はてなキーワード: めばえとは
天気のいい日は参拝者が多くて社入が上がる。
天気の悪い日は参拝者が少なく社入が下がる。
…はずなのだが。
なぜか、台風の日だけは、参拝者が多くて社入が上がる。
さて。
ニュース「二十何年ぶりの、非常に強い勢力の台風が上陸しようとしています」
こんな台風が来たらどうなるか。
答えは“二十何年ぶりの強さの台風が来ようがどうしようが、参拝者が増えて社入が上がる”である。
なぜ新車をずぶ濡れにしてまで何百キロもやってきて車祓を受けねば収まりがつかないのか?
なぜ新生児を台風の中に連れ出してまで初宮詣を強行するような道を新米父母が選ばざるを得ないのか?
なぜ千キロ離れたところに住む息子のとっくの昔に建っている家屋の新築祓という一ヶ月先でもいいような祈願をなんとなく、道が冠水しかねないこのような日にしようと思い立つのか?
なぜ、今日などは三連休の中日なのに、いつもいつもわざわざ台風の直撃する日を敢えて選んでお参りに来るのか?
“台風参り”みたいな参拝様式が知らないところで確立されているのだろうか?
参拝者に対する謎は尽きない。
他方、デカルトにおける私と明晰判断に認知できるものだけで構成、しかしそれでは私の全体像をとらえたことにならないのでは?
超自我がエディプスコンプレックス(異性の親に対する性的願望と同性の 親に対する敵対心の複合したもの)を克服してゆく過程で近親相姦願望を抑止する者として
<幼児がエディプスコンプレックスを克服する。同性の親を取り込んで心の中を番人にする。>
の同性の親を心の中に取り込むことで、それを核に成立(こうした説明を元に可能となるデカルト批判)フロイトに従う限り(人間の心をもつ)私の中には本来 「私」とは異なる他者(同性の親)が部分として存在していることに
↓
こうした本来の「私」の外に存在する他者、しかしそれでいて私を形成する他者をデカルトの目の内面でひたすら探るというやり方では捉えきれないのでは?
☆ジャック・ラカン(1901ー1981)が鏡像段階に関して展開する議論をもとに可能になる
鏡像段階→幼児の発育過程の中の一段階(生後6か月〜18か月)この段階の幼児は、鏡の中に映った自分の姿に強い関心を示しなおかつそれを見て大喜びするという特徴をもつ。
↓
なぜ大喜びするのか?
↓
自分が一つの統一的な身体を持つことの発見、そしてまたそうしたものとして他者から見られているのだということの発見
↓
そして発見を通してナルシシズム(自己像に対する愛着)がめばえ
様々に思い描くようになる
季節外れのインフルエンザだよ!
カクヨムは出版社の都合優先し過ぎの漁場設計だから上手く行ってないな。
(下読み素人にさせてピックアップ後のだけ編集者が読みたいとか、そういうね)
カクヨムは、Consumer Generated Media(消費者作成メディア、略してCGM)そのものなのよね。
勝手にピックアップ(下読み)が完了する、美味しいプラットフォーム。
カドカワにとっては、美味しい漁場ね。
という企画書になってるハズ。
Youtubeとかニコニコが曲がりなりにも回るのは、暴力的なまでに圧倒的多数の「視聴者」が居るから。
Twitterとか2chとかでTV番組のコメント拾うとソコソコ的確なデータが揃うのも同じ。
ということはだ、カクヨムの場合は「読者」中心に設計しないといけないはずだった。
が、ニコニコとかがあると、どうあっても「作者」寄りに設計するよな。
そこがマトモにシミュレートしてねえよなって感じる所。
まあ、「読み専」って単語そのものが既にして判ってねえ感満載なんだが、
繰り返しになるけど、評価者が中心に来ないとまずい。
誰も評価しなかったらどうなるか?
