はてなキーワード: 尿意とは
この文章は、高速道路での渋滞に巻き込まれた人が、尿意を我慢する苦しみを描写したものです。著者は、渋滞に巻き込まれたことにより、サービスエリアまでの到着が遅れ、尿意が限界に達する状況に陥ります。最終的には、母親が持っていたキャラメルコーンの袋を使って車内で用を足すことになります。
この文章は、日常生活の中で起こる些細な出来事をリアルかつユーモラスに描写しており、読者は著者の苦しみや葛藤を共感することができます。また、文章中に登場する母親の優しさや、キャラメルコーンの袋が救世主となる様子など、人間味あふれるエピソードが盛り込まれており、読み応えがあります。
ただし、文章全体としては長く、細部まで描写されているため、要点を把握するのが難しいかもしれません。もう少し簡潔にまとめることで、より読みやすくなるかもしれません。
はてラボはてな匿名ダイアリーに投稿された「高速道路でおしっこを出した話」は、高速道路を走行中に尿意を感じる主人公の苦闘を描いたエピソードです。通常は混雑しない時間帯に事故渋滞に遭遇し、サービスエリアまでの到着時間が長引く中で、尿意がますます強まっていきます。主人公は様々な方法で我慢しようとしますが、限界に達し、母から提案されたキャラメルコーンの袋を使って車内でおしっこをする決断をします。詳細な描写を交えながら、主人公が車内でおしっこをする様子が描かれています。
高速道路に乗ってからすぐに異変に気がついた。いつもはこの時間ならまだ混んでおらず、鬼門の町田ICも落ち着いているはずなのに何やら車の量が多い。おそらく事故だろう。ついていないな、と思いながらゆっくりと車が進んでゆく姿を眺めていたが、20分が過ぎ、30分が過ぎるとともに尿意が催してきた。
今朝コーヒーを2杯飲んだのが効いてきたようだ。まあでも車をしょっちゅう運転していればおしっこがしたくなる瞬間はたまにある。車のナビを見ると、一番近いサービスエリアまであと13キロとあった。
今日は母が運転してくれていたので、私は助手席に座ってツイッターに「事故渋滞にとらわれた。クソ。」と投稿をした。地図アプリを開き、サービスエリアまでの時間を調べる。あと45分か、まあ我慢できるだろう。
しかし15分が過ぎ、サービスエリアまでの距離はほぼ縮まらないまま、尿意と到着予定時間だけが異常なペースで育っていっていた。
自分の下腹をちらりと見ると丸く膨らんでいる。見ると余計におしっこがしたくなってきたので、少しでも締め付けをなくそうとシートベルトの位置を調整する。少し楽になったかもしれない。
地図アプリを見ると、到着まであと40分だった。最悪だ、伸びている。私の様子がおかしいことに気がついた母が「降りようか?」と聞いてくるが、降りたところでジ・エンドだ。ツイッターを見る限り下道もとんでもないことになっているので、「大丈夫、そのまま進んで…」と答える。
膀胱への圧迫を減らすために椅子を少し後ろに倒してみたが、膀胱の中で水分がたぷたぷと移動しているような感覚に襲われて危機を察知し、慌てて戻した。次にお尻を椅子から浮かしてみようと思ったが、浮かすために腕に力を入れた瞬間膀胱がギュッてなるのを感じてまた慌てて座り直した。
もぞもぞと動く私に母がしきりに声をかけてくれる。脳内では「あと20分くらいのはず、大丈夫、希望はある」と自分を励ましていた。他のことを考えようと漫画アプリを開いてみるも内容が頭に入らない。むしろ緩みそうな気がして、膀胱に意識を全集中させることに注力した。
だいぶ近づいた。地図アプリを見ると、あと35分。35分の文字を見た瞬間絶望した。希望なんてない。現実世界では確かに時間が進んでいるのに、地図アプリが教えてくれる到着予定時間は進んでいない。時空が歪んでいる。膀胱は容赦なく警報を鳴らしてくる。あまりにも苦しくてつい「人生終わりだ、『神は乗り越えられる試練しか与えない』と言うけど嘘だ!!」と大声を出した。大声を出すと腹に力が入り逆効果なのだが、もうどうすれば良いのかわからなかった。
母は私の顔を見て「顔色がすごく悪いよ、後ろに行ってビニール袋に出しちゃえば?」と提案してきた。しかしここで出してしまうとなんだか人間としての尊厳が失われてしまう気がして、「いや、まだ頑張れる…」と説得力のない声で断った。
「もう出しなよ」と定期的に諦めを促す母と、うわ言のように「大丈夫…大丈夫…」と繰り返す私。どうしてこうなってしまったのだろう。いつもはコーヒーを1杯しか飲まないのに、朝食が厚切りデニッシュだったせいで一口食べる度にコーヒーをごくごくと飲むはめになった。兄がお土産に買ってきてくれた高級そうなデニッシュだったが、すべての元凶はこのデニッシュなのだ。デニッシュのせいで口の水分が持っていかれ、コーヒーをいつもより多く飲むことになり、全身が「おしっこしたい」という感情に染められた。私の中では、兄はもはや大罪人だった。
無言のままシートベルトを引きちぎるような動きを繰り返す私を見て母がいよいよ限界だと悟ったのだろう。車が完全に停車してしまったので、その隙に母がおやつ用に持ってきたキャラメルコーンの中身をビニール袋に移し、「これにしなさい」とキャラメルコーンの空袋を渡してきた。
愛車は大きなワゴンカー。後ろに行けば広々とおしっこをすることができる。葛藤がなかったわけではない。もうここでしちゃおう、と、サービスエリアまで待とう、を何度もいったりきたりした。身体は限界だったが、気持ち的にはサービスエリアまで待つ以外の選択肢はなかった。
しかしどうだろう。キャラメルコーンの空袋を渡された途端、「車で出す」という選択肢が一気に現実味を帯びた。現実味が帯びると人間はどうなるかわかるか?今までギリギリ我慢できていた尿意がまるで我慢ができなくなるのだ。出せる、という希望(見方によっては絶望)を見出した途端自分を騙せなくなってしまった。しかも幸いなことにただのキャラメルコーンの袋ではない。「でっかいドッサリパック」のキャラメルコーンなのだ。袋の口がデカいということは、狙いやすいということだ。しかも大渋滞で車の動きは最小限、思わずよろけて狙いを外すリスクがほぼない。ティッシュもある。ウエットティッシュもある。すべて揃っているのだ!神は味方している。
そこからは早・・・くはなかった。まず下腹部がパンパンなのである。少し動いただけでバーストしそうになるので、慎重に助手席から後ろに移動した。次にズボンを脱ぐ。脚を引き抜くにはお腹に力を入れないといけないので危険度マックスだったが、なんとか左脚、右脚と引き抜くことができた。ズボンのゴムの締め付けがなくなったからか膀胱が楽になった感じがして、その達成感から思わず四肢を投げ出してしばし喜びに浸った。今思えば、椅子に沈み込むように座ってパンイチで大の字になっている人が隣の車にいたら恐怖だったと思う。同じふうに下着も脱ぎ、キャラメルコーンの袋をレジ袋(Lサイズ)の中にセットする。万が一外したときの保険用だ。レジ袋単体だと液体が漏れてしまうおそれがあるが、キャラメルコーンは袋の内側に加工がしてあるので強度が高いはず。エコバッグを忘れた時用に車にストックしていたレジ袋がこういう形で役に立つとは思わなかった。簡易トイレを作った後は、和式トイレの要領でキャラメルコーンの袋にまたがり、一瞬自分の人間としての生を思い浮かべる。良い人生だった。この選択に悔いはない。そうして・・・緊張していた入り口をわずかに緩めて、いざ、放射。
知っているか?人はおしっこを我慢しすぎると勢い良く出ないんだ。ちょろちょろ、ちょろちょろ、と出てくるおしっこを必死にキャラメルコーンの袋の真ん中をめがけてエイムする。進捗はゆっくりだが、確実に脳内が気持ちよさで破壊される感覚があった。安堵感、脱力感、そして謎の達成感。ありがとうキャラメルコーン、ありがとう東ハト。一生買い続けると誓うよ。
ちょろちょろと出てはしばらく出ず、でも残尿感が残っているのでそのまましばらく下腹部に力を込めるとまたちょろちょろと・・・ということを20分繰り返した。20分もやっていると、運動不足が祟って脚がぷるぷると震えてくるが、なんとか溢さずに済んだ。危機を脱し、ひとまずはお尻を拭く。ウェットティッシュにプリントされているくまモンの笑顔が眩しい。下着とズボンを履き、キャラメルコーンの袋を厳重に封をして一息ついたら母に「顔色がよくなった」と言われた。そしてついに、ついに!サービスエリアに着いたのであった。
サービスエリアのトイレにかけこみ、まずはキャラメルコーンの中身をそっと捨てる。すごい、内容量は122gらしいが、どう考えても122g以上の液体が入っていた。500mlのペットボトルと良い勝負かもしれない。すべて捨てきったらまた尿意が催してきたので、今度は優雅に便座に座り用を足した。まだ全然出た。しっかりと最後まで出し切ったあと、のんびりと車に戻り、念願の水を飲む。「いろんな人生経験をしてるね」と母に褒められ、そういえば何年か前に高速道路で大のほうも危うく漏らすところだったことを思い出す。しかし今日のこれは漏らしたうちに入るのだろうか?ちゃんと受け止めきれたからセーフではないだろうか?答えはわからないが、良い日だった。
大抵の人は辞められない。
頻尿の人はRRRを見ることは出来ない。大福を食べても尿意は止まらないし、水を飲まなくても尿は出る。オムツを履いて映画館に行くという変態プレイが許容されるのはエロ漫画の世界だけ。
会社で携帯を持つことが義務付けられている人は映画館でもバイブを常に意識する必要がある。特に自衛隊はそれが顕著。映画を見ている間に遠くで災害が起こり、それに気づかないで2時間の間報告義務さえ怠りましたは許されない。
色盲の人は普通の人と同じように映画を見れないし、時には色盲であるが故に重要な情報を見落とすだろう。まして盲目であれば……盲目の人でも音を楽しむために映画館に行く人はいるだろうが、その人は映像を見ることが出来ない自分という存在から離れることは出来はしない。逆に難聴の人間にとっては映像だけしかそこに存在しない。
単に語学力や読解力が試されることもある。吹き替えのないアクション映画で必死に字幕を追わされたり、訛りの独特なニュアンスを感じ取れなかったり。外人の顔は区別がつきにくいが、相貌失認気味の人間であればそれはなおさらで、時には登場キャラクターが少し髪型を変えただけで誰が今どうしているのかを見落としてしまうだろう。
「映画館で映画を見ている間は自分が自分であることを辞められる」というのは、自己の心身や能力に纏わる事柄によって映画鑑賞に支障が起きない人間が一時全てから離れて自由になれる権利を有して初めて起きる現象だ。
本当に完全にこの条件を満たせるのは日本人の半数程度だろう。
当たり前に誰にでも起きうるものとして扱うのは辞めてもらいたい。
家の中でのできごと
おむつしてる子供が「うんちがでた」と言うので、わたしはしゃがんで子供のおむつを脱がして「いいうんちだね!」と言いながらおしり拭いてたら急にもよおし肛門から勝手に水便がでた
わたしにとっては一瞬のできごとで、わたしの肛門は便意を我慢してトイレにいく隙がまったくなかった
わたしは妊娠中で尿漏れを簡単にするようになってたから、尿道以外も色々ゆるんでて、下痢便も妊娠する前より漏れやすくなっていたんだと思う
