はてなキーワード: 分家とは
妻が浮気をして離婚することになったんだけどね。そのことはまあ、いいんだ。幸か不幸か子供もいなかったし、感情的には蹴りが付いたと言うか、愛情も一瞬で覚めたんで、間男にもどうぞこんなのでよろしければ引き取って下さい、って感じ。
ただ、妻の一族ってのがややこしくて、一族の長の宗主様っていう人がどうしても謝罪したいと言うことで、会いに行くことになった。
ここは東北なんだけど、俺は九州の出身なわけよ。大学だけ東北大に進んで、同じ大学で妻と知り合って、東北で就職したと言う流れ。
義父が、俺が東北の者じゃないと言うことで、最初は挨拶に行ってもけんもほろろな状態だったんだけど、その宗主様が俺のことを調査して、結果、後押ししてくれて結婚に漕ぎつけられたんだ。
俺は苗字は平凡なんだけど、うちの家系は旧大名家なんだよね。と言っても分家で、最後の伯爵様の次男の長男の長男の長男が俺。つまり本家からはかなり遠いし、本家の当主さんには無理を言って俺の結婚式に来てもらったけど、その時に初めて会ったくらいの関係。もちろん財産も普通だし、父祖伝来の家宝みたいなものも持っていない。
でも、そんな家系がありがたがられて、宗主様はこの縁談に大乗り気になって、あれだけ渋っていた義父が態度をころっと変えたのにはびっくりした。
あ、俺は九州出身だけど、その大名の領地は九州じゃないから。祖父が俺と同じように、大学は九州大学に進んでそのまま福岡市に土着したっていう流れ。
で、離婚の時に、宗主様の屋敷に行ったらさ、一族の人たちが100人くらい集まって、土下座しているわけよ。
宗主様が言うには一族の格を上昇させる旧大名家の婿を迎えたのに、手放したくないと言うわけよ。で、一族の女子の中から独身のキレイどころ5人揃えて、好きな子を選べというわけよね。
俺んちが源氏じゃないのが良かったみたいで、源氏だったら絶対にダメ、みたい。でも源氏、多いからねー。源氏じゃない大名家ということで、こんなに都合がいい婿はいないということで、絶対に手放したくないと。
女子5人に「君らこんなんでいいの?」と聞いたら、さすがに選んでいると。俺のことは知っているから、俺ならいいかなーと思った、と言うことだった。
嘘みたいなホントの話。
着古した羽織を着ている豊国をみて、家康は「物持ちが良いと言っても限度がある」と窘めたところ、「これは足利義晴様にいただいたいものでございます」と答えた。これを聞いた家康は「豊国は古い恩義に背かない律義者だ」と賞した。
ある時、「粗忽者と言うのは朽木卜斎(牧斎)殿のようなお方の事を言うのでしょうな」と徳川家康に語ると、家康は「なるほど、卜斎が粗忽者であるというのは皆が知ることであるが、御身(豊国)の粗忽さは卜斎以上であると私は思う」と答えた。周囲の者がこれを訝しむと、家康は「卜斎は粗忽者であるが、先祖伝来の朽木谷を今でも保っている。それに比べては御身はどうか。昔から山名家といえば六十余州の内の十一州を治めた大族で、六分の一殿と称えられた家である。それが今では所領を全く失い、こうして寄寓の身となっている。これはまさしく天下の粗忽と言えるもので、これを超える粗忽は無いと思う」と語った。これに対して豊国はさして恥じ入った様子もなく「全く仰る通りです。私も六分の一殿とまでの贅沢は言いませんから、せめて百分の一殿ぐらいには呼ばれたいものです」と答え、これには流石の家康も苦笑するしかなかったという。
天正年間に、徳川家康とともに斯波義銀(津川三松)の屋敷を訪問した際、豊国の義銀への応対があまりにも慇懃過ぎるほどであったらしく、後に家康より「義銀は管領の家の生まれと言えども足利の分家に過ぎない。お前(豊国)は新田家の嫡流にして、そう遠くない昔までは数ヶ国を治める太守であったではないか。何故、足利の分家に(新田のお前が)そのように卑屈になるのだ」と苦言を呈されている。家康も新田氏の分家を自称していた。
関ヶ原の戦いの後、豊国はかつて自らを追放した武田高信の遺児・助信を捜し出して召抱え、200石を与えた。以後、助信の子孫は代々山名氏に仕えた。
征夷大将軍に就任した家康に謁見した際、室町幕府第10代将軍・足利義稙から山名氏当主に贈られた羽織を着用して賞された。
有職故実や和歌・連歌・茶湯・将棋などの文化、教養面に精通していた。室町時代の名族山名氏一門の生き残りとして、戦国時代から豊臣時代を巧みに生き残り自らの子孫を江戸幕府の上級旗本として存続させた。
2週間くらい前に群発期に入った。
なんとなく頭が重い感じから始まりだんだん痛みが強くなり30分くらいでピークが来る。数分間ピークが続き徐々に痛みが落ち着いて行く。痛みがあるのはだいたい1時間から1時間半くらい。
前回の群発期は午前中に一度だけだったけど今回は一日に2回朝と夜に頭痛が出る。
夜痛むのが特に辛い。寝不足になって翌朝の頭痛の確率が高まる感じがする。
朝の頭痛の時はだいたい仕事してるけど今の仕事が単純作業な感じなのでなんとかなっている。普通の顔してるけどめちゃくちゃ頭痛い。歩くスピードはいつもより遅くなってると思う。
夜は一人暮らしなので思う存分家で「あー痛ぇークソ!」とつぶやいたり叫んだりしながら耐えている。同居する家族とかいたら心配させないように大変だったかもしれない。洗面所に水をためて頭を突っ込むと多少落ち着く事に気づいた。
病院に行って痛み止めの薬と頭痛の頻度を少なくする薬をもらったけどあんまり効いてない感じ。
特に頻度を減らす薬は全くで飲み始めてからも毎日2回頭痛が出ている。
痛み止めの薬は飲むタイミングがシビアでちょうど良いタイミングだとおそらく効いているが失敗することも多い。事前に飲んで効果が持続するタイプではなく、痛みが軽度の時にピンポイントで飲まないといけない。痛みの前兆がでたタイミング、痛みが中くらいより強くなったタイミングではダメらしい。また、痛み止めが効いたパターンでも痛みがすぐになくなる訳ではない。痛みの初期段階で飲む→30分ほどで痛みがぱったりと止むという風になるのだけど、前述の通り俺は30分くらいで痛みのピークが来るのでそこまでは普通に痛くて苦痛だ。
あとは酒が好きなんだけどこの時期に酒を飲むと100%頭痛になるので飲めないのもつらい。群発期はだいたい1ヶ月くらいで終わるのであと2週間耐えて美味しい酒を飲みたい。
1年分家賃前払いor家賃100か月分の預金残高の証明があればいける。
URの団地なんか家賃やすいからちょっと頑張れば貯まるレベルでいける。
要はカネさえあれば入れる。
あとは退去時の清掃費とかでガメられる心配も限りなく低い。そのへんの規定が統一されてるから。
(UR申込資格 https://www.ur-net.go.jp/chintai/rent/requirements/)
一定期間の家賃および共益費を一時払い(前払い)することで、その期間中、割引した家賃等でお住まいいただけます。
この制度をご利用いただく場合は、収入要件は問いません。契約時に住宅の賃貸借契約とは別に「家賃等の一時払い」契約を締結させていただきます。
・一時払い期間
申込者本人の貯蓄額が、基準貯蓄額(月額家賃の100倍)以上ある場合、1に定める収入要件を満たさない場合も、それに代えることができます。
(追記)
ちなみに預金の審査は入居時だけだから更新・再契約時には無いで。
それから今より家賃の安いor同額のURの別物件に引っ越す時も収入&預金審査は省略できるんや。
掃除当番とかは有るとこも無いとこもある。物件によるとしかいいようがない。
家賃高い&空きが少ないというコメが多いが、安くてイイ物件は確実に有るけど供給がね🥺
国と吉岡里帆が力を合わせて全力で宣伝しとるから、まぁしゃあない。
(追記)
Webサイト上だと永久に空きがないように見えるのは電話優先だからで、空きが出たら電話してもらえるように頼んでおけば一瞬で見つかる。(一瞬では言い過ぎだが)
URはホームページで見ると空いてない所多いけど、管轄の営業所に電話して、希望条件伝えたら空いたとき教えてくれる。うちもそれで入れたことあり
URを何度もリピートしている私。店舗に行って希望物件の情報提供希望を出すことをオススメする。ネットじゃ絶対に空きが出ない物件の空き情報が直接電話で届く。
我々両親がきちんと家におり、平日土日問わず、毎日それなりに相手をしてくれる。たまにおばあちゃんが面倒見てくれる。多分、子ども側で親が不要にならない限り、これからも我々は構い続けるだろう。むしろ子離れの方を気を付けなければいけない。
翻って、自分の子供時代。昭和末期。父親は基本的に家にいない。平日は仕事で土日はパチンコ。夜だけいる感じ。食事は一緒に取らない。核家族で他に頼れる相手もいなかったため、母親のヒステリーは日ごと激しくなり、小学校に上がってからの両親は週次で激しく罵りあっていたように思う。恐ろしいことに、自分の周辺ではこれが逸脱した家庭環境というわけではなかった。友人の父親はほとんど思い出せないし、たまに友人宅の夫婦喧嘩に遭遇することもあった。
父親は中学に上がってから単身赴任になり、ますます存在が薄くなった。母は兄と私をほぼ一人で育てていた。兄は母とは早々に距離を取り、結果私は、母の溺愛とヒステリーを一身に受ける羽目になった。けれど、今自分で子育てをしていて思うのは、そりゃこんなのワンオペしてたら気も狂う。正直母の言動の数々は今でも許し難いものがあるが、時代を考えると、あれでも母は私を愛していたのだろうと確信できる。何なら父の家庭での有りようも、昭和においては特段珍しいものではなかったのだ。営業職として身を粉にして働き、金だけ家に入れて、土日は燃えカスになっていた。自分が同じ生活をしたら、まあ燃えカスになるだろう。その姿を見ていたからこそ私はいま、ラクチンな仕事を選んでいる。父も、あれはあれで多分家庭への愛情があったのだ。なのに、私の記憶には父が一切残っていない。特に同情もしないが、一抹の寂寥感というか、井上陽水「人生が二度あれば」が頭に流れる。残念ながら両親は既に離婚しており、老いた二人がこたつで若いころを話すこともない。
仲良くしてるのが嫌なわけじゃない、ただ、うちに来るなら気を使ってほしいだけで。
来るなら半分家の主である私に気を使うのは当たり前だし、せめて私が居辛い雰囲気にするのはやめてほしい。友達の妻が帰ってきたら「おかえりなさい」ぐらい言いません?全くの無言?ここ私の家なのですが?
旦那いわく、「俺の友達が妻ちゃんに話しかけないのは会話に入れなくて気まずくなるから、気を使って話しかけてない」だそうだけど、それならそもそも来ないでほしい。そんな微妙な気遣いできるなら本当に来なければいいじゃないですか。
飲みに行くなら深夜まで連れ回すのもやめてほしい。
仲良くするなとかじゃないの、半分は私の家なのをわかってほしい。
それだけです。
増田は完結後3周して今4周目読んでるくらい進撃の巨人が好きなんだけど、信者の贔屓目で最大限甘く判定してもどうしても納得できない箇所が一つある。
あの山小屋暮らしは、139話でのミカサとアルミンの会話から、船の道中にエレンが「道」にミカサを呼んで繰り広げたもの(そしてユミルがミカサの頭に干渉して一足早く思い出させたもの)であろうが、どうしてミカサはそれを忘れていたのか。というか、そもそもなんで見せることができたのか。
アッカーマンは始祖の巨人の力で記憶改竄ができない、というのは作中何度も語られている設定である。即ちアッカーマンと東洋人のハーフであるミカサの記憶に始祖の巨人が入り込む余地なんて存在しないはずなのである。
最終回直後は、「アッカーマンが記憶改竄できないというのはウソで、分家をシガンシナに飛ばしてミカサを誕生させる為にエレンが人々の記憶を弄ってそういうことにした」説を考えてみたりもしたが、ウーリがケニーを操作できないんだからアッカーマンに干渉できないのは本当なんだろう。
あとはユミルの未練あたりは最重要事項なんだから読者に委ねてないでもうちょっと描いてくれとか、ジークがアルミンに堕ちるのがあっさりしすぎてるとか、色々細かい不満はあるんだけど、まあいっかなで済ませられる範囲。