2016-05-03

識可能性/フロイトによる超自我の成立過程に関する説明

他方、デカルトにおける私と明晰判断認知できるものだけで構成しかしそれでは私の全体像をとらえたことにならないのでは?

※1明晰判断認識可能性

※2明晰判断認識することできない

フロイトによる超自我の成立過程に関する説明

超自我エディプスコンプレックス(異性の親に対する性的願望と同性の 親に対する敵対心の複合したもの)を克服してゆく過程近親相姦願望を抑止する者として

幼児エディプスコンプレックスを克服する。同性の親を取り込んで心の中を番人にする。>

の同性の親を心の中に取り込むことで、それを核に成立(こうした説明を元に可能となるデカルト批判フロイトに従う限り(人間の心をもつ)私の中には本来 「私」とは異なる他者(同性の親)が部分として存在していることに

こうした本来の「私」の外に存在する他者しかしそれでいて私を形成する他者デカルトの目の内面でひたすら探るというやり方では捉えきれないのでは?

ジャック・ラカン(1901ー1981)が鏡像段階に関して展開する議論をもとに可能になる

デカルト批判

鏡像段階幼児の発育過程の中の一段階(生後6か月〜18か月)この段階の幼児は、鏡の中に映った自分の姿に強い関心を示しなおかつそれを見て大喜びするという特徴をもつ

なぜ大喜びするのか?

新たな発見をするから

自分が一つの統一的な身体を持つことの発見、そしてまたそうしたものとして他者から見られているのだということの発見

そして発見を通してナルシシズム自己像に対する愛着)がめばえ

様々に思い描くようになる

そして様々に思い描かれる自分の姿を通して「私」の輪郭が定まってゆく

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん