はてなキーワード: 武道とは
この前暇だったから、自分が子供時代に逆戻りしたらどんな人生を送るだろうかと妄想していたんだけど、実家が破産しないルート構築が難しい。
父親が兄弟(おれの叔父)の商売の連帯保証人になって、叔父が商売を放り出して逃避したために、実家の家や土地を失うことになっていたので、それを防げると実家周りの財政が改善される。
しかし、父は叔父にある種のコンプレックスを持っていたらしく(叔父の方が商才や人望があり、武道もやっていたので喧嘩も勝てない)、連帯保証人を頼まれた時に断れなかったと思われる。おそらく、兄らしいところを見せよう、それくらいの甲斐性はある、みたいな見栄があったのではないか。父は祖母の言うことをよく聞いた人間なので、祖母からの頼みもあったのかもしれない。そしてなにより、祖母も父も頑固だ。他人の忠告を聞き入れるビジョンが見えない。
子どもに戻ったおれは、どのようにして説得・妨害を試みるか?少し未来の出来事を言い当てて、未来予知の超能力に目覚めたと信じてもらうか。
悪い報告は東リベ最終回を読んじまったってことだ
(上記から察することが出来ますが本エントリーは東京卍リベンジャーズに対しておおよそ肯定的とは言えないものです。ご了承下さい。)
あくまで私個人の意見だが、文句を言える作品は負の方向性であったとしてもそれだけ自分に響いたということなのである意味『受け取らせる力がある作品』だ、と私は思っている。
最新刊に追いつき、マガポケ単話購入で最新話に追い付き毎週読んでいた。
破竹の勢いで人が死ぬじゃん。
私は震えていた。
それでも彼等は彼等の成すべき事を成し遂げて、その積み重ねの果てにきっと彼等の信念や葛藤が報われる結末が見られる事を信じて読んでいた。
は?
それ以上でもそれ以下でもない。
視神経を通して脳に届いた東京卍リベンジャーズ最終回は、脳をそのまますり抜けていった。
文句さえ…出てこねぇ…。
あんなに魅力的だったストーリーもキャラクターも最終回ではスカスカのハリボテにしか見えない。
問題作でもなく、駄作でもなく、最終回を迎え幕を引いた東京卍リベンジャーズは私にとって『無』そのものになってしまった。
ロクな文句も出ないまま過ごしており、それ故にほぼ東京卍リベンジャーズという存在さえ忘れかけていた私はふと気がついた。
最初の頃、場地の親御さんはどれだけ嘆き悲しみ息子の様子を気にかけなかった自分を責めただろうと胸を痛めた。
ドラケンがこんな道を選ばず幸せに生きられるように養子に迎えてやれんか?とキモい庇護欲を湧かせていた。
要するに私は物語を楽しみつつも、彼等が未成年であることからどこか「保護者寄りの目線」で見ているところがあった。
キモいのは承知の上で私はみんなに幸せになって欲しかったし自分とは全く違う価値観で生きているみんなの幸せってどんなものだろうな、と悩んでいた。
ヤンチャして大人になって、物語としては旨味のない、数行のモノローグで説明できてしまうような人生を送って。
(勿論その全てに物語があるのは確かですが、東京卍リベンジャーズという作品が表現してきたものから逸れる内容ではあると思うのでこう表現しています)
私があの世界のみんなに望んでいた幸せをみんなは手に入れたんじゃないか?
伏線が回収されていなくても、武道とマイキーがやり直す前の世界であったことが無かったことになったとしても、私がみんなに望んでいたものをみんなは手に入れて、それを私は見届けることが出来たのに。
それを「無味乾燥」と一蹴してしまうって、なんか私って凄い無責任で冷たいやつじゃないか?
