそのロジックを反転適用した時に、いろいろとボロが出がちです。
ADHD女なんだけど
昔から目立ちたい、出しゃばりたいって欲求が多分人より何倍も強い。
でもワーキングメモリがゴミカスなんで、何かしようとすればするほど失敗する。
たまーにものすごく上手くいってる時が続く事があるけど、そういう時は必ず調子に乗って何か失敗をやらかす。
人の何倍も目立ちたい欲が強い上人の何倍も虚栄心が強いから一度の失敗をいつまでもグズグズ落ち込む。本当に些細なことでも異様に恥ずかしがってしまう。
他の人はどうかわからないけど発達障害者はこういう気持ちのムラを平らに出来ないのがめちゃくちゃ辛いんだと思う。目立ちたいのにそそっかしく、そそっかしい上、自尊心が強い。
私は幸か不幸か人並みに社会生活を送る能力はあるので、健常者と肩を並べて働く事は出来てる。
でも前述の通り目立ちたい出しゃばりたいって欲を優先させると大コケするので、できるだけ大人しく会議の時さえ話しかけられなければ沈黙するようにしてる。
これがなかなかしんどい。これをしんどいと思うか思わないかが発達障害者と健常者の違いじゃないだろうか。
自分の仕事が終わってもないのに上司や同僚が何か困ってるとすぐに出しゃばりたい欲がムクムク出てくる。
いっそのことそこで出しゃばって、失敗して周りからひんしゅくを買っても平然としてられたら良かったのにと思う。上手くいけば褒められて目立ちたい欲が満たされるだろう。
でも恥という理性がちゃんと機能してしまってる自分は出しゃばりなADHD脳を殴って止めて、大人しくしてるしかない。その方が世の中のためでもあるだろうし。
踏み絵の禁止は、憲法上、信教の自由(20条)ではなく思想良心の自由(19条)の問題です。ちなみに、内心の自由は絶対的な自由と解されています。
思想・良心の自由が不可侵であることの第二の意味は、国民がいかなる思想を抱いているかについて国家権力が露顕(disclosure)を強制することは許されないこと、すなわち、思想についての沈黙の自由が保証されることである。国家権力は、個人が内心において抱いている思想について、直接または間接に、訊ねることも許されないのである。したがって、たとえば、江戸時代のキリスト教徒の弾圧の際に行われた「踏絵」、あるいは、天皇制の支持・不支持について強制的に行われるアンケート調査など、個人の内心を推知しようとすることは、認められない。
本条(引用者注:憲法19条)が,外界の行動や表現に現れない内心の自由を保障しているにとどまるのであれば,それは,本来,法の及びえない領域であって,サブリミナル(閾下)広告によって人々の行動を操作しようとするような例外的な状況を除くと,本条の保障する自由への侵害が直接に問題となる場面は,それほど多くはないとも考えられる。
本条への違反が独立に問題となりうる場面としては,①思想や信条の告白を強制する場合と,②特定の思想や信条を有することを理由に不利益を課す場合とが考えられる。
ちなみに、芦部142頁によれば思想・良心の自由の保障をあえて明文で規定するのは比較法的に珍しいようです。長谷部194頁によれば歴史的には宗教改革により対立する宗派の共存の必要から信教の自由が近代立憲主義が保障する権利の中核的地位を占めたのだそうですが、わが国では、明治憲法下において、治安維持法の運用に見られるように、特定の思想を反国家的なものとして弾圧するという、内心の自由そのものが侵害される事例が少なくなかった
(芦部143頁)ことから、思想・良心の自由を特に明文で保障する必要が意識されたのでしょう。