誰が使うんだそのメディア。
今のカクヨムは、その状況。
まあ、面白い作品があって埋もれてる状況って、もったいないよな。
そうすると、例えば以下の手法がある
どこまで読んだかの栞、傾向の似てる作品のレコメンド、読んだ作品数の貯金。
あらゆる読者向けサービスで使われている書影(表紙画像)って記憶にダイレクトに効いてくるので、
pixivと連携して書影コンテストを開催するくらいのことはやって充実させる気概が欲しい。
コレがあるだけで、チョット読んでみようかって人が増える。
カドカワに人材居ないなら、それこそ日替わり編集長とか頼めばええがな。
目が多ければ問題になることは少ないんだよね。つまり、評価者が少ないのが問題。
だったら、「参考になったレビュー」と「参考にならなかったレビュー」をさらに評価するのが手っ取り早い。
(興味深いとか面白おかしいみたいな、スラド方式もあるけど、いきなり導入は難しかろうな)
まあね。
でも、そのレビュー評価で作品選んでんだから実は同じなんだよね。
星の合計数が出てるってのがそれ。他の人の評価で選ぶなら、他人の評価を読んでるのと一緒。
AmazonとかAppleが星の合計数じゃなくて「★★★が何人です」ってやってんの意味あるんだよ。
★5と★1にピークがあるなら人を選ぶ作品だってわかるし、★5が多いなら読んで損はしない。
知らず知らずのうちに人は評価者に影響を受けてる。
ちゃんと評価されればね。
なんでかって言うと、無名の1万人の作品を読む暇人は基本的には存在しない。
ニコニコ動画に「人類には早すぎた動画ランキング」がある理由を思い出そう。
ログイン後に強制的に玉石混交の作品を読まされるとかじゃない限り、人はランキングに頼る。
チートは弾くべきだけど、やるべきことは「互助会への加入補助」になるんだよ。
互助会ってワードが強すぎると思うなら、クラスタの生成とか、ニッチなクラブ作りでも良い。
ハードSF好きとか、スーパー攻め様だけ読む人とか、ネットは広大なのでニッチの組閣は必ずできる。
(設計的には評価者だけの組織化を促すべきなんだろうけど、難しかろう)
今は、「読者」間の繋がりを作る方法が全く無い。
まあ、そのうち週刊カクヨムができてピックアップされたり、
今週の短編のお題が出されたり、
そういう風になっていくだろ。
もう俺の作品は日の目が見ることはないだろうが、そんなのはどうでもいい。
俺だけでなく多くの人が期待をこめて飛びこんだカクヨムをこのまま潰さないでくれ。
そして、これを見たWEB小説に少しばかり興味がある人、どうか頼む。
多くの耳目を集めて準備期間も取った今のカクヨムには、面白い作品がかなり埋もれている。
俺もいっぱい出会った。それをなんとか探し出して少しでも延命してやってくれ。
運営がなにかしらの一手を打つまで、そこまで生き残らせてくれ。
この増田に触発されて書いたのに、元増田ですら作品名書けてない現状が全て。
何言ってもステマ扱いされるようなコミュニティは健全じゃないよ。
クックパッドでも(アレだけ揉めながらも)つくれぽが人気なのは、
現時点でコミュニティ作りが全くないのは致命的。
何に焦ったか知らないけど、見切り発車しすぎじゃねーかな。
5時間前
ところで私ついに大学生ブロガーで人気の青二才パイセンを生で見ることができました。
青二才パイセンも僕らのこと好き勝手に書きまくってるし私もパイセンのことについてちょっと書いても怒らないよね?
みんなもこれ私が書いたって言わないでね!
筋トレをして腹筋バキバキになったよ! みたいなことをtwitterで書きまくって自慢してたからいくら容姿に自信がないとか豚まんじゅうとか言ってもネタだろうなって。今は痩せてるのかなって。
実際にオフ会で見たら本当にただのデブだったし。 体がでかくて声もくぐもってるから本気のデブ感。
あれだけやせたやせたダイエット頑張ってますってtwitterで言いまくっててこれかよ。
やせろよ。まじで痩せろよ。 ダイエット記事書いてる暇があったらまず痩せろよって。
リアルで自分の姿晒しながらでは今から僕のダイエット方法を説明しますなんて言おうものなら石を投げられそうじゃん。 ホントもうちょっとでいいから痩せてって。
全然痩せてないしただのデブなのに他人にダイエットの仕方を教えてやるみたいなことを平気で書けてしまう青二才パイセンまじぱねえっす。
それから青二才パイセン、よくリア充妬む記事書いたりしてますけどアレネタかと思ってたらガチですね。
まず服装がオタク臭い。いまだにそのかばんはないっすよパイセン! ツッコミ待ちなのかと思って反応に困りました。
オフ会いる時は年長者なのに自分から話盛り上げるでもなくぶすっとした顔で座って空気悪くしちゃうし、
他人の話で自分に興味が有る時だけいきなり空気読まずに話じゃまして顔突っ込んでくるし。
ブログみたいにパイセンにしかわからないなぞの理屈展開で勝手に話始めるし。
この人一体何しに来たの?? どんだけコミュ障なのって思いながら見てました。
あとパイセンほんとにやせてください。空気読めない豚はただの豚。なんつって。
青二才パイセンってよく大学生ブロガーのオフ会に参加しては終わってからすげえ偉そうにブログ記事書くじゃないですか
他の大学生グループの人、文句言わずに優しく熱いコメントありがとうございました、って返してるのすごい大人だなーって。
私だったらオフ会参加してあれだけボロッカスに言われたら少し腹も立つのにえらいなって。
こういう大人な対応ができる人じゃないと人気ブロガーになれないのかなって不安になってました。
あってみてわかりました。そうじゃなかったんですね。実際に青二才パイセンにあうと、なんだか可哀想って気持ちになっちゃうんですよね。
リアルではすごくおとなしくて、この人生まれてからずっとコミュニケーション弱者だったんだなって。
家に帰ってからだけしかああいう強気の振る舞いが出来ないんだって思ったら、ネット弁慶ぶりが可愛く見えますよね。
よしよしぼうや今日も元気ですねーって。 すっきりしたらお布団に入ってねまちょうねーってそんな気分。
案の定オフレポで偉そうなこと書いてましたがちっとも腹は立ちませんでした。すごいや、僕ってこんなに他人に優しくなれるんだ。
僕らがネットで知ってるイケイケの青二才パイセンはネットでしか生きられないから大事にしなきゃいけないって使命感めばえちゃったかも?
青二才パイセンにはアンチがいっぱいいるらしいですけど、一度会ってみればネットでは優しくしてあげようって気分になりますよ。
私が書いたって言わないでねとお願いが書いてあるから誰が書いたかは言わないけど、内容は晒してもいいよね(名推理)
Facebookはみんなキレイ事しか言わないと言ってたやつ出てこいよ。友達は自分に都合の良い反応しかしないと思ってご覧の有様だぞ。友達しか見てないと思っているとはいえここまで書けるのすげえわ。ブログ記事全然おもしろくねえのにFacebookで青二才の悪口言う時はめちゃくちゃイキイキしてるじゃねえか。しかし友達の数アホみたいに増やそうとするから俺みたいなやつが混じる危険性が出てくることを考えてないあたりアホだな。
俺も青二才のことあんまりすきじゃないけどここまで馬鹿にされるほど酷いやつではないと信じたい。でもこんなに酷いなら面白半分で会ってみたくなったわ。このノリでブログもやってくれねえかな。Facebookの方が面白い奴ってもったいねえよ。
元の文章書いたやつ消しやがったwww イェーイ、*** *ツ**さん、見てるー?
ネット上の「叩きたい」人っていうのは、あらゆるささいなことで揚げ足をとって叩きにかかるわけで、それこそ相手の職業(お前ニートだろとか)からちょっとした言いまつがいまで、ありとあらゆることを「叩き」に結びつけるよね? そのひとつひとつに深い意図があるというより、早い話が「言いがかり」っていうか。「お前のカーチャンでーべーそー」的な定型句罵りというか。違うの??? まあ、増田の文章に寄り添うならば「生まれつきデベソのわたしは、”お前のカーチャンデベソ”という罵り言葉に深く傷ついてきた」という感じになるのかもしれないが……まあ、そういわれれば、それはまあ確かにそうかもしれないが。。。
ただ具体的に、今回増田が主張している「男/女」問題に焦点をしぼって話すとすれば、それは100%「八つ当たり」と言い切れるのだろうか?? 性別(男女差)に由来する”傾向”というのは、現実的にあるのではないかな?
たとえば、女性の平均寿命のほうが男性より長いとか、平均身長は男性のほうが高いとか。運動系の世界記録(たとえば100m走のタイムとか)は男性がもっていることが多いとか。
もちろん、男女差より個人差のほうが大きいわけで、そこらへんのお兄ちゃんはジョイナーより全然足遅い。短命な女性も長寿のおじいちゃんもノミの夫婦もいる。
だけど、たとえば「痴漢」というと、漢字からしてそうだけど、男性は加害者という”傾向”がある。もちろん、電車の中で男子高校生の****をなでまわす犯罪者おばさんだってゼロとは言い切れない。でも、一般的な”傾向”としてね。やっぱり、男女差っていうのはあるんだと思う。
増田はさ、男性から女性に向けられた批判の数々を読んで、ただただ、傷ついてただけ??
「私だけは、絶対そんな女性にはならないようにしよう!!」とか
「”だから女は”なんていわれないように、ちゃんとしなきゃ!頑張らなきゃ!!!」とか
「そんなの女の一部よ! 絶対そんなことないって、偏見持ってる奴らの鼻先に実績をつきつけてやりたい!」とか
「迷惑行為するオバハン、マジでやめてほしい。そういう一部の女性のせいで、女性全体が悪いイメージで見られるじゃないのよ!」とか、
1ミリも思わなかった? 青臭い理想に燃えちゃったりとか、全然しなかったの??
女性叩きの内容は、本当に「八つ当たり」、ただの言いがかり的叩き100%だったの? 批判の内容には、”傾向”的に女性が犯しがちな要素はなかったの?
そこに対して、女性として襟を正したりする要素はまったくなかった??? 「勇気を出して痴漢を取り押さえる男性」みたいな矜持は全然めばえなかった??
うーんわかったようなわからんような。
肌がきれい、色白、小顔、というのはたしかにあるあるなんだけど、童顔、っていうのは、ええっ、って感じだった。
自分の感じる童顔って、かの幼児雑誌「めばえ」(今あるのか?)にでてくるような、まん丸お目目に丸顔、って感じだから、この人対極なんだよね。
どちらかというと「ファニーフェイス」「個性派」って感じで、そういう売り方なら納得できるんだけど、「可愛い」っていわれると、ええっ、って思っちゃうんだよね。
でなんで悪役顔に見えるかっていうと、指摘した人もいるけど、眉の薄さと吊り上った目。
すっごく意地悪そうで、昔のドラマではこういうのが悪役だったんだよね。
だから自分もその価値観で、うわー、いやな顔、としか思えない。
(ついでに山口百恵もその線で可愛いと思えない。引退間際はきれいになったかな、って感じだけど、デビュー時はどちらかというと残念な顔としか思えない)
で、いかにも女の子らしい顔、っていうのにも、ええっ、だった。
つり目のせいで、あんまりかわいらしさとか柔らかさとか感じないんだよなあ。
うん、何で違和感感じるのかわかった。
自分的には彼女はどちらかというと残念な顔で、「ファニーフェイス」「個性派」「ボーイッシュ」という範疇なんだよね。
なのに世間的には「可愛い」範疇に入れられてるので、ものすごく「?????」で気持ち悪かったんだね。
結局好きにはなれないが、なんとなくわかってよかった、かな。
追記
自分、この人の薄い眉とつり目がきらいなんだな
前髪下ろすと眉とつり目のきつさが薄められてかわいらしく見えるから
この手の顔立ちが苦手なのね結局
http://www.j-magazine.or.jp/data_001/commonness_4.html#001
http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=3&cat3cd=56&period_cd=3
http://www.j-magazine.or.jp/magdata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=3&cat3cd=56&period_cd=5
ベビーブック 193,750→187,500→236,667
めばえ 220,834→212,500→203,334
幼稚園 215,000→191,250→165,000
入学準備学習幼稚園 103,750→95,000→98,000
おひさま 62,167→62,750→55,334
てれびくん 238,750→246,250→238,334
小学二年生 167,334→106,250→128,334
小学三年生 121,667→88,750→85,000
小学四年生 91,417→67,500→66,667
小学五年生 62,750→50,000→58,334
小学六年生 50,728→37,750→52,667
って作ってて思ったが読者からすれば
(2008年10月~12月)小学五年生50,000→(2009年4月~6月)小学六年生52,667
だよな。
「気軽に、自由に、気の向くままに楽しめばええんやで。」
その言葉は、大人への趣味の入り口として同意だが、教育としてはどうだろう。ただ、
は、言われてみればそうかと思う。たいていの学問と同じく、芸術だって基礎が大事だから学校で基礎をやっているんだろうけど、理数文と違って芸術は圧倒的に才能と個人的経験がものを言いそうだね。
「気軽に、自由に、気の向くままに楽しめばええんやで。」
鑑賞に限ってはこの通り。
ただ、ものを作る時にこれはない。気軽に、自由に、気の向くままにものを作るためには、基礎と技量がないと難しい。
まあ作品に点数つけられた覚えないけど。あ、歌や演奏はあるか。
センス次第とかいうけど、それ言っちゃうと何の教科でもそうだと思う。本をよく読む子は国語や社会が得意で、機械を分解したがる子は数学とか理科とか得意、みたいな差異は普通にあるだろ。
なんかしらの努力をしたら、どの教科でも普通は結果が出るよ。学校で習うレベルならなおさら。
点数をつけるのが問題なんじゃなくて、専門教育でないこと(特に小学校とか)が問題なんじゃないか?他の教科に比べてメソッドが確立されてないというか。
自分は高校の時に選択芸術科目で書道と工芸を取って、書道は体系的に学べて面白かったけど、工芸は「はい作れ」みたいな感じで面白くなかった。
書道には学問としての蓄積があって、「師範」という教育専門のメソッドがあるからすんなり学習できたんだと思う。
大人になった今、工芸教室とかで学べばもしかしたら楽しいのかも。
>「気軽に、自由に、気の向くままに楽しめばええんやで。」
作り手の士気に関わると言うのもあるんだけど
むしろ市場を否定してる根源だろうと
いやっ、そうじゃなくてさ。
楽しむ事がいかんといってるんじゃなくて。
女として生まれたんだからメイクを楽しむわよ!
みたいな事が「絶対的に肯定される」雰囲気が怖いわけ
なんつーんだろな、
それを「生まれたんだから」とかつけるのが息苦しい。
生まれたのに楽しめていない人はダメなんか?という言も裏に潜んでいるわけで、しかもそれをも肯定しているわけで。
単純に「メイク大好きです。楽しんでます」ならここまで違和感は感じないだろうけど
なーんかこの手の「○○として生まれたんだから」ってのはさ、息苦しいんよね。
別に生まれたとかどうだっていいから、楽しいんなら勝手に楽しめばええやん、って感じで。
何か宿命背負っちゃってる感っつーのかな。別に女に生まれたからって女であるからこそできる事とかを全てコンプリートしなきゃいけないわけでもないし、いわゆる女ならではのことでも楽しくなきゃ楽しまずに他の自分が思う楽しい事に費やしてりゃいいわけでさ。女として生まれたのだから云々、って、何をそんなに背負ってるの?って感じがすんのよ。別にそう気負わなくてもさ、みたいな。