私は彼等を更生させる何かしらの人でもないしただ傍観しているだけの消費者なのだから、作品に対してどんな感想を持ったってそれは余程社会性を欠いていない限りは自由だ。
言ってしまえば「たかだか娯楽にそこまで真剣に向き合う必要無くない?」という話である。
でもさあ…素直に「みんなお疲れ様!おめでとう!先生もここまで描ききってくれてありがとう!この作品に出会えて良かった!」って言えないのほんと悲しいんだよ…自分が言ったことの責任も取らず、向き合う気にさえなれないのがめっちゃキツいんだよ…
だからファンとレスバになったとしてもアンチと違ってマジで顔のキモさと名前以外なんにも知らない
だって顔がキモい時点で情報を断ってるから サムネ見てすぐ避けてるから
だからたまに嫌いだった理由を忘れる時がある そういう時だいたいこれ
・横浜○星
空手チャンピオンなのに目隠し居合斬りで同性アイドルに飛びかかったから。たぶんバカなんだろうけど武道やってるんだったらそれぐらい理解しろ
・ピース又吉直樹
小説家ぶって偉そうにしてユニットコントの台本でとんでもない矛盾犯したから
当時Twitter見てたらリアタイで気づいたのは俺だけ。録画で気づいたのが2、3人いた
見た目アレでもせっかちだったりするしじろうさんとかもぐらさんが反論できないようにしてたのかな
今思いついた中ではそれくらい
我が家の次期当主である長男の従者を募集します。希望すれば使用人や屋敷の管理を学び、私と現執事の引退後に我が家の新しい執事として勤務も可能です。面接は現執事であり私の従者も兼任している者が行います。
男性、独身、身長180cm以上、容姿端麗(私の妻や娘、その侍女が判断)、25歳以上35歳未満、大学卒、武道の経験、住み込みで勤務できること
ユーモアのセンス、詩や文学への造詣、語学力(英・仏)、服装のTPO・トレンド・ドレスコード
長男の書類・手紙・郵便物の管理、長男の衣類の管理、長男が着る服やアクセサリーのセレクト・着付け、長男が旅行や外出をする際の荷物持ちや護衛、男性家族(父、私、長男)の来客の応対や給仕
月給40万円から、長男の部屋へのノックなし入室可、家事の免除、部屋と食事付き、執事以外の使用人(妻の侍女や家政婦長、メイド、下僕、料理人)に業務を命じられない権限及び必要であればそれらの者たちへ業務(長男の部屋の掃除など)を命じる権限
死んだ親父は右派学生運動に参加してたので生前聞いた話を記録としてまとめとく。
・当時の親父の思想は反共民族派(恐らく、本棚にある書籍から判断)
・親父が通ってたのは地方にある某私立大学(1968~の学生運動最盛期の時代
・最盛期は地方でも抗争があり左派が学内でバリケードを作り衝突が有った。
・銃撃事件があり、学内にライフルが打ち込まれた。(死傷者なし)
・三島由紀夫が結成した楯の会に参加を考えていた(応募したらしいがダメだった)
→制服がかっこよくて憧れが有った。
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/986138/
「高校の体育の授業で女子はダンス、男子は武道と決まっている。納得できない」。福岡県内の公立高校に通う女子生徒が本紙「あなたの特命取材班」に疑問を寄せた。国の学習指導要領では中学や高校の体育の授業は性別などにかかわらず同じ種目を楽しむ「共習」が原則だ。だが取材すると、指導要領と学校現場との格差が浮き彫りになった。
男女で分けている19校のうち少なくとも3校は「見直しを検討する」と回答。「変えてほしいという生徒の声がある」「性的少数者への配慮」などとした。
柔道もプールもハンドボールも重量挙げも、この際すべて「共習」に切り替えたらどうか。
東京卍リベンジャーズってのは主人公の武道が諦めない心と強い相手にも立ち向かっていく態度で周囲や未来を変えていくって話だと思うんだけど、わかりやすく武道の影響を受けて変わって行動に移したのがイヌピーだと思う
イヌピーは元々、オレに着いて来いのタイプではない。黒龍時代も毎回「ココはどうする?」ってココにお伺いを立てて、それにココが「オレはイヌピーに着いてくよ」って言うことで成り立ってた関係だった
それは、イヌピーの中に「ココが好きなのは姉の赤音の方で、自分はその代わりにされてる」っていう意識と遠慮があったからというのもあるんじゃないかと思う
それが、最終戦で「マブだろ」一点張りの裸一貫でココにぶつかっていったのはなぜか。これが、花垣武道の姿勢を見て、影響を受けてのことだったんじゃないか
三天戦争の日にココと再会して、自分と決別したココが全然幸せじゃなさそうなのを見て、なんとかしなきゃいけないと思ったんだろう
でも、イヌピーはココに提供できる定量的メリットなんてのはなくて、提供できるのは「オレはオマエの親友で、オマエのことを大切に思ってる」っていう気持ちだけ
それで気持ちだけで親友を取り戻しに行こうと思ったのは、自分が親友としてココを幸せにしようと思えたのは、花垣武道の姿勢を見て、自分も真似をしてそこに乗っかろうと思えたからなんじゃないか
そんなわけで、イヌピーとココの関係が特にクローズアップされたのは、武道がタイムリープして間接的に救った相手の代表として出てきたんじゃないかなあと思った次第
ビックザ武道なんだろう