子供のおしりを綺麗にしてから、新しいおむつを替える余裕がなくてわたしは一人でトイレに行って、残りの便を出しにいった。
そのあと、子供におむつをはかせて、ボトムスはかせて、自分の汚れたパンツとズボンを洗った
便意をコントロールできなくなってしまったのは間違いなく激辛ラーメンが原因で、ラーメンがおいしくて「今度辛ラーメン買ってこよう」と思っていたのに。出産して体が元通りになるまで辛いラーメン食べれないじゃんと思い、悲しくなった
今まで、尿意と便意のコントロールには自信があったし、漏らすことはないと思っていたのに妊娠はいろんなことを覆す
旦那が下痢で苦しんでいたときに内心「下痢より便秘のほうがつらい。下痢は我慢しなくても勝手に便がでてきて楽なんだから、便秘よりはまし!」と思っていたんだが、肛門から勝手に水便でるのつらすぎるだろ
最近話題の映画「RRR」、粗筋を聞いたところ非常に気になるのだが、上映時間が3時間もあるということで二の足を踏んでいる。踏み続けてたら2ヶ月3ヶ月と月日がどんどん経っていき、そろそろ上映も終わりそうだ。
しかし3時間は長い。長すぎる。最低でも1回はトイレに立ってしまう。先日視聴した、約2時間のすずめの戸締りですら我慢の限界だったくらいだ。同じフロアにトイレがなかったら、確実に漏らしていただろう。ゾッとする。
どうやら本場のインドでは途中でトイレ休憩があるらしいが、日本ではそれがないという。インドに行く金はないし、そもそも日本語上映なんてしてないだろう。
1回目は1時間経過したところでトイレに行き、2回目は2時間経過したところでトイレに行く、といった感じで、トイレに行くタイミングを変えて数回観るという手もあるが、倍の値段を払うのは馬鹿らしいと思ってしまう。
もちろんすずめの戸締りを観た時も、直前にトイレに行った。上映中は飲み物も飲んでいない。Twitterで「大福や饅頭などを食べると水分が吸収されて尿意が抑えられる」という情報を見たので、コンビニで大福を買ってきて食べた。それでも映画が終わる頃には漏れそうになってしまうのだから、筋金入りの頻尿なのだ。
サブスクで観ればいいだろうと思う人もいるかもしれない。しかし映画は映画館で観ること特有の良さがある。なんかうまく言葉にはできないけど、あるだろそういうこと。客の雰囲気とか、ポップコーンの匂いとか、音の反響する感じとか、そういうの。
どういうわけで頼む、何か良い案を教えてください
なんとなく死産のブログを見てたら、胎児が死亡しているお母さんが医者に「尿意を感じる。トイレに行ってもいいか」と聞いたら医者がトイレに行くことを許可して、妊婦が病院のトイレに行って排泄したら流産して胎児がでてきて
母親が病院の職員に相談したら別室に待機するように言われて待ってる間に清掃員がトイレにきて胎児を流してしまったという悲惨なことが書かれていた
このことは全国ニュースにもなっている
ブログを読むとお母さんは胎児に「さくらちゃん」と名前をつけて愛情を持っていて
自分がもしお母さんの立場だったら大事な子供をトイレに流されてあまりにもつらすぎると思った
胎児が亡くなっているとわかったときに、お母さんは手型足型を取りたいと希望していたそう
丁寧に埋葬するつもりだった我が子をトイレに流されて、心をずたずたにされて、
清掃員もただ自分の仕事をしていただけなのに、しらない間に胎児を流してしまい、気の毒である。悪いのは他の人がトイレにくるまえに急いで胎児をトイレからすくいだす対応しなかった職員だろう
職員も患者が病院のトイレで流産するというケースに出くわしたのは初めてでそういう場合のマニュアルもないことだから、今回のようなことになってしまったんだろう
しかし、子供をトイレに流されたお母さんの立場だったら「仕方ないですね」では済ませられない
